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「バヨータージユ公爵令嬢様、ようこそ、遠路はるばるお越し下さいました。お疲れでしょう? 部屋を用意しておりますので、どうぞそちらでおくつろぎください」
出迎えてくれた彼は、わたくしの事をいっこうに「奥様」と呼ばない。敢えて、バヨータージユ公爵令嬢やお嬢様と言うつもりなのだろう。
もしも彼が旦那様だというのなら、父たちから聞いていた人物像とかけ離れている。マジマジと目の前の顔立ちの整った男性を見上げて、ここに来る前の父と兄との会話を思い出していた。
父と兄が帰国した際に、すでに事の顛末の報告を受けているようだったが、今回の事を過不足なく伝えた。
母は、わたくしが小さい頃に亡くなっているから記憶にはない。父は、周囲にいくらせっつかれても後妻を娶らずにいたから、たった三人の家族だ。
母に生き写しだというわたくしの事を、父も兄も溺愛している。もともと公爵家に婿取りする事を嫌がっていたヤーリ王子との結婚がご破算になった事は、兄が公爵家の正当な後継者になる事が出来るためにも喜ばしい。家に勤めている使用人たちも手を取り合って喜んでいたくらい、王子の評判は地に落ちるどころか奈落の底だった。
わたくしに、王家だけが使える呪いの契約印を掛けた事や侮辱については、王にきちんと責任を取ってもらうと黒い笑みを浮かべていた。ふたりの怒り具合から見ても、王子たちの今後は、思っていた以上に暗いものになるかもしれない。
「大変だったな、キャロル。これからは、王家に縛られる事はない。王子が施した契約印はかけられた以上、条件を達成するまで解かれる事はないだろうが、全く問題がなさそうで良かった」
「お父様、お兄様……。帰国したばかりなのに、このような事になってしまい申し訳ございません。ええ、本当に我が家にとってこれほどの僥倖はないでしょう。これで、正当な後継者であるお兄さまが次期公爵になれますし、わたくしとしても、望まぬ結婚をせずにすみました」
一通りわたくしの報告を聞き終ると、父も兄も悦びを隠せていない笑顔を見せ、わたくしの手を取った。
「今後の事だが、騒がしい王都にいるよりも、マーシムル辺境伯の元で過ごすほうがキャロルにとって幸せだろう。彼は、今騒がれているお前の噂などに惑わされずきちんとお前を迎え入れてくれる人格者だから心配しなくていい。念のために、今回の事を私から手紙で知らせておこう」
「キャロルが、もうお嫁に行ってしまうのは寂しいけれど、彼なら安心してお前を預ける事が出来る。もしも、彼とどうしても合わなければいつでも帰っておいで。超遠距離別居婚になるが、そう珍しい事ではないからね。それにしても、あの王子は馬鹿だとは思っていたが、よりにもよって穴だらけの文言で、いわば禁断の呪文を発動するなど……。今頃は陛下たちにかなり絞られているんじゃないか」
「ヤーリ殿下は、本当に……。面倒を見きれない手のかかる出来の悪い子でした。わたくしが彼を教育するのは、あれが限界だったようですわ。ところで、もう殿下とは縁が切れた事ですし、わたくしの夫となる方の絵姿くらい、見せてはいただけませんか?」
父と兄が、辺境伯の事をかなり信頼しているのがわかる。ふたりが手放しに喜んでいる縁談なのだ。わたくしにとっても、きっと素晴らしい結婚生活になるだろう。
最初は義務であっても、一緒に暮らしているうちに心を通わせる事も出来るかもしれない。
辺境伯の姿は、「悍ましい」「見たくもない」「出会ったらこちらまで呪わる」といった悪い噂でしか知らない。魔法で、彼の姿を残しているはずの貴族名鑑ですら、彼の上半身については黒く塗りつぶされていた。
彼の人となりをこれだけ知っているのだ。きっと顔や体つきなどは絶対に知っているはずだと思い訊ねてみた。
「生憎、彼の姿はどこにも記録されていない。例の事件の際に、本人や辺境の一族の要望で幼少期のものですら消去された」
「でも、お父様たちはご存じなのですよね? 絵はおふたりとも壊滅的……コホン、大変個性的でいらっしゃるから、描けないとしても、身長や体格、お顔立ちなど、似ている方はおりませんの?」
「身長は、だな……。180センチくらい……いや、頭部はもうちょっとあったか。200は超えているかもしれん。辺境で戦い続けている御仁だから、とても逞しい体格だ。目の色は、明るい青だった…………、と思う。肌は抜けるように白かったな」
「まあ、とても大柄な方なのですね。どうしましょう、わたくし子供のように見られませんか?」
「キャロルはかわいいし、愛らしいし、とても女性らしく成長しているから、いくらなんでも子供と間違われる事はないよ。姿形などといったものは趣味嗜好程度だし、あまり意味がないのはわかっているだろう?」
「え、ええ。お兄様が、人間一皮むけば皆同じで、いくら美しくても内面がアレな人や、ソレな方もいっぱいいると仰ってましたよね」
「おい、サンバール。お前、妹になんという事を教えているんだ」
「父上だって、似たり寄ったりの事を小さなキャロルに散々言っていたじゃないですか」
「ふふふ、おふたりとも、わたくしが他人に騙されないように、様々な人を事例とともに紹介してくださりましたわね。お陰様で、外見だけは上級の王子たちの本性も早く見抜けましたし、感謝しかありません。おふたりの教訓がなければ、わたくしは王子の外見に騙されて、誑かされていたかもしれませんわ。でも、そうですわね……。辺境伯爵様のお顔は、この目で確かめてみます。お父様がたがこれほど誉めていらっしゃるんですもの。早くお会いしたくなりました」
ふたりとそんな会話をして、辺境伯への興味が天井を突き抜けた。王都から辺境に来たいという使用人はそうはおらず、色んな手続きをすっとばして急遽旅立ちを決めたわたくしに、ウールスタとトーンカッソスがついて来てくれたのだった。
彼にようやく会えると期待で胸が踊っていた。だというのに、目の前の人物のせいで気分が急降下したのは言うまでもない。
出迎えてくれた彼は、わたくしの事をいっこうに「奥様」と呼ばない。敢えて、バヨータージユ公爵令嬢やお嬢様と言うつもりなのだろう。
もしも彼が旦那様だというのなら、父たちから聞いていた人物像とかけ離れている。マジマジと目の前の顔立ちの整った男性を見上げて、ここに来る前の父と兄との会話を思い出していた。
父と兄が帰国した際に、すでに事の顛末の報告を受けているようだったが、今回の事を過不足なく伝えた。
母は、わたくしが小さい頃に亡くなっているから記憶にはない。父は、周囲にいくらせっつかれても後妻を娶らずにいたから、たった三人の家族だ。
母に生き写しだというわたくしの事を、父も兄も溺愛している。もともと公爵家に婿取りする事を嫌がっていたヤーリ王子との結婚がご破算になった事は、兄が公爵家の正当な後継者になる事が出来るためにも喜ばしい。家に勤めている使用人たちも手を取り合って喜んでいたくらい、王子の評判は地に落ちるどころか奈落の底だった。
わたくしに、王家だけが使える呪いの契約印を掛けた事や侮辱については、王にきちんと責任を取ってもらうと黒い笑みを浮かべていた。ふたりの怒り具合から見ても、王子たちの今後は、思っていた以上に暗いものになるかもしれない。
「大変だったな、キャロル。これからは、王家に縛られる事はない。王子が施した契約印はかけられた以上、条件を達成するまで解かれる事はないだろうが、全く問題がなさそうで良かった」
「お父様、お兄様……。帰国したばかりなのに、このような事になってしまい申し訳ございません。ええ、本当に我が家にとってこれほどの僥倖はないでしょう。これで、正当な後継者であるお兄さまが次期公爵になれますし、わたくしとしても、望まぬ結婚をせずにすみました」
一通りわたくしの報告を聞き終ると、父も兄も悦びを隠せていない笑顔を見せ、わたくしの手を取った。
「今後の事だが、騒がしい王都にいるよりも、マーシムル辺境伯の元で過ごすほうがキャロルにとって幸せだろう。彼は、今騒がれているお前の噂などに惑わされずきちんとお前を迎え入れてくれる人格者だから心配しなくていい。念のために、今回の事を私から手紙で知らせておこう」
「キャロルが、もうお嫁に行ってしまうのは寂しいけれど、彼なら安心してお前を預ける事が出来る。もしも、彼とどうしても合わなければいつでも帰っておいで。超遠距離別居婚になるが、そう珍しい事ではないからね。それにしても、あの王子は馬鹿だとは思っていたが、よりにもよって穴だらけの文言で、いわば禁断の呪文を発動するなど……。今頃は陛下たちにかなり絞られているんじゃないか」
「ヤーリ殿下は、本当に……。面倒を見きれない手のかかる出来の悪い子でした。わたくしが彼を教育するのは、あれが限界だったようですわ。ところで、もう殿下とは縁が切れた事ですし、わたくしの夫となる方の絵姿くらい、見せてはいただけませんか?」
父と兄が、辺境伯の事をかなり信頼しているのがわかる。ふたりが手放しに喜んでいる縁談なのだ。わたくしにとっても、きっと素晴らしい結婚生活になるだろう。
最初は義務であっても、一緒に暮らしているうちに心を通わせる事も出来るかもしれない。
辺境伯の姿は、「悍ましい」「見たくもない」「出会ったらこちらまで呪わる」といった悪い噂でしか知らない。魔法で、彼の姿を残しているはずの貴族名鑑ですら、彼の上半身については黒く塗りつぶされていた。
彼の人となりをこれだけ知っているのだ。きっと顔や体つきなどは絶対に知っているはずだと思い訊ねてみた。
「生憎、彼の姿はどこにも記録されていない。例の事件の際に、本人や辺境の一族の要望で幼少期のものですら消去された」
「でも、お父様たちはご存じなのですよね? 絵はおふたりとも壊滅的……コホン、大変個性的でいらっしゃるから、描けないとしても、身長や体格、お顔立ちなど、似ている方はおりませんの?」
「身長は、だな……。180センチくらい……いや、頭部はもうちょっとあったか。200は超えているかもしれん。辺境で戦い続けている御仁だから、とても逞しい体格だ。目の色は、明るい青だった…………、と思う。肌は抜けるように白かったな」
「まあ、とても大柄な方なのですね。どうしましょう、わたくし子供のように見られませんか?」
「キャロルはかわいいし、愛らしいし、とても女性らしく成長しているから、いくらなんでも子供と間違われる事はないよ。姿形などといったものは趣味嗜好程度だし、あまり意味がないのはわかっているだろう?」
「え、ええ。お兄様が、人間一皮むけば皆同じで、いくら美しくても内面がアレな人や、ソレな方もいっぱいいると仰ってましたよね」
「おい、サンバール。お前、妹になんという事を教えているんだ」
「父上だって、似たり寄ったりの事を小さなキャロルに散々言っていたじゃないですか」
「ふふふ、おふたりとも、わたくしが他人に騙されないように、様々な人を事例とともに紹介してくださりましたわね。お陰様で、外見だけは上級の王子たちの本性も早く見抜けましたし、感謝しかありません。おふたりの教訓がなければ、わたくしは王子の外見に騙されて、誑かされていたかもしれませんわ。でも、そうですわね……。辺境伯爵様のお顔は、この目で確かめてみます。お父様がたがこれほど誉めていらっしゃるんですもの。早くお会いしたくなりました」
ふたりとそんな会話をして、辺境伯への興味が天井を突き抜けた。王都から辺境に来たいという使用人はそうはおらず、色んな手続きをすっとばして急遽旅立ちを決めたわたくしに、ウールスタとトーンカッソスがついて来てくれたのだった。
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