優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

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バッティング

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 ● ● ●


 全身がひんやりとして気持ちいい。

 重たかった体も、頭も、気持ちスッキリしてて軽くなってる気がする。

 それに何だろ……この美味しそうないい匂い。

 まだ食事が喉を通る気はしないけど、空腹感はしっかりと感じる。

 ──あ、九条君がまだ居たんだ。

 腕を動かすと、指先に人の髪の毛の感触があって、柔らかなそれに少しだけ触れてみた。

 ベッドに上半身を預けて眠っているのか、髪を梳きやすい。

 九条君……ありがとう。ほんとに看病してくれてたんだ。

 俺が約束すっぽかして怒らせちゃったのに……こうして残ってくれてたなんて、いい友達だなぁ……。


「あっ、七海さん……!」
「…………え……」


 お、おいおいおいおい……!

 嘘だろ、誰か嘘って言ってよ……!

 ──九条君じゃない声がした。

 それは、俺が「帰れ」って言い続けたのに凄まじい強心臓で堂々と居座っていた、優しいと見せかけた狼の声だった。


「なん、で……なんで和彦が……っ」
「七海さん~、心配しましたよっ。やっぱり熱があったじゃないですか!」
「え……熱?」
「そうですよ! ほっぺたもおでこも首も熱かったからおかしいなって思ってたんです! 瞳も子猫みたいにうるうるしてましたし……あ、今もうるうるしてる。可愛い……。……うん、少し熱下がってますね」
「や、めろ……っ、触るな……!」


 和彦はベラベラと饒舌に喋りながら、そっと俺のおでこに触れてきた。

 なんだ、熱があったからあんなに体もだるくて頭痛も治んなかったのか……なんて、納得してる場合じゃない。

 なんで和彦が残ってるのか、九条君はどこに行ったのか。

 問いたくても、まだほとんど働かない脳は役立たずだった。


「……七海さん。僕反省したんです。いくら何でも唐突過ぎだったなって……」
「…………何が」
「僕、七海さんがどんなにセックス狂いでも、愛してあげます。本気で、全力で、愛します。それでも足りないなら、僕の魂吸い取ってもらって構いません」
「ま、待って、誰がセックス狂いだよ!」


 普通に生活してたら絶対に聞く事のない物凄いワードが飛び出した。

 俺、一応病人なんだから興奮させないでよ……!

 昨日から続くそのしつこい誤解をやめてくれ、頼むから……。


「誰って……七海さん」
「俺がいつセックス狂いになったんだよ! ……っゴホ、っ、ゴホっ」
「あっ、大丈夫ですか、七海さん! そんな声出すからですよ。おとなしくしてて下さい。……昨日……風邪薬入れたと思ったんだけどな……」
「……なに? 何か言った?」
「いえ、何でも」


 咳込むと喉がビリっとして痛かった。

 喉元を抑えて鼻水を啜ると、耳の中まで痛くなってくる。

 あー……ダメだ。俺、完全に風邪引いちゃってる……。

 ……家に風邪薬あったかなぁ……。

 無かったら買いに行かなきゃいけないけど、起き上がるのもしんどいから寝て治すしかない。

 ここに昨夜の悪夢が現存している以上は安眠なんて出来ないし、ほんとに早く帰ってほしい。

 看病なんか頼んでないって、俺が冷たい事を口走ってしまう前に……。


「なぁ、……俺の事はもういいから帰れよ。……和彦の顔見たくないって三回か四回は言っただろ。聞く耳持ってよ」
「なんでそんな事言うんですか? 僕の何がいけないんですか?」
「全部」
「ぜっ、全部……!? 直しようがないじゃないですか!」
「そうだね。だから帰って」


 直すも直さないも、俺はお前を許せないんだからどうしようもないだろ。

 俺が元気に体を動かせたなら、力ずくで玄関まで追いやってすぐにでもサヨナラするのに、今は腕を動かすので精一杯なんだから悟ってよ。

 一回セックスしただけでこんなに付きまとわれちゃ、たまったもんじゃない。

 ここまで顔がいいと、自信過剰になっちゃうのかなぁ……。

 優しげで大人びた和彦が、小さな子どもみたいにシュン……と肩を落として項垂れた。


「……帰りたくないです……さっきの人が戻ってきたら、七海さん……あの人とエッチするんでしょ……」
「俺病人だってば! 和彦の頭ん中はセックスの事しかないのか!」
「ないです。七海さんにだけは何故か」
「どういう意味だよ……」


 そんな事を即答するな。

 帰れと言っても帰らないし、嫌いって言ってるのにめげないし、何なんだコイツは。

 こんなにも理解不能で掴みどころのない人間を、俺は見た事がない。

 恐らく元気な時に対峙してたとしても、風邪引いてグッタリな今の状況と何ら変わらなかったかもしれない。

 俺の初めてを奪った男は「常識外れな変な人」って事でいいか、……もう。

 まだ頭がボーッとするせいで、あれこれ考えるのがめんどくさくなってきた。


「噂を信じた僕がおバカさんでした。七海さん、聞いてたよりもずっと良い人です。小さいし、可愛いし、優しいし、友達思いだし、……すごく良い子です」
「い、良い子っておい、俺年上っ」
「あっ、すみません。七海さん可愛らしいからつい……」


 何なんだ……俺を怒らせたり疲れさせたりするのが得意なのか、和彦は。

 「噂」に振り回された和彦にまんまと初めてを奪われた俺って……ほんと災難過ぎない……?

 さっきからずっと好意をぶつけてきてるけど、和彦は俺の何を知ってるっていうんだ。



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