僕らのプライオリティ

須藤慎弥

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7.真実と共に

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─ 冬季 ─



 こんなことって……。

 こんなことって……。

 こんなの……偶然って言葉じゃとても足りないよ……っ!


「冬季くん! どうしたんですか!」


 ずぶ濡れになるのも厭わないで顔を洗っていると、りっくんが洗面所まで追いかけてきた。

 血相を変えていても、濡れた僕を見てすぐにタオルで拭いてくれるりっくんは本当に優しくて良い人。

 改まって「抱きしめてもいいですか」なんて言うから緊張しちゃって、同時に……ものすごくドキドキしてたのバレてないかな。

 りっくんはお医者さんと歯医者さんの違いがどうとか言って、僕に職業を明かせないくらい悩んでたみたいだけど、そんなの僕からしてみれば〝立派な人の高尚な悩み〟。

 それに対して僕が一般人寄りの感想を伝えただけ。

 でもりっくんはすごく喜んでくれて、一度もそういう経験が無くて加減が分からない人みたいに、むぎゅっと渾身の力で抱きしめてきた。

 心臓が止まるかと思った。

 りっくんの匂いに包まれて、見た目よりがっしりとした腕に羽交締めにされて苦しかったけど、それだけじゃなくて。

 僕の心臓は過剰に脈打って、絶えずドキドキして、張り裂けそうだった。

 最近は特にりっくんのハイスペ男子具合が顕著だから、隣に居るだけで緊張してたのに……いきなり自分のことを話してくれて、挙句の果てには抱きしめてくるなんて……。

 いよいよりっくんは僕を殺しにかかってると思った。

 だけど、……。


「冬季くん、ごめんなさい。そんなに気持ち悪かったとは知らず……」
「き、気持ち悪い? 何のこと?」
「抱きしめたこと、……です」
「えぇ!? ち、違うよ! あれは全然気持ち悪くなかった! ホントだよ!」
「ですが、そんなにびしょ濡れになってまで顔を洗っています……。時間差で気持ち悪さがきたのかと……」
「違うってば!」


 僕が急いで顔を洗ったのは、冷たい水で頭の中を走馬灯のように駆け巡った記憶を消し去りたかったからだ。

 もしかして、僕はりっくんのことが好きなのかもしれない……そう思った矢先に、とんでもないものを目にして、とんでもない事実が発覚したんだから。


「ではいったいどうしたんですか。心配です。冬季くんが情緒不安定でも、俺は受け止めてあげられます。何でも話してください。抱きしめるなんて気持ち悪いことは金輪際やめろというなら、……二度としません」
「そうじゃないって言ってるのに……」


 りっくん、違うよ。ホントにそうじゃないんだ。

 僕は……驚いただけ。

 モヤがかかっていた記憶の中のママが、突然目の前に現れたんだよ。

 のっぺらぼうだった僕のママ。

 あぁ、たしかこんな顔だった──そんなレベルじゃない。

 ハッキリと思い出したんだ。

 写真を見た瞬間、体中のすべての力が抜けた。ああいうのを脱力っていうのかな。

 何も考えられなくなった。

 何も聞こえなくなった。

 そばにあったりっくんの気配さえ消えて、僕は暗闇の中で座り込んでいた。

 ぽつんと浮かぶ写真を前にして、小さくなった体が尻もちをついていた。


 〝なんてことだ……〟


 りっくんが僕を抱きしめてくれた時、耳元でしみじみ呟いた声が僕の気持ちをそのまま表していた。


「冬季くん、とりあえずお茶でも飲みましょう。温かいの、淹れますから」
「……うん」


 落ち着いたらキッチンに来て、とだけ言い残し、りっくんは僕を一人にしてくれた。

 鏡に映る僕の顔色が、とてつもなく悪い。

 冷たい水を浴びたからじゃない。

 驚愕の事実を知って、指先が震えるくらい動揺してる。


「……どうしよう……」


 こんなことがあるなんて。

 こんなの……天文学的な確立でしょ。

 ありえない。こんなの絶対、何かの間違いだ。

 頭の中でいくら否定しても、のっぺらぼうじゃなくなったママが僕の記憶を鮮明にする。

 女の人なのにヘビースモーカーだった。

 家の中では、タバコを吸ってるか寝てるかのどっちかだった。

 起きたらずっと怖い顔をしていて、大体決まってお昼前には出掛けていた。そして夜遅くに帰ってきたら、その日の気分次第で僕を叩いた。

 泣いたらもっとひどくされた。


 〝痛いよ、ママ……!!〟


「痛いよ……」


 そんなわけないのに、手の甲にある根性焼きが急に痛んだ。

 左手を庇うようにして蹲ると、のっぺらぼうだったパパまで蘇ってきて泣きたくなった。

 パパは痛いことはしなかったけど、僕に優しくしてくれなかった。

 ママがお風呂に入ってる時、寝てる時、出掛けてる時、僕と二人きりになったら必ずこう言ってたんだ。


〝お前はアイツの本当の子じゃねぇから嫌われてんのかなぁ〟


 他人事みたいに、小さい僕に向かってそんなことを平気で口にするパパは、やっぱり優しくなかった。

 ママって言うな。

 いつもママはそう言ってたっけ。

 なんでそんなこと言うの、ママはママでしょ──僕が泣きながらこう言い返すたびに、もっと強く叩かれたっけ。


「痛いよ、ママ……っ」


 思い出すと、涙が止まらなかった。

 今までどうやってこの記憶を閉じ込めてたのか、分かんなくなった。

 しかも……りっくんを置いて行った〝お母さん〟が、〝ママ〟……?

 そんなの信じられない。

 信じたくない。

 僕は……のっぺらぼうのままが良かった……。




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