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第30話 幕間3 ミカエル

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「殿下、どこまで本気ですか」
 アルトが目を細め、宿の部屋にある質素な木の椅子を叩きながら言葉を投げてくる。座れと言いたいらしい圧。明らかに何か疑っている声音だが、それは聞き流しながら私は着替えもせず、ベッドに寝ころんで天井を見上げた。
「……殿下?」
「殿下と呼ぶのは勘弁してくれ」
 そっと目を閉じて、私は同じ宿の中にいるであろう彼女の顔を思い浮かべた。
 黒い髪の毛と、赤みを帯びた瞳。小柄なのに、妙に存在感が大きく感じた彼女は、おそらく――私たちとは決定的に違う何かを持っていた。
「殿下は殿下ですけども」
 深いため息が聞こえて、私はそっと目を開く。そのまま、横目でアルトを見やると、頭痛を覚えたように額に手を置きながら、ぐったりと肩を落としていた。
「私はどうせ、平民の腹から生まれた失敗作だろう?」
 私が城でいつも投げつけられてきた言葉を口にすると、アルトが目を見開いて私を睨んだ。
「殿下!」
「ミカエルでいい。姓も捨てたい。私には重すぎる」
 低く笑いながら続けると、アルトは咎めるような目で何か言いかけ、思い直したように口を閉じる。
 そんな彼を見ていると、何故、ここまで私についてきてくれたのかと考えてしまう。
 彼は確かに、私が幼かった時から私の側近候補として傍に置かれた人間の一人だ。貴族としての位は低いが、剣の腕は同じ年頃の少年に比べて段違いに確かだった。
 真面目で忠誠心もあるが、融通は利かない性格かもしれない。だが、私の傍にいるにはもったいない男だと思う。
 私についてきても何もいいことはないのに、何を望んでいるのか。
 私の存在は忘れ、王都に残って生きた方が出世できるだろう。
 そう彼に繰り返し言ったが、「自分でも解りません」と首をひねるだけだ。

「私は呪いが解けるまで、王都には戻れない。お前は無駄な時間を過ごしていることになるぞ?」
 一体何度目になるだろうか、こうしてアルトを王都へ戻そうと言葉を重ねるのは。
 いつか諦めて受け入れてくれるかと期待するが、やっぱり今日も失敗のようだ。
「それでも、殿下は殿下。アディーエルソン王国の王族の血を引いていらっしゃる。王太子殿下、第二王子殿下よりもずっと、陛下の血を色濃く受け継いだ――」
「アルト、誰が聞いているか解らない。言葉は気を付けろ」
 私は思わず彼の言葉を遮り、いけすかない王太子殿下とやらの顔を思い出していた。あの男だったら、私たちの知らない魔術師に後を付けさせるくらいのことをやりそうだ。
 ――平民の血が混ざれば、王族の聖なる血も薄まる。いや、お前など王族の血が混じっているとも認めない。
 冷徹なあの双眸を見た時、私は悟った。
 油断すれば寝首をかかれるだろう、と。

 彼が認めようが認めまいが、私はあの陛下の血を受け継いでしまっている。
 陛下は歴代の王族の中でも、大きな魔力持ちだと言われている。女性に人気のあるような端正な顔立ちと、男性をも惹き付ける豪胆さ。国のためなら冷酷になり、剣を血で染め上げることも躊躇わない。
 王妃もまた、多くの女性と戦って陛下の隣に立った百戦錬磨だと言える。冷酷さでは陛下と似たり寄ったりだろう。二人は政略結婚だったはずだが、それはおそらく陛下のみの考え方のようだ。
 王妃は陛下を愛している。いや、固執していると言うべきか。
 だから、陛下の傍に他の女を近寄らせないようにしていたようだった。

 しかし、困ったことに――陛下は平民の女に手を出した。それが私の母。王都の下町で男に交じって剣を振り、ギルドで名前を売っていた暴れ馬。
「森で戦うしか能のないわたしが、陛下の顔なんか解るわけないでしょ。あの顔に騙されたこっちが被害者なのよ! 何なの、あの口の上手さ! ばっかじゃないの!」
 いつだったか、母は酒を飲んでそう悪態をついていた。
 母は私を身籠ってから、相手がこの国の王と知って荒れたらしい。あの女好きする顔をぶん殴って一度は辺境まで逃げたようだが、最終的には逃亡生活も数年で終わりを告げた。
 私の顔は、陛下の若い頃に瓜二つらしい。
 陛下の絵姿というのは、王都の下町でも売られているようだ。だから、女性にはある程度、周知されていたと言える。
 そのせいで、否応なく私の存在は目立ってしまう。そして陛下の捜索に引っかかり、王城へと引き取られることになったわけだ。母は王妃の手に寄って身に危険が及ぶかもしれないので、離宮へと送られて、私だけ王城で第三王子として育てられ。
 王妃と兄二人に睨まれながら生活してきた。
 本当に、いい迷惑だ。
 兄二人が私よりもっと陛下に似た顔立ちであったなら、ここまでこじれなかった。
 兄たちは笑えばそれなりに愛嬌の感じられる顔立ちであったものの、陛下には全く似ていない。いや、似ている部分もあるのだが私が陛下に似すぎているから、目立たない。それに、兄二人の体内に秘めた魔力も、王族としては弱いようだった。
 普通ならば、貴族出身である王妃の子供の方が魔力が強くなるはずだというのに、何故自分は――。

 と、答えの出せない考えに陥りそうな予感がしたので、ベッドから跳ね起きて窓の傍に歩み寄る。
 二階にあるこの部屋からは、宿の前を歩く人々の姿がよく見える。
 酔っ払いもいれば、客引きらしい姿もある。
 いつもと変わらぬ、平和な光景だ。
 とても今日、死にかけたとは思えないくらいに平穏な空気。

「彼女は美しいと思わないか。あの時、確かに私は女神を見たと思ったよ」
 唐突に、気分を変えてそう言ってみる。
 重くなりそうな空気を軽くする方法を私は知っている。
「彼女は私の運命なのかもしれない。あの肌の白さは天に輝く星と同じ色。凡人の私には手の届かない星なのかもしれないが、それでも求めてしまうこの感情は、罪だろうか。もしそれが許されない罪だとしても私は」
「うるさいです、ミカエル様」

 ――悪かったな。
 私はニヤリと笑いつつ、アルトを見やる。呆れかえった顔だが、それでも彼はこの私の台詞を、『武器』だと知っている男でもある。

 敵しかいない王城で生きていくために、私は演じることを選んだ。
 頭の中は軽く、女性に甘い。政治には疎く、剣を振るしか能はない。陛下に似た風貌を生かして享楽的に過ごしている凡人であることを選んだ。
 これが私にとっての武器だった。安穏と生きていくための知恵。

「もう一度訊きますが、どこまで本気ですか?」
 アルトは椅子に座ったまま、窓辺に立つ私を真剣な眼差しで見上げている。
「彼女のことか? 本気も本気だ。運命だと思ったのは嘘ではないよ」

 あの時、死んだと思った。
 あの魔物に襲われて、内臓を切り裂かれた感触があった。あれで生きていられるはずがない。地面に倒れ伏した時、終わりが来たのだと感じた。痛みすらも現実味がなかった。

 しかし、それまでの自分の生活も、現実味などどこにもなかったのだ。
 王城の中は私が生きていく舞台ではないと思っていた。だから、こうして外に出て、あてもなく彷徨って、呪いを解くための旅というのは楽しかったし満足していた。
 このまま、魔物と戦って死ぬのも一興。
 そう思っていたのに、目を開けたら彼女の姿があった。

 彼女の瞳の中に、自分の瞳が映っていた。
 自分でも理解できないのに、彼女が『そう』だと思ったのだ。

「最後の予言をさせていただきたいのです」
 私が呪いを受け、旅に出ると決まった後でそう彼女は言った。
 彼女――アディーエルソン王国の王宮魔術師、アクセリナ・ノルディン。まだ若い銀髪の女性だ。王宮魔術師である証である白い服に身を包み、背筋を伸ばして立っている彼女はいつだって人目を引く存在だった。
 旅の支度をするために、荷物をまとめて馬に乗せようとしていた時、厩舎の傍にまで足を延ばしてきた彼女は静かに微笑みながら私を見つめていた。
 彼女の得意な魔術が未来視である。その力を見込まれて、陛下の腹心として選ばれたという実績がある。
「予言?」
 私がそう訊き返すと、彼女はそっと頷いた。
「以前も申し上げましたが、ミカエル殿下はいつか、自分の背中を預けられるような女性に出会えるはずなのです」
「そうだね、期待しているよ。君の言葉は信用できる」
 私はその言葉に鷹揚に頷き、いかにも本音で言っている風を装った。
 だが、いい加減――王城で貴族の娘たちと接する機会があるたびに、女なんて面倒だという思いに駆られていたのも事実。万が一、出会えたとしてもそれが何になるというのだろう。

「ただ、気を付けていただきたいことがございます」
「何?」
「殿下も含め、なのですが……」
 一瞬だけ、アクセリナの目に懊悩の色が浮かんだが、本当に一瞬だけだ。「その方は、基本的には聖なる使徒。しかし、暗闇に近い存在でもあります。闇に落ちる前に、救いの手を差し伸べていただけませんか」
「暗闇、ね……」
 誰だって、似たようなものだ。
 正しい道を歩こうとしても、悪に手を染めることになることもある。それは私も同じだろう。
「肝に銘じておくよ」
 私は軽い気持ちでそう言ったが。

 彼女――女神の瞳を見て、何となく解ってしまったのだ。
 ああ、彼女は私に似ている、と。地面に根を張っていない、流されて消える人種なのだ、と。

 そして唐突に、彼女に会いたいと思ってしまった。夕食を共にしたというのに、それから対して時間も経っていないというのに、またあの目が見たい、気がする。
 しかし――。
「さすがにこれから会いに行くのは問題だろうか」
 ぽつりと呟いた声は、見事にアルトに拾われたようだ。
「陛下の二の舞は勘弁してください。物事にも恋愛にも、手順というのがあるのですから!」
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