夢見る竜神様の好きなもの

こま猫

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第63話 幕間14 ルドガー

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「……厭な匂いだ」
 私は思わず、右手の甲で自分の鼻を押さえた。
 シーラという女性に案内された隠し部屋。
 魔導ランプで照らし出された小部屋には埃が舞っていて、黴臭いような饐えた匂いが漂っている。
 さらに、血の匂いも。
 そしてそこには、見るに堪えない状態の少女が倒れていた。
 私は王族の公務として、色々な治療現場を見てきた。死の淵にいる人間の手を取り、励ましたこともある。だがいくら死にかけているとはいえ、今回ばかりは『冷酷無比』と言われた少女の手を取りたいとは思わなかった。
 聞こえてくるレインデルス家の悪行はとめどないほどで、同情すべき点が見つからない。
 むしろ、ここで死んでいたら幸せだったろうに――とも考えてしまう。

「王宮魔術師団の研究棟に送ろう。これが本当に疫病でないのか調べさせ、結果を公表する必要がある」
 神官サムエルから聞いた限りでは疫病ではないということだが、街の人間が納得するだけの情報をこちらが与えない限り、悪い噂は広がるだろう。
 一度悪化した治安を正常に戻すには、かなりの労力が必要となる。
「その前に、この少女をここから連れ出すのも大変そうだが」
 そう言った私の渋面を見てアントニーが苦笑しつつ頷き、少女の傍らに立って魔術による保護を彼女に与えた。彼女の周りの空間を遮断し、魔術言語で覆われた布のようなものでぐるぐる巻きにする。こうすることで、彼女の身体から流れる血でこちらが汚れることもなく、運べるというわけだ。
 完全に荷物扱いだが、死体袋に入れられるよりはマシだろう。

「クリステル嬢を住民に引き渡さない限り、暴動が治まるとは思えませんが……」
 アントニーと他の騎士の男性がその『荷物』を運ぼうと床に膝をついたとき、小部屋の入り口から神官サムエルの声が飛んできた。
 私は苦笑しながらそちらに目をやった。
「その辺りは、ぜひあなたに尽力をお願いしたいところだ。必要なら王都より鎮圧のための兵を送ることもできる」
「……ああ、そうですね……」
 そこで、明かりに照らされた神官サムエルの困ったような顔がはっきりと目に入る。彼はそっと首を横に振りながらこう続けた。
「実はレインデルス家と付き合いの長い貴族の方がいらっしゃいまして」
「……?」
 私は首を傾げて見せる。
「ファンデーレン子爵の一人娘、アニータ嬢がクリステル嬢と親しい仲のようでした。実は、彼女もクリステル嬢ほどではないのですが神の怒りを受けています」
「何?」
「彼女を連れてファンデーレン子爵が我が神殿に来られまして、治療をして欲しいとおっしゃっていたのですが……我々にはお手上げだったのです。神の怒りによる病は神の祝福では治せない。それを告げたところ、南の竜の神殿に行くといって街を出て行き……その後、帰ってきません」
「帰ってこない?」
 私が眉を顰めると、神官サムエルは重々しく頷いた。
「疫病のような症状の娘を連れて、他の街を歩き回っている……と考えた方がいいでしょう」

 一瞬、私の思考が停止したのが解る。
 暴動が他の街でも起こる可能性があるということか?
 私は思わず深いため息をついた後、頭を掻きながら小部屋を出た。そして、隠し部屋に入りきれなかった騎士たちの一人に先に王都へ帰るよう命じた。
 一足先に父――国王陛下に報告し、兵の派遣を頼むしかないだろう。この街だけではなく、他の地域にも。
 兵だけではなく、王都にある中央神殿から聖女と神官を派遣することも考えなくてはいけない。
 さらに、レインデルス家の行っていた犯罪についても調べなくては。どうやらかなり精力的に活動していたようだから、叩けば叩くほど埃は出てくる。
 ああ、しばらくの間は大変だ……。

「なあ、アントニー」
 私は思わず彼に話しかけた。狭い通路で『荷物』を抱えるのを諦め、床を引きずるようにして少女の寝室まで戻ってきた彼は、そっと首を傾げる。
「私はいつ、研究棟に引きこもれると思う? 元々、私は外に出るより内側で学習するのが好きだし、そろそろのんびりしたいんだが」
「人生には諦めも肝心ですよ、殿下」
「知りたくなかったな、それは」

 結局、私たちは数人の騎士をその街に残し、王都へ戻った。
 父と兄に今回の報告をしている間は、多少は私も休息が取れた。本当に多少だが。
 最初は『荷物』……いや、クリステル・レインデルスのことは私も王宮魔術師たちと混じって調べたいという気持ちがあったのだが、実際にその進行状況を聞いてみると一気にその気が失せる。

 王宮魔術師団には変人が多い。
 天才と何かは紙一重。その通りだろう。彼らは優秀であったけれど、いい実験材料がきたとばかりに盛り上がり、クリステル嬢のことをいじくりまわしているらしい。
 彼女は疫病患者のための魔術のかかった隔離室に入れられ、手厚い『看護』を受けている……という。
 しかし。

 魔術師たちによる治療で多少は元気になったクリステル嬢は、嗄れた声でこう言っているんだとか。

「わたしは聖女なのよ」
「聖女が生まれた家は尊重されるべき」
「王家から婚約者の話が来ていたのを知っている?」
「第二王子が婚約者になるって話があったんだから」
「わたしは選ばれた人間なのよ」

 自分の立場が解っていない人間は恐ろしい。
 というか、勝手に第二王子……つまり私のことを婚約者扱いするのはやめて欲しい。私にだって好みがある。私は研究棟に引きこもりたいと言ったが、もうすでに逃げ出したい。騎士団の連中と一緒に街の見回りに行きたい。そして当分城には戻りたくない。
 父はクリステル嬢の言葉を聞いて、「情報収集のために一時的に婚約を匂わせれば何でも吐くだろう」とか言い出すし、兄は無言で私の肩を叩くし、アントニーは私と目を合わせようとしない。

 そして結局、私は父の命令で隔離室に出向くことになった。

 王宮魔術師団がいる建物は、宿舎も兼ねている。
 私の研究室もそこにあり、彼らとは寝食を共にしてきた。いつもなら彼らの顔を見れば安心するのだが、今回ばかりは違った。
「ルドガー殿下! お待ちしておりました! これが報告書です!」
 と、頬を赤らめて私に書類の束を押し付けてきたのは、髪の毛を振り乱して興奮しているミック・カウベル。三十歳になったばかりの茶髪の男である。
「みっちゃん、これも!」
 その背後から、彼の友人である魔術師の男性が文字通り書類を投げてきた。空中を舞う書類が次々に私の手の中に飛び込んでくる。
「面白いんですよ、殿下! 本当にあれ、何の病気でもないみたいです! 色々な実験を繰り返していますが、他人に感染することもありませんし安全です。あらゆる方法で症状を緩和させようとしているんですが、効果はあっても一時的です! いやー、全く我々ではお手上げですね!」
 嬉しそうで何よりだ。
 私の横を歩きながら、私の手の中にある書類を覗き込んで立て板に水の勢いで説明をしてくるミックだったが、さすがに隔離室の前にやってくるとその声がトーンダウンした。

 地下一階にある隔離室は、どんな魔術師であろうと逃げ出すことが叶わない檻だ。分厚い金属製の扉には、一面に魔術文字が浮かび上がっている。
 内部が見えるようにガラス窓がついていて、私はその前に立って覗き込んだのだが――。

「どうしてどうしてどうして」
 狭い部屋にベッドと机と椅子。
 そのベッドに腰を下ろした少女は、頭を抱えるようにして前屈みになり、小刻みに身体を揺らしていた。身体中が包帯に覆われていて、肌が見える場所はほとんどない。乱れた髪は色艶を失い、老婆にも見える。
「殿下……」
 ミックが恐る恐るそう言った声が、少女にも届いたのだろうか。びくりと跳ねた肩と、ぎこちなくこちらに向けられる顔。それもまた、包帯で巻かれているわけだが……。

「殿下?」
 掠れた声が嬉しそうに発せられる。「殿下って……どっち……いえ、どちらの? ええと、あの」
 そわそわと動き始めた手が、乱れた髪を直そうとする。そして、ガラス越しに私を見た彼女の瞳が歓喜の色に染まったように見えた。
「もしかして、ルドガー殿下でしょうか? それとも……」

「小説で読んだことあるんですが、恋に落ちる瞬間ってこういうやつですか?」
 そんな馬鹿なことを言ったミックの頭を張り飛ばし、私は深いため息をついた。
 もう、アントニーと一緒に見回りに行きたい。城下町にはいい食事処がたくさんあるし、久しぶりに書店も覗きたい。

 ああ、今日は本当にいい天気だ。
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