僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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5.運命のいたずらで

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 深い時間に目を覚ました時、冬季くんは俺の頭を膝に乗せたままの状態で眠っていた。

 慌てて抱き起こしてベッドへと運び、スヤスヤと眠る寝顔に「すみません」と謝ったのだが、その後の自己嫌悪は二日酔いより重かった。

 俺は大量にアルコールを買い込む見掛け倒しの下戸だけれど、記憶を失くさないタイプだということがハッキリした。

 冬季くんに絡み、肩を抱き寄せ、あまつさえ膝枕まで要求し、そのまま寝こけるとは何事だ。

 酔っていたからと気が大きくなり過ぎた。

 反省しきりで冬季くんが寝ているうちに家を出て、とりあえず院長室で気持ちを落ち着けてから反省文のようなメッセージを一つ送っておいた。

 今日は半休だということも添え、計画していた〝頑張っている冬季くんの気晴らしに美味しいものでも食べに行こう〟は、〝罪滅ぼし〟にその意を変えた。

 だが良いこともあった。

 父との通話で落ち込んでいた気持ちを、冬季くんに悪いことをしたという自責の念が凌駕したのだ。

 俺の体たらくさえ無ければ……と後になって悔やむも、嫌なことを飲んで忘れる人間は大体が翌日にそういう後悔をする。

 しかもそれは往々にして、気に病んでいるのは自分だけ。

 証拠に、午前の診療が終わってすぐに電話を入れた時、さらには駐車場で落ち合った冬季くんの変わらぬ態度が物語っていた。


「おかえり、りっくん!」
「た、ただいま」


 顔を合わせづらいと思っていたのは俺だけで、助手席に乗り込んできた冬季くんは普段と何ら変わらなかった。

 逆に「ベッドに運んでくれてありがとう」とお礼まで言われてしまい、冬季くんの素直さに俺はタジタジである。


「あのさ、りっくん。怒らないでほしいんだけど……」
「なんですか?」
「これ……」


 珍しく冬季くんからの要望で、本格的なインドカレーを提供してくれる店へ向かう道すがら。

 信号待ちで停車したと同時に、冬季くんから小さな小瓶をスッと差し出された。


「これは……」


 反射的に受け取ったのは、俺は一度も飲んだことはないが巷でよく見る、二日酔い予防に効果があるとされるドリンクだった。

 それほど二日酔いの自覚は無いうえに、この手のものは飲酒前に飲むのが適切なのでは……と堅苦しいことを考えてしまう反面、俺を気遣ってくれたという嬉しい感情も湧き上がる。

 こんなものを冬季くんが常備しているとは思えず、すなわち俺が居ない間に一人で外出したというのは納得がいかないが……冬季くんにとってはこれを買うことが〝よほどの事〟だったとしたら、咎めるのも違う。


「……俺のためにこれを?」
「うん。りっくん昨日真っ赤な顔で寝落ちしちゃったじゃん。心配だったんだもん」


 数秒のうちにぐるぐると悩んだ末に好意的に捉えることにしたが、なんともいじらしい回答が返ってきて少々感激した。

 そういうことなら、ありがたく頂戴する。

 外出を咎めもしない。


「そうですか……。ありがとうございます」


 飲み過ぎたわけではないので自覚症状は何も無いけれど、俺はその場で独特な味のするドリンクを冬季くんの厚意ごと一気飲みした。

 冬季くん、俺を心配してくれたのか……。

 外出してはいけないと俺が言い聞かせていたから「怒らないでほしい」と前置きし、何なら叱られる覚悟でこれを渡してくれたのだと思うと……あまり美味いものではないがひどく感動的な味だった。

 日曜に駄菓子を百円分買うことが贅沢だと言う冬季くん。

 散財させてしまったな。このお礼は何にしよう。食事だけじゃとても足りない。


「冬季くん、何か欲しいものはありませんか? 何でも言ってください」
「あはは……っ! りっくん、もしかしてドリンクのお礼がしたいとか思ってる?」
「もちろんです。俺のために行動を起こしてくれたのが嬉しかったので」


 何も明かせずにいる俺とは違い、過去を洗いざらい語ってくれた冬季くんは一皮剥けたように快活な笑顔を見せてくれるようになった。

 車を走らせ始めると、細くなった目元をミラー越しでしか拝めないのが残念だ。

 俺の考えを言い当てた冬季くんはケラケラ笑っていたが、しばらくして「あ、そうだ」と手を叩いた。

 インドカレーに引き続き、冬季くんからの貴重な要望を聞き逃すまいとラジオのボリュームを最小にする。


「何か思いつきましたか」
「うん。僕ね、明後日面接決まったんだ。何も買ってくれなくていいから、履歴書の書き方教えてくれない?」
「履歴書の書き方ですね、いいですよ。……って、え!? どこに面接行くんですか!?」


 聞き捨てならなかった。

 昨日までそんな話は出ていなかったというのに、展開の早さに驚いて急ブレーキを踏みそうになった。


「例のコンビニだよ。さっきドリンク買った時に、リボン結びのお兄さんから話しかけられちゃって」
「…………」


 分かりやすいアプローチを仕掛けた〝お兄さん〟が、また冬季くんに話しかけた……と。

 それで?


「そのお兄さん、雇われ店長らしくて。学生なのって聞かれたから、ニートですって答えたんだ。そしたらいきなり、ここで働いてみる? って声掛けてくれたんだよ! 一応形だけでも面接しなきゃってことで、明後日になったの! 僕さ、初めてちゃんとした面接するんだ。決まるかどうかはまだ分かんないけど、何事も経験かなって!」
「…………」


 ……なるほど。〝お兄さん〟の方から面接を持ちかけたのか。

 駄菓子の子、などとあだ名を付けられていそうだからイヤだ……なんて言っていたのに、働くのは大丈夫なの、冬季くん。

 ミラーで確認せずとも、嬉しそうな声色で冬季くんがはしゃいでいるのは伝わる。そんな冬季くんの気持ちを折りたくはないが、奥歯を噛み締めた俺は明らかなストレスを感じていた。

 どうコミュニケーションを取れば良いか分からず、働くことがあまり好きでないと言っていたからにはそうそう動き出さないものだとたかを括っていたのだ。

 冬季くんの「アルバイト探し頑張ってるよ」という言葉だけで、俺は目尻を下げていたのに。

 余計なことした〝お兄さん〟とはいったいどんな人物なのだ。


「つかぬ事をお聞きしますが、その〝お兄さん〟はおいくつくらいの方ですか」
「えー……? りっくんと同じくらい?」
「俺と同じくらい……」


 あぁ、そう。俺と同世代で冬季くんをナンパねぇ。

 俺という存在が冬季くんのそばに居ると知っても、まだアプローチを続けるのかな。〝お兄さん〟は。


「あ、履歴書って写真貼らなきゃだよね。証明写真? ってどこでどうやって撮るの? お金いっぱいかかる?」
「…………」
「りっくん?」
「…………」
「おーい、りっくーん」
「は、はい」


 二の腕をツンツンと押され、昨夜同様、自動運転に切り替わっていた脳が覚醒する。

 奥歯を噛み締めていたせいで、下顎が痛くなった。このストレスの原因は明白、〝お兄さん〟である。

 冬季くんの要望である履歴書の書き方は、もちろん教えてあげるさ。

 ただし俺は、そこで働いていい許可を出すつもりはないよ。






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