優しい狼に初めてを奪われました

須藤慎弥

文字の大きさ
163 / 206
清算 ─和彦─

しおりを挟む



 パーティー会場へと向かう車中で、いても立ってもいられなかった僕はたった今録画した衝撃の事実を父へ送信した。


『今日、動かせていただきます』


 不正データのまとめが終わった事と、この一文を添えて。

 本来はもう少し、例によって物的証拠を得ることが難しいハラスメント内情の証言、供述を増やしたかった。

 松田さんへのコンタクトは七海さんに任せてあるから、僕は別部署で見たパワハラについてを詳しく調べたかったんだ。

 準備が完璧に整ったその後、中期決算を終えてから占部昭一を密やかに失脚させる計画を立てていた。

 それというのも、自業自得の不正によって父親が退陣に追い込まれただなんて事実を占部さんが知ったら、受け止めきれないほどのショックを受けるだろうと思ったからだ。

 僕にとって占部さんは、これからも「長い付き合い」になる貴重な友人という立ち位置だった。

 蓋を開けてみたら……そんな僕の惻隠の情は必要無かったという顛末。

 息子である占部さんには知られる事なく、占部昭一を地方に飛ばすなりで表向きは栄転という策まで考えていたのに。

 佐倉家に生まれた以上は腑抜けていられない、七海さんにもそう諭されて前を向いた矢先にこれだ。

 彼らに対する情けなど必要無くなった。


「……よく考えたら、俺らデータまとめてる時もずっと「変なの」って言ってたよな」
「…………?」


 今の今までほとんど何も語る事の無かった、濃紺のスーツがよく似合う七海さんが前を向いたまま腕を組む。

 タブレット端末とノートパソコンを鞄にしまい、僕は七海さんの毅然とした横顔を見詰めた。


「額がみみっちい。これくらい、こんな事しなくても自分で何とかしろよって」
「あぁ……そうでしたね」
「勘弁しろよって思ってたんだよね。立体的で巨大化した数字に追い掛けられる夢見たんだよ。たった四日、データ処理手伝っただけで」
「……ぷっ……」
「そのくらい、〝チマチマ〟だったじゃん。理由が分かったな」
「えぇ、まったく」


 会社としては大損害……とまではいかないけれど、不正は不正だ。父を蹴落としたいと滲ませているわりに、その数字一つ一つは七海さんの言う通り何ともケチくさかった。

 SAKURA産業本社勤務の、営業一課部長だよ。充分な給料が支払われているはずだ。

 高みを目指す男のやる事ではない。

 逆らえない者の心理を利用して半ば脅しをかけ、部下を不正に加担させている占部昭一に罪の意識が無さそうだったのは、相当に非倫理的だ。

 録音されていた高圧的だった態度と口調も、今となれば納得だった。

 近い将来、彼らの上に立つ人間に成るつもりだったとすると、自分勝手が通るとでも思っていたのかな。


「二十二時、って言ってたっけ?」
「……はい」
「行くの?」
「もちろんです。今日決着を付けます」
「そっか……。でもハラスメントの件は?」
「そちらは引き続き調べを進めましょう。占部昭一さえ居なくなれば、いくつものハラスメント被害を抑えられる可能性が高いです。他の者による小さな実害の実態はあるかもしれませんが、占部昭一が失脚すれば抑止力にも繋がります。ハラスメントについては調査を続行しますと通達も出来ますから、この件が大きな転機になるかもしれません」
「……なるほど……」


 僕は、前を向くしかなかった。

 感心したように頷いてくれた七海さんが居るから、占部親子の不正にも目を背けないでいられる。

 ──ショックは大きいよ。その衝撃と喪失感は、今すぐに言葉にしろと言われても到底無理だ。

 何しろ、僕の中に芽生えたのは絶望感だけじゃなかったんだから。

 無表情がうまい僕自身でさえ繕えているか心配になるほど、腹が立って、腹が立って、腹が立って、腸が煮えくり返っている。

 二十二時を待たずに今すぐ占部さんの元へ行って、プリントアウトした膨大なデータ書類を投げ付けてやりたいくらい。


「……和彦、……大丈夫?」


 精神的ショックが怒りに変わった事で、繋いでいた七海さんの手のひらに無意識に力を込めてしまっていた。

 顔を覗き込んでくる七海さんの眉が、僕の心情を察してハの字になっている。


「……えぇ、大丈夫ですよ」
「顔が般若みたいになってるけど」
「……出ちゃってますか」
「…………うん。出ちゃってる」


 苦笑する七海さんに、僕も苦笑を返した。

 あれだけ上手だった無感情でいる事が、今は少しも出来る気がしない。

 以前の僕ならきっと、打ちひしがれてメソメソするだけして、究極に落ち込んだ暁にはまた人間不信に戻る。そして、誰も信用出来ない、人の上に立つ度量も余裕もない、世襲なんてうんざりだと言って父をガッカリさせていただろう。

 これほどまでの怒りが湧くのかと、そんな感情が僕にあったのかと、自分で自分に驚いている。

 ──般若みたいって言われちゃったけど。


「いい兆候だな。この状況で「七海さん、どうしよう」なんて言われたら俺、迷わずビンタしてたよ」
「……誰をですか」
「和彦を」
「────!」


 驚いて目を丸くした僕を見て、七海さんはニッと茶目っ気たっぷりに微笑んだ。

 良かった……。ここへきて腑抜けを復活させて塞ぎ込んでしまっていたら、男気溢れる七海さんにビンタされるところだった。


「ぶふっ……!」


 怒りを削がれてホッと胸を撫で下ろしていると、我慢出来ずに吹き出した後藤さんがゲラゲラと笑い始めた。

 ルームミラーで僕と七海さんを交互に見て、ハンドルを叩いてまで爆笑している。

 ……こんなに楽しそうな後藤さん、初めて見た。



しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

昔「結婚しよう」と言ってくれた幼馴染は今日、僕以外の人と結婚する

子犬一 はぁて
BL
幼馴染の君は、7歳のとき 「大人になったら結婚してね」と僕に言って笑った。 そして──今日、君は僕じゃない別の人と結婚する。 背の低い、寝る時は親指しゃぶりが癖だった君は、いつの間にか皆に好かれて、彼女もできた。 結婚式で花束を渡す時に胸が痛いんだ。 「こいつ、幼馴染なんだ。センスいいだろ?」 誇らしげに笑う君と、その隣で微笑む綺麗な奥さん。 叶わない恋だってわかってる。 それでも、氷砂糖みたいに君との甘い思い出を、僕だけの宝箱にしまって生きていく。 君の幸せを願うことだけが、僕にできる最後の恋だから。

家を追い出されたのでツバメをやろうとしたら強面の乳兄弟に反対されて困っている

香歌奈
BL
ある日、突然、セレンは生まれ育った伯爵家を追い出された。 異母兄の婚約者に乱暴を働こうとした罪らしいが、全く身に覚えがない。なのに伯爵家当主となっている異母兄は家から締め出したばかりか、ヴァーレン伯爵家の籍まで抹消したと言う。 途方に暮れたセレンは、年の離れた乳兄弟ギーズを頼ることにした。ギーズは顔に大きな傷跡が残る強面の騎士。悪人からは恐れられ、女子供からは怯えられているという。でもセレンにとっては子守をしてくれた優しいお兄さん。ギーズの家に置いてもらう日々は昔のようで居心地がいい。とはいえ、いつまでも養ってもらうわけにはいかない。しかしお坊ちゃん育ちで手に職があるわけでもなく……。 「僕は女性ウケがいい。この顔を生かしてツバメをしようかな」「おい、待て。ツバメの意味がわかっているのか!」美貌の天然青年に振り回される強面騎士は、ついに実力行使に出る?!

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

【完結・BL】俺をフッた初恋相手が、転勤して上司になったんだが?【先輩×後輩】

彩華
BL
『俺、そんな目でお前のこと見れない』 高校一年の冬。俺の初恋は、見事に玉砕した。 その後、俺は見事にDTのまま。あっという間に25になり。何の変化もないまま、ごくごくありふれたサラリーマンになった俺。 そんな俺の前に、運命の悪戯か。再び初恋相手は現れて────!?

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ連載中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

【完結】お義父さんが、だいすきです

  *  ゆるゆ
BL
闇の髪に闇の瞳で、悪魔の子と生まれてすぐ捨てられた僕を拾ってくれたのは、月の精霊でした。 種族が違っても、僕は、おとうさんが、だいすきです。 ぜったいハッピーエンド保証な本編、おまけのお話、完結しました! おまけのお話を時々更新しています。 ご感想欄 、うれしくてすぐ承認を押してしまい(笑)ネタバレ 配慮できないので、ご覧になる時は、お気をつけください! トェルとリィフェルの動画つくりました!  インスタ @yuruyu0 絵もあがります Youtube @BL小説動画 プロフのWebサイトから、どちらにも飛べるので、もしよかったら! 名前が  *   ゆるゆ  になりましたー! 中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!

「オレの番は、いちばん近くて、いちばん遠いアルファだった」

星井 悠里
BL
大好きだった幼なじみのアルファは、皆の憧れだった。 ベータのオレは、王都に誘ってくれたその手を取れなかった。 番にはなれない未来が、ただ怖かった。隣に立ち続ける自信がなかった。 あれから二年。幼馴染の婚約の噂を聞いて胸が痛むことはあるけれど、 平凡だけどちゃんと働いて、それなりに楽しく生きていた。 そんなオレの体に、ふとした異変が起きはじめた。 ――何でいまさら。オメガだった、なんて。 オメガだったら、これからますます頑張ろうとしていた仕事も出来なくなる。 2年前のあの時だったら。あの手を取れたかもしれないのに。 どうして、いまさら。 すれ違った運命に、急展開で振り回される、Ωのお話。 ハピエン確定です。(全10話) 2025年 07月12日 ~2025年 07月21日 なろうさんで完結してます。

処理中です...