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◆ 好きな人 ◆ ─潤─
第七十五話
しおりを挟む恋に気付き、想いを噛み締めると、天の行動一つ一つから目が離せなくなった。
昼に抑制剤を飲むと必ずと言っていいほど副作用が出てしまい、強い眠気に負けた天は毎日可愛らしいお昼寝をする。
欲情とまではいかない淡いフェロモンを放ちながら、潤に抱き締められて眠る天は次第に深い眠りへと落ちていった。
ここへ来て一週間が経つ。
バイトも休みである今日は、好きなだけ天のお昼寝に付き合い、たっぷりと天を甘やかして疑似同棲気分を味わおうとしていた。
「俺も明日から出社する事になったから、ちょうどいいじゃん。 潤くんもやっと帰れるね。 面倒かけてほんとにごめんな」
洗濯物を畳む天はとても無邪気に、にこやかな笑顔で潤を奈落の底に突き落とす。
どういうわけか、天が一人で病院に行った日を境に夜中の発情がパタリと無くなった。
それは日中にも言える事で、射精後の残り香のようにふわふわとしたフェロモンだけは漂わせるものの、潤には違いが分かってしまう濃密な方はまったく香らない。
薬が変わった様子も無く、天が嘘を吐いていなければ病院でも何の処置も施されていないと言っていたのに、だ。
「いやでも、……っ」
確かに潤も、明日から新学期が始まる。
しかしいつまた発情期がぶり返すか分からないので、制服を取りに一度自宅へ帰りはしてもまた戻ってくるつもりだった。
「潤くんに迷惑かけちゃった事だけは、俺の心残りだなぁ」
「ちょっ、ちょっと待ってよ。 もう会えないみたいな言い方しないで!」
「あ、そういうつもりじゃないんだけど……心残りは違ったか。 じゃあ……後悔?」
「後悔……? やめて。 少なくとも僕は楽しいよ。 天くんのそばに居られて、たくさん触らせてくれて、……」
「………………?」
まるでこのまま二度と会えないような言い方をされては、潤の気も収まらなかった。
キョトン顔の天のそばへ寄って行き、一番聞きたかった事を期待を込めて口に出す。
「天くん、僕のこと、……二番目に好きになってくれた?」
「…………ううん」
「え、───?」
少しの逡巡のあと、天は頭を振った。
間違いなく、否定された。
好きなだけ触れさせてくれていた天の瞳は、勘違いしてしまいそうなほどの熱を確かに含んでいた。
期待をしていたのだ。
二番目に好きになってもらえたら、あとは上がるだけ。 言葉だけを封じ、熱心に想いを伝え続ければいつか必ず天の気持ちを動かせる。
ただの添い寝のみでも、天は潤を嫌がることなく許してくれた。
触れたくても貫きたくても我慢していた潤の気持ちに寄り添うように、毎晩「ありがと」と照れたように言ってくれていた。
何に対しての「ありがと」なのか、その時の潤には意味を分かりかねていたけれど、「そばに居てくれてありがとう」という前向きな感謝だと思い込んでいた。
……違ったのだ。
天の気持ちは、あの感謝の言葉は、そうではなかったのだ。
潤の心に僅かな亀裂が入った。
「そんなわけないじゃん。 二番目なんて」
「………………!」
俯いた天の本音に、期待が絶望に変わる寸前で留まっていた亀裂が心を真っ二つに割いた。
突き放すような言い方ではなかった。
どちらかといえば重たいものに聞こえた。
カーテンの隙間から溢れる夕陽の色が、天の髪に温かな光を落としている。
潤の目に、それがひどく儚げに写った。
「そ、そう、……そうだよね」
「潤くんもそうだろ?」
「…………うん。 二番目なんて、……ねぇ?」
可笑しくなどない。 けれど微笑み返す事しか出来なかった。
潤を真っ直ぐに見詰める天の視線が何を訴えようとしているのか、分からなかった。
ただただ、お遊びのような戯れで終わらせた一週間を悔やんだ。
こんな事なら、ハッキリと告白してしまえば良かった。
都合のいい常套句を振りかざし、天の心を回りくどく捕らえようとなどしなければ良かった。
二番目ではない。
天と出会ったあの日から、潤の中では天が一番だ。
α性を嫌う天のために、性別を殺す覚悟もした。
どれだけ本能を揺さぶられても、番を望む牙がジュクジュクと疼いても、……決して噛まないと誓ってここを訪れた。
欲しいと思ったから。
天の心が欲しいと、思ったから。
「……潤くん、今日までほんとにありがとう。 俺ならもう大丈夫だから、ちゃんとお家に帰って勉強しな? 将来いい会社に入ってお給料いっぱい貰って、可愛いお嫁さん捕まえ……」
「分かった。 ……天くん、分かったよ」
突発的な発情期を乗り越えたらしい天は、頑なに自身の性別を受け入れないβ性に戻り、コートを羽織った潤を他人行儀な笑顔で見送ろうとしている。
天は、この一週間の事も、二度のヒートも、無かった事にしたいのかもしれない。
βとして生きたいと涙ながらに語っていた姿を思うと、彼に恋をする事さえ罪悪感を覚えた。
「バイバイだけは言わないで」
「……うん」
「天くんの言う通りにするから、……ぎゅってしていい?」
「……うん」
何故それは拒んでくれないのか。
狼狽えもしないで、ふわりと抱き締めた潤の背中に回ったこの腕は何なのか。
自覚すると、この体を離したくなくなる。
潤は、二十センチは違う天の体を抱き締めて、彼のにおいに包まれながら瞳を瞑って噛み締めた。
天の心ごと欲しいという想いをかき消さなければならない、恨めしい性別の壁を───。
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