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15.令嬢たちの苦悩
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まだ王子様が妃にリリア・グレイフィールを選んだことは、ごく一部の人間にしか知らされていない。準備が滞りなく進み、式の目途がたった頃合いを見て発表されるとのことだった。
二日間、ノラはほとんど放心状態で過ごした。
求婚を受け入れたその日の夜は眠れなかった。考えても考えても、自分ごときでは最早状況を制御することは不可能だという結論にしか至らず、ノラは呆然とするほかなかった。
想いを寄せた男に嫌われなければ、自分を育ててくれたグレイフィールが終わってしまう。
幼い頃に両親は亡くなった。顔も覚えていない親の代わりにノラを育ててくれたのは、グレイフィール家の当主夫妻であり、その夫妻に仕える使用人の皆である。
育ててもらった恩義をお返ししたい。
王子様と自分が吊り合うはずがない。
それでも彼に嫌われて離れる未来を思うと、ノラの心は痛むのだった。
三日目になると、王子様からのお誘いが届いた。「散歩でも」という誘いは、おそらくノラが運動不足で眠れないとこぼしていたことに対する配慮だと思われた。侍女たちははしゃぎたてていたが、ノラは俯くばかりだった。
「体調が優れないので、ご容赦くださいとお返事してください」
浮かない顔でそうこぼす令嬢を大層心配した侍女たちは医者まで呼ぼうとしていたが、夕方に月の障りが訪れると「このせいでお気持ちが塞いでいたのかもしれませんね」と納得した。
夕日射すベッドの上で丸まり、ノラは一人シーツの冷たさに震えていた。
どうしよう。
このままでは恐れていた事態が現実になってしまう。
王子様と結婚などできるはずがない。
結婚前にはお披露目の晩餐会や舞踏会があると侍女たちは言っていた。食事作法も知らなければ、ダンスだって踊れない。
バレる。自分一人が罰せられて終わりならいい。そうはいかない。リリア様か、グレイフィール家のどちらか、あるいは両方を道連れにしてしまう。
どうしよう。
元来生理痛などで悩まされたためしのないノラの腹は重く痛んでいた。
どうしてこんなに痛むのだろう、これは責務を放棄してあろうことか王子様と睦んでいた罰なの
だろうか。
「リリア様」
「……はい」
背後からかけられた声に、ノラはのろのろと振り返った。
母親世代の侍女が困ったように寝室の向こうを指している。
「あの、エリック王子様がお見舞いにおいでで、とても心配されていらっしゃるのですが……いかがなさいますか?」
自分を心配してくれる王子様。
優しい恩人さん。
会いたくないわけがない。でも心の弱っている今会えば、洗いざらい話してしまいそうで、決心が揺らぎそうで怖かった。
「お断りしてください……」
侍女の返事を待たずに、ノラは頭まですっぽりとシーツを被る。
このまま拒絶し続けることなどできない。いつかは顔を合わさなければならない。王子との謁見を断り続けた伯爵令嬢と後ろ指を指されるわけにはいかない。
でも、今は会いたくない。
会えない。
零れそうになる涙をぐっと堪えて、ノラは静かに侍女が出て行くのを背中で感じた。
◇◇◇◇◇◇◇
ベーリング公爵家のアリシアの怒りは頂点に達していた。
自分はリリア・グレイフィールより先にお城へ入った。エリック王子へのご挨拶は初日に済ませている。
噂に違わぬとっつきにくい性格の方ではあったが、それは些末なこと、夫婦となればいずれは時間が解決してくれるもの。
アリシアは待った。ひたすらエリック王子からのお声掛けを。
家柄に申し分はないはず。王家の分家として始まったベーリング家の歴史は長い。今ではその血も薄れているが、アリシアは自分の身のうちに流れる血こそ、妃に相応しいと確信している。
社交界の花リリア・グレイフィールの美貌はそれは大したものだ。しかし、それに引けをとるアリシアではない。数多の殿方からの求婚を袖にして、自分は王妃の道を選んだのだから。
それがどうして、先に城に入った公爵令嬢を差し置いて、あのリリア・グレイフィールがエリック王子の心を射止めるなどという結果になったのか。
「これでわたくしが引き下がると思ったら大間違いよ、リリア!!」
アリシアはきつくハンカチを握りしめた。
二日間、ノラはほとんど放心状態で過ごした。
求婚を受け入れたその日の夜は眠れなかった。考えても考えても、自分ごときでは最早状況を制御することは不可能だという結論にしか至らず、ノラは呆然とするほかなかった。
想いを寄せた男に嫌われなければ、自分を育ててくれたグレイフィールが終わってしまう。
幼い頃に両親は亡くなった。顔も覚えていない親の代わりにノラを育ててくれたのは、グレイフィール家の当主夫妻であり、その夫妻に仕える使用人の皆である。
育ててもらった恩義をお返ししたい。
王子様と自分が吊り合うはずがない。
それでも彼に嫌われて離れる未来を思うと、ノラの心は痛むのだった。
三日目になると、王子様からのお誘いが届いた。「散歩でも」という誘いは、おそらくノラが運動不足で眠れないとこぼしていたことに対する配慮だと思われた。侍女たちははしゃぎたてていたが、ノラは俯くばかりだった。
「体調が優れないので、ご容赦くださいとお返事してください」
浮かない顔でそうこぼす令嬢を大層心配した侍女たちは医者まで呼ぼうとしていたが、夕方に月の障りが訪れると「このせいでお気持ちが塞いでいたのかもしれませんね」と納得した。
夕日射すベッドの上で丸まり、ノラは一人シーツの冷たさに震えていた。
どうしよう。
このままでは恐れていた事態が現実になってしまう。
王子様と結婚などできるはずがない。
結婚前にはお披露目の晩餐会や舞踏会があると侍女たちは言っていた。食事作法も知らなければ、ダンスだって踊れない。
バレる。自分一人が罰せられて終わりならいい。そうはいかない。リリア様か、グレイフィール家のどちらか、あるいは両方を道連れにしてしまう。
どうしよう。
元来生理痛などで悩まされたためしのないノラの腹は重く痛んでいた。
どうしてこんなに痛むのだろう、これは責務を放棄してあろうことか王子様と睦んでいた罰なの
だろうか。
「リリア様」
「……はい」
背後からかけられた声に、ノラはのろのろと振り返った。
母親世代の侍女が困ったように寝室の向こうを指している。
「あの、エリック王子様がお見舞いにおいでで、とても心配されていらっしゃるのですが……いかがなさいますか?」
自分を心配してくれる王子様。
優しい恩人さん。
会いたくないわけがない。でも心の弱っている今会えば、洗いざらい話してしまいそうで、決心が揺らぎそうで怖かった。
「お断りしてください……」
侍女の返事を待たずに、ノラは頭まですっぽりとシーツを被る。
このまま拒絶し続けることなどできない。いつかは顔を合わさなければならない。王子との謁見を断り続けた伯爵令嬢と後ろ指を指されるわけにはいかない。
でも、今は会いたくない。
会えない。
零れそうになる涙をぐっと堪えて、ノラは静かに侍女が出て行くのを背中で感じた。
◇◇◇◇◇◇◇
ベーリング公爵家のアリシアの怒りは頂点に達していた。
自分はリリア・グレイフィールより先にお城へ入った。エリック王子へのご挨拶は初日に済ませている。
噂に違わぬとっつきにくい性格の方ではあったが、それは些末なこと、夫婦となればいずれは時間が解決してくれるもの。
アリシアは待った。ひたすらエリック王子からのお声掛けを。
家柄に申し分はないはず。王家の分家として始まったベーリング家の歴史は長い。今ではその血も薄れているが、アリシアは自分の身のうちに流れる血こそ、妃に相応しいと確信している。
社交界の花リリア・グレイフィールの美貌はそれは大したものだ。しかし、それに引けをとるアリシアではない。数多の殿方からの求婚を袖にして、自分は王妃の道を選んだのだから。
それがどうして、先に城に入った公爵令嬢を差し置いて、あのリリア・グレイフィールがエリック王子の心を射止めるなどという結果になったのか。
「これでわたくしが引き下がると思ったら大間違いよ、リリア!!」
アリシアはきつくハンカチを握りしめた。
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