優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

文字の大きさ
85 / 206
バッティング ─和彦─

しおりを挟む



 鉢合わせた現場が最悪な状況下で、九条さんは占部さんと同じく、最初から何の遠慮もしないで僕に突っ掛かってきていたから、それで無意識のうちに僕の心のシャッターが開いていたのかもしれない。

 僕の素性を知っても「お坊っちゃん」なんて軽々しく呼んでくるくらいだ。

 相当肝が据わっている。

 ……彼の事は気に食わないけれど、本質は決して嫌いじゃない。

 隔たりのない本音を、彼は僕に言っていると分かるから。

 僕の身分を知っても、態度も口調も変えないのはむしろ好感すら覚える。

 七海さんへの好意の引き際も見事だと思った。

 果たして僕は、九条さんのように好意をあっさりと諦められるかと聞かれたら、そんな自信は少しもない。

 好きだという気持ちを引き摺ったまま、恋敵に「うまくいった?」なんて、僕にはとても聞けない。


「……そんなに笑って疲れませんか」
「あー? 疲れるよ、当たり前だろ。涙出たわ。腹筋痛てぇし」
「僕おかしな事言いました?」
「いや、二人ともウケる。七海がなんであんたを選んだのか分かった気がする。やっぱ七海もちょっと普通じゃねぇよな」
「つい先程も言いましたが、七海さんの悪口は言わないでください。選ぶも何も、九条さんは恋愛対象外だったじゃないですか」
「あ、ムカつく。七海手に入れたからって調子にのるな」
「……のらせてくださいよ。一昨日から僕は絶好調に浮かれています」
「まぁいいや、腹立つけど。いい事教えてやろうか。もっと浮かれんぞ」
「……なんですか?」


 九条さんが、ニヤニヤしている。

 黒髪と同じ真っ黒な瞳で僕を見て、コーヒーを一口啜った。


「昨日の夜、七海からメールきたんだよ」
「……何て?」


 ドクン──と、僕の心が揺れる。

 七海さん、僕の知らないところで九条さんに連絡を取っていたの? ……いつ?

 コーヒーの中身が僅かに波打った。僕の手が一瞬だけ震えたからだ。

 週末は常に一緒に居て、そんな隙なんて与えなかったはずなのに。

 よくないと分かっていながら、七海さんにだけ湧き上がる独占欲がじわじわと心を侵食する。

 九条さんがニヤニヤしているのも癪に障って、落ち着くために僕もコーヒーを一口啜った。


「「九条君と二人で会うのダメだって言われたから、もう飲みに行けない。俺、和彦の言う事聞かないといけないみたいなんだ。ごめんね」……だってさ」
「…………っ!」
「浮かれただろ」


 ────!

 七海さん、僕の目を盗んでそれをわざわざ九条さんに連絡したの?

 そんな報告、大学に来てからでも、次に九条さんから誘いがあった時でも、どちらにせよ後々でいい事じゃない?

 僕に言われてすぐに実行に移しただなんて、いじらしくてたまらないんだけど。


「……はい」


 ……これは……浮かれるよ……。

 気付いたばかりでまだ「好き」とは言ってくれない七海さんが、多分無意識だろうけれど僕に操立てしてくれた。

 なんだか今は……それだけで充分だった。

 純粋な七海さんらしい。

 恐らく、また九条さんに誘われたらどうしよう、と思ったんだ。

 それなら僕にバレる前に、九条さんに予め顛末を話しておかなきゃって。

 嬉しくて浮かれているからか、七海さんの思考が手に取るように分かる。


「最初はさぁ、何さっそく縛ってやがんの、と思ったんだけど」
「縛るでしょう、それは。七海さんは魔性の男なんですもん」
「まぁ最後まで聞けよ。七海があんたの言う事聞かないといけない、と思って真面目ちゃんらしく自分の意志で俺に連絡してきたんなら、あんたの縛り、無事に成功してるぞ」
「……そうなりますね」
「不満があんなら、わざわざ俺にメールなんかしてこねぇじゃん。そんな事お前には関係ねぇって、今まで通り飲みにも勝手に行こうとすんだろ」
「えぇ、……そうですね」
「だからうまくいったのかって言ったんだ。純粋な七海はあんたが少し調教しただけで変わっていくんだからな、その事は忘れんなよ」
「……肝に銘じておきます」


 一切の逡巡なく言い放った九条さんは、コーヒーを飲み干してカップをクシャっと潰した。


 ──どうして九条さんは、恋敵にここまで言えるんだろう。


 忠告の中に、「俺が好きだった七海を大事にしてくれよ」という思いが込められている気がしてならない。

 僕が良いように考えちゃってるのかな。

 今の僕は特に、舞い上がってポジティブ思考になっているから……。


「あ、七海さんだ」


 この、人がごった返したカフェ内の立ち飲みスペースでも、僕らの周囲一メートルには誰も近寄らない。

 遠巻きに僕らを窺う視線を感じて苦笑していると、七海さんからメッセージが届いた。

 ポケットの中の振動に、体だけではなく心も若干弾む。


「終わったって?」
「……はい、そうみたいです。迎えに行きます」
「過保護だな」
「恋人ならば当然です。僕が七海さんの傍に居れば、七海さんに関する噂が消えるのも早いはずです」
「ふーん。あ、……? 七海もうあそこに居るじゃん」
「え……っ?」


 九条さんが眉間に皺を寄せて顎をしゃくった先に、ふわっとした明るい髪が確認出来て、それは紛れもなくたった今僕に講義終了のメッセージを送ってくれた七海さんだった。


 ──本当だ。何してるんだろう。


 七海さんは、カフェから構内が覗き見えるその先で、何かから隠れるように柱の影にジッとして身を潜めている。

 僕らの位置からその様子がバッチリ見えていて、二人して首を傾げた。


「七海、何してんだ?」
「さぁ……」
「行ってみるか」
「…………」


 僕が送った返事も見ないで、七海さんってばそんなに熱心に何を見ているの。

 どこかを見詰めて独りかくれんぼをしている七海さんの元へ、九条さんと僕は歩を進めた。



しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

昔「結婚しよう」と言ってくれた幼馴染は今日、僕以外の人と結婚する

子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき 「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。 そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。 背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。 結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。 「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」 誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。 叶わない恋だってわかってる。 それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。 君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

家を追い出されたのでツバメをやろうとしたら強面の乳兄弟に反対されて困っている

香歌奈
BL
ある日、突然、セレンは生まれ育った伯爵家を追い出された。 異母兄の婚約者に乱暴を働こうとした罪らしいが、全く身に覚えがない。なのに伯爵家当主となっている異母兄は家から締め出したばかりか、ヴァーレン伯爵家の籍まで抹消したと言う。 途方に暮れたセレンは、年の離れた乳兄弟ギーズを頼ることにした。ギーズは顔に大きな傷跡が残る強面の騎士。悪人からは恐れられ、女子供からは怯えられているという。でもセレンにとっては子守をしてくれた優しいお兄さん。ギーズの家に置いてもらう日々は昔のようで居心地がいい。とはいえ、いつまでも養ってもらうわけにはいかない。しかしお坊ちゃん育ちで手に職があるわけでもなく……。 「僕は女性ウケがいい。この顔を生かしてツバメをしようかな」「おい、待て。ツバメの意味がわかっているのか!」美貌の天然青年に振り回される強面騎士は、ついに実力行使に出る?!

「オレの番は、いちばん近くて、いちばん遠いアルファだった」

星井 悠里
BL
大好きだった幼なじみのアルファは、皆の憧れだった。 ベータのオレは、王都に誘ってくれたその手を取れなかった。 番にはなれない未来が、ただ怖かった。隣に立ち続ける自信がなかった。 あれから二年。幼馴染の婚約の噂を聞いて胸が痛むことはあるけれど、 平凡だけどちゃんと働いて、それなりに楽しく生きていた。 そんなオレの体に、ふとした異変が起きはじめた。 ――何でいまさら。オメガだった、なんて。 オメガだったら、これからますます頑張ろうとしていた仕事も出来なくなる。 2年前のあの時だったら。あの手を取れたかもしれないのに。 どうして、いまさら。 すれ違った運命に、急展開で振り回される、Ωのお話。 ハピエン確定です。(全10話) 2025年 07月12日 ~2025年 07月21日 なろうさんで完結してます。

【完結】伯爵家当主になりますので、お飾りの婚約者の僕は早く捨てて下さいね?

MEIKO
BL
 【完結】伯爵家次男のマリンは、公爵家嫡男のミシェルの婚約者として一緒に過ごしているが実際はお飾りの存在だ。そんなマリンは池に落ちたショックで前世は日本人の男子で今この世界が小説の中なんだと気付いた。マズい!このままだとミシェルから婚約破棄されて路頭に迷う未来しか見えない!  僕はそこから前世の特技を活かしてお金を貯め、ミシェルに愛する人が現れるその日に備えだす。2年後、万全の備えと新たな朗報を得た僕は、もう婚約破棄してもらっていいんですけど?ってミシェルに告げる。なのに対象外のはずの僕に未練たらたらなのどうして? ※R対象話には『*』マーク付けます。

処理中です...