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あの月光でも、さすがに股間にキックされるとは夢にも思わなかっただろう。
怒っているのか凹んでいるのか分からないが、あれから一週間経ってもスマホは静かなままだった。
振動も鳴らない、ブロックの必要も無さそうなのでアカウントもそのままにしている。
「友達」に金蹴りをお見舞いされれば、いくら脳天気バカでも分かってくれたのではないだろうか。
このまま乃蒼を「股間に蹴り入れやがった奴」として忘れてくれると、とてもありがたい。
月光は何を血迷ったのか「好きだ」と言ってくれていたけれど、何せ当時から行動が伴っていないのでそれを信じろという方が無理な話なのだ。
乃蒼は忘れたいと思っている。 月光にも、乃蒼を嫌な奴だったという認識で構わないから忘れてほしい。
「あーあ……あの人との約束守れないままだなー……」
一つ気がかりなのは、あの場に置き去りにしてしまった美形男との約束だった。
夜の相手はしないと釘を差したその日にそういう関係になったと分かると、ゆるぎにも足が向かなくなっていた。
ビンちゃんに飲み代を払いに行きたい。 だがあれは月光が払ったと聞こえた気がしたから、それはもう払わせておけばいいかなと思った。
乃蒼がのしのしと帰った後、あれから男と月光はどうしたんだろう、というのも一応気にしてはいた。
けれど乃蒼は、もはやどんな事にも悩まされたくない。
月光との再会は本当に寝耳に水な出来事で、あってはならない事だった。
考える事を拒否し、さらに仕事に邁進する日々を送ってしまうのも致し方ない。
「それにしてもあの人……どっかで見た事ある気がするんだよな~……」
超絶タイプだった初体験の相手に似ていなくもないが、当時の彼はもう少し温和な印象だった。
あの男もひどく優しげで超の付くいい男だけれど、初体験の男よりも目付きが少しだけ鋭く、纏うオーラが少しだけ怖い。
しかし乃蒼の朧げな記憶は七年も前のものだ。 どんなに情熱的で印象的な一夜だったとしても、一度しか会った事のない相手などタイプだったからと言ってよくは覚えていなかった。
とにかくあの夜は浮かれていた。
月光とは違う人とのセックスにドキドキして、自分が何を口走ったかも分からないほど夢中で、自室に戻ってからも男に抱かれる夢を見て頬を緩ませたほどで、……あまりにも浮ついていた当時の乃蒼には、男の顔面を詳細に記憶しているはずもなかった。
「……あの人となら、もう一回したいかも……」
テレビを消して、当時の甘い囁きを思い出せるだけ脳裏に浮かべると、腰が疼いてきた乃蒼は親指の爪をカリカリっと噛んで瞳を閉じた。
あの時の男を選んだ決め手は、大きな声では言えないがやはり顔だった。
と言いつつ、行為が始まるや乃蒼は男の顔などどうでも良くなり、止めどなく与えてくれる快感や甘い言葉に酔いしれた。
『綺麗だ、本当に綺麗。 ……すべて。 のあのすべてが美しいよ』
「…………っ……」
素面でそんな事を囁ける男がいるのか、と衝撃を受けた事だけはよく覚えている。
一言一句、とまではいかないが、彼はほとんど『のあ綺麗、可愛い』と言い続けていた。 その類の言葉を言われ慣れない乃蒼は、恥ずかしくて恥ずかしくて、でもやはりとてつもなく嬉しくてたまらなかった。
目蓋を閉じると、当時の感覚が薄らと戻ってくる。 頬が熱くなってきたのを感じ、おもむろに自身へと手を伸ばした。
疼いてきた腰から伝わる熱が、すでに中心部を熱くさせていた。
「……っ……っっ……」
火遊びの相手の囁きを蘇らせて、頭の中を空っぽにした乃蒼は久しぶりに自慰をした。
そういうつもりで性器に触れてみただけで、腰がビクッと喜んだ。
忙しさにかまけ、かつここ最近は男絡みの悩みも尽きないせいで帰宅と同時に現実逃避する事が日課になってしまっていた。
それはまさにあっという間の出来事で、扱き始めて数分で射精すると、一気に脳内がクリアになってくる。
───あの人……名前、何だったっけ。
乃蒼のキラキラネームなんかよりもはるかに素晴らしいそれに、いい名前、と言った薄暗いホテルの一室にいるような感覚で居られて、そのまま瞳を瞑っていたかった。
手のひらにべったりと付いた精液を持て余した乃蒼は、ベッドの側面に凭れてゆっくり目を開けると、虚しい自室の天井が視界に入って苦笑いしか浮かべられない。
「はぁ……ダメだな。 ……何してんだろ、俺」
過去に縛られてばかりだ。
月光といい、火遊びしたイケメンといい。
今の乃蒼と言えば、遊び回るでもなく、寂しくなったら酔っ払った時にすかさず現れる夜の相手だけ。
その男は名前も知らなければ、まともに顔を見ようともしないため覚えていないけれど、過去の二人が薄れゆくほどには喜びを与えてくれていると思う。
忘れたいと願った月光の事をも、記憶の片隅に追いやる事が出来ていた。
好きだったのかもしれない。
月光の事が、乃蒼は好きだったのかもしれない。
独占したくて、大事にしてほしくて、……だから、月光の節操無しが許せなかった。
いけないと思いながらも、月光は彼女達の事をどういう風に抱くんだろう、と想像しかけて、苦しくなってやめた。
当時からそんな事を何度も繰り返した。
その苦しみを今になってまた思い起こさせるなんて、月光はなんてヒドイ奴なんだろう。
いつも乃蒼は、月光のせいにしていた。
それが完全にそうではないという事を知りながら、誰かのせいにしていなくては立っていられなかったのだ。
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