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本心

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 ──あの日は何も起こらなかった。

 でもやっぱり怖くて、気持ち悪くて、その翌日から今日まで家では寝ずにネットカフェに入り浸っている。

 ストーカーが怖くて家に居られないから泊めてほしい、なんて、山本にも、他の友達にも、迂闊に口には出来なかった。

 山本達を信用してないわけじゃないけど、和彦と九条君以外にそれを知られたらまた変な噂が流れそうで警戒しただけだ。

 俺は、家があるのに、ネットカフェ難民。

 荷物を取りにや着替えをしに帰るだけの生活は結構キツくて、他人の気配や物音が気になって全然眠れてもいない。

 あれから九条君からは何度か連絡があった。

 飲みに行こ、と以前のように誘ってくれる九条君は、告白の事には一切触れてはこないけど……俺は誘いには乗れなかった。

 行ってしまうと告白された事がどうしても頭をよぎってしまうし、会話の流れでネットカフェ難民なのがバレたら、九条君は絶対「家に来い」って言うと思ったから。

 友達で居たいのに距離を置いてしまうって、俺はなんて自分勝手なんだろう。

 和彦の事もずっと考えていて、眠れないのはそのせいもある。

 九条君は答えを教えてくれなかったけど、「許せないの意味が変わる」っていうヒントだけはくれた。

 でも分からない。

 いくら考えても、何が変わるのか、分からない。

 漫画の中にもその答えは描かれてなかった。

 まわりくどい言い方しないで、もっと例文を交えて具体的に説明してよと思ってしまった文系な俺は、炎天下を歩いてるうちに意識が朦朧とし始めていた。

 大学の敷地を出た辺りからだんだん視界が歪み始めていて、答えを導き出せない難問を頭の中でぐるぐると考えていたせいなのか、歩いてられなくなった。

 壁に手を付いて立ち止まる。

 ダメだ。

 これ、絶対に睡眠不足だ。

 元々体力ないのに、あんまり眠れてないから体に蓄積された疲労がピークに達したらしい。


「──七海様!」


 とにかくこのめまいが治まるまでジッとしてようとしゃがみ込み、ゆっくり瞳を閉じて呼吸を整えていると、背後から聞き覚えのある声がした。

 足音が近付いてくる。

 「様」付けで呼ぶのはあの人しか居ないから、声の主は振り向かなくても分かった。


「後藤、さん……」


 振り向いてみると、和彦のお目付け役である後藤さんが、いつかよりも涼しげなサマースーツ姿で駆け寄ってきた。


「お久しぶりです、七海様! どうされました!?」
「あ……お久しぶりです。ちょっとめまいがしてるだけなんで、大丈夫です。ここ日陰だからこうしてジッとしてれば……」
「とても大丈夫そうには見えません! ささっ、どうぞ車に。少しでも涼んでいかれて下さい」
「え、いや、それは……」
「和彦様はあと四十分は戻られませんから」


 俺が躊躇すると、すぐに何かを察してそう言ってくれた。

 和彦が戻ってきたら気まずくてかなわない。

 でも四十分戻らないって事が分かってるなら、五分だけでもお言葉に甘えようかな……。

 このままここに居て気付かないうちにぶっ倒れでもしたら、それこそ目も当てられない。


「じゃあ、……五分だけいいですか……?」
「えぇ、もちろん! どうぞ、横になっても構いませんよ」
「いえ、それは……。あー……涼しい……」


 冷房の効いた黒塗りの高そうな車の後部座席に落ち着いた俺は、体に纏わり付く熱気がなくなっただけで動悸が治まっていくのを感じた。

 やっぱ、ちゃんと寝ないとダメなんだなぁ……。


「……七海様、お元気でしたか」
「はい、まぁ……。あれから熱もぶり返してないし、その節はご迷惑をおかけしました」
「それは何よりです。とは言っても、先ほどのようなお姿を見ると、体調は万全……とは言えないようですね」
「いやほんと、すみません……こんなとこばっか見せて……」


 運転席で冷房の調整をする後藤さんは、最初はあえて和彦の名前は出さないでいてくれていた。

 後藤さんはきっと、俺と和彦に何があったのかを全部知ってるんだと思う。

 熱で動けない俺に、和彦がベタベタしてきてたのも全部見られてるしな。

 例の難問の壁が立ちはだかるから、俺は思い出さないようにしてたのに……この車に乗ると嫌でも思い出す。

 和彦が俺を膝に乗せて、後ろからテディベアを抱くようにガッチリ支えてくれていた事が……。


「……和彦様も似たようなものです。いつからか、この後藤も手を焼くほどの憔悴ぶりでございます」


 俺の苦笑を見た後藤さんが和彦の名前を出した途端、言い知れない動揺が心を揺さぶった。


「……憔悴……?」
「はい。このところ、食事も睡眠もロクに取れていないのではないでしょうか。週末はパーティーに出席されて浴びるように酒を飲み、翌日は慣れない酒による二日酔いに苦しみながら、わずかな睡眠を取られています」
「………………」
「どなたかの面影に囚われ、焦がれて、まるで映画の中の主人公のように切ないお顔を毎日浮かべていらっしゃいます。和彦様は……猛烈なる後悔を胸に、毎日を生きていらっしゃいます」
「………………」
「おっと、今のは出過ぎた後藤の独白です。失礼いたしました」


 後藤さんはルームミラー越しに俺に頭を下げると、それから何も喋る事はなかった。

 意味深な独白を黙って聞いてた俺は、無意識にスモークの貼られた窓から図書館を見詰めていた。


 和彦が猛烈なる後悔をしているって……?
 毎日、切ない顔を浮かべてるって……?


 当然だろ。

 俺の事だけ考えてればいいんだよ。

 「責任」、取ってくれるんじゃなかったのかよ。

 和彦、あれから俺の事避けまくってるくせに、どうやって責任取るつもりなんだよ。

 ──嘘つき。





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