夢見る竜神様の好きなもの

こま猫

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第52話 幕間11 シェルト

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 自分は一体、何をしているんだろうか。
 フェルディナント様の命令通り、南の竜の神殿にまで足を伸ばしてドレスの箱を目立つところに置く。これが私のやるべきことだろうか。
 私の存在意義はどこにあるのか。
 魂に刻まれた命令は、『黒竜神様の命を守れ』だ。それが『守護者』だ。私の生きる意味だ。
 私の主はフェルディナント様。たとえあの方が何度生まれ変わっても、それは変わらない。だからあの方が望むなら、私は何でもすべきなのだ。
 それがどれほど納得できないことだとしても。

 南の竜の神殿の周りは、随分と魔力が行き渡っているようだった。これは今の白竜神、シルフィア・アレクサンドラ・ニコール・ノルチェ様によるものだろう。
 木々の間を走る風が心地よくて、森の中で足を止めていると自分が今、いつの世界を生きているのか見失いそうになる。
 昔は悩むことなど何もなかった。フェルディナント様の命令を一度たりとも疑ったことはない。

 いや、疑ってはいけないのが当然のことなのだ。

 私は思わず頭にかぶっていたマントのフードを乱暴に引いた。風を受けて、黒くて長い髪の毛が揺れた。
 自分の手で顔に触れれば、昔と変わらない人間らしい肌がそこにある。こうして人間の姿となれたのは、フェルディナント様が竜の心臓を食べ、多大なる魔力を取り戻してくださったお蔭だ。
 今のフェルディナント様のお蔭で私は生きていられる――。

 それなのに、どうして心が落ち着かないのか。

 理由は何となく解っていた。
 村で今のシルフィア様を見た時に、白竜神様の『今の』守護者を見た。
 昔、以前のシルフィア様の時代にあの守護者を見たことがある。その頃の彼女は、もっと物静かな雰囲気だったと思う。
 解っている。今の守護者は『生まれ変わった』のだと。魂が変わってしまっているのだ、と。だからあれほどまでに屈託なく笑い、何の違和感も覚えることなくシルフィア様に仕えることができるのだろう。

 私は主のフェルディナント様に置いて行かれた身だ。魂の魔力を大地に注ぐのは、神である自分の役目だからと言って、わたしのことは置いて行ってしまわれた。
 でも、シルフィア様の守護者はおそらく、一緒に連れていってもらえたのだ。一緒に魂を魔力に変換して、消えたのだ。
 それが私との違い。
 私の魂が消えてしまっていたら、新しい守護者がフェルディナント様の元に生まれただろう。それを後悔しているのは、生きていて欲しいと願った以前のフェルディナント様へ失礼なことなのだとも理解している。

 それでも。

 わたしは魔力を解き放ち、森の上空へ身体を浮かび上がらせた。
 頭上に輝く太陽の光は力強く大地に注ぎ、色の濃い葉を茂らせる木々を美しく見せている。

 ――北の竜の神殿の周りとは全然違う。

 今のフェルディナント様は何もなさらない。
 あの神殿にこもり、ただ自堕落に本を読み、一日を過ごす。
 彼は神の掟として、自分の治めるべき領地を守らなくてはいけない存在だとされている。勝手にこちら側――シルフィア様の統治する領地に足を踏み入れるのはできない。
 だからつまらないのだ、と言う。退屈なのだと。
 私が森に魔力を注ぐべきでは、と進言しても「俺の興味はあの子だけだし」と不機嫌そうにそう言って、読んでいた本を床に放り投げる。

「っていうか、行ったり来たりできないっておかしくねえ? 俺たちは運命の相手なんだろ?」
 彼はさらにそう言った。
 椅子に座った格好で、私を睨むようにして身を乗り出しながら。
「運命の相手なら、傍に置いて暮らすのが普通だろ? 何であの子と一緒に暮らせねえの? 一緒にいれば俺だってやる気が出るし、頑張るけど」

 この失望感をどう表現したらいいのか解らない。
 私が仕えるべき主は、どうしてこうなってしまったのだろう。もしも、新しい守護者が傍にいたら、彼にやる気を出させることができたのだろうか。
 我々の神殿の周りは酷く魔力が枯渇しているせいで、木々は枯れ、草もほとんど生えていない状態になっている。
 あれを見て何とも思わないフェルディナント様を尊敬はできない。
 黒竜神。
 無限の魔力を持つとされている竜神だというのに、あの体たらくは何なのだ。

「駄目だ」
 私は空高い位置で滞空しながら、頭を抱えた。復活したばかりの魔力が乱れる。これが私の心の弱さだ。
 そう、弱さ……。
「おかしい」
 わたしは頭を抱えたまま呟く。「昔はこうじゃなかった。私はもっと強かった。昔は」

 眩暈を覚えたような、奇妙な感覚に襲われた。
 それは空を飛んでいる状態だからというだけじゃなく、初めて覚える戸惑いだった。

 遠くの空を見れば、その方向にシルフィア様の魔力が感じられるのが解る。そしてそれが、この神殿へと帰ってこようとしていることも。
 もしも可能ならば、シルフィア様に……いや、声をかけるのはフェルディナント様から禁じられている。
 では、守護者に声をかけることはできるのではないか。
 話し合ったら、今のフェルディナント様に抱くこの複雑な感情に、彼女は意味をつけてくれるだろうか。自分のすべき役目を思い出させてくれないだろうか。正しい道に導いてくれないだろうか。

 酷く緊張しているのか、自分の手が震えているのが解る。心臓が厭な音を立てている。

 その時だ。

『おーい、シェルト、サボってないよな?』
 唐突に、その声は頭上から響いた。
 フェルディナント様の平坦な声だ。多少、機嫌が悪いのか突き放すような話し方になっている。
「……もちろんです。フェルディナント様のご命令通り、ドレスは届けました。後は受け取ってくださるのを見守るだけです」
 私は何も見えない空に向かってそう静かに返すと、微かな唸り声が風と一緒に響いた。
『そうか』

 フェルディナント様はまだ魔法の使い方をほとんど覚えていない。彼が使えるのは、基本的な生活魔法のみだ。水を出す、風を起こす、火を起こす、簡単な穢れを浄化する、その程度。
 だから、今も私の姿が見えているわけではない。ただ自分の声を私に流しているだけのこと。

 池を通してシルフィア様を覗き見る魔法を教えろと言われたものの、教えたらきっと一日中使うだろう。そうすれば、空間の歪が生まれる。魔力の流れが変わり、またこの世界は破滅へと向かうだろう。
 だから私は「今の自分は魔力が少なくて、そうそう使える魔法ではありません」と言って逃げた。
 主の命令に従わなかったことで、自分の心臓が激しく痛み、軋んだ音を立てたけれど平然と笑って見せたと思っている。

 ただ、向こう側――シルフィア様から水鏡を使って話しかけられた時にどうやって魔力を使えばいいのかだけ伝えた。
 最低限の会話くらいはしてもいいだろうと思ったからだ。

『まあ、いいや。それより』
 フェルディナント様は続ける。『俺、新しい服が欲しいんだけど、買ってきてくれない? この世界で流行ってる感じのやつがいい。俺に似合う、格好いいやつにしてくれよ』
「え……」
 私の困惑は声だけで伝わっただろう。私の命令は、シルフィア様を見守ることではなかったのか。
『雑用はお前が全部してくれるんだろ? よろしくなー』
 彼の命令は一貫していない。その場その場で変わるのが面倒だ。

 ……面倒と思ってしまうのか。
 唐突にそう思ってしまった。

 やっぱり、私も何か変化が起きている。

「解りました。大きな街に出て、購入してそちらに一度戻ります」
 そう言うと、風が一瞬だけ大きく吹いて、すぐに穏やかになった。きっともう、彼は私との会話を望んでいない。

 この場を離れてしまえば、シルフィア様の守護者に声をかけるのもできなくなる。早めにこちらに戻ってきたい。そして色々話をして、自分の気持ちに整理を付けなければいけないと焦燥感が募った。

 どうしたらいいのだろう。
 私は……おそらく、今のフェルディナント様を受け入れることができない。
 彼を主として認められない。

 ああ、今の自分の胸の中に生まれてしまったこの思いは、おそらく。

 殺意、だ。
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