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「まあ、大変……! 熱があるじゃないですか。視察どころではありませんわ!」
「あ、いや、ちがっ」
わたくしは、彼のたくましい腕を引っ張って、寝室に向かう。執事のファラドを呼び、彼をベッドに寝かせた。
「服は、ファラドに着替えさせてもらってくださいね? わたくし、ちょっとお医者さまを呼んでまいります」
「医者を呼ぶ必要はない」
「では、お薬を用意します。ちょっと伝手があるんです。待っててくださいね」
「いいか、外にはいくなよ!」
「ええ、ひとりでは行きませんのでご安心を」
この屋敷には、あまり使用人はいない。大金を払えば、おかかえの医者を雇えるが、この家でそれは無理な話である。つまり、医者はこの屋敷から出て探してこなければならない。2キロ離れた村にいる、おじいちゃん先生が一番近いだろう。
しかし、わたくしには、秘密の強い味方がいる。わざわざそこまでいかなくても良いのだ。
「ルーメン、ルーメーン!」
少し離れた場所で味方を呼ぶと、ぽんっと光の束が現れた。1人分にヒモで括られた乾燥パスタのような、細い筋がいくつも重なっている物体だ。
「大きな声なんか出さなくても、聞こえてるよ。慌ててどうしたんだよー。せっかく、デートしてたのにさ」
相手もパスタの束みたいな子なのかしらと少し疑問に思ったが今はそんな場合ではない。
「かわいい子(?)とデート中だったのね。ごめんなさい。あ、そんなことを言っている場合ではないのよ。一大事なの。すぐに、オームさまを診てほしいの。とても熱くて。どうしよう、村の医者は大昔の知識からアップデートできていないおじいちゃんだし、この家には医者も薬もないから、このままだと重症肺炎とかになるかもしれないわ」
「オームが? まっさかぁ。あいつなら、槍で刺されても平気そうだし、なんなら、塩入りの氷水で水泳できそうだけどなー」
「そんなわけないでしょ! 彼をなんだと思ってるのよ。いいから診てきてちょうだい!」
ルーメンは、わたくし以外には見えない。なぜなら、わたくしがこの世界に転生するときに、今度は人生を放り投げだそうとしないようにと、お目付け役兼フォロー要員として神様からつけられた存在だからだ。ルーメンは、ちょっとした魔法を使えるから、初期の風邪くらいなら治してくれる。
ルーメンが、彼のもとから帰って来ると、彼は元気そのものだという。ルーメンは嘘は言わないからそうなのだろう。
「今すぐ、吹雪の中で乾布摩擦できるくらい元気だぞ。じゃ、彼女のところに戻るから。数時間は呼ぶなよー!」
「わかったわ、ありがとう。彼女さんに、今度美味しいスイーツをごちそうするからデートの邪魔をしてごめんなさいって伝えて」
「ん? 彼女はそんなことで怒らないぞーでも、スイーツは大好物だから、美味しいのを準備してくれよな」
そう言い残して、ルーメンは異界に還っていった。わたくしは、ほっと胸をなでおろし、もう一度彼のいる寝室に向かった。
「あ、あら? ファラド、オームさまは、どちらに? ベッドが空のようだけど」
「旦那様は、視察に向かわれました」
やられた。彼が、そうやすやすとベッドで安静にしているわけがない。わたくしは、一瞬だけ彼が寝そべっていたベッドを見下ろしてため息を吐く。
「今度こそ、連れて行ってもらおうと思っていたのに……ファラドも、どうして止めてくれなかったのよぉ」
「奥様、奥様のお気持ちはわかりますが、旦那様は奥様を心配されて。奥様の想像よりも遥かに、このあたりは危険なのですよ」
「むぅ。それこそ、オームさまがいるんだから、そこが一番安全じゃない……」
わたくしがむくれてそう言うと、ファラドはにこにこ微笑んだ。目尻にしわを増やした笑みに、嬉しさが滲んでいる。
「奥様が、旦那様に全幅の信頼をおいてくださっていて、嬉しゅうございます。旦那様がお帰りになられたら笑顔で迎えてください。ああ見えて、とても喜ばれておりますから」
「本当に? 鬱陶しがられてない?」
「はい」
彼は、もう追いかけられない場所まで行っているだろう。
わたくしは、さらに深くため息を吐く。ファラドと料理人のルクスに促され、数時間後には帰ってくる彼を迎えるために、準備をはじめた。
「奥様が来てくださってから、ここもずいぶん華やぎましたなぁ」
「そうかしら?」
周囲をぐるりと見渡しても、ひびの入ったコンクリートむき出しの壁に、古い絨毯に色褪せたカーテンがかかっている。気持ち程度の花を、大きな部屋には不釣り合いなほど小さく飾っているだけだ。
調度品もあり、一年に何度も新しい絨毯やカーテンを変えていただろう過去の面影など、1ワットもない。
「そうですよ。それに、旦那様も明るくなられて」
「アレで明るい……? あ、でも、たしかに、初対面のころは、もっと無言で暗かった……じゃなくて、寡黙だった、かも?」
「それはもう、鉄仮面や泣き顔のピエロのメイクよりも酷い有り様で。過労と数々の心無い仕打ちのせいで、げっそりやつれてましたからね。いつあの世に行かれるのか気が気じゃないほどでしたから」
「あんなふうに楽しそうにしている旦那様など、何年ぶりかしら」
ファラドとルクスが、ほほえみ合って頷く。
「なので、旦那様がいくら実家に戻れと言っても、ずっとここにいらしてくださいね?」
ふたり同時に、目尻に涙をためながら、わたくしの両手を握って懇願される。
彼らは、わたくしと彼が結んだ契約を知らない。わたくしは、彼らの手を見つめてほとほと困り果てた。
実は、遅かれ早かれ、数年後にはここを去る予定だ。それは彼も承知している。
ただ、その時には、ふたりはずいぶん落胆してしまうだろう。期待を裏切ってしまうことや、半年かけて打ち解けてきた彼との別れを思うと、胸がつきりと痛んだ。
「あ、いや、ちがっ」
わたくしは、彼のたくましい腕を引っ張って、寝室に向かう。執事のファラドを呼び、彼をベッドに寝かせた。
「服は、ファラドに着替えさせてもらってくださいね? わたくし、ちょっとお医者さまを呼んでまいります」
「医者を呼ぶ必要はない」
「では、お薬を用意します。ちょっと伝手があるんです。待っててくださいね」
「いいか、外にはいくなよ!」
「ええ、ひとりでは行きませんのでご安心を」
この屋敷には、あまり使用人はいない。大金を払えば、おかかえの医者を雇えるが、この家でそれは無理な話である。つまり、医者はこの屋敷から出て探してこなければならない。2キロ離れた村にいる、おじいちゃん先生が一番近いだろう。
しかし、わたくしには、秘密の強い味方がいる。わざわざそこまでいかなくても良いのだ。
「ルーメン、ルーメーン!」
少し離れた場所で味方を呼ぶと、ぽんっと光の束が現れた。1人分にヒモで括られた乾燥パスタのような、細い筋がいくつも重なっている物体だ。
「大きな声なんか出さなくても、聞こえてるよ。慌ててどうしたんだよー。せっかく、デートしてたのにさ」
相手もパスタの束みたいな子なのかしらと少し疑問に思ったが今はそんな場合ではない。
「かわいい子(?)とデート中だったのね。ごめんなさい。あ、そんなことを言っている場合ではないのよ。一大事なの。すぐに、オームさまを診てほしいの。とても熱くて。どうしよう、村の医者は大昔の知識からアップデートできていないおじいちゃんだし、この家には医者も薬もないから、このままだと重症肺炎とかになるかもしれないわ」
「オームが? まっさかぁ。あいつなら、槍で刺されても平気そうだし、なんなら、塩入りの氷水で水泳できそうだけどなー」
「そんなわけないでしょ! 彼をなんだと思ってるのよ。いいから診てきてちょうだい!」
ルーメンは、わたくし以外には見えない。なぜなら、わたくしがこの世界に転生するときに、今度は人生を放り投げだそうとしないようにと、お目付け役兼フォロー要員として神様からつけられた存在だからだ。ルーメンは、ちょっとした魔法を使えるから、初期の風邪くらいなら治してくれる。
ルーメンが、彼のもとから帰って来ると、彼は元気そのものだという。ルーメンは嘘は言わないからそうなのだろう。
「今すぐ、吹雪の中で乾布摩擦できるくらい元気だぞ。じゃ、彼女のところに戻るから。数時間は呼ぶなよー!」
「わかったわ、ありがとう。彼女さんに、今度美味しいスイーツをごちそうするからデートの邪魔をしてごめんなさいって伝えて」
「ん? 彼女はそんなことで怒らないぞーでも、スイーツは大好物だから、美味しいのを準備してくれよな」
そう言い残して、ルーメンは異界に還っていった。わたくしは、ほっと胸をなでおろし、もう一度彼のいる寝室に向かった。
「あ、あら? ファラド、オームさまは、どちらに? ベッドが空のようだけど」
「旦那様は、視察に向かわれました」
やられた。彼が、そうやすやすとベッドで安静にしているわけがない。わたくしは、一瞬だけ彼が寝そべっていたベッドを見下ろしてため息を吐く。
「今度こそ、連れて行ってもらおうと思っていたのに……ファラドも、どうして止めてくれなかったのよぉ」
「奥様、奥様のお気持ちはわかりますが、旦那様は奥様を心配されて。奥様の想像よりも遥かに、このあたりは危険なのですよ」
「むぅ。それこそ、オームさまがいるんだから、そこが一番安全じゃない……」
わたくしがむくれてそう言うと、ファラドはにこにこ微笑んだ。目尻にしわを増やした笑みに、嬉しさが滲んでいる。
「奥様が、旦那様に全幅の信頼をおいてくださっていて、嬉しゅうございます。旦那様がお帰りになられたら笑顔で迎えてください。ああ見えて、とても喜ばれておりますから」
「本当に? 鬱陶しがられてない?」
「はい」
彼は、もう追いかけられない場所まで行っているだろう。
わたくしは、さらに深くため息を吐く。ファラドと料理人のルクスに促され、数時間後には帰ってくる彼を迎えるために、準備をはじめた。
「奥様が来てくださってから、ここもずいぶん華やぎましたなぁ」
「そうかしら?」
周囲をぐるりと見渡しても、ひびの入ったコンクリートむき出しの壁に、古い絨毯に色褪せたカーテンがかかっている。気持ち程度の花を、大きな部屋には不釣り合いなほど小さく飾っているだけだ。
調度品もあり、一年に何度も新しい絨毯やカーテンを変えていただろう過去の面影など、1ワットもない。
「そうですよ。それに、旦那様も明るくなられて」
「アレで明るい……? あ、でも、たしかに、初対面のころは、もっと無言で暗かった……じゃなくて、寡黙だった、かも?」
「それはもう、鉄仮面や泣き顔のピエロのメイクよりも酷い有り様で。過労と数々の心無い仕打ちのせいで、げっそりやつれてましたからね。いつあの世に行かれるのか気が気じゃないほどでしたから」
「あんなふうに楽しそうにしている旦那様など、何年ぶりかしら」
ファラドとルクスが、ほほえみ合って頷く。
「なので、旦那様がいくら実家に戻れと言っても、ずっとここにいらしてくださいね?」
ふたり同時に、目尻に涙をためながら、わたくしの両手を握って懇願される。
彼らは、わたくしと彼が結んだ契約を知らない。わたくしは、彼らの手を見つめてほとほと困り果てた。
実は、遅かれ早かれ、数年後にはここを去る予定だ。それは彼も承知している。
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