夢見る竜神様の好きなもの

こま猫

文字の大きさ
45 / 69

第45話 幕間8 エディット

しおりを挟む
 やっとお昼休みになった。
 厳しいと評判の男性教師が教材をまとめて持って教室を出て行くと、途端に辺りの空気が和らぐ。息が詰まりそうになりながら勉強しているのはわたしだけじゃない、と思うと少しだけ楽にも感じるけれど――。

 わたしは深いため息をつきながら、歴史の教科書を閉じた。これはまずい、次の試験に出るとか言われたけど、解らないところばかりで頭が痛い。
 わたしの場合、歴史ばかりじゃなくて他の学科も不安が多い。わたし、これでも数学は得意なんだけど。お金を数えるのが好きだからだろうか。
 でも、それ以外の学科は言わぬが花だ。

 ――しかしせめて、試験の範囲くらいは何とか理解しないと駄目かなあ。

「あの」
 わたしが隣の席にいる女の子に声をかけたが、聞こえなかった……もしくは聞こえないふりをされた。
 彼女は他の女子生徒に目をやると、「一緒にランチをいかかです?」なんて話しかけて席を離れてしまった。
 ここのところ、わたしが学園の授業をさぼるという裏技を覚えてしまったせいか、同じクラスの人たちからの視線が少しだけ冷ややかな気がする。話しかけようと思っても、すぐに避けられる。
 まあ、元々、仲の良いと言えるような友達はいなかった。それでも、わたしが勉強で何か解らないところを質問したら、多少の迷惑さを滲ませつつ応えてくれていた人たちもいたんだけど。
 わたしはそこで、またため息をこぼした。

「やあ、エディット嬢」
 わたしがお弁当の包みを抱きかかえて教室を出ようとすると、入り口で一番会いたくない人と出会ってしまった。
 他の生徒たちのほとんどは食堂へ向かっていたため、この光景を見たのは本当に数人だった。でも、そういった生徒たちがわたしたちを遠巻きにしつつ何か小声で囁いているのもわたしの耳が捉えた。
「……ええと、ダミアン・ハウゼント様」

 ――出たよ元凶! わたしがこのクラスで爪弾きにされている最初の原因そのもの!

 わたしは引きつった笑みを浮かべ、軽く頭を下げる。
「ダミアンでいいよ」
 彼はそう言うけれど。

 馬鹿なの!?
 いくら学園の中では生徒は平等とか言われていたって、わたしは男爵家、ダミアン・ハウゼントは子爵家。身分は彼の方が上なのだ。そんな気安く話しかけられるはずがない。
 しかも、この男は婚約者持ちだ!
 そんな男に声をかけられている、成り上がり男爵令嬢のわたし。
 どっちが悪く言われるかなんて誰にだって解るってものだ!

 波打つような美しい金髪、煌めくような青い瞳、人形のように整った――整いすぎた美貌。彼は自分の微笑が他人に与える影響を自覚していて、特に女の子に対しては優しく微笑みかける。
 それが婚約者であろうとなかろうと、目につく女の子全員に、だ!
 つまり、無類の女好き!

「いえ、わたしはただの男爵家の人間ですし……その、身分の高い方とお話しするのが苦手というか」
 と、必死に言い訳しつつ後ずさり、逃げ道を探していると彼は少しだけ身体を横にずらしてわたしの退路を断つ。
 いやああああ、悲鳴を上げたい。
 泣きながら逃げ出して被害者であると周りに見せつけたい。
「冷たいね? エディット嬢、最初に出会った時は素敵な笑顔を見せてくれたのに」
 僅かに身を屈めて囁いてくる女好き!
 こういうのが好きな女の子だったら、その美声で腰が砕けるんだろうけど、わたしは違いますからー!
 逃げたい逃げたい逃げたい。
 そう考えながら、必死に言葉を探すわたし。
「いえ、あれはうちの商会のお手伝いで……」
「そうだよね。最近、街で評判のスイーツ専門店。そこで売り子をしていた君は、本当に可愛かった」

 ひいいいい。

「でもここのところ、その店では見かけなくて残念に思ってたんだ。今はどこにいるの? 放課後は学園内でも見かけないし……」
「あの、えーと」
 わたしは必死に辺りを見回した。
 小声で何やら言い合っていた女生徒たちの一部は、どこかに行ってしまったようだ。残った生徒たちは明らかに眉根を寄せて、わたしに対して厳しい目を向けている。
 わたしじゃないからー!
 睨むならこの女好きを睨んで!

 っていうか、誰も助けてくれない!

「すみません、ちょっとわたし、お手洗いに!」
 と、色気のない言葉を彼に投げつけ、お弁当の包みを抱きかかえて彼の横をすり抜ける。とてもおしとやかとは言えない動きで廊下を走り、脱兎のごとく逃げ出したのだった。

「つらい。逃げたい。うわーん、エリクの馬鹿ー!」
 裏庭に逃げてきて、辺りに誰もいないのを確認した後、わたしはその場にしゃがみこんで呻き声を上げた。
 この場合、エリクはとばっちりだ。
 自分の家に帰っていたら、エリクがわたしと一緒にいてくれて守ってくれたかもしれないけれど、さすがに学園の中は彼の手が届かない場所だし。それに、エリクは仕事だからわたしと一緒にいてくれるだけだし。

 ……そう、仕事だから。
 もう、本当に泣きたい。

「あら、こんなところで何をなさっているの?」
 そんなわたしに向かって、冷ややかな――敵意の混じった声が飛んできた。わたしが慌てて立ち上がると、わたしの目の前には見たくない人、その二、がいた。
 美しい金髪、吊り上がった緑色の瞳。気の強そうな顔立ちだけれど、皆の目を引く美少女。わたしより一学年上の先輩、シルフィア・シャープ伯爵令嬢。
 さっき見たダミアン・ハウゼント子爵令息の婚約者だ。
 白竜神様の名前を持っているからだろうか、どこか高圧的な雰囲気を持って、わたしを鋭く見つめているけれど――その両脇にいる女生徒二人の方が、もっと険しい表情だった。

 怖い。

「先ほど、あなたのクラスの方がわたしたちのところに来たの」
 シルフィア伯爵令嬢の右側に立った、赤毛の少女が蔑むようにわたしを見つめる。「ダミアン様に声をかけられて、思い上がっている女生徒がいる、と」
「えっ」
「さすが、下町で働いていらっしゃることだけはあるわね。男性に媚びを売るのがお得意なのかしら」
 シルフィア伯爵令嬢の左側の栗色の髪の少女も冷ややかに言う。
「お待ちになって、二人とも」
 そんな二人の怒りを鎮めるように、シルフィア伯爵令嬢は穏やかに微笑んで見せる。「きっと、わたしたちの言葉を理解してもらえると思っているの。いくら仮初の爵位を得た方でもね」

 あああああ、くっそ!
 呪ってやる!
 あの金髪の女好きを呪ってやる!

「ええと……その、理解しております」
 わたしは必死に笑顔を顔に張り付ける。そう、商会の傘下の店はたくさんあって、そこでお手伝いするのが多いわたしなら、接客が得意なのだ。どんな客だろうと笑顔は必須。
 ここは店、ここは店。
 相手は上得意のお客様だと思え、わたし!
「ハウゼント子爵令息様は我が商会のお客様ですから、無下にすることもできません。そのため、わたしも何か誤解を招くような発言をしてしまったのでしょう。反省いたします」
 そう言って深く頭を下げると、やっと目の前の三人の声音が和らいだ。
「そう、お分かりになっていただけたようで何よりだわ。ダミアン様はわたしの婚約者なのだけれど、身分の低い女性にも優しいから誤解されてしまうことも多いのよね」
「そうですね、お優しい方だと思います」
 わたしは張り付けた笑顔のままでこくこくと頷く。「でもやはり、高貴な血筋の肩は高貴な方と結ばれる運命なのでしょう。ハウゼント子爵令息様と、シャープ伯爵令嬢様はお似合いのお二人だと常々思っていました」

 よし、頑張ったわたし!
 お世辞だろうと何だろうと、駆使してこの場を切り抜ける!
 いつものわたしだったら絶対に言わないような美辞麗句。舌が攣りそうだけどもうちょっと頑張れ!
 でも事実、お似合いだと思うよ! 二人とも金髪でキラキラ輝いている感じが似てるし、目に痛いところなんか、似すぎてて怖いくらいだし!

「ですから、わたしもお二人のことは応援しているのです」

 にこり、と笑ったわたしは本当に『やり切った』感を出していただろう。
 彼女たちもわたしの言葉に納得してくれたようで、そのまま踵を返して学園の建物の中に入っていってしまった。
 わたしはその場にずるずるとしゃがみこみ、凄まじい疲れを感じつつ頭を抱える。しかし、すぐに空腹に負けて立ち上がる。
 こんなことをしていたら、お昼休みはあっという間に終わってしまう。
 わたしは裏庭にあるベンチを目指して歩き、やっとお弁当の包みを開けられることにほっと安堵した。

「唐揚げ……」
 うちのお客様であるシルフィアという少女が考えた、鶏肉を揚げた料理。今まで食べたことのない醤油とかいう調味料は、どうやら万能らしい。香ばしい香りが食欲をそそる。
 サンドウィッチと唐揚げ、卵焼きに温野菜サラダ。
 あの少女はこれがお弁当の定番なのだ、と朝から熱弁してくれていた。
 あの厄介な伯爵令嬢と同じシルフィアという名前なのに、とても気さくでいい子だ。世の中のシルフィアという名前の少女が、皆優しかったらいいのに。
 わたしはやっと心に安寧を取り戻し、サンドウィッチにかぶり付く。

 が。

「あれ、こんなところで食べているの?」
 急に聞き覚えのある声が飛んできて身体が硬直する。
 ぎぎぎ、と首を傾げてそちらを見ると、やっぱりというか何と言うか、ダミアン様がそこに一人で立っていた。

 追ってきた!
 追ってきたよこの男!

 わたしがサンドウィッチを地面に落として固まっていると、彼は困ったような微笑みを浮かべ、わたしが座っているベンチの横を指さした。
「ここ、いいかな?」

 却下ー!
 逃げたい、逃げ出したい、誰か助けてください!

 目の端に捉えた花壇と、その花壇をぐるりと取り巻く石の塊。その石を剥がして、彼の頭をぶん殴りたいと思ったわたしを――。神様、白竜神様、どうかお助けを!
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

冴えない建築家いずれ巨匠へと至る

木工槍鉋
ファンタジー
「建築とは、単なる箱を作ることではない。そこに流れる『時』を設計することだ――」 かつてそう語り、伝説の巨匠と呼ばれることになる男も、かつては己の名前に怯えるだけの冴えない二級建築士だった。 安藤研吾、40代。独立したものの仕事はなく、下請けとして「情緒のない真四角な箱」の図面を引き続ける日々。そんな彼が恩師に教えられた座標の先で迷い込んだのは、昭和初期を彷彿とさせる、魔法のない異世界だった。 現代の建築知識、そして一釘一釘を大切にする頑固大工との出会い。 「便利さ」ではなく「住む人の幸せ」を求めて、研吾は廃村に時計台を建て、水路を拓き、人々の暮らしを再生していく。 異世界で「百年の計」を学んだ研吾が現実世界に戻ったとき、その設計は現代の建築界をも揺るがし始める。 これは、一人の男が仕事への誇りを取り戻し、本物の「巨匠」へと駆け上がるまでの、ひたむきな再建の記録。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

#密売じゃありません!ミツバイギフトで最高に美味しい果物作ったら、領主令息が夫になった件について

国府知里
ファンタジー
「がんばっても報われなかったあなたに」“スローライフ成り上がりファンタジー”  人生に疲れ果てた北村めぐみは、目覚めると異世界の農村で少女グレイスとして転生していた。この世界では6歳で神から“ギフト”を授かるという。グレイスが得た謎の力「ミツバイ」は、果物を蜜のように甘くするという奇跡の力だった!村を、領地を、やがて王国までも変えていく果樹栽培の物語がいま始まる――。美味しさが未来を育てる、異世界農業×スローライフ・ファンタジー!

幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~

二階堂吉乃
恋愛
 同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。  1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。  一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。

帰国した王子の受難

ユウキ
恋愛
庶子である第二王子は、立場や情勢やら諸々を鑑みて早々に隣国へと無期限遊学に出た。そうして年月が経ち、そろそろ兄(第一王子)が立太子する頃かと、感慨深く想っていた頃に突然届いた帰還命令。 取り急ぎ舞い戻った祖国で見たのは、修羅場であった。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

処理中です...