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「きゃあああああああ!」
今、わたくしは空中に投げ出されて急降下している。完全に虚をつかれたため、どうすることもできず悲鳴をあげるばかり。
裏山は、思ったよりも厳しかった。雪で、思いの外足が取られ、どんどん体力が消耗しているのがわかる。ただ、まだいける。そう思っていた。けれど、やはり疲労していたから注意力が散漫していたのは否めない。
オームさまが、「待て」と言った時、すぐに足を止めなかったせいだ。彼の命令に従うとあれほど約束したのに、体が反応せず、一歩踏み出した足が雪を沈ませたまま、大規模で無計画な炭鉱工事で出来た奈落の底に体が落下していった。
人化状態よりも、軽いヘビのほうが落下の衝撃が和らぐ。そのことに気づき、どれほどの高さかわからないが、助かる可能性を信じて獣化した。
どんどん、体が下に向かう。くるくると回され、自分がどんな体勢なのか、どの方向を向いているのかすらわからない。
頼りなく宙に浮き、いつまでも続くかと思われたが、何か大きなものに包まれた。
「ジュール、ジュール! 落ち着け、もう大丈夫だから。俺だ、わかるか? ジュール、しっかりしろ!」
完全にパニックになっていたわたくしは、何度も何度も名前を呼ばれて、やっとオームさまが来てくれたことを知る。
「……しゅ?」
思わず、落下が止まったのかと思った。けれど、オームさまの淡い髪の色が、暗闇の中で乱れているから、まだ落下していることがわかった。
「怖い思いをさせてしまったな。すまない、俺がもっと注意していれば。大丈夫だ。ジュールだけは、なんとしても助けるから、俺にしがみつけ」
「しゅー」
わたくしは、体を彼に巻き付けた。
「ぐ……ぅ、ジュー、る。ちょっと、ちか、らを、よわ、めて……く……」
怖くて、思い切りしがみつきすぎた。本能のまま絡みついたため、彼の急所を、渾身の力で的確に締め上げている。これ以上本気でやると、彼を絞めて天国への片道切符を渡してしまうことになる。危うく、夫を殺害してしまうところだった。
「しゅー」
慌てて力を抜いた。ごめんなさい、そう言いたいのに、わたくしの口からは空気の漏れる音しか発生しない。でも、オームさまは、巻き付いたわたくしを優しく抱きとめて、「謝らなくて良い。ジュールは何も悪くないから。全部、俺の失態だ。怖いだろうが、着地するまでもう少ししがみついていてくれ」と言ってくれた。
パニック状態のわたくしと違って、オームさまは冷静そのもの。きっと、こんな事以上の修羅場をくぐり抜けたからだろう。
英雄という二つ名は伊達ではなかったようだ。わかっていたけれど、実際にこうして彼の頼もしい姿を見るのは初めてだ。わたくしは、オームさまの真剣な表情を見て、改めて彼のすばらしさに感嘆した。
超人のような彼の落ち着いた言葉と、安心する暖かくて大きな体。わたくしは、途方もない距離を落下している最中だというのに、それほど恐怖を感じなくなっていった。
まだ、落下中だというのに、心の余裕が少し産まれた。すると、恐怖のかわりに、ドキドキしっぱなしの心臓の鼓動がやけにうるさく感じる。彼の温度をダイレクトに感じる。あっという間に、変温動物である本性のわたくしの体中が、かっかと、まるで炎の中に入れられたかのように熱くなった。
「空気が変わった。ジュール、そろそろ着陸する。しっかりしがみつけ」
「しゅー」
いつまでも続くかと思われた奈落の底へのダイヴは、もうすぐ終わりのようだ。オームさまが、真っ暗な深淵の闇の底で、何度か壁のような場所にジャンプして、落下の衝撃を減少させ始めたようだ。
不規則に開けられたであろう、炭鉱のトンネルに、彼のすさまじい勢いで落下してきた足音が響く。一番重く大きな音を立てたあと止まった。
「ぐ……」
彼の体中の筋肉が鋼鉄のように固くなる。
底にやっとついたのかと、ほうっと安心した。その刹那、彼がふたまわり以上体が膨らませ、そして口からくぐもった低い音を吐き出したかと思うと、わたくしの体に生暖かい液体がかかる。
「ぐ、はっ……!」
鉄のようなにおいの液体が、彼の作る音と共にさらに降り注ぐ。わたくしは、何が起こったのかを悟り、彼の体から離れて人化した。思った通り、わたくしの白い髪や肌が、彼の赤い血潮でべっとりと染まっている。
「オームさま、オームさま!」
持ってきていた荷物の中には、簡単な救命措置の医療品や道具しかない。しかも、それもこの落下のせいでどこに行ったのか、わたくしたちの周りにはカバンひとつなかった。
「ジュー、ル。無事、か? いた、むところ、は?」
「オームさまのおかげで、わたくしは無傷です。 ああ、しっかり……しっかりしてください」
「よか……ぐうっ! がはっ!」
さらに、彼の口から命が吐き出される。わたくしは、彼を抱えて泣いて声をかけることしかできなかった。
とてつもない高さから落下したのだ。彼ひとりなら、助かったかもしれないが、わたくしを守るために行動したせいで、全身にダメージを負ったに違いない。
さっき、オームさまが下山の提案をしてくれた時に降りれば良かった。ううん、最初っから、彼の言う通り、こんなことをしないほうが良かったのだ。
顔にかかった彼の命の源を、涙が洗い落とす。この涙が、彼の赤のかわりだったらいいのに。
わたくしは、なすすべもなくオームさまにしがみつき、助けのこないであろう地の底で彼の名前を叫び続けたのであった。
今、わたくしは空中に投げ出されて急降下している。完全に虚をつかれたため、どうすることもできず悲鳴をあげるばかり。
裏山は、思ったよりも厳しかった。雪で、思いの外足が取られ、どんどん体力が消耗しているのがわかる。ただ、まだいける。そう思っていた。けれど、やはり疲労していたから注意力が散漫していたのは否めない。
オームさまが、「待て」と言った時、すぐに足を止めなかったせいだ。彼の命令に従うとあれほど約束したのに、体が反応せず、一歩踏み出した足が雪を沈ませたまま、大規模で無計画な炭鉱工事で出来た奈落の底に体が落下していった。
人化状態よりも、軽いヘビのほうが落下の衝撃が和らぐ。そのことに気づき、どれほどの高さかわからないが、助かる可能性を信じて獣化した。
どんどん、体が下に向かう。くるくると回され、自分がどんな体勢なのか、どの方向を向いているのかすらわからない。
頼りなく宙に浮き、いつまでも続くかと思われたが、何か大きなものに包まれた。
「ジュール、ジュール! 落ち着け、もう大丈夫だから。俺だ、わかるか? ジュール、しっかりしろ!」
完全にパニックになっていたわたくしは、何度も何度も名前を呼ばれて、やっとオームさまが来てくれたことを知る。
「……しゅ?」
思わず、落下が止まったのかと思った。けれど、オームさまの淡い髪の色が、暗闇の中で乱れているから、まだ落下していることがわかった。
「怖い思いをさせてしまったな。すまない、俺がもっと注意していれば。大丈夫だ。ジュールだけは、なんとしても助けるから、俺にしがみつけ」
「しゅー」
わたくしは、体を彼に巻き付けた。
「ぐ……ぅ、ジュー、る。ちょっと、ちか、らを、よわ、めて……く……」
怖くて、思い切りしがみつきすぎた。本能のまま絡みついたため、彼の急所を、渾身の力で的確に締め上げている。これ以上本気でやると、彼を絞めて天国への片道切符を渡してしまうことになる。危うく、夫を殺害してしまうところだった。
「しゅー」
慌てて力を抜いた。ごめんなさい、そう言いたいのに、わたくしの口からは空気の漏れる音しか発生しない。でも、オームさまは、巻き付いたわたくしを優しく抱きとめて、「謝らなくて良い。ジュールは何も悪くないから。全部、俺の失態だ。怖いだろうが、着地するまでもう少ししがみついていてくれ」と言ってくれた。
パニック状態のわたくしと違って、オームさまは冷静そのもの。きっと、こんな事以上の修羅場をくぐり抜けたからだろう。
英雄という二つ名は伊達ではなかったようだ。わかっていたけれど、実際にこうして彼の頼もしい姿を見るのは初めてだ。わたくしは、オームさまの真剣な表情を見て、改めて彼のすばらしさに感嘆した。
超人のような彼の落ち着いた言葉と、安心する暖かくて大きな体。わたくしは、途方もない距離を落下している最中だというのに、それほど恐怖を感じなくなっていった。
まだ、落下中だというのに、心の余裕が少し産まれた。すると、恐怖のかわりに、ドキドキしっぱなしの心臓の鼓動がやけにうるさく感じる。彼の温度をダイレクトに感じる。あっという間に、変温動物である本性のわたくしの体中が、かっかと、まるで炎の中に入れられたかのように熱くなった。
「空気が変わった。ジュール、そろそろ着陸する。しっかりしがみつけ」
「しゅー」
いつまでも続くかと思われた奈落の底へのダイヴは、もうすぐ終わりのようだ。オームさまが、真っ暗な深淵の闇の底で、何度か壁のような場所にジャンプして、落下の衝撃を減少させ始めたようだ。
不規則に開けられたであろう、炭鉱のトンネルに、彼のすさまじい勢いで落下してきた足音が響く。一番重く大きな音を立てたあと止まった。
「ぐ……」
彼の体中の筋肉が鋼鉄のように固くなる。
底にやっとついたのかと、ほうっと安心した。その刹那、彼がふたまわり以上体が膨らませ、そして口からくぐもった低い音を吐き出したかと思うと、わたくしの体に生暖かい液体がかかる。
「ぐ、はっ……!」
鉄のようなにおいの液体が、彼の作る音と共にさらに降り注ぐ。わたくしは、何が起こったのかを悟り、彼の体から離れて人化した。思った通り、わたくしの白い髪や肌が、彼の赤い血潮でべっとりと染まっている。
「オームさま、オームさま!」
持ってきていた荷物の中には、簡単な救命措置の医療品や道具しかない。しかも、それもこの落下のせいでどこに行ったのか、わたくしたちの周りにはカバンひとつなかった。
「ジュー、ル。無事、か? いた、むところ、は?」
「オームさまのおかげで、わたくしは無傷です。 ああ、しっかり……しっかりしてください」
「よか……ぐうっ! がはっ!」
さらに、彼の口から命が吐き出される。わたくしは、彼を抱えて泣いて声をかけることしかできなかった。
とてつもない高さから落下したのだ。彼ひとりなら、助かったかもしれないが、わたくしを守るために行動したせいで、全身にダメージを負ったに違いない。
さっき、オームさまが下山の提案をしてくれた時に降りれば良かった。ううん、最初っから、彼の言う通り、こんなことをしないほうが良かったのだ。
顔にかかった彼の命の源を、涙が洗い落とす。この涙が、彼の赤のかわりだったらいいのに。
わたくしは、なすすべもなくオームさまにしがみつき、助けのこないであろう地の底で彼の名前を叫び続けたのであった。
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