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第80話 血の味は

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 ミカエルは少しだけ俺を見つめた後、辺りを見回してそっと微笑んだ。
「下ろすと目立つと思いますよ?」
「え?」
「抱き上げていると解りにくいですが、巫女の服装ですからね」
 ミカエルのその言葉で、確かに、と納得した俺がいる。だったら、急いで喫茶店に行って着替えればいい。
「というわけで、このまま行きましょうか」
「何故に!?」

 ――不本意。

 しかし、悪酔いのような症状が出ていたのと、目立つのも避けたいと思って悩んでいるうちに、ミカエルは人気のない通りを狙って歩いていく。どこに行くつもりなのかと目を細めていると、路地裏を通って小さな広場みたいな場所に出た。辺りは暗かったものの、その広場には魔道具の明かりが設置されてあって、井戸のようなものをうっすらと照らし出している。
 どうやらミカエル、フォルシウスの街の地理をしっかりと把握していたらしい。よくこんな場所を知っているものだと感心する。
 どうやらそこは井戸端会議の場所みたいにも使われているようで、近くにベンチもいくつか置かれてあった。
「体調は良くなりました?」
 ミカエルがベンチに俺を下ろすと、その隣に座って顔を覗き込んできた。
「いや、あまり」
 俺が距離の近い彼から逃げるためにそっと腰を横にずらすが、逃げた分だけ追ってきた。このままマチルダ・シティに逃げたい気分になったが、これもまたいい機会なのは事実だ。
 俺は腹をくくることにした。

「この際、ぶっちゃけて言いますけど」
 俺は乱暴に頭を掻いて、巫女っぽくまとめていた髪の毛をわざと乱した。どうしても、まだ俺は男としての意識の方が強すぎる。だから、わざと――意識して女らしくない仕草をしてしまう。
 というのも。
 女性として扱われることに慣れてしまった自分を認めたくないからで。

 これはアバターである。偽物の身体である。精神は男性。
 そう主張したところで、肉体が女性なのは間違いないわけだ。

 精神と肉体、どちらが優先されるか。
 普通は精神じゃないんだろうか。

 俺は日本で暮らしていた時に、ここまで真面目に考えたことはない。異性愛者、同性愛者、色々な表現はあるけれどいつだって肉体的なものが邪魔になるのが世の常だ。
 俺は間違いなく、日本の元の肉体においては女性が好きだと考える『男』だった。
 だから、ネットでよく聞くような言葉について考えたことはない。LGBTやらヘテロセクシャルとか言われたとしても、何ぞそれ、という感じだった。
 でも、好きになった相手の性別と、自分の性別が重要になるのはよく解る。それというのも、結婚して子供を作るという明確な理由が存在するからだ。
 それでも、今の自分の考えは曖昧だ。何が正しいのか解らない。

 女性の肉体だから男性を好きになるか?
 じゃあ、人間性で相手を好きになったらどうなるのか。

 性別がもしも同じなら、それはどうやっても――マイノリティとして見られる。
 今の自分がもしも女性を好きになったとして、肉体は女なのだから……そういうことなのかもしれないが。

 でも。

 だからといって男性を好きになるかと言われたら……。

「俺、化け物みたいな存在なんですよ」
 俺がミカエルの目を見つめながら言うと、彼は何をいまさら、と言いたげに微笑んで見せる。
「解ってます。強すぎますからね」
「いや、そうじゃなくて」

 彼のまっすぐな目が怖いのは事実だった。思い返してみれば、最初からこいつはこうだ。
 俺を『我が女神』と呼んでぐいぐいくる様子は、迷惑だと思っていたけど――慣れるのだ。それはこいつが、悪い人間ではないと理解しているからだ。

「魔物の肉体構造ってどうなってるんですかね?」
 俺は唇を歪めるようにして笑った。「魔物の主食って人間ですか? 人間を食べて力をつける、そんな感じですか?」
「うーん、そうですねえ。人間を襲うこともありますが、魔物同士でやり合うこともあるでしょうね」
「でも、魔物って草を食べて生きていけるわけじゃないでしょ? 欲望のままに人間を襲って喰うような、そういう存在じゃないですか」
「……人間も同じじゃないですか? 人間だって、動物を殺して食べますよ?」
 少しだけ、ミカエルの双眸に警戒したような光が灯る。俺が導き出したい答えを理解したような感じがした。
「でも、同族は狙わないでしょ? 人間が人間を襲う、そんなのは魔物と同じ。違いますか?」
「我が女神は……きっと、根はいい人なんでしょうね」
 ふと、ミカエルの目が困ったように笑った。「我々人間の歴史を紐解いてみれば、人間同士が争い、殺し合うのは普通でしたよ。場合によっては……口にできないような行為もあったでしょう。上に立つ人間ならなおさら、そういったものを目にする機会が多かった。私もね、少なからず見てきました。人間の中にも化け物はいるんですよ。知能が高いだけに、むしろ魔物より恐ろしい」
「じゃあもし、俺が『そう』だと言ったらどうします?」
「え?」
「俺が人間を主食にする種族の……魔物だと言ったら、ってことですよ」

 ミカエルの眉間に皺が寄る。
 俺が笑えば、また牙が覗くだろう。それを目にしているだろうということも理解しつつ、俺は露悪的に笑って見せた。

「俺、こっちの世界の食べ物って口に合わないんですよ。食べても食べてもお腹が空いてしまう。あれは俺の養分にはなってくれない。だから俺が今、どうやってこっちの世界で空腹を満たしていると思います?」
「空腹を?」
「カオルに頼んでるんですよ」
「どういう意味ですか」
「あの幼女の首にこの牙を突き立てて、血を吸うんです」

 さすがにミカエルの表情が消えた。

「世が世なら、きっと俺は魔物として討伐対象になる……というか、バレたら絶対なりますよね。空腹に耐えられなければ、そして近くにカオルがいなければ、見境なく人間を襲う可能性もありますし」
「どうして、カオルだけなんです?」
「え?」
「襲う相手です。どうして……」
「そりゃ、友達だから。俺とカオルは……悪友とも呼べるかもしれないけど、仲いいんですよ。付き合いも長いし、それなりに気心が知れてる。だからカオルは俺が血を吸うことを許してくれた」
「じゃあ、私は?」
「はあ?」
「私じゃ不満ですか? 我が女神が望むなら、私だって差し出せますよ。断言できるし、してみせる」
「馬鹿?」
 素でそんな返しをしてしまう。
 血を吸うという行為にはいつだって、罪悪感が付きまとう。たとえ相手がそれを受け入れてくれたとしても、やっぱり……背徳的な行為だ。いくら血を吸って気持ちいいと感じたとしても、美味しいと感じたとしても。
 それでもやっぱり、化け物としての行為に過ぎない。
「ミカエル様は王子様じゃないですか。そんな人を襲うことなんてナンセンスですよ」
「なんせんす……?」
「馬鹿馬鹿しいってことです。俺たちは簡単に言ってしまえば、異世界からやってきた異分子です。俺の問題は、異分子同士で解決するのが一番いいでしょ? こっちの世界の人を巻き込みたくないんです」
「私は気にしませんし、むしろ巻き込んで欲しいと」
「それがおかしいっつってんのに」

 俺はそこで、巫女服の裾を跳ね上げて足を組んだ。これも男らしい仕草の一つ。こちらのおしとやかな女性だったら絶対にしないだろう。

「俺は化け物、そしてあなたはこの国の王子様。必要以上に仲良くなるのは駄目っつーこと……」

 と、言いかけた瞬間だった。
 ミカエルの顔が急に俺の目の前にあった。
 今までにないくらい、凄く近くに。額が触れ合うくらいの位置、お互いの呼吸が届く位置。
 肩に手を置かれて、そして。

 ちょっと待て、と頭の中では叫んでいる。思考停止というものを経験して、一瞬遅れて頭の脳に血がいきわたる感じ。

 キスされたと理解したのは、俺の犬歯がミカエルの唇に当たって血の味が広がったから。本能的に逃げようとしたのか、それとも何か叫ぼうとして噛んでしまったのか解らないけれど。

「血の味は美味しいんですか?」
 ミカエルが少しだけ身を引いてそう言った瞬間、俺は思わず自分の口を手で覆ってしまっていた。
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