夢見る竜神様の好きなもの

こま猫

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第15話 幕間2 ヴェロニカ

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 父は母と結婚していたとはいえ、それは書類上のことだけだった。
 だから、わたしたち母娘を離れに閉じ込めて、別の女性を屋敷に女主人として住まわせた。それがクリステルの母親だ。
 父は母のことをただの道具としか思っていなかったし、その考えはクリステルとその母親にも伝染していた。わたしたちは彼女たちと滅多に会うことはなかったけれど、タイミング悪く顔を合わせる時は明確な敵意を向けられていた。

 でも、どうしてここまでするんだろう。

 彼女は、どこかの魔術師に会いに行き、呪いのかけ方を教えてもらったんだと言う。わたしから声を奪って自分のものとするために、召使一人の命を捧げたのだと。それは、唯一離れにやってきていた召使。愛想のない年配の女性であったけれど、真面目そうでもあった。

「だって彼女は平民だもの。しかも、あなたたちの身の回りの世話までしていたんでしょう? 何だかあなたたちの臭い匂いが移ってそうで厭だったの」
 そう笑ったクリステルの顔は、ぞっとするほど無邪気だった。
 これがわたしより一歳年下なんて誰が信じる?
 優しさなど一切含まない冷え切った瞳も、平民だからと平気で切り捨てるその残酷さも、まだ成人していない少女が見せているのだ。

「平民なんて、我々貴族のために死ぬのが役目みたいなものでしょう? あの召使も感謝しているはずだわ」
 そう続けて言った彼女を床に這いつくばった状態で見上げながら、何故、と問う。
 そんなわたしの目を嬉しそうに見つめ、クリステルは自分の艶やかな髪の毛に触れながら言った。
「聖女なんて言葉で平民どもが騒ぎ立てるから、王都にまでその噂が届いてしまったみたいなのよね。そして、聖女であるあなたを第二王子の婚約者に、という王命が下ったの。バカみたいね。あなたみたいな下賤な血が王家に混じるなんて、考えるだけで虫唾が走るわ」

 ――何それ。第二王子の婚約者? わたしが?

「もちろん、王家が欲しがっているのは神歌を捧げることのできる少女。つまり、歌えるのであればあなたじゃなくてもいいのよ。だから、わたしはお父様に頼んだの。あなたの能力をわたしに移してくれるよう、その力を持つ魔術師を探して欲しいって。そうすれば、婚約者の座はわたしのものでしょう? あなたは平民だから、王太子である第一王子の婚約者には選ばれなかったけど、わたしだったらきっと狙えるはずだし」

 ――そんなのが許されるの?

 そう思いながら、こうして実際に何かの魔術か呪いを受けてわたしの声は奪われてしまった。今のわたしは何の言葉も発することができない、無力な女だ。
 平民に嫌悪を抱いているクリステルや、そしてあの父のことだから……きっと、これが許されない術だと知っていても揉み消すだろう。そしてわたしは母と同じように、殺されるのだ。

「最後に、あなたには役に立ってもらわないとね? 仮にも聖女と呼ばれた女なんだから、神殿で生贄となって死んでくれたら我が一門の名声も上がる。運が良ければ、あなたも神の身許に行けるのよ? よかったじゃない?」

 生贄。
 そうか。
 そういうことを考えるのか、この女は。

 母は誰かを憎んではいけないと言ったけれど、こんな目に遭ってまで聖人に誰がなれるというんだろう?
 自分の手でクリステルや父に一矢報いることができないのであれば、神殿で命を捧げ、このレインデルス家の滅亡をお願いしたい。わたしの絶望を、神様に――眠り続けている竜神様に聞いてもらおう。

「あなたにかけた呪いは、わたしたちの命令には逆らえないものも含まれているの。だから、早くちゃんと死んできてね?」

 クリステルはその言葉を最後に、もうわたしの目の前に姿を見せることはなかった。
 わたしはレインデルス家の馬車に荷物のように積み込まれ、南の竜の神殿に向かった。この旅の連れは御者の男性と、ギルドで雇ったという目つきの悪い男性が一人。
「逃げ出すようなら殺すように頼まれてる。ムカつくと俺も何をするか解らんし、面倒だから逃げるなよ」
 その男性は剣を腰に下げていて、軽く柄を握って見せる。
 厭な光の灯る瞳から、きっと彼は人を殺し慣れているんだろうと解る。そういう『悪意』にわたしは敏感だ。だから、ただ頷いて従うだけだ。

 目的地に到着するまでの間、わたしは何も食事を与えられなかった。逃げ出す気力と体力を削ぐにはいいやり方だろう。でも、逃げたいと思っても呪いのせいで身体は動かない。
 わたしは馬車の中で横になりながら、ただじっと数日を過ごして。
 目的地に到着するとすぐ、わたしは馬車から引きずり出された。
 もう、その頃には喉の渇きが限界にまで近づいていて、まともに動けそうもなかったが、クリステルの命令があるから歩かなくてはいけない。
 目の前にあるのは、天にも続くんじゃないかと思えるような崖。
 上に行くための階段があるけれど、上がる人間はいないだろう。手すりもなく、風が強そうだから少し足を踏み外したら墜落死してしまう。

「生贄ってのは、この階段を上がって一番上に行ったらそこから身を投げるんだそうだ。噂じゃ、今までも何度もそういう生贄がいたんだと。きっと、この辺りを探せばたくさんの白骨化死体が転がってるかもな? まあ、あんたも頑張れ」
 同行者の男は、にやにや笑いながらわたしの肩を小突いた。
 そして、御者と共に帰っていってしまった。
 ――ふうん、本当に死んだかどうか、見届けずに帰るんだ?
 わたしは少しだけ呆れたものの、辺りを見回してみればそれも当然かと思い直した。
 周りは鬱蒼と茂る森しかなく、一番近い村は――どこにあるのか解らない。
 明るい時間帯だというのに、どこからか薄気味悪い獣の鳴き声が聞こえている。この世界には多くの魔物が存在しているから、もしかしたらすぐ近くにいるのかもしれない。
 魔物は竜神様が起きている時は大人しくなると言われているけれど、今は違うから――ここからわたしが逃げたとしても、凶暴化している魔物に襲われて終わりなんだろう。
 運よく魔物に襲われなかったとしても、もうすでにわたしの身体は飢えに耐えられそうにない。
 全く、上手くできているものだ。

 わたしはのろのろと階段を上がりながら、息を吐く。もしも声が出せたら、呪詛の言葉を呟いていただろう。
 でも、必死に歩き続けていると思考能力がどんどん低下していくのが感じられて、誰かを恨む気力すら失せていった。

 ああ、ここで死ぬんだな、と他人事のように思いながら階段の途中で倒れた後で。

「ちょっと待って? 何なの、マルちゃん! わたし、そんな事故物件に住んでたってこと!?」
 ……と、幼い女の子が口をぽかんと開けている。
 わたしがこれまで何があったのか説明が終わるやいなや、幼女は急にその場から立ち上がってぐるぐると歩き回る。すると、風に揺れてその綺麗な白銀の髪の毛が揺れ、二本の角が太陽の光を浴びて輝いた。
 それは人間じゃない証、そのものだ。

「事故物件ってー」
 マルちゃんと呼ばれた白骨死体が、くねくねと身体を揺らして不満げに言った。「わたしだって知りませんよう。生贄なんか勝手に捧げられても困るっていうかー、わたしだってシルフィア様が目を覚ますまでずっと『死んで』たんですから、死ぬのを引き留めることもできなかったしー」
「いや、それ以前に……平民だから殺すとか、そんな世界なの、ここ!? やだよ、わたし、許せないんだけど!」
「確かにそうですねえ」
 白骨化死体――守護者様はそこで小さくため息をついた。「いくら何でも、それは駄目です。悪事を働いたら天罰が下る、そういうのを知らしめないといけないですよ」

 わたしは奇妙な二人の様子を見つめながら。

 ああ、やっぱり竜神様は復活なさったのだ、と感じていた。
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