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第96話 純粋に喜べない

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「訊きたいことがたくさんある」
 俺は自分でも知らないうちに階段を数歩上がり、彼女の方へ歩き出していた。詰め寄るような形になったが、目の前にいる美女は悠然と俺を見下ろしてくるだけだ。
「邪神って何だとかどこにいるんだとか、いや、それより」
 言いたいことはたくさんあっても、何から言えばいいのか解らない。
 整理のつかない頭で必死に言葉を探すものの、いつの間にか俺のそばにはうろちょろと歩き回る幼女魔王がいて気になってしまう。
 可愛らしい幼女は興味津々で俺を見上げ、まるで子犬か何かのようにぐるぐると回りつつ首を傾げる。
「お前、見た目は人間に見えるのう。どんな力を持っておるのだ? のだ?」
「のだ……」
 俺は思わず幼女魔王の首の後ろの襟を掴んだ。「これが魔王って本当か、いや、本当ですか」
 放せ、とじたばたしている幼女を抑え込みつつ、俺はマチルダを見つめる。
 すると、美女はくすくす笑って頷く。
「あなたが見てきた通り、考えている通りよ。わたしが教えることなんて、ほとんどないでしょうに」
「あの、失礼ですが魔王様を放していただけませんか」
 ワニ氏が穏やかな口調で俺に話しかけてきたが、僅かにその表情は引きつっているように見えた。トカゲの表情というのはとにかく読みにくいが、困惑は見事に伝わってくる。少しだけ同情したので幼女を解放した。
 幼女が「うー」と威嚇しながら俺の脛を蹴り飛ばしてきたが、痛くないので放置しておく。

「っていうか、その格好……」
 と、俺がマチルダの服装を改めて見つめると、彼女はそっと肩を竦めて階段を少しだけ降りてくる。
「似合うでしょう? 日本でこういう服を初めて着てみたけど、なかなか面白いわ」
「面白いって」
「それより、立ち話も何だから中に入ったら? 椅子くらいはあるわよ」

 そんな風に促されて、俺たちは魔王城とやらに足を踏み入れることになった。

 城の中は、うん、城だった。
 俺のイメージしている悪の権化、おどろおどろしい魔王の城、というのではない。普通の、どこにでもありそうなファンタジー世界の城、というか。石造りの床や壁、雰囲気のあるランプ、壁に駆けられた絵画、無駄に多い彫刻、天井からぶら下がるシャンデリア。
 広すぎる応接間みたいな場所に通された俺たちは、これまた時代を感じさせるソファに座る。

 ――サクラたちも一緒だったらよかった。

 一瞬、そんなことを考えたが、今となっては遅い。
 テーブルの上にいつの間にか現れたティーカップやお菓子の乗った皿などを見つめながら、もう一度頭の中を整理していると、そんな俺の考えを読んだかのように俺の向かい側のソファに座ったマチルダがにこりと笑う。
「こちらの世界、楽しんでる?」
「……そんな悠長な」
 俺もシロさんも凛さんも、ちょっとだけ微妙な目つきで彼女を見ただろう。でも彼女は長い足を組んで、妙な色気を放ちつつ続けるのだ。
「だって、わたしが呼び寄せた人間は皆、向こう側から逃げ出したかった人たちだもの。でも、あなたたち異世界から来た人たちには責任を持って、安全な生活を与えているつもりよ?」
「まあ、安全ですよね」
 俺がそう言うと、俺の右横に座ったシロさんが苦笑しつつ言う。
「実際に、死ぬ可能性はないわけだし」
「そう。まあ、あなたたちも察しているだろうから言わせてもらうけど。わたしは敵と戦うために、死なない戦士が欲しかった。それだけよ」
「だからわざわざ日本に?」
 俺が目を細めて言うと、彼女はそこで違う違う、と指を揺らして笑った。
「日本に行ったのは、偶然」
「偶然?」
「そう。わたしが魔王だったころ、人間と戦ったのよ。わたし率いる魔王軍、神殿が率いる聖騎士団。さらに、彼らがどこかの異世界から呼び出した聖女、勇者、と呼ばれる存在。それで、わたしが負けたの」
「負けた」
「そう。彼らは神の力とやらで、魔族全部を殺すつもりだった。この世界には穢れた力を持つ存在はいらん、というのが彼らの考え。そしてその戦いのさなか、わたしは彼らの神の力とやらで消し飛ばされそうになって……何がどうなったのか、異世界に飛ばされたってわけ」
「異世界……つまり」
「そう、あなたたちが住んでいた地球と呼ばれる世界ね」

 うーむ、この辺りは俺が知っている話と一致するけど、と俺が首を傾げている間にも、彼女の話は進む。

「わたしとしても、すぐに元の世界に戻ろうとしたわよ? 残された配下たちが心配だったし。だから、道を作ろうとしたの。わたし、向こうの世界でも魔力は使えたからね。でも、こちら側にくる道を作るには、魔力が足りなかった。そこで考えたのが、あのマチルダ・シティ・オンラインよ」
「どういうことですか?」
「あのゲームの最初の目的は、魔力を集めること。不特定多数の人間をあの中に入れて、魔力を分けてもらったの」
「魔力って……」
 俺もだが、シロさんも凛さんも胡乱げに呟く。
 普通の日本人に魔力なんてあるわけないじゃん、と思ったから。
「あら、気づかないだけであちら側にもあるのよ? あなたたちは使わないから気づいていないだけ。それに、使ってないんだからもらってもいいでしょ、っていうのがわたしの考え」
「ううう」
「何はともあれ、わたしは必死に元の世界に戻るため頑張ったわけね。でもその前に、こちらの世界は『魔王が不在である』ということを許さなかった」
「許さなかった?」
「そう。そういうふうに、こちらの世界はできている。必要な存在は、いなければ新しく生み出されるもの。それが自然の摂理。だから、新しい魔王が生まれたわけ」

 と、彼女は俺たちの話を聞かずにお菓子を食べ続けている幼女を見やる。
 ソファに座り、クッキーやらマドレーヌやらどんどん口に運んでいる幼女は、とても魔王とは思えない。だが、マチルダ曰く、間違いなく新しい魔王なのだという。
 ただ、生まれたばかりの魔王はとにかく力が弱かった。戦うどころか、ずっと寝ているような状態。
 それでも、いるだけで魔族には魔王の力が与えられ、魔族領は少しずつ力を取り戻していった。
 魔族相手に戦争をしかけた人間側も、大きな痛手を負った。戦争を続けるのも難しくなるくらいに。
 だから、また結局は共存への道を探すことになったらしい。
 そう聞いてしまうと、何だか馬鹿馬鹿しい流れである。
 人間は何のために戦ったんだよ、って話。

「でもね、新しく魔王が誕生してしまった以上、わたしはもう魔王じゃない」
 マチルダはそこで、神経質そうに眉根を寄せた。「こうして元の世界に戻っても、魔族の一員ではあるけど魔王としての力は使えなかった」
「弱体化? でも」
「そうね、あなたはわたしのことを買ってくれてるみたいね?」
 マチルダはそこでそっと苦笑する。「確かにマチルダ・シティを作るほどの力があるなら、神様と誤解しても仕方ないかしら? でも、その力は人間から魔力を吸い上げたからできたこと。それがなければ、わたしはきっと向こうでただの人間として生きていたでしょうね。それに、それだけの魔力を消費したとしても、今のわたしが干渉できるのは、やっぱり地球側の方なのよ。魔物を統率することもできないし、ただの傍観者にしかなれない」
「傍観者の割には」

 随分と、こちら側の世界に関わってるように思うけれど。
 と考えた俺の頭の中を読んだのかもしれない。
「だって、こちら側の様子を見てしまったら放置できないじゃない? 魔族全体が弱体化してしまったから、穢れを取りこぼしてしまうことが多くなっていて、それをどうにかしないと大変なことになるって解ってるんだから」
「穢れ……」
 時々途切れそうな彼女の言葉の先を促すためにも、俺は時折相槌を打つ。
 マチルダも少しだけ、説明のための言葉が難しく感じているようで、唸り声を上げることが増えてきた。
「ええとね……あなたたちが見た黒い蛇、あれが穢れと呼ばれるものの配下。あの配下を食い殺すために存在しているのが魔族。つまり我々、ね。魔族領の地下にはね、この世界を作り出した根源というか……神の力が眠っているのよ。地中深いところに眠り続ける邪悪なる黒い蛇。その蛇が寝息をたてるたびに、小さな蛇が生まれて地上へとあふれ出していく。あれを放置していけば、どんどん膨れ上がってこの世界を呑み込み、破滅に導く。ある意味、あれが邪神と呼ばれる本体」
「やっぱり、あれが邪神? じゃあ、邪神の復活って」
「まあ、慌てないで」
 マチルダはそこで呆れたように俺を見つめ、話の先を進めた。「我々が黒い蛇を殺すのが役目なら、人間――神官たちの役目というのは、その穢れが動いた場所に残ったものを浄化すること。汚染された場所は植物の生育も悪くなるし、人間が住める場所ではなくなってしまうからね。遥か昔は、神殿の連中も自分たちの役割、魔族の役割を理解していた。それなのに、いつしかあいつらは人間の世界を作ることだけに意識を向けてしまって……うーん、困っちゃったなあ、って感じなのよ」

 困っちゃったなあ、って。
 いきなり軽い口調になった気がするが、話の内容は重いはずだ。

「もうね、人間の王には過去の記録とか、人間の役割を示す書物とか失われてしまってるんだと思うわ。それを理解できていた昔は確かに我々は共存できていた。でも、今は表向きだけよね。それでも、神官や聖女――ああ、今、神殿にいる聖女というのは過去にこちらの世界に異世界から召喚された、強大な力を持つ聖女たちの子孫のことね。彼女たちは神官たちより、ちょっとだけ有能。だから彼女たちがいる限り、それなりに活躍してくれているんだけど……まあ、上が上だものね、いいように扱われている感じかしら」

 ――聖女。
 三峯が入れ込んでいる彼女と、その仲間たち。

 神殿で起きている事件。
 それについては――。

 と、俺がそこでフォルシウスの神殿とその近辺で起きていることを説明すると、彼女は心底厭そうに顔を歪めた。

「そう、それが問題なのよ」
 彼女はイライラと指先で膝を叩く。「あいつらが余計なことをやり始めて、わたしもことを急ぐしかなくなった。全部全部、あいつらのせい!」
「え、えーと?」
 マチルダはそこで乱暴に髪を掻き上げると、俺を睨むかのように見つめて身を乗り出してきた。
「あいつらは間違ってる。正しいことをしているつもりで、実は一番まずい道を選んで進んでる。わたし、日本にいながらこちらの世界をずっと覗いてた。だから、必死にあいつらの目論見を阻止しようとしたのよ。集めた魔力で道を開いて、死なない戦士もスカウトして、こっちに送り込んで。でも、わたし、人を見る目がないってよく言われるたちでね。送り込んだユーザーが使えないこと、使えないこと!」
「えっ」
「マチルダ・シティの中に引きこもりになってしまったユーザーもいるし、戦うよりスローライフを選ぶユーザーもいるし、恋愛に明け暮れる馬鹿もいるし」
「あー……」
 三峯みたいなのがいっぱい送られてきたわけだ、と俺が唸っていると、彼女は手を伸ばして俺の肩をがしりと掴んだ。
「だから、あなたには期待してるの! あなたはわたしが見つけた、数少ない逸材! 能力値はそこそこだけど、作ってくれた薬は素晴らしいわ!」

 ……何だろう、この純粋に喜べない感じ。

 俺は彼女にがくがくと肩を揺らしながら、虚ろな笑みを浮かべるしかなかった。
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