優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

文字の大きさ
116 / 206
さざ波 ─和彦─

しおりを挟む



 険しい顔で僕と落ち合って、「お疲れ」と一言だけ言って後藤さんの車に乗り込んだ七海さんは、短時間とはいえ慣れないデスクワークに疲れてしまったみたいだ。

 抱っこはさせてくれなかったけど、僕は背凭れに体を預けながら柔らかな手のひらをにぎにぎしてその感触を堪能した。


「七海さん、お疲れ様でした。初出勤はどうでしたか? 口説かれたりはしませんでした?」
「そんなわけないだろ。あ、待って。俺ドラッグストア寄りたいんだけど、……いい?」
「ドラッグストア? ドラッグストアって何でしたっけ……ドラッグ……薬……! 七海さん、どこか体の具合でも……!?」
「違う違う! 髪の色落とせって言われたの! コンビニだと何も言われなかったから油断してたんだよ。俺のうっかりミス。初出勤なのに失敗した」


 あぁ……そういう事か。

 このふわふわな金髪は、世間一般では相応しくないという事なのかな。

 この様子だとキツく言われはしなかったみたいだけど、昨日のうちに僕が気付いてあげてれば注意されずに済んだのに。

 悪い事しちゃったな。

 僕にとってはこの明るくてふわっとした髪も含めて七海さんだから、髪の色が変わってしまうなんて変な感じだ。


「髪の色を変えるのに、何故ドラッグストアなんですか? 美容院に行きましょう」
「この時間だと営業してる店限られてくるだろ。ドラッグストアに行けばカラー剤あるから」
「…………? 明日出勤前に美容院行きましょう? 僕の行きつけがあります」
「えぇっ、和彦の行きつけなんて桁が一つ違うだろ! いいんだよ、俺はいつも自分でやってたんだし」
「えぇっ? 自分でこのキラキラを……!? 凄いですね、七海さん!」
「キラキラって……」


 繋いでる方とは反対の腕を伸ばして金髪に触れてみると、七海さんは照れたように窓の外を見た。

 凄いな……七海さんはこの髪を自分で染めてるって事?

 そんな事が出来るなんて知らなかった。

 さすが、僕の好きな人は何でもそつなくこなすなぁ……素敵だ。


「七海様。明日、出勤前に美容院にお送りしますので、ご自分で施す必要はありません」
「うんうん、そうですよ、七海さん。ついでに僕も髪切ります」
「えー……だってめちゃくちゃ高いだろ? その美容院って、カットだけでも凡人は足が竦んで入れないような店なんだろ?」


 値段を気にして渋っていると分かって、謙虚な七海さんがいじらしくてたまらず、繋いでいた手をぎゅっと握った。

 それは全く気にしなくて結構です、そう言ってあげようとしたところで、信号待ちで振り返ってきた後藤さんがタブレットを操作し始める。


「七海様、世に出回っているカラーリング剤の危険性をご存知ですか」
「えぇ? いやまぁ……髪にはよくないだろうけど……」
「和彦様、これを」


 御年五十を迎える後藤さんが、ササッと画面を操作して僕にタブレットを差し出してきた。

 その画面を見て一番に目に飛び込んできたのは、赤文字の『市販のカラーリング剤がもたらす体への影響』などと見出しからして恐ろしげな文体だった。

 少しばかり偏った書き方ではあったけれど、市販のそれがいかに危険性を孕んでいるかが事細かに記された、美容師さんの意見記事に慄いて目を見開く。


「……こ、これはマズイですよ! 七海さん、今からでも遅くありません。天然素材のものを使用しましょう! ね、僕の言う通りに……! 七海さんの身に何かあったら、僕は生きていけません!」
「髪染めるだけで大袈裟だな!」
「そんな事ありません! 七海さんは僕の隣で健やかに人生を全うし、最後に僕の魂を受け取る責務があるんですよ!」
「分かったから落ち着けよっ。なんで髪染めるだけでこんな……っ」


 アレルギー反応を起こして倒れでもしたら、どうするんですか。

 肩を揺らして笑う七海さんにそう言っても、「大袈裟」としか返ってこなくてヤキモキした。

 それでも、講義と仕事で離れ離れになって寂しかった僕の胸中が、七海さんの笑顔と繋がれた手のひらで温まっていく。

 物心付いた頃から七海さんと出会っていたら、時折心に吹き荒ぶ冷風なんて感じなかったかもしれないな。

 どうして今だったんだろう。

 七海さんがキラキラな髪色に自らしてしまう前に出会わなかった事が、心の底から悔しい。

 僕の剣幕に笑いが止まらないらしい七海さんは、呑気に目尻の涙を拭っている。


「笑い事じゃないです! 本当に、もっと早く出会いたかったです! 七海さんが危険な自傷行為をする前に……!」
「それどれだけ危ない事書いてあるんだよ。ちょっと見せて」
「はい、ぜひご覧になってください。僕の言う事を聞いてくれないと、先立つ主に魂が泣きますよ」


 七海さんは絶えずクスクス笑って僕の手からタブレットを奪い、笑顔を崩さずなかなかのハイスピードで記事を読み進めていく。

 画面を操作する横顔と指先が美しくて可愛くて、……見惚れた。


「だから大袈裟だっつーの。でもなんかちょっと、……気が晴れたな……」


 視線は画面に落ちたまま、何気なく呟いた七海さんの台詞に引っ掛かる。

 気が晴れたって、……そう言った?

 もしかして七海さん……初出勤、初デスクワークで疲れただけじゃ、なかった……?



しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

昔「結婚しよう」と言ってくれた幼馴染は今日、僕以外の人と結婚する

子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき 「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。 そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。 背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。 結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。 「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」 誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。 叶わない恋だってわかってる。 それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。 君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

殿下に婚約終了と言われたので城を出ようとしたら、何かおかしいんですが!?

krm
BL
「俺達の婚約は今日で終わりにする」 突然の婚約終了宣言。心がぐしゃぐしゃになった僕は、荷物を抱えて城を出る決意をした。 なのに、何故か殿下が追いかけてきて――いやいやいや、どういうこと!? 全力すれ違いラブコメファンタジーBL! 支部の企画投稿用に書いたショートショートです。前後編二話完結です。

家を追い出されたのでツバメをやろうとしたら強面の乳兄弟に反対されて困っている

香歌奈
BL
ある日、突然、セレンは生まれ育った伯爵家を追い出された。 異母兄の婚約者に乱暴を働こうとした罪らしいが、全く身に覚えがない。なのに伯爵家当主となっている異母兄は家から締め出したばかりか、ヴァーレン伯爵家の籍まで抹消したと言う。 途方に暮れたセレンは、年の離れた乳兄弟ギーズを頼ることにした。ギーズは顔に大きな傷跡が残る強面の騎士。悪人からは恐れられ、女子供からは怯えられているという。でもセレンにとっては子守をしてくれた優しいお兄さん。ギーズの家に置いてもらう日々は昔のようで居心地がいい。とはいえ、いつまでも養ってもらうわけにはいかない。しかしお坊ちゃん育ちで手に職があるわけでもなく……。 「僕は女性ウケがいい。この顔を生かしてツバメをしようかな」「おい、待て。ツバメの意味がわかっているのか!」美貌の天然青年に振り回される強面騎士は、ついに実力行使に出る?!

「オレの番は、いちばん近くて、いちばん遠いアルファだった」

星井 悠里
BL
大好きだった幼なじみのアルファは、皆の憧れだった。 ベータのオレは、王都に誘ってくれたその手を取れなかった。 番にはなれない未来が、ただ怖かった。隣に立ち続ける自信がなかった。 あれから二年。幼馴染の婚約の噂を聞いて胸が痛むことはあるけれど、 平凡だけどちゃんと働いて、それなりに楽しく生きていた。 そんなオレの体に、ふとした異変が起きはじめた。 ――何でいまさら。オメガだった、なんて。 オメガだったら、これからますます頑張ろうとしていた仕事も出来なくなる。 2年前のあの時だったら。あの手を取れたかもしれないのに。 どうして、いまさら。 すれ違った運命に、急展開で振り回される、Ωのお話。 ハピエン確定です。(全10話) 2025年 07月12日 ~2025年 07月21日 なろうさんで完結してます。

【完結】伯爵家当主になりますので、お飾りの婚約者の僕は早く捨てて下さいね?

MEIKO
BL
 【完結】伯爵家次男のマリンは、公爵家嫡男のミシェルの婚約者として一緒に過ごしているが実際はお飾りの存在だ。そんなマリンは池に落ちたショックで前世は日本人の男子で今この世界が小説の中なんだと気付いた。マズい!このままだとミシェルから婚約破棄されて路頭に迷う未来しか見えない!  僕はそこから前世の特技を活かしてお金を貯め、ミシェルに愛する人が現れるその日に備えだす。2年後、万全の備えと新たな朗報を得た僕は、もう婚約破棄してもらっていいんですけど?ってミシェルに告げる。なのに対象外のはずの僕に未練たらたらなのどうして? ※R対象話には『*』マーク付けます。

処理中です...