恋というものは

須藤慎弥

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はじめての巣作り

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 店内の天に気付かぬまま、潤と母親はカフェの前を通り過ぎて行った。

 二人の姿が見えなくなるまで目で追っていた天は、その場でしばらく立ち竦む。

 そんな天のただならぬ様子に、店員から「大丈夫ですか」と着席を促されてようやく瞬きをした。


「あ、……すみません。大丈夫です。……ごめんなさい、もう帰ります。おかわり頼んだのにすみません。ほんとに、……すみません……」
「構いませんよ。あっ、お客様……!」


 二杯分払います、と言って足早にレジへと歩むと、カウンターに置き忘れた花束を抱えた店員に呼び止められる。

 そこでまた頭を下げた天に対し、一杯分の料金しか受け取らなかった店員は退店時に思いがけない事を言った。


「お客様が何を見て、そうまで狼狽えてしまったのか分かりませんが……危ない匂いがしますので、直ちにお帰りになった方が良いかと」
「……え?」
「自分、αなんです。分かるんですよ、あなたの匂いが」
「…………っ!」


 入り口の重いガラス扉を開け放ち、ハッと目を見開いた天を送り出した店員は最後にこうも言った。


「あなたのような性別の方には幸せになってもらいたい。……悲しくてどうしようもなくなったら、また来てください。美味しいカフェモカをご馳走します」
「……っ」


 初見で〝優しげ〟だという印象を受けた店員は、その性別によって天の性を見抜き、あからさまに狼狽した要因までをも気付いているかのような切ない笑みを浮かべていた。

 ふいに心に刺さる優しい言葉をかけられてしまい、涙が込み上げてくる。

 天はそれを見られまいと、花束を抱え直すなり小さく会釈しその場から走り去った。向かった先は二人が歩んで行った方ではなく、うっかり鉢合わせぬよう来た道を迷わず進んだ。


「はぁ、はぁ……。ここから最短ルートで帰るには……」


 α性だという店員の言葉が本当なら、あまりウロウロもしていられない。天がハッとしてしまったのは、今月の終わりが発情期の予定だからだ。

 しかし、潤の姿を見るだけで意図せずフェロモンを放つようになった天の発情期は、不規則になった。


 ──潤くん見ちゃったからかな……。


 平気で性を偽れていた頃と比べると、天の体はとても正直な反応を示すようになってしまった。

 とはいえ、潤の母親を目撃したからと言ってこれほど狼狽える理由が分からない。

 何気ない光景だった。

 気の強さが顔つきに表れてはいるが目鼻立ちの整った美しい母と、怒りの感情を知らなそうな中性的で甘い顔立ちの息子が、首席卒業に歓喜しつつ歩いている様は、何ならとても微笑ましく映った。


 ──潤くんは笑ってなかったけど……。


 だが潤の硬い表情が物語っていたように、彼と母親の溝は未だ埋まっていない。天の狼狽の理由は、そこにあるように思えた。

 走り疲れ、途中からトボトボと歩いて潤の高校まで戻って来た天は、すっかり静かになってしまった校門前で立ち止まった。


「……卒業おめでとう、潤くん」


 めでたいパネルにスマホを構え、せめてもの記念にと写真を一枚撮った。

 この学び舎には何の思い出も無いが、潤が通っていたというだけで親近感が湧く。

 潤は、性別が確定し将来の期待から隔離され、とても寂しい思いをしていたかもしれない。けれど、世の中の区別に抗いながらもきちんと制服を着て登校し、皆と黒板に向かっていたと思うと、なんとも可愛らしい。

 あの美丈夫にそんな言葉は相応しくないのかもしれないけれど、彼の素を知る天は笑みまで浮かべ、愛おしい校舎を見上げた。


「ふふっ……」


 あまり爽快な気分ではなかったのだが、ふと年下イジリをするとムキになって怒る潤が浮かび、笑みが濃くなる。

 αらしくない年下の恋人は寂しがり屋だけれど我慢強く、性欲を剥き出しにしていない限りフサフサの耳と尻尾の幻覚が見えるほどに従順で甘えたがりだ。

 「天くん、天くん」と二度呼ぶ時は、機嫌が良いとき。

 「天くーん」と一度呼ぶ時は、傍らが寂しくて天を欲するとき。

 「ねぇ」からはじまる時は、天に関する事で機嫌が損なわれているとき。

 彼と過ごしてきた一年半で、天は性別のフィルターを外して一人の人間を見ることが出来るようになっていた。

 それは他ならぬ、頑張り屋でもある潤のおかげである。


「ほんとに頑張ってたもんなぁ……潤くん」


 ひとまず母親の神経を逆撫でするような無駄な話し合いはせず、潤はただ〝約束〟を果たす事にのみ専念していた。

 天も彼の考えに則り、あれから天の発情期は二度訪れたが潤に頼るのをやめた。それに関して潤は不服そうだったけれど、彼がそばに居ない事によって抑制剤はいくらか効果を発揮してくれたのだ。

 毎日の通話やメッセージのやりとり、週末のデートだけは継続させたものの、潤と天にとってはそれがこれまで以上に幸せな時間に思えた。

 本音を言えば、そばに居てほしかった。あまりの寂しさで、我慢出来ずに泣いてしまう日も少なくなかった。けれど、「潤くんにだけ頑張らせるつもりはない」と言い張った天にも年上の恋人としての意地があった。

 受験を控えた潤が「会いたい」と駄々をこねても、天は「週末まで我慢だよ」と年下の恋人に言い聞かせ、同時に自分にも暗示をかける事で寂しさを乗り越えた。

 バイトを減らし、天との逢瀬も我慢し、黙々と勉強に打ち込んできた潤は志望大学合格の切符をすでに手に入れている。しかも成績優秀者のみが対象の特待生としての入学を決めているため、潤は本格的にひとり立ちの計画を実行に移し始めたという事だ。


「……くしゅんっ」


 スイートピーやガーベラ、チューリップ等々で彩られた花束が、天の鼻腔をくすぐった。

 新たな門出を祝うためのこれは、潤に一番に手渡したかった。

 ただ、先ほどの光景を目撃してしまった天は帰宅する他無い。ここで時間を費やしても、潤を想ってふわふわとフェロモンを垂れ流していては、先の店員のみならずいつ誰に勘付かれるか分からない。


「タクシー使っちゃうか」


 花束持参で電車に揺られ注目を浴びるのは、行きだけでコリゴリだった。

 大通りまでは少し距離があるとはいえ、その羞恥を思えばなんの事はない。


「──天くん! 天くん!」
「…………っ?」


 名残惜しく校舎から視線を外し、回れ右しようとしようとした天は声のする方を向く。

 するとそこには、数十メートル先に必死の形相を浮かべた潤が走り寄って来ているのが見えた。


 ──えっ、潤くん!? なんで? 潤くん、お母さんと一緒に帰ったんじゃ……!


 驚いて目を丸くした天の前に、眉間に皺を寄せた潤が立つ。


「やっぱり天くんだ! どうしてここに……って、もしかしてそれ……」


 天が抱えている花束を見つけた潤が、表情を和らげた。だが天は、唖然としてしまう。

 二人を目撃してから、しばらく経っている。

 それなのになぜここに居るのかと、天は信じられない思いで呼吸の荒い潤を見上げた。


「あっ……あれっ? 潤くん、戻ってきたの? お母さんはっ?」
「……母さん?」
「うん。お母さん放ったらかしにしちゃダメだって。戻ってあげなよ」


 遠回しに追い返そうとする天を、潤は片目を細めて見た。

 胸元に造花を付けた卒業生らしい潤の姿を目前に、嬉しい気持ちが大半を占めていたけれど、彼の母親の手前手放しで喜べなかった。

 天を理由に彼女を一人にしては、いざこざ真っ最中なのだからまたもや潤に反感が向かうかもしれない。

 ここは歩行者の少ない通りだ。

 何の懸念も無ければ、今頃大声で「おめでとう、よく頑張ったね」と言い、花束を贈呈していた。

 遠慮した天が一歩後退ると、潤はゆっくりと首を振りながら二歩進んでくる。歩幅に差がある彼らの距離は自ずと縮まり、潤は天のすぐそばで立ち止まった。


「天くんの匂いがしたから、いても立ってもいられなくて。母さんなら、色々理由付けて先に帰ってもらった」
「えっ、匂い……っ? あぁ……なんか……ごめんね」
「どうして謝るの」
「だって……匂い出ちゃってるのホントだったんだなって……」


 どんなに微弱でも、Ω性のフェロモンはα性の鼻を誤魔化せない。天の番相手だと示された潤には、もっと確実に察知されるのだ。

 潤に焦がれた天がふわふわと漂わせた香りが、図らずも彼をここに引き寄せた。


 ──さっさと帰ってれば良かった……!


 今日くらいは穏やかな日を過ごしてほしいのに、気分を害した母親が後から潤に嫌味を言わないか心配になった。

 それでなくても、潤は天の知らぬところでチクチク言われているはずだ。

 天はこの時、〝自分こそが疫病神だ〟とまで思った。俯いて下唇を噛み、もどかしい気持ちを滾らせる。

 ところが潤は、天の発言のある部分に引っかかっていた。


「〝ホントだった〟……? どういうこと? 誰かにこの匂い嗅がせたの?」
「えっ?」




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