永遠のクロッカス

須藤慎弥

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「…………うん?」
「───ッッ!!?!?」
「おっと、……倒れちゃうよ、そんなに仰け反ったら」


 あまりの事に、海翔から顔を覗き込まれていた乃蒼は椅子ごと後ろへひっくり返りそうになった。


「…………っっ!」


 瞳を丸くし、驚愕し過ぎて声も出ない。
 逞しい腕に背中を支えられたが、「ありがとう」どころではなかった。

 初めてのキスをした、蕩けるようなセックスを教えてくれた人物が、今目の前にいるのだ。
 一夜限りだと心に決めて連絡先も交換しなかったので、実際には探し出そうとは思わなかったけれど、乃蒼の心のどこかにずっと海翔は居た。
 月光との決別を実行に移す事が出来たのも、この海翔がセックスとは素晴らしいものだと教えてくれたからである。

 粗雑で、単に欲を満たすだけだと思っていたセックスが、実はこんなにも甘くて熱っぽいものだと、たった一晩寝ただけの海翔が乃蒼にそれを植え付けた。


『またどこかで会えるかな、……会えたらいいな。 叶いはしないだろうけど』


 そんな事を思っていた乃蒼の前に、今、あの海翔がいる。

 乃蒼の驚きの時間は長かった。
 突き出しに続いて運ばれてきた前菜にも手を付けないままスープまでが運ばれてきてしまったので、海翔が「次の、少し待ってください」と店員に断っていた。
 スープが冷製で良かった。

 しばらく呆然と海を眺めていたが、唐突に意識を取り戻した乃蒼がやっとの事で海翔に詰め寄る。


「い、い、いつから気付いてたんだ!」
「会った時から。 名前教えてもらう前から俺、乃蒼って呼んでたよ」
「そういえば……!」


 長い足を優雅に組んだ海翔は、少しだけ笑っていた。
 よくよく考えると、気付かぬままに海翔と再会した乃蒼は、嫌いな自分の名前を口にした事が無かったはずだ。
 なぜ教える前から知られていたのか、疑問にさえ思っていなかった。
 驚きのまま海翔の瞳を見詰めると、笑顔を絶やさない彼は料理を食べ始める。


「俺そんなに変わった? 全然気付かなかったの?」
「…………はい、いや、……はい。 何となく、見た事あるかな、って思ってはいたけど……! だってあれは……七年も前の事だし……」
「そうだよね。 七年も前か」
「そうだよ。 ……あービックリした。 気付いてたんなら早く言ってよ。 マジで口から心臓飛び出るかと思った」


 海翔が何気なく食事を始めた事により、乃蒼のドキドキも次第に落ち着いてきた。

 箸を手に取り、綺麗なサーモンのサラダを口に運ぶと、美味しさのあまり「ん~っ」と瞳を閉じて感動に震える。
 せっかくの新鮮な魚料理達を無駄にするわけにはいかない。
 記憶の奥底に眠っていた海翔との蜜事には一旦蓋をして、隣でスマートに食事をする彼に「美味しい」と言った。


「ふふっ、良かった。 ……もっと驚く事あるけど聞きたい?」
「ま、まだあるのっ? ……っ聞きたい」
「今は教えない」
「えぇ? なんで……!」


 それなら、乃蒼が気になるような言い方はしないでほしい。
 深く問い詰めようとしたのだが、海翔が店員に右手を上げてストップをかけていたコースの続きをお願いしてしまい、それからは食事に集中させられた。
 否、集中せざるを得なかった。
 どうやらここのフルコースは創作和食という名目なようで、次々と運ばれてくる料理は見た目からしてかなり凝っていて見事であった。

 メイン料理で、乃蒼は生まれて初めて伊勢海老というものを口にした。
 口に含み、咀嚼し、嚥下して、鼻から伊勢海老の風味が抜ける最後の瞬間まで楽しんだ後、その衝撃の美味さに隣の海翔の肩をバシバシ叩いたくらいだ。
 笑いながら「痛いよ」と言う海翔からさらに、刻んだ葱がこんもり乗った新鮮なマグロのたたきを寄越された時も、やはり同じ事をした。

 何はともあれ、大満足だった。
 お腹がいっぱいで心も満たされ、創作料理なだけあって食べる前から食欲と好奇心をそそられた。
 季節のフルーツ盛りを食べ終え、コースは終わりかと思えばラストにコーヒーと小菓子まで出て来て、満足に次ぐ満足によって乃蒼は満ち足りた幸せな気分だ。


「もう、最高。 美味しかった。 また来たい」
「そうだね、また来ようね」
「支払い良かったの? 俺も払うよ?」
「いいの。 俺が誘ったんだし。 元々ご馳走する気満々だった」


 助手席の背に体を預けて、乃蒼は満足そうにお腹を擦る。
 序盤は相当に驚きの事実を知ってしまいどうなる事かと思ったが、その後は最高のディナーだった。
 自分で作る手料理では絶対に味わえない、目でも楽しませてくれる創作和食のフルコースをこんなイケメンからご馳走されるとは、少しばかり贅沢過ぎではないかと今更恐縮するほどに。




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