44 / 206
高鳴り ─和彦─
4
しおりを挟む● ● ●
暑さが本格的になると、学生達の考える事は皆同じだ。
出来る事なら冷房の効いた構内で涼んでいたい、もっと言えば、より涼やかな講義室に避難したい。そんなところ。
春先や秋口にはあまり見られない、講義室が満席になった光景を僕は一番後ろの隅の席から眺めていた。
冷房で体が冷えてくるとマスクを装着し、他人と壁を作る。
思わぬ相席で七海さんと会ってから三日、僕は毎日朝から昼過ぎまで確実に大学構内に居るのに、やっぱり出くわさない。
もう会わない方がいい。姿さえ見ちゃいけない。
そう思っていた僕に、この日またしても運命が悪戯した。
「ごめん、座らせて」
講義開始までぼんやりと前方を眺めていると、僕の後ろ側の扉から入ってきたらしい生徒にグイと肩を押された。
無理やり僕の隣に座るスペースを確保してきたのは、七海さんその人だった。
「えっ……!? な、七海さ……っ」
「シッ……! 和彦、それ変装してるんだろ。大声出さない方がいいよ」
「…………!」
僕が目を白黒させているというのに、何食わぬ顔でリュックからノートや筆記用具を取り出している。
な、な、七海さんが……また僕の隣に居る……!
この時間は全学必修科目である事は確かだけど、四年生の七海さんが受けるべき講義ではないはずだ。
それなのに、なんでここに……っ?
しかも僕が変装してるって何で知ってるの……?
「いっつもバイトの時間と被るからこの必修逃してて。今日こんなに多いって知ってたら次に持ち越したのにな」
「……そ、そうなんですか」
「ちょっと狭いけど……許して」
「あ、いえ、それは大丈夫ですけど……」
本来は一人分の席を二人で使っているんだから、どうしても体が密着する。
……いいのかな……七海さん。必修は落とせないからって我慢してるんじゃないのかな……。
「七海さん、僕退室しますからどうぞ……」
「なんで。いいよ、別に。和彦が狭くないんなら」
「でも……」
「……そんなに嫌なら俺が別のとこ行く」
「違う、そうは言ってないでしょう……」
「じゃあ何なんだよ。……いいって言ってんじゃん」
「……わ、分かりました。七海さんが気にしないのであれば……」
「扉開けたら満席だった、でもすぐそこに知ってる人居た、だから声掛けた、それだけ」
「…………はい……」
七海さんは前を向いたまま、きっぱりとそう言い切った。
それは分かるんだけど……こんなに僕と密着するの嫌じゃないのかなって、気になるのはそこだけだ。
教授が熱弁を振るっている最中も、僕は右隣が気になって気になって集中出来なかった。
ノートにペンを走らせる七海さんは、僕の事なんて気にも留めてないんだろうけれど……許せない相手が隣に居るというのに、やけに冷静なのが不思議だった。
……いや、冷静にならざるを得ない状況だから、仕方なく平静を保ってるんだ。
必修を落としたら卒業出来ない。
七海さんは就活組で卒業出来ないと困るから、たまたま扉近くの席に陣取ってた僕に声を掛けた……七海さんがそう言ってたじゃない。
何も期待してはダメ。今ならあの時の事を謝罪出来るかもしれないなんて、思ってはダメ。
どんな天変地異が起ころうとも、許してもらえる日なんか来ない。
「あ、赤ペン忘れた」
講義中盤、筆記具の入った小さなポーチを漁る七海さんが呟いた。
聞き逃さなかった僕は、持っていた赤ペンを七海さんのノートの上に置く。
「はい、使ってください」
「……ありがと」
「ここに置いておきますから、ご自由にどうぞ」
「……うん」
……嬉しい。
七海さんと会話出来ている事が、とてつもなく嬉しい。
早めに来てこの席に陣取って良かった。
あれから日にちは幾ばくも経ち、だからといって罪の意識は少しも消えないけれど……七海さんを想う気持ちは会う度に増してゆく。
気が咎めるからあまり思い出さなかったのに、こうして七海さんの横顔を眺めていると、可愛く初々しく乱れていた姿を蘇らせてしまうほど僕は浮足立った。
これだから七海さんと会ってはいけないんだ。
この子を僕のものにしたいって独占欲が、頭をもたげ始めるから。
許されない恋をしている僕には、そんなもの必要ないというのに──。
「窮屈だったよね、でも助かった。赤ペンも、ありがと」
「いえ、そんな……」
講義が終わると、七海さんはそう言ってそそくさと講義室を出て行った。
熱心にノートを取っていた七海さんとは打って変わって、僕のノートには途中までしか記されていない。
赤ペンを使うタイミングが同じだったから、七海さんが気兼ねなく使えるように僕はジッとしていた。
──なんて、言い訳。
本当は、密着した七海さんの存在がたまらなく嬉しくて、喜びに浸っていただけだ。
お願い……誰か僕を叱って。思いっきり殴って目を覚まさせて。
七海さんに恋をした僕は、自責の念すら軽んじ始めている。
あり得ない期待を、抱こうとしている。
贖罪の気持ちを持ちながら恋をする、矛盾に満ちた僕はその狭間で苦しみもがいている。
しかし、運命の悪戯はこれだけでは終わらなかった。
12
あなたにおすすめの小説
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない
了承
BL
卒業パーティー。
皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。
青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。
皇子が目を向けた、その瞬間——。
「この瞬間だと思った。」
すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。
IFストーリーあり
誤字あれば報告お願いします!
昔「結婚しよう」と言ってくれた幼馴染は今日、僕以外の人と結婚する
子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき
「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。
そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。
背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。
結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。
「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」
誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。
叶わない恋だってわかってる。
それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。
君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。
【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】
彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』
高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。
その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。
そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?
殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?
krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」
突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。
なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!?
全力すれ違いラブコメファンタジーBL!
支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。
家を追い出されたのでツバメをやろうとしたら強面の乳兄弟に反対されて困っている
香歌奈
BL
ある日、突然、セレンは生まれ育った伯爵家を追い出された。
異母兄の婚約者に乱暴を働こうとした罪らしいが、全く身に覚えがない。なのに伯爵家当主となっている異母兄は家から締め出したばかりか、ヴァーレン伯爵家の籍まで抹消したと言う。
途方に暮れたセレンは、年の離れた乳兄弟ギーズを頼ることにした。ギーズは顔に大きな傷跡が残る強面の騎士。悪人からは恐れられ、女子供からは怯えられているという。でもセレンにとっては子守をしてくれた優しいお兄さん。ギーズの家に置いてもらう日々は昔のようで居心地がいい。とはいえ、いつまでも養ってもらうわけにはいかない。しかしお坊ちゃん育ちで手に職があるわけでもなく……。
「僕は女性ウケがいい。この顔を生かしてツバメをしようかな」「おい、待て。ツバメの意味がわかっているのか!」美貌の天然青年に振り回される強面騎士は、ついに実力行使に出る?!
「オレの番は、いちばん近くて、いちばん遠いアルファだった」
星井 悠里
BL
大好きだった幼なじみのアルファは、皆の憧れだった。
ベータのオレは、王都に誘ってくれたその手を取れなかった。
番にはなれない未来が、ただ怖かった。隣に立ち続ける自信がなかった。
あれから二年。幼馴染の婚約の噂を聞いて胸が痛むことはあるけれど、
平凡だけどちゃんと働いて、それなりに楽しく生きていた。
そんなオレの体に、ふとした異変が起きはじめた。
――何でいまさら。オメガだった、なんて。
オメガだったら、これからますます頑張ろうとしていた仕事も出来なくなる。
2年前のあの時だったら。あの手を取れたかもしれないのに。
どうして、いまさら。
すれ違った運命に、急展開で振り回される、Ωのお話。
ハピエン確定です。(全10話)
2025年 07月12日 ~2025年 07月21日 なろうさんで完結してます。
【完結】伯爵家当主になりますので、お飾りの婚約者の僕は早く捨てて下さいね?
MEIKO
BL
【完結】伯爵家次男のマリンは、公爵家嫡男のミシェルの婚約者として一緒に過ごしているが実際はお飾りの存在だ。そんなマリンは池に落ちたショックで前世は日本人の男子で今この世界が小説の中なんだと気付いた。マズい!このままだとミシェルから婚約破棄されて路頭に迷う未来しか見えない!
僕はそこから前世の特技を活かしてお金を貯め、ミシェルに愛する人が現れるその日に備えだす。2年後、万全の備えと新たな朗報を得た僕は、もう婚約破棄してもらっていいんですけど?ってミシェルに告げる。なのに対象外のはずの僕に未練たらたらなのどうして?
※R対象話には『*』マーク付けます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる