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こま猫

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第78話 血の匂いがきつすぎる

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 輝くような石の床を小さな獣が歩いていくのを、後から追う。
 人間の気配がないことを意識しつつ、俺たちは辺りを見回していた。魔道具らしいランプが壁の上部に無数に取り付けられていて、巨大な神殿内を照らし出してくれている。
 規則的に並んだ太い石柱、高すぎる天井を見上げる。
 冷暖房費大変そう、と思ってしまったのは仕方ない。夏はいいとしても、冬になったらここで凍死する人が出るんじゃないんだろうか。それとも、凄まじく高性能な暖房が存在するのか。

「ここで聖女様が暮らしているわけか……」
 と、横で感涙にむせびそうになっている三峯はどうでもいいとしても、俺は少し前から寒気のようなものも感じていた。神殿の奥に進めば進むほど感じるものを何て説明したらいいのか解らない。
 聖獣はいつももふもふしているから差が解りにくいが、少しだけ毛が逆立っているようだ。警戒したように慎重に歩いていく聖獣と俺たちは、ほぼ同時に違和感に気づいて足をとめた。
 結構離れた場所で扉が開くような重々しい音が聞こえた。
 でも、人間の足音までは聞こえない。
 自然と、俺と三峯は耳を澄まして息を殺す。

「……ギルドには急がせた方がいいですね」
 研ぎ澄まされた聴覚で聞き取ったのは、神経質そうな男性の声だ。
 その男性の他にも複数の人間がいるようで、さらに別の声が響いた。
「魔物の王が力を取り戻したのは問題でしたね。魔王が力を失っている間に、我々は動くべきでした。つまり、後手に回ってしまったのは間違いないということです」
「神殿長は何と?」
「まだ『その時』ではない、と。ただ、もうすぐ完成するとも言われています」
「完成ですか、待ち遠しいものですね」

 完成って、何が?

「神の力を行使するまであと僅か。それまでは、相手を油断させなくてはなりません。こちらはいつも通り、浄化の旅に出て――それからが勝負です」
「聖女様の準備はつつがなく進んでいるのですよね?」
「はい。今回は聖女様全員で行きますので準備の時間がかかっていましたが、後は魔道具さえ揃えばいつでも出立できます。できるだけ大量の魔石を回収するためには、大地の浄化だけではなく魔物討伐も――」

 俺はいつの間にか顔を顰めていた。しかし、聖獣が足元で僅かに身じろぎして我に返る。警告するような目で見上げていることにも気づいて、俺は無言のまま三峯の脇腹をつついた。

「誰か……いますか?」
 と、僅かに緊張したような男性の声が響いた瞬間だった。
 唐突に三峯が俺を抱きかかえて、床を蹴る。声を上げなかった自分を褒めてやりたい。
 三峯の背中に生えた翼が羽ばたく音が辺りに響いただろう。
 でも、それは本当に一瞬だけのことで、気づけば俺は三峯に左腕だけで抱きかかえられつつ、神殿の天井間近の辺りで遠くの床を見下ろす形になっていた。

 俺たちがいなくなったその廊下を、神官服に身を包んだ男性たちが足早に通り過ぎていく。
「気配を感じたのはこちらですか?」
 男性の一人がそう言った時、彼らの視線の先に小さな獣が走って庭へと向かうのが見えた。彼らもそれに気づき、緊迫した空気が揺らいだ。
「犬でしょうか」
「結界があるのに紛れ込むなんて」
「巫女が飼っているペットじゃないですか? 部屋から出すなと言ってあるのですが」
 そう言い合いながら、彼らがすっかり暗くなった庭へと出て行くのを見守る俺たち。
「勘が鋭いな」
 三峯が小さく囁くと同時に苦笑して、それでもしばらくの間は警戒して、天井の辺りから下りようとしなかった。
 まるで忍者にでもなった気分だな、と思う俺。
 こういうの、時代劇で見たことがある。部屋の角、天井の辺りで張り付く黒装束。角なら両足を踏ん張れるはずだが、見事にここは廊下の中央。三峯は右手で石柱を掴み、素晴らしい握力を披露してくれている。手だけで二人分の体重を支えているんだから立派なものだ。
「降りるぞ」
 神官たちの気配が遠くなったのが解ると、三峯はそう言って床へと降り立った。背中に現れた純白の翼を一瞬にして消し去ると、また普通の人間の姿へ戻る。
「どーも」
 俺が感謝の言葉を短く発すると、三峯が少しだけ残念そうに舌打ちした。
「せっかく抱きかかえたんだから、胸くらい揉んでおくべきだった」
「いくら払う?」
「金取んの?」
「タダだと思ったのか?」
「ちっ」
「聖女様に言いつけんぞ」
「あ、ごめんなさい」

 そんな会話を小声でしながら、俺たちは神官たちがやってきた方向へと足を進めた。そうして目に入るのは、分厚い石の扉である。しかも、見上げるほどに巨大な扉。
「……人の気配はないな」
 俺が意識を集中させても、扉の向こう側に何の気配も感じない。ただ、直感的に『ここは違う』と思った。
 まだ廊下は続いている。俺は廊下の先に目をやって、そこに地下へと続く階段があることに気が付く。
「やな感じがするねえ」
 三峯は楽しそうに言うが、俺と同様に何か感じているのは間違いないだろう。俺たちはそのままゆっくりと階段へと近づいていったが――。

「あ、俺、駄目かも」
 酷い酩酊感に襲われて、俺は三峯の神官服の袖を掴んだ。何かに掴まっていないと倒れてしまいそうだった。
「ん? どうした?」
「すげえ……血の匂いがする」
「血?」
 何だろう、これ。
 魔物の血の匂いとかを嗅いだ時とは違う、奇妙なもの。足元がふらついて、頭がくらくらする。喉の渇きが急激に襲ってきて、いつの間にか俺の唇には伸びた犬歯が当たっていた。
「おお、さすが吸血鬼。目も赤と金を行ったり来たりって感じで綺麗だなあ」
 三峯が俺の顔を覗き込んできたが、口調の軽さとは相反して心配そうな表情だった。
「階段の下から、血の匂いがする。多分、これだ。凄い魔力を感じるとかセシリアさんが言ってたやつ。階段の下から、何か吹き出しているような感じ……」
 そう必死に言いながらも、まるで俺は酒にでも酔っているかのようだと思っていた。ふわふわした感覚と、一歩間違えれば吐きそうなくらいの気持ち悪さ。
 それでも俺は意識を広げ、吸血鬼の能力を使って辺りを探るのだ。

「アキラ、ちょっと下がって待ってろ。俺だけ行ってくる」
 三峯が俺をその場に座らせようとするが、俺は彼の袖を掴んだまま放そうとはしなかった。いや、厭な予感がして放せなかったというのが正しい。
「多分、駄目だと思う。下手に近づけばバレる。地下に結界みたいな波動があるけど、これはお前の防御無効の必殺技でもヤバそう」
「それは勘?」
「ああ、勘」
「じゃあ駄目かあ」
 心底残念そうに息を吐いた後、三峯はそっと天井を見上げた。「せっかく忍び込んでも情報ゼロってのはなあ」
「情報は少ないけどあっただろ」

 神殿には何か『完成』させなくてはいけないものがある。

 それと。

 この尋常じゃないほどの血の匂い。
 階段の下に『何か』がいる。

「……浄化の旅が始まれば、聖騎士団の奴らも神殿からいなくなる」
 俺は気持ち悪さを必死に堪えながらそう言うと、三峯も複雑そうな表情で頷いた。
「普通、浄化の旅ってのは聖女様一人と聖騎士団で行くはずなんだが、今回は違うらしいしな」
「騎士団も聖女様もいなくなれば、俺たちが地下に忍び込んでバレたとしても、問題なく逃げられる気がする」
「んー」
 三峯は気まずそうに俺を見下ろした。「でも俺、聖女様の追っかけだからなあ。忍び込むのは……」
「いいよ、お前は聖女様についていっても。こっちは俺たちだけでやるから」
「んー」
 それでも、頷くことのできない三峯を俺は見上げながら、自分の視線が彼の喉元に向かうのをとめられなかった。

 地下から漂う血の匂いがきつすぎて、目の前の三峯を『餌』としか認識できなくなりそうだった。
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