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第39話 幕間4 ミカエル

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「ちょっと、急用を思い立ちましたので、今夜はここまでということに」
「えっ、我が女神!?」
 嵐のように目の前から姿を消した彼女に、私はただ困惑の叫びを上げることしかできなかった。呆気に取られているうちに、全てが終わった……ような気がする。
 どういうことだ、どうして、どこに?
 辺りを見回しても、大広場は静かなもので何の異変も感じられない。
「フラれたんか、あんちゃん」
 と、知らない酔っ払いに声をかけられて、思わず『違う』と言いたくなる。いや、フラれたのか? 完全別行動でもいいと言っていたが、駄目だろうそれは。

 いや違う、今はそんなことを考えている場合ではないはずだ。
 彼女は何かに気づいて走っていった。何に気づいたのかと考えれば、普通に思い当たる。彼女たちは魔物を倒す旅をしている。つまり、そういうことだ。

「母さん!」
 走って宿に到着すると、運よく一階にある食堂に見覚えのある母の背中が見えた。どうせ、我々の散歩の成果を聞こうとここで待っていたのだろうが、急いでいる今は都合がいい。
「我が女神、いやアキラ様が魔物退治に向かったと思う。彼女の居場所を探せるだろうか」
「え、ちょっと?」
 母はテーブルの上に酒のグラスを置いて、呆れたように私を見上げる。「何で魔物退治? あなたたち、何しに行ったの?」
「アルトを呼んでくる。悪いが、精霊魔法で彼女を探してくれ」
「嘘でしょ……」
 そのまま私は自分の部屋に向かい、乱暴にドアを開ける。すっかり寝る態勢に入ろうとしていたアルトがびくりと身体を震わせ、困惑したように声を上げる。
「あの、殿下?」
「付き合え」
「は?」
 私が素早く剣を腰に差し、いつも魔物と戦う時に身に着けている防具を付けるとため息が聞こえる。何をするのか察したらしいアルトも、すぐに準備を始めた。
 一階に戻ると、不機嫌な母の顔が出迎える。
「何なの、もう。あなた、アキラちゃんを怒らせた? デート失敗なの?」
「今は何も言わないでくれ」
「え、本当に何かやったの」
 母は呆れたように頭を掻いたが、すぐに俺たちを促して宿の外に出た。そこで、精霊魔法を使って意識を外へ広げてくれる。
 もし、呪いなど受けていなければ自分で探したのに、と唇を噛む。今の私は本当に何の役にも立たない人間だと実感した。

 理由は解らないが、今夜の女神は本当に美しかったと思う。
 サクラという男性と、ヒカルという猫獣人と比べて、アキラ様はいつもどこか影が感じられた。いつもはその白すぎる肌のせいもあって、一見すると虚弱体質なんだろうかと思えるくらいなのに、今夜の彼女は歩き方からして違った。
 だから一瞬だけ、期待してしまったんだろう。
 私と一緒に散歩するということを、喜んでくれているのだろうか、と。

 今までの私は、ほんの少しでも笑いかければ相手の女性が相好を崩してくれていた。自分の顔はある意味武器であり、あまり歓迎できることではないとしても、それを利用するのが常だった。
 それなのに、どうやってもアキラ様には通じない。
 警戒されたような目と、一線引いたような態度。剣になりたいと告げても、あれほどまで明確に拒否されるのは納得がいかなかった。

 正直に言えば、私は恋など知らない。
 誰かを慕うことも、執着することもなかった。それなのに、今はどうだ?
 呪いを解くために彼女の――彼女たちの力を貸して欲しいと思った。でもそれは本当に単なる口実で、彼女と一緒にいたいという利己的な考えからのものだ。
 神を崇拝する感情だろうか。でも、彼女は神じゃないし、酷く人間的だと解っている。表情も豊かだし、面白い。もっと近くで見ていたいと思った、初めての女性だ。

 少しの間だけ、男性のような口調だったけれど。
 あれが彼女の本性というならば、むしろ好ましいとも思う。作られた笑顔も愛想を振りまくだけの会話もいらない。もっと気楽に会話ができたら。

 王宮で私に媚びてきた貴族の娘たちの貪欲な輝きを放つ瞳や、むせ返るような香水の香り。あんなつまらない生活をしていれば、そういったものに辟易するのは当然だし、もう拒否反応しか出てこなくなるのは仕方ない。
 それと比べると、アキラ様の自然な表情や、私のことに何の興味もないといった態度すら心地よいと感じてしまうのだ。

 だから、彼女の役に立てれば、と。
 彼女と一緒に魔物を討伐できるような、そんな仲間になれたらと考えたのだ。

 それなのに。

「アキラ様、ご無事で!?」
 私がそう叫びつつ彼女に駆け寄ろうとすると、そこには見知らぬ――異形の者と、この世の者とは思えぬ美しい男性が立っていた。
 何とか母が精霊魔法で風を操り、広範囲に渡って彼女を探してくれた。ナグルの村からそれなりに離れた森の中で魔物と戦っているらしいと言った母をせかして、やっと彼女に追いついたというのに。

 地面に転がった魔物の巨大な死骸が、私の到着が遅かったのだと教えてくれた。
 いや、最初から解っていたことだ。
 アキラ様も、そしてその連れである二人も、私などよりずっと強い。むしろ、今は普通の剣士くらいの能力しかない自分など彼女の足枷になることも解っていた。ただ、呪いを解くために一時的に一緒にいるだけで、それ以上でも以下でもない。

「あれ、アキラ君、連れが増えたの?」
 ぼんやりと光を放つ肉体を持った美青年が、困惑したようにアキラ様に声をかけている。たおやかな女性にも見える顔立ちだが、体つきからして男性だ。何と言うか、精霊を具現化したらこうなるのではないかという、触れたら壊れそうなガラス細工。それが彼に対する印象だった。
「一時的に連れになってるんですよ」
 苦笑しながらそう言ったアキラ様の横顔は、やっぱり私の傍にいる時とは違って、どこか穏やかな雰囲気を放っていた。
「順調そうで何よりだ」
 そう困ったように言ったのは、顔だけ獣の形をした獣人だ。犬を凛々しくしたような顔立ちは、獣であるというのに秀麗だと思わせてくれる。その双眸に灯る理知的な輝きもあって、どこか近寄りがたい雰囲気も持っている。獣人はやがて私たちに軽く頭を下げると、必要以上にこちらに関わらないといったポーズを取った。
「一時的か……。でも、クエストも結構進んでるんじゃない? こっちの人の依頼も受けられたりするよね。もしかして、君たちも……」
 青年が興味深そうに言うと、アキラ様も頷く。
 そして、こちらに聞こえないように小声で何か囁きあう。その光景が、酷く――似合う、と感じてしまった。人間とは思えないほどの美しい青年と、月から落ちた女神としか思えない美少女。

「馬に蹴られる前に退散するよ」
 青年がそう言うのが聞こえて、我に返る。息が苦しいのに気付いて、私は慌てて呼吸をした。何だろう、胸が苦しい。
「馬って何ですか」
 アキラ様が眉間に皺を寄せて不満そうに声を上げると、青年は近くに立っていた獣人のところに歩み寄り、その鍛えられた肩を叩く。
「帰ろうか」
「ああ」
「ちょっと、リンさん!」
 我が女神が気まずそうに私たちを見てから、その青年――リンと呼んだ彼に声をかける。「そういうんじゃないですからね! 誤解だけはしないでくださいよ!?」
「あー、解った解った」
 青年はひらひらと手を振ってから、ちらりと私を見て、困ったように笑う。そして、アキラ様に視線を戻した。
「深みにはまる前に、離れた方がいいこともあるよ。特にアキラ君の場合、可愛いから気を付けて」
「んー……」
 不満を露にするアキラ様は、それでも魅力的だと思う。
 いつの間にか目の前から青年と獣人の姿が消え、ぎこちない空気と一緒にアキラ様がこちらを見て笑う。
「あの、すみません。その……追ってこなくても」
「そうですね」
 私はできるだけいつもと同じ笑みを浮かべようとしながら、いつもの自分とはどんなものだったろうかと考える。作り笑顔がこれほど難しいものだったとは思わなかった。
「何があったの?」
 母が私の横でそう問いかけるのが解る。誰に対して質問しているんだろう、と頭のどこかで考えていると、先にアキラ様が口を開いた。
「ちょっと、魔物の気配があったので来てしまいました。心配をおかけしたようで、その」
「別にいいのよー? まあ、うちの馬鹿息子は心配性だったみたいね。アキラちゃんだけで充分だったんでしょ?」
「あー、はい」
 アキラ様の視線が泳ぎ、この会話はここまで、と言いたげに辺りを見回した。「そろそろ帰りましょうか? いつまでもここにいたら危険かもしれないですし」
「そうね、帰りましょ」
 母も苦笑しながら私の顔を覗き込んできた。何か言いたげに輝く瞳があって、つい目をそらしてしまった。

 来た時と同じように母の精霊魔法で村へと戻り、自分の宿に戻ってから考える。自分はどうすればいいんだろうか、と。
 三階にある自分の部屋に戻り、窓のところに立ったまま外を見下ろす。アルトは無言で、明らかに私を気遣って声をかけないようにしているようだ。それがありがたいと感じると同時に、自分の情けなさが身に染みた。ただ、母とアルトを振り回しただけの夜だった。

 今の自分は、本当に何の役にも立たない。
 呪いを解けば、多少はアキラ様の足を引っ張らずに戦えるだろうか。

 ふと、私は目を細めて宿を取り囲む塀を見つめた。
 もう日付が変わる時間だろう。ほとんどの人間が眠りにつく時間帯だから、視界に入る道にも人影はない。だからこそ、塀を跳躍で乗り越えた影は見逃すことはない。
 どうやら、アキラ様はまた一人で外出するらしい。魔物退治なのか、それとも――先ほどの青年と会うためなのか、暗闇の中にその身を紛れさせた。
 それを見送りながら、彼女を月の世界に帰らせない方法はないのかと……考えてしまった。
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