シャルルは死んだ

ふじの

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 外は雪が積もっている。と言っても、この地方は豪雪地帯ではない。積もったとしてせいぜい散歩する仔犬の足が埋まる程度だ。

 窓辺から外の白い風景を眺めながら、僕ははあっとため息をついた。
 先日ファビアン殿下とお会いしてから、もう十日程経つ。あと数日で殿下は王都に帰ってしまうし、殿下が先日の告白……の返事を聞きに来るのも、あと数日後だ。

 僕は先日の殿下の言葉を思い出して、また一つため息をついた。


『ジルを愛している。……都合のいい事を言っている自覚はある。しかし、もし君がもう一度私の手を取ってくれるのなら、私は最善を尽くしたい。二度と君を裏切らず、傍にいよう』

 こちらを真剣に見つめる眼差し。嘘を言っているとは思えない。思い出すだけで、僕の胸はぎゅっと苦しくなって顔がほんのりと熱くなる。
 しかし、未だに答えが出せないでいた。
 もう隠しようが無いが、僕だってファビアン殿下の事は好きだ。きちんと婚約者だったあの頃から大好きだし、忘れられないからこそ婚約指輪をずっと捨てられないでいるのだ。

 ……でも、だからと言って僕は、本当にその手を取っていいんだろうか?

 ただ好きだと言うだけで殿下に付きまとっていたあの頃とは違う。今はもう僕はただの平民の理髪師、殿下はもちろんこの国の第二王子殿下だ。そんな二人がどうやって傍にいられるんだろう。
 そもそも、僕なんか……本当に最低な人間なのだから。今まで僕のせいで人生をめちゃくちゃにされた人は、少なくとも数十人か百人は居るはずだ。僕が気に入らない、僕の悪口を言っていたから、そういう理由でいくらでも人を貶めたし、権力を使って僻地に遠ざけたりもした。そんな非道な僕が、今更殿下と幸せになります……だなんて。

 有り得ない、よなあ。
 
 でも、嬉しかった。そもそもシャルルの頃から疎まれていなかったなんて、本当に信じられない。誰からも嫌われて当然だと思うのに、ファビアン殿下はそんな僕を少なからず想ってくれていただなんて。あの時逃げ出さず、最後まで聞いていたらよかったのも知れない。
 そして殿下はずっと当時の自分に後悔している様子だったが、そんなのする必要が無いと思う。殿下はあくまで王族だ。人を選び見極める立場だし、自身の感情の他にも様々なしがらみのある人だ。それなのにあの時の事をずっと考えていてくれただなんて……本当にやっぱり殿下は、変わらず優しいと思う。

 そして何よりも。今のジルが好きだと言ってくれた。シャルルじゃなくて、今の理髪師の僕が。
 それが何よりも嬉しかった。僕はこの街に来て、いきなり順風満帆だった訳じゃない。貯金はいくらかあったが、無職で身寄りもいない当時は本当に心寂しくて、追い込まれていた。それでも必死に頼み込んでこの仕事に就いたが、最初は普通の一般常識すら無い僕は何事にもついて行くのが精一杯で、周りに迷惑ばかりかけたと思う。何も出来ない自分が辛くて、考え無しの自分が馬鹿らしくて、もう死んだらいいのになんて思った事もある。

 でも、どうにか僕はしがみついて技術を習得した。自分の足で様々な店に行き、色んな髪染め液について調べ、夜な夜な家で試行錯誤する日々だった。
 そして努力が実り、今の僕がいる。そんな僕が輝いていると……好きだと、ファビアン殿下は言って下さったのだ。こんなに嬉しい事は二度とないだろう。


「うーん、くよくよしてても、何も始まらないし終わらないな!」

 僕は立ち上がった。
 確かに分からない。今更僕もずっと好きです!なんて言ったところで、僕達が乗り越えないといけない問題は一つや二つじゃないだろう。だけど、確かな事もある。ファビアン殿下は分かっていて、それでも僕に想いを告げて下さったんだ。身分差や、今の状況、全て考えた上でそれでも殿下は僕が好きだと言って下さったんだと思う。

 だったら僕も答えよう。
 僕は家を飛び出す前に、最後にファビアン殿下と会った夜、こう思ったのを覚えている。
 『世界中から嫌われたとしても、もしこの人だけが僕を愛してくれたら。僕はどんな困難でも乗り越えるし、何でもできる気がする』と。


───


「で?結局どれがいいんだよ」
「うーん……どう思う!?」
「コレットがお前に似合うって選んだんだ、どれでもいいに決まってるだろ」
「そう言われると悩んじゃうんだよな」
「早くしろよ」

 服にあまり興味の無いアルノーは、面倒くさそうに持たれかかった椅子にだらっと座った。
 アルノーの奥さんであるコレットさんは、洋服屋を営む女性である。今は妊娠しているのもあって店を休業しているが、彼女に選んでもらえば間違いないだろう、と僕は今日のために服を選んでもらった。いくつか見繕ってもらった服はアルノーに届けてもらい、今は自分の店でああでもないこうでもないと組み合わせを模索中だ。
 今日はファビアン殿下が王都に帰る日、すなわち告白のお返事をする日だ。朝に店まで迎えに来ると言っていたが、いつ来るんだろう。早く決めなければ。
 僕はジャケットを脱いでは着て、着ては脱ぎを繰り返す。
 アルノーがうんざりした様子で言った。

「早くしないとアイツが来るだろうが、もうそれでいいよそれで」
「そうかなあ。本当に最近は服装に無頓着になっちゃって、何が正解なのか分からないよ。まともな正装も持ってないし」
「……」

 僕の言葉にアルノーが黙る。
 アルノーは、僕の大まかな過去を知っている。それでも、ファビアン殿下の話は大して話していないが、何となく察しているんじゃないかと思う。もしかしたら昔恋仲だったとか思っているかもしれないが、そういう感じだったかと言われると微妙だ。
 僕は明るいベージュのスラックスと、チェック柄のジャケットを選んだ。気張りすぎず、お洒落でいい感じだ。これにしよう。
 髪も綺麗にセットしたし、ばっちりだ。鏡の前に立つ僕に、アルノーが声をかけた。

「ジル。お前、ここを出ていくつもりか?」
「どうだろう。色々足掻くつもりだけど、最悪そうなるかもね」
「いいのかよ、せっかくの自分の店だぞ」

 僕はにっこりと笑って振り返った。

「僕の夢と大切な人とまた二度と会えない事と、どっちが大事か天秤にかけたらすぐ答えなんて出ちゃうよ。アルノーだって大切な人が居るんだし、分かるでしょ」
「……そうかもな」

 アルノーは苦笑した。その時、店のドアがコンコンとノックされる音が聞こえた。

「ジル、いるかな」
「今行きます!」

 ドアを開けると、そこには思った通りの人物が居た。これから王都に帰るからか、王族の正装に身を包んでいる。眩しいなあ……と僕は目の前の人を見つめた。僕と婚約していた時よりだいぶ時間が経っているにも関わらず、ファビアン殿下は益々美しくて格好良くなっている。
 殿下は僕の姿を認めてぱちぱちと瞬きをするが、奥にいたアルノーに気が付いた様で何故か苦々しい表情を浮かべた。アルノーはぺこりと会釈をすると、コレットさんが持ってきてくれた他の服をしまい、立ち上がった。彼は通りすがりに僕の背中をポンポンと叩いたかと思うと、「じゃあな」と言いそのまま店を後にした。
 これが僕とアルノーが会える最後かもしれない……と分かっているんだろう。僕は暖かい気持ちになって、その背中を見つめた。


「行こうか」
「あ、はい……えっと、どこに?」
「いま私が滞在している屋敷に。そこで……この間の返事を聞かせてくれ」

 ファビアン殿下は何故だか冷たい表情を浮かべたまま、僕を店の前の馬車へ乗るように促した。
 僕は店のドアをしっかり戸締りをすると、『休業中』の看板を立て掛ける。そうして馬車に乗り込んだ。

 馬車の中は、終始無言だった。ファビアン殿下は窓の外を眺めて、僕の方と視線が合いそうにない。その遠くを眺める視線は憂いを帯びていて素敵だが、何だか寂しく感じてしまって僕は俯く。
 この街で再会してから、殿下はずっと僕のために優しくしてくれたもんなあ。途中からやたらと色々連れて行かれる様になってからは特に、殿下はいつも僕の方を見て微笑んで下さっていた。それが今こんなに会話もなく、視線も合わず、殿下は遠くを見たままだ。

 程なくして馬車は街の外れにある屋敷の前に停まった。木々に囲まれた立派なお屋敷だ。前日の雪が少し残っていて、屋根や庭が白く染まっている。
 使用人の方に案内され、僕は大きな部屋に通された。暖炉が既についていて暖かい。テーブルに座り出された紅茶を飲んでいると、ファビアン殿下がやってきた。

「……」
「……」

 まるで、再会したての時みたいだな。何から話したらいいのか分からなくて、黙り込んでしまう。
 殿下は少し僕から離れた椅子に座り、足を組んで紅茶を飲んだ。やっぱりその表情は固く、暗いままだ。僕も真似て紅茶を一口飲んだところで、殿下はようやく僕の方を向き、その重い口を開いた。

「ジル。私は先日告げた通り、今日王都に戻るために旅立つ。私の気持ちは変わっていない……返事を聞かせて欲しい」
「はい。えっと、僕もついて行きます!」
「……」

 唖然としたように、殿下はティーカップ片手に固まってしまった。あれ?そんなに予想外な答えでもないかと思っていたんだけど。
 驚く殿下は我に返り、ゆっくりとカップを置いた。

「ついて行くって……私と?」
「はい。王都に行きます。今更貴族のシャルルに戻りたいわけじゃないです。でも貴方とまた離れるなんて嫌だった」
「そんな、だって……君には目標があるだろう。店のために奔走していた日々を知っているよ」
「そうですね、でも王都だって同じ事は出来るし。もし駄目だったとしても、どうにか生きていくことくらいはできるんじゃないかなって」
「……」
「僕は、ファビアン殿下が好きです。一目会った時から……それは変わりません」

 僕は胸元からチェーンを取り出す。ちゃり、と音がしたそのチェーンの先には、殿下と僕の婚約指輪が通されている。
 殿下は目を見開き、そして懐から茶色い小さな包みを取り出した。殿下がそれを傾けると、中からころりと……指輪が手元に転がった。僕が今手にしているものと、同じ指輪だ。
 婚約指輪……殿下もずっと捨てないでいてくれたんだ。僕は嬉しくなったが、僕が行動を起こすよりも先にファビアン殿下が僕の腕を引いた。そのまま殿下の腕の中に抱き込まれて、ぎゅっと強く抱き締められる。

「あの男とは、付き合ってないのか」
「あの男?」
「黒髪の」
「え、アルノーですか!いや無い無い。しかもアルノー結婚してますよ!あと数ヶ月でパパになる予定だし」
「そうだったのか」

 殿下はきょとんとした顔をして、ゆっくりとため息をついた。

「てっきりあの男と付き合っているからと、今日は振られるとばかり思っていたよ」
「いや、無いです。普通に友人ですよ!僕が好きなのはずっと……貴方ですから」

 ファビアン殿下は、僕の頬を包み込むように撫でた。

「君に夢を捨てさせるつもりは無い。私が王族で無くなればいいだけの話なんだから」
「それこそ有り得ないでしょう!陛下が泣きますよ」
「シャルルが居なくなってから、私はすっかり国政の中心からは外れて君を探す事にばかり注力してしまった。父ももう私には期待はしていないよ」
「そうだったんですか……ありがとうございます。でも駄目ですよ」
「しかし……」
「殿下がそれだけの覚悟を持って言ってくれた事、凄く嬉しいです。とりあえず王都に帰ってから、話し合いましょう?僕も自分の家族に顔を見せて、陛下に直々に家出した事を謝ります」
「そうだね。君の家族には会った方がいい。その後父には私が直談判しよう」
「もし最悪かけおちって事になったら、家事は僕に任せてくださいね!この数年ですっかり身の回りの事も出来るようになりましたから」
「そうならないように努力しよう。万が一そうなったら、私にも家事を教えてくれ。そしてきちんと甲斐性のある夫として、ジルを養う」
「そこは僕も働きますから、安心して」
「あと何より……相当な覚悟を持って、私を選んでくれてありがとう」
「僕こそ、同じ言葉を返します」

 ファビアン殿下は僕の手から指輪を奪い、チェーンを引き抜いてしまった。そして僕の手を取り、指に嵌めてくれる。
 すこしサイズが合わなくなってしまったみたいで、僕の指の中途半端なところで止まってしまった。でも僕は嬉しくて、同じ様に殿下の手から指輪を奪うと、殿下の指に嵌めた。

「愛してます。ファビアン殿下」
「私も愛している、ジル」

 僕達はどちらからともなく顔を寄せ、キスを交わした。あの頃とはもう、身分が違う。僕は貴族社会から逃げ出した平民だ。それでもこの人さえそばに居てくれるなら、僕は自分の人生を投げ打っても構わない。そう思えた。そして多分、同じ覚悟を持って殿下も僕に愛を告げてくれたんだと思う。それが分かるからこそ、僕は安心してこの腕に飛び込めるのだった。




「ん、あっ」
「……はぁ、ジル……」
「でんか……ぁ、ひぁっ」

 僕のぬかるんだそこに、殿下の指が既に三本は差し込まれている。中途半端に脱がされた僕の服が散らばる中、すっかり全身の至る所を愛撫され、僕の体は蕩けていた。

 お互い愛の告白をして抱き締めあった後、僕達はそのまま何度もキスをした。しているうちに段々と盛り上がり、殿下の手が怪しい動きを始める。一応結婚前なのにいいの?て聞いたけど、盛り上がった僕達はそれ以上止める術を持っていなかった。仕方ないと思う……何しろ数年越しの成就なのだ。
 同じ想いを返してくれるとは思っていなかった人が、こんなにも僕を求めてくれるなんて……嬉しくて余計に感じてしまう。元々性欲は薄い方だと自分では思っていたけど、そうじゃないのかもしれないと今更思った。

 殿下の指が先程から僕のいい所を掠めていく。僕はその度に腰をくねらせて悶えるしか出来ないでいた。

「あ!ぁ、殿下…っそこは……」
「ジル。殿下ではなくて名前で呼んでくれないか」
「名前、ですか……」
「そう。僕達は夫婦なのだから。敬語も要らない」

 夫婦、と言われて顔が熱くなった。改めて言われると恥ずかしい。

「ファビアン……様」
「様はよしてくれ」
「……ファビアン」

 殿下は僕に再びキスをして、自身の前を寛げた。そして恐ろしい程に怒張しているそこを、僕の孔に当てる。

「ジル……ありがとう、愛している」
「僕も、……あ、ああっ!ぅ、……んん!」
「……くっ」

 殿下のそれが捩じ込まれて、僕は生理的に涙を流した。苦しくて、でも熱い。僕は、生まれてこの方一度もこんな行為に及んだ事は無いので、余計にきつかった。
 でも幸せだ。殿下とこんな風に睦み合うことすら夢みたいに感じる。
 しかしこれは現実である。僕が落ち着くのを見計らって、殿下が腰を揺すった。途端に僕はその衝撃に身を攀じる。

「ぁあっ……ファビアン……っ」
「ジル……」
「好きっ、……あ、あああ!待って……」
「もう充分待った」

 中の感じるところを穿たれ、僕の頭はまっしろになった。苦しいけど、気持ちが良い。殿下の方も段々と息が上がり、動きが早くなっていく。

「あ、もう、だめ……っ!ああ!」
「……くっ…」
「あ、んっ、あああ!」

 体を盛大に跳ねさせて、僕は果てた。そのすぐ後に殿下も果てたようで、僕の中が熱いもので満たされる。
 何故だか幸せで、嬉しかった。僕は思わず目の前の人をぎゅっと抱き締めたが、殿下も僕の体に腕を回して抱き込んでくれた。

 まだ先の事は分からない。この人と一緒にいる事を選んだが、解決すべき事が沢山残っているし、それによっては僕やファビアン殿下の人生も変わっていってしまうだろう。
 それでも僕はこの選択を後悔はしないだろう。二人の指に輝く指輪が重なっている様子を見て、そう確信しながら微笑んだ。
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