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 あまりに予想外だった和彦の子ども時代の風体に、俺は絶句していた。

 人は変わるんだな……って、別にこの頃が悪いわけではないけど、きっと……言葉の刃は様々な者から向けられて、和彦の心に次々と突き刺さったに違いない。

 所謂、標的にされかねない見た目だからだ。

 予想してた金持ち故のやっかみを受けてのそれとはちょっと……違うよ。

 パタン、と重たいアルバムを閉じて本棚にしまい、どう反応してたらいいか分からない俺の隣に戻ってきた和彦に、両手を握られた。


「……子どもは残酷です。思ったままを考え無しに口にする」
「…………」
「どれだけ僕が「言わないで」と言っても、笑われて、なじられて、終いには除け者にするんです。子どもの世界だけじゃない。大きくなっても、理由はなんであれそれはどこにでもある事なんです」
「…………」
「言われる方が悪いんでしょうか。……往々にしてそうではない場合の方が多いと思います。傷付いた心は一生元には戻らない。けれど子どもだったからここまで尾を引いたわけではないんです」
「……この時の事がキッカケ……なんだな?」
「元を正せばそうなりますね。成長と共に体は変化していきましたけれど、そうなると今度は祭り上げが始まった。バックグラウンド、見た目、……僕の中身は何も変わっていないのに、周囲の扱いが百八十度変わったんです。戸惑いますよ、そりゃ……」


 そうだ、確かに小さないじめや悪口なんかはどこの世界でもある事だと思う。

 和彦の過去の姿を見て、すぐに「言葉の刃」の意味が分かった時点でありふれた出来事なんだよな。

 ただ、刃を向けられた側のその後の事までは、考えた事が無かった。

 何不自由ない暮らしと、約束された明るい未来がある者には無縁だったであろう、心の傷。

 小さかったそれは歳を重ねるごとに大きく深く刺さって、世の、そして人の理不尽さに和彦は苦しめられた。

 短所の一つとして話を聞かないところを咎めてたけど、それは和彦なりのバリアだったのかもしれない。


『どうせ、僕の話は聞いてくれないんでしょ。それなら話をしたってしょうがない』


 傷付いた和彦は人と関わる事をやめた。こうした諦めに似た胸中で、仕方なく他人と接していた。

 そんなんでコミュニケーション能力が培われるはずがない。

 会話はもちろん人と関わる事を諦めていた和彦が、そううまく世渡り上手になれるわけもなかった。


「エスカレーター式の学校なら顔触れも変わんないだろ? その……体型変わってからも元凶の奴らが近くに居たんじゃないの?」
「……言った方は覚えてないという事なんです。大した問題ではないんですよ、彼らにとっては。そういう意味で残酷と言いました。覚えているのは傷付いた僕だけなんですから……」


 和彦を傷付けた、俺にとっても憎い奴らがその後何事も無かったように接してきたなんて気に食わない。

 向けてきた刃はしっかりと和彦の心に刺さっていたのに、そいつらは過去を思い出す事はおろか反省もせず。

 けど……和彦の悟っている通りなんだ。

 傷付いた方はずっと気に病んでいて、傷付けた方は覚えてもいない。

 自分の事を「変」だと言うなら、その自覚があるなら、直せよ。……そんな事、もう言えなくなった。

 和彦は、手に取った俺の両手に口付けた。

 どこまでも優しく、労るように温かく。

 
「七海さんに恋をしてから、変わらなければと思えるようになりました。出会って間もないのに、僕のすべてを理解した上で作ってくれた手書きのあのリストは、鍵付きの引き出しに大切にしまってあります。少しずつ直していこう、そう言ってもらえて嬉しかった、とても」
「……いや、でも……」
「もちろんまだ人を信用出来ない部分は多々あります。占部さんのお父様の件がいい例です。これまで社内で見てきた小さな問題についても、見過ごしてはいけないんだと教えられました。傷付いた経験のある僕こそ、きちんと向き合わなければならなかった」


 ……すごい。和彦が前向きで真っ当な事を言ってる。

 俺の事を「小悪魔ちゃん」と言って悪戯に微笑む姿からは想像もつかないほど、紳士的で真っ直ぐな瞳に見詰められると、頻繁に訪れる動悸が再来してきた。

 嬉しかったんだ。俺を信じて話してくれた事が。

 一緒に直していこうなって、深く考えないままに和彦改造計画を練った俺の行動を、嬉しかったと言ってくれた事が。

 俺は、和彦が心を開いてくれた事の方が嬉しいよ。

 見せたくなかっただろう過去の写真、ひどく傷付いた弱い本性を曝け出す事、これらを躊躇しない男は男じゃない。

 垣間見えた前進への道筋。

 やっぱり俺は、和彦の口から直接この話を聞くべきだった。

 弱さを知る男こそ、強くなれる。

 常々優しくしたいと言う和彦から、すでにたくさんの「優しさ」を貰ってる俺としては、彼が脆弱であればあるほど愛おしさが増す。


「七海さん、……まだ僕と一緒に居てくれますか?」
「どういう意味?」
「え、……だって……そんな事で? と思われても何も言えないくらい、些細な……」
「事の大小は関係ない。和彦が実際に傷付いて、その傷が塞がらないまんまデカくなってるのは事実だろ。些細じゃない」


 握られた手のひらが熱い。

 感極まったようにグッと手を引かれて、そのままの勢いで抱き締めてきた和彦の肩に、「猫ちゃん」よろしく顎を乗せた。


「……七海さん……っ。僕の事、情けない奴って思わないですか? お前みたいな奴が好きだとか言うなって罵倒したくなりませんか?」
「罵倒してほしいの?」
「してほしくないです!」
「じゃあしないよ、する気もないし」


 なんで、過去を思い出させて心の傷を抉ってしまったかもしれない俺が、和彦を罵倒するんだよ。

 そこまで俺は非情じゃない。

 むしろ怖いくらい湧き上がってくる愛おしさを持て余してる。




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