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27.リチャードと彼女の偏愛
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「本当に馬鹿な男ね。まさかヒッグス様にエマを取られるなんて思ってもみなかったんでしょうね。あぁ、でも彼はずっと彼女を好きだってアピールしていたもの。ねじ曲がった性格のせいできちんと告白もできなかったあなたとは全く違うわ、リチャード」
彼女は遠慮なしに僕をののしる。傍にリアムがいないからといって本当に言いたい放題だ。足を大きく組んでカウチに座り、女王様のスタイルで僕を嘲け笑う。
ここはエマーソン家の僕の部屋。向かいにはエマの部屋があるが、部屋の主はまだ戻ってきていない。
エマがヒッグスに連れていかれてから、僕はまるで糸の切れた人形のように何もする気が起きなかった。一人でエマーソン家に戻って、エマが屋敷に帰ってこない上手い嘘をついただけ。
頭の中ではエマの『リチャード様なんて大嫌いです!』というセリフが何度も反復している。記憶力がいいのも考えものだ。
あの時の記憶が、花瓶の位置や花の角度まで詳細に思い起こされてダメージが蓄積される。
もう一度同じ言葉をエマに言われたら、この先の人生を生きていく気力すらなくなるかもしれない。僕はエマに会うのが怖いのだ。
生まれて初めて憔悴感を味わっている僕を彼女は遠慮なく口撃する。
「エマがこのお屋敷に務めだして十年。その間、あなた。彼女に自分の容姿は平凡以下だと十年かけて刷り込んだでしょう。本当に悪い男。彼女、私のことをことさら美しいって褒めてたけど、悔しいけど私はそうでもないもの。あの子ほど綺麗な子を見たのは初めてよ。どこに行っても男性の視線を一斉に集めたでしょうに」
「シャーロット。少し黙ってください」
僕は両手で頭を抱えた。彼女の言うことは正しい。エマは自分ではわかっていなかったが、彼女はこの王都でも滅多に見かけないほどの絶世の美人。
平凡な茶色の髪だとエマが言っていたその色は、太陽に照らされた秋の稲穂のような輝きを放っている。
艶やかでしなやかな髪に陶器の人形を思い起こすきめ細かい肌。アンバー色の瞳は、光の加減によって紫色にも緑色にも見える神秘的なもの。
アーモンド型をした大きな瞳は長い睫毛で彩られているし、唇は熟れた桃のようにふっくらとしている。長い指はしなやかだし肌はもちもちでバターのよう。そうしてその笑顔は天使のそれよりも数倍美しい。
シャーロットはそれでも偉そうに腕を組んで話をつづけた。
「あなたもハンサムでいい男だけど、エマは自然に無垢さがこぼれ出てて本当に男心をそそるタイプね。だから十年間、あなたが必死で変な虫がつかないように守ってきたのね」
(その通りです。僕はエマをずっと籠の中に閉じ込めて、彼女自身にも自分が美人だという真実を知らせないようにしてきました。何度も呪文のように彼女の容姿は平凡なのだと繰り返し言い聞かせました。おかげで自分が男性に気を持たれていることに彼女は全く気付かなかった)
「貴族社会で必要な知識は、本を写させて覚えさせたり……外国語も数か国語できるようだから、いずれ自分と結婚させてエマーソン伯爵夫人にする予定だったんでしょう? エマは社交界に出しても恥ずかしくない素養を身に着けているもの。本当にいじらしい男」
(そんなことまでエマに聞いたのですね――エマは元貴族。だとしても次期エマーソン伯爵の僕との結婚はそうそう簡単なものじゃあない。それでも時間と手間をかけて、彼女を伯爵夫人にするための根回しや準備はもうできていたというのに……何のために僕は社交界で名を上げてきたのか!)
(あぁ、でもエマは今ヒッグスのところです……あぁ、エマ。今頃何をしているのでしょうか? ヒッグスはああ見えて紳士ですから、エマが嫌がることはしないだろうとは思いますが)
今はエマとヒッグスのことが気になってどうしようもない。エマが他の男と二人きりでいると思うだけで心臓が引き裂かれそうだ。
「僕はエマが美人だから愛したんじゃありません。彼女が……エマだけが僕の本性を本能で見抜きました。それだけじゃない。僕に弱みを見せないように我慢しながら泣く姿が、もう堪らなくいじらしくて僕の好みど真ん中の女性でした。僕はエマを心の底から愛しています。手放したくない」
シャーロットは大きなため息をつくと、責めるような目で俺を見た。
「はぁ、何年もの間にわたって愛する人をじっくり落とすところは私たち似てるけど、あなたは私と違って馬鹿だわ。私はリアムに本性をみせたりしないもの。一生リアムが求める可憐で儚い令嬢を演じ続けるつもりよ」
そうして彼女は七年前にリアムと会ったときの感動を語り始めた。
「あの頃の私は、すでに本当の自分を隠して演技することを覚えてたわ。私がね、川で泳いだり木にのぼったりすると大人たちは眉をひそめてこういうの『マーシア様の呪いだ』ってね。彼らは私に薄幸で不憫な少女という自分たちのイメージを勝手に押しつけたのよ。酷いわよね」
彼女の取り巻く環境を考えれば、当然のように思える。悲恋の物語の主人公たちが娘を一人残して死んだのだ。
ロマンティックな悲劇が好きな大人たちは、彼女にも悲劇の娘としての役割を期待したのだろう。
まさかシャーロットがこれほど活発で行動的、かつ頭の切れる女性だとは思いもよらなかったに違いない。彼女はあからさまに頬を染めて顔を上げた。
「でもリアムは違ったの。絶対に私にかわいそうだとは言わなかった。それどころか何かあればすぐに良かったですねお嬢様っていうの。彼の笑顔にもうノックアウトされたわ。それで絶対に彼を手に入れようと心に誓ったの。貴族とか遺産とかどうでも良かった」
「――そうですか……」
シャーロットの恋愛など僕にとってはどうでもいいこと。適当に相槌を打つ。
結論から言うとこの事件は初めからシャーロットが仕組んでいた。キティはその共犯だ。
シャーロットはいつまでも自分を子ども扱いするリアムを触発するため、ヒッグスの叔父からの結婚話を受けた。まあいままで世話になってきたというのに、理由もなく断りづらかったのもあるだろう。
なのにリアムはなかなか煮え切らない。それどころか結婚を応援するまでになった。
そこで彼女は幽霊話をでっちあげて結婚を破棄させようとしたのだ。きっと初めからその予定だったに違いない。
キティを巻き込んでまで、壮大な計画を立てたのだ。でもヒッグスが幽霊話を否定するために、僕を屋敷に連れてきた。
寝室の壁の紋章が消えたのは、元からそこにあったのは壁ではなく鏡だったからだ。ちょうど蝶番の向こうに隠れる反対側の壁に描いておけば、扉を全開にすれば紋章が描かれているとは気づかれない。
俺が屋敷に行ったときには隣の部屋に移されていたが、あれほど大きな衝立の鏡だ。薄暗い寝室の天蓋の後ろにでも置けば天蓋の布で縁も隠せるだろうし、一瞬ならばあの暗がりでは誰も気づかない。
そこで窓の向こうに物音が聞こえたとシャーロットが言えば、リアムならすぐに信じるだろう。リアムが外に探しに行った隙に鏡を片付ければすむこと。
ほとぼりが冷めた後に、キティが壁の紋章を拭いて消してしまえばいい。誰も紋章が消えた壁の反対側にある壁など気にしないから、少し跡が残ろうが構わない。
実際、僕が見た時は入り口すぐの壁の塗料が少しばかり剥げていた。
窓ガラスを割られた事件は、少し手間がかかっている。まずはあらかじめ鏡にタオルなんかをかけてから石で割っておく。そうすれば音は出ない。
その石はあたかも投げられたといわんばかりにその辺に放っておけばいい。石は二個ないと困るし、前の犯行で使った鏡も割ることができて証拠隠滅の一石二鳥。
そこからが本番だ。裏庭で地面に置いた大きなガラスの上に、枝に引っ掛けるようにしてロープで石をぶら下げる。蝋燭でも用意してロープの先が燃えてしまえば、自然にロープが緩んで石がガラスの上に落ちるだろう。
きっと仕事を終えたキティが屋敷を去る前に、仕掛けたに違いない。
石が投げ込まれたのは寝室だと叫んだのは彼女自身だ。実際寝室とは反対側の裏庭で音がしたというのに、先入観のあったヒッグスとリアムは見事にひっかかった。
先に部屋を出たのはリアムに僕、ヒッグスだ。エマからあとで聞いたことによるとシャーロットはエマより先に出たのに、三階にある寝室に着いたのは一番最後。
彼女はダイニングルームを出ると階段の陰にでも身をひそめ、玄関から表に出たんだろう。俺たちが寝室に着くまでに石を投げて窓ガラスを割る。
裏庭に置いてあったガラス片が異様に多かったのは、最初に割ったガラスもそこに片付けたから。おそらくそれはシャーロットが次の日の朝片付けたに違いない。その時に彼女はエマとばったり会って話をしている。
女性に三階に届くほど高く石を投げられるのか疑問だが、このシャーロットなら余裕だろう。
彼女は繊細でも可憐でも儚くもない。本当は打算的で計算深い女で、リアムの心を手に入れるためだけに生きてきた女だからだ。
「おかげでリアムは昨日、私に告白してきたわよ。辞表願いを持ってね。リアムは執事を辞めるつもりだったらしいけど、そんなこと私がさせるわけがないじゃない。私が二十歳になるまで待って結婚することにしたの。ふふっ」
「他の誰かに取られそうになって初めて愛情に気が付くのはよくある話です。でもその作戦はうちのエマには全く効きませんでしたが」
何度かエマに他の女性の存在を匂わせたこともある。
でもエマはすっと表情を曇らせて『悪いものでも食べたのかもしれません』といって、僕への気持ちにはさっぱり気が付かなかった。
「いつから私の本性に気が付いていたの? リチャード」
抜け目のなさそうな目でシャーロットが僕を覗き込む。
「初めて会って話を聞いたときからです。僕は幽霊なんて信じません。誰もいないところで突き落とされたとすれば、その本人がわざと転んだに決まっています。そう思って違う目で君を見れば僕と同じ匂いを感じました。か弱いといいながら、足や腕の筋肉もかなりついているように見受けられましたしね。エマと比べればその腕の太さなど全く違います」
彼女はムッとした顔をしながら僕を横目で見た。
「そうね、私たち似た者同士ですものね。私もすぐにじゃないけど、屋敷に来てくれた時からあなたの正体は薄々わかってたわ」
確かに僕たちは似ている。決定的に違うところは、シャーロットはリアムに演技した自分を見せていて、僕は逆でエマにだけは演技ができない点。
自分のことを俺と呼べるのも彼女の前だけ。愛するエマにだけ本当の自分を見せることができる。
なのに照れくさくてどうしてもエマに好きだと伝えられない。他の誰かにならいくらでも言えるただの言葉だというのに。
(それでも何度か精一杯気持ちを伝えましたが、エマがあまりにも鈍感すぎるんです。普通なら気が付くはずなのに!)
どう考えてもエマは僕が好きとしか思えない。エマ自身の気持ちなのに僕はそれに気が付いていて、エマは気が付いていない。おかしな話すぎて、自分でもにわかには信じがたいほど。
「本当に馬鹿が付くほど鈍感です……でもそんなところがまたバ可愛くてどうしようもない。でも、まさかエマが仕事を辞めて僕から逃げようとしていたなんて」
エマが僕の前からいなくなると思っただけで、絶望に覆いつくされる。
「悪いけど、私はエマの様子を見に行ったりはしないわよ。わざわざ私をここに呼び出して、それが目的だったんでしょう? 自分でヒッグス様のお屋敷に迎えに行きなさいな。それでまた逃げられても自業自得でしょうに」
シャーロットは勘のいい女。僕の一番痛いところを的確についてくる。
「…………シャーロット」
「さぁ、私はもう行かないとね。リアムが嫉妬しちゃいそうだもの」
僕が怒り出す気配を察知したのか、彼女はさっさと部屋を出る。そうして別室で待っていたリアムを見ると、はにかむような笑顔を見せた。
先ほどとは全く違うすごい変わりように呆れる。
「あの……リアム。待っててくれてありがとう。リチャード様とのお話は終わったわ。一週間以内には新しいお屋敷に移れるそうなの。もちろんリアムも一緒にきてくれるわよね」
「ええ、当然です。私はいつもお嬢様と一緒にいます」
「ありがとう、リアム。あなたがいてくれて本当に良かったわ」
「ええ、お嬢様。私もお嬢様の執事になれて本当に良かったです」
僕はシャーロットの三門芝居を見ながら、シャーロットとリアムの将来について考えた。
(シャーロットは表向きには貴族ではない平民です。それに一生暮らしていけるだけの財産は充分にある。執事の彼との結婚は特に支障はないでしょう)
彼女のことだから、すべて計算済みに違いない。それよりもエマだ。今頃、何をしているのだろうか。エマに出会ってから、こんなに彼女と離れて暮らしたことがない。
エマとヒッグスが同じ部屋に居ると考えるだけで背筋が凍る思いがする。
「このままじゃだめです。エマ、早く僕が好きなのだと気が付いてください」
僕は独り言をつぶやいた。
彼女は遠慮なしに僕をののしる。傍にリアムがいないからといって本当に言いたい放題だ。足を大きく組んでカウチに座り、女王様のスタイルで僕を嘲け笑う。
ここはエマーソン家の僕の部屋。向かいにはエマの部屋があるが、部屋の主はまだ戻ってきていない。
エマがヒッグスに連れていかれてから、僕はまるで糸の切れた人形のように何もする気が起きなかった。一人でエマーソン家に戻って、エマが屋敷に帰ってこない上手い嘘をついただけ。
頭の中ではエマの『リチャード様なんて大嫌いです!』というセリフが何度も反復している。記憶力がいいのも考えものだ。
あの時の記憶が、花瓶の位置や花の角度まで詳細に思い起こされてダメージが蓄積される。
もう一度同じ言葉をエマに言われたら、この先の人生を生きていく気力すらなくなるかもしれない。僕はエマに会うのが怖いのだ。
生まれて初めて憔悴感を味わっている僕を彼女は遠慮なく口撃する。
「エマがこのお屋敷に務めだして十年。その間、あなた。彼女に自分の容姿は平凡以下だと十年かけて刷り込んだでしょう。本当に悪い男。彼女、私のことをことさら美しいって褒めてたけど、悔しいけど私はそうでもないもの。あの子ほど綺麗な子を見たのは初めてよ。どこに行っても男性の視線を一斉に集めたでしょうに」
「シャーロット。少し黙ってください」
僕は両手で頭を抱えた。彼女の言うことは正しい。エマは自分ではわかっていなかったが、彼女はこの王都でも滅多に見かけないほどの絶世の美人。
平凡な茶色の髪だとエマが言っていたその色は、太陽に照らされた秋の稲穂のような輝きを放っている。
艶やかでしなやかな髪に陶器の人形を思い起こすきめ細かい肌。アンバー色の瞳は、光の加減によって紫色にも緑色にも見える神秘的なもの。
アーモンド型をした大きな瞳は長い睫毛で彩られているし、唇は熟れた桃のようにふっくらとしている。長い指はしなやかだし肌はもちもちでバターのよう。そうしてその笑顔は天使のそれよりも数倍美しい。
シャーロットはそれでも偉そうに腕を組んで話をつづけた。
「あなたもハンサムでいい男だけど、エマは自然に無垢さがこぼれ出てて本当に男心をそそるタイプね。だから十年間、あなたが必死で変な虫がつかないように守ってきたのね」
(その通りです。僕はエマをずっと籠の中に閉じ込めて、彼女自身にも自分が美人だという真実を知らせないようにしてきました。何度も呪文のように彼女の容姿は平凡なのだと繰り返し言い聞かせました。おかげで自分が男性に気を持たれていることに彼女は全く気付かなかった)
「貴族社会で必要な知識は、本を写させて覚えさせたり……外国語も数か国語できるようだから、いずれ自分と結婚させてエマーソン伯爵夫人にする予定だったんでしょう? エマは社交界に出しても恥ずかしくない素養を身に着けているもの。本当にいじらしい男」
(そんなことまでエマに聞いたのですね――エマは元貴族。だとしても次期エマーソン伯爵の僕との結婚はそうそう簡単なものじゃあない。それでも時間と手間をかけて、彼女を伯爵夫人にするための根回しや準備はもうできていたというのに……何のために僕は社交界で名を上げてきたのか!)
(あぁ、でもエマは今ヒッグスのところです……あぁ、エマ。今頃何をしているのでしょうか? ヒッグスはああ見えて紳士ですから、エマが嫌がることはしないだろうとは思いますが)
今はエマとヒッグスのことが気になってどうしようもない。エマが他の男と二人きりでいると思うだけで心臓が引き裂かれそうだ。
「僕はエマが美人だから愛したんじゃありません。彼女が……エマだけが僕の本性を本能で見抜きました。それだけじゃない。僕に弱みを見せないように我慢しながら泣く姿が、もう堪らなくいじらしくて僕の好みど真ん中の女性でした。僕はエマを心の底から愛しています。手放したくない」
シャーロットは大きなため息をつくと、責めるような目で俺を見た。
「はぁ、何年もの間にわたって愛する人をじっくり落とすところは私たち似てるけど、あなたは私と違って馬鹿だわ。私はリアムに本性をみせたりしないもの。一生リアムが求める可憐で儚い令嬢を演じ続けるつもりよ」
そうして彼女は七年前にリアムと会ったときの感動を語り始めた。
「あの頃の私は、すでに本当の自分を隠して演技することを覚えてたわ。私がね、川で泳いだり木にのぼったりすると大人たちは眉をひそめてこういうの『マーシア様の呪いだ』ってね。彼らは私に薄幸で不憫な少女という自分たちのイメージを勝手に押しつけたのよ。酷いわよね」
彼女の取り巻く環境を考えれば、当然のように思える。悲恋の物語の主人公たちが娘を一人残して死んだのだ。
ロマンティックな悲劇が好きな大人たちは、彼女にも悲劇の娘としての役割を期待したのだろう。
まさかシャーロットがこれほど活発で行動的、かつ頭の切れる女性だとは思いもよらなかったに違いない。彼女はあからさまに頬を染めて顔を上げた。
「でもリアムは違ったの。絶対に私にかわいそうだとは言わなかった。それどころか何かあればすぐに良かったですねお嬢様っていうの。彼の笑顔にもうノックアウトされたわ。それで絶対に彼を手に入れようと心に誓ったの。貴族とか遺産とかどうでも良かった」
「――そうですか……」
シャーロットの恋愛など僕にとってはどうでもいいこと。適当に相槌を打つ。
結論から言うとこの事件は初めからシャーロットが仕組んでいた。キティはその共犯だ。
シャーロットはいつまでも自分を子ども扱いするリアムを触発するため、ヒッグスの叔父からの結婚話を受けた。まあいままで世話になってきたというのに、理由もなく断りづらかったのもあるだろう。
なのにリアムはなかなか煮え切らない。それどころか結婚を応援するまでになった。
そこで彼女は幽霊話をでっちあげて結婚を破棄させようとしたのだ。きっと初めからその予定だったに違いない。
キティを巻き込んでまで、壮大な計画を立てたのだ。でもヒッグスが幽霊話を否定するために、僕を屋敷に連れてきた。
寝室の壁の紋章が消えたのは、元からそこにあったのは壁ではなく鏡だったからだ。ちょうど蝶番の向こうに隠れる反対側の壁に描いておけば、扉を全開にすれば紋章が描かれているとは気づかれない。
俺が屋敷に行ったときには隣の部屋に移されていたが、あれほど大きな衝立の鏡だ。薄暗い寝室の天蓋の後ろにでも置けば天蓋の布で縁も隠せるだろうし、一瞬ならばあの暗がりでは誰も気づかない。
そこで窓の向こうに物音が聞こえたとシャーロットが言えば、リアムならすぐに信じるだろう。リアムが外に探しに行った隙に鏡を片付ければすむこと。
ほとぼりが冷めた後に、キティが壁の紋章を拭いて消してしまえばいい。誰も紋章が消えた壁の反対側にある壁など気にしないから、少し跡が残ろうが構わない。
実際、僕が見た時は入り口すぐの壁の塗料が少しばかり剥げていた。
窓ガラスを割られた事件は、少し手間がかかっている。まずはあらかじめ鏡にタオルなんかをかけてから石で割っておく。そうすれば音は出ない。
その石はあたかも投げられたといわんばかりにその辺に放っておけばいい。石は二個ないと困るし、前の犯行で使った鏡も割ることができて証拠隠滅の一石二鳥。
そこからが本番だ。裏庭で地面に置いた大きなガラスの上に、枝に引っ掛けるようにしてロープで石をぶら下げる。蝋燭でも用意してロープの先が燃えてしまえば、自然にロープが緩んで石がガラスの上に落ちるだろう。
きっと仕事を終えたキティが屋敷を去る前に、仕掛けたに違いない。
石が投げ込まれたのは寝室だと叫んだのは彼女自身だ。実際寝室とは反対側の裏庭で音がしたというのに、先入観のあったヒッグスとリアムは見事にひっかかった。
先に部屋を出たのはリアムに僕、ヒッグスだ。エマからあとで聞いたことによるとシャーロットはエマより先に出たのに、三階にある寝室に着いたのは一番最後。
彼女はダイニングルームを出ると階段の陰にでも身をひそめ、玄関から表に出たんだろう。俺たちが寝室に着くまでに石を投げて窓ガラスを割る。
裏庭に置いてあったガラス片が異様に多かったのは、最初に割ったガラスもそこに片付けたから。おそらくそれはシャーロットが次の日の朝片付けたに違いない。その時に彼女はエマとばったり会って話をしている。
女性に三階に届くほど高く石を投げられるのか疑問だが、このシャーロットなら余裕だろう。
彼女は繊細でも可憐でも儚くもない。本当は打算的で計算深い女で、リアムの心を手に入れるためだけに生きてきた女だからだ。
「おかげでリアムは昨日、私に告白してきたわよ。辞表願いを持ってね。リアムは執事を辞めるつもりだったらしいけど、そんなこと私がさせるわけがないじゃない。私が二十歳になるまで待って結婚することにしたの。ふふっ」
「他の誰かに取られそうになって初めて愛情に気が付くのはよくある話です。でもその作戦はうちのエマには全く効きませんでしたが」
何度かエマに他の女性の存在を匂わせたこともある。
でもエマはすっと表情を曇らせて『悪いものでも食べたのかもしれません』といって、僕への気持ちにはさっぱり気が付かなかった。
「いつから私の本性に気が付いていたの? リチャード」
抜け目のなさそうな目でシャーロットが僕を覗き込む。
「初めて会って話を聞いたときからです。僕は幽霊なんて信じません。誰もいないところで突き落とされたとすれば、その本人がわざと転んだに決まっています。そう思って違う目で君を見れば僕と同じ匂いを感じました。か弱いといいながら、足や腕の筋肉もかなりついているように見受けられましたしね。エマと比べればその腕の太さなど全く違います」
彼女はムッとした顔をしながら僕を横目で見た。
「そうね、私たち似た者同士ですものね。私もすぐにじゃないけど、屋敷に来てくれた時からあなたの正体は薄々わかってたわ」
確かに僕たちは似ている。決定的に違うところは、シャーロットはリアムに演技した自分を見せていて、僕は逆でエマにだけは演技ができない点。
自分のことを俺と呼べるのも彼女の前だけ。愛するエマにだけ本当の自分を見せることができる。
なのに照れくさくてどうしてもエマに好きだと伝えられない。他の誰かにならいくらでも言えるただの言葉だというのに。
(それでも何度か精一杯気持ちを伝えましたが、エマがあまりにも鈍感すぎるんです。普通なら気が付くはずなのに!)
どう考えてもエマは僕が好きとしか思えない。エマ自身の気持ちなのに僕はそれに気が付いていて、エマは気が付いていない。おかしな話すぎて、自分でもにわかには信じがたいほど。
「本当に馬鹿が付くほど鈍感です……でもそんなところがまたバ可愛くてどうしようもない。でも、まさかエマが仕事を辞めて僕から逃げようとしていたなんて」
エマが僕の前からいなくなると思っただけで、絶望に覆いつくされる。
「悪いけど、私はエマの様子を見に行ったりはしないわよ。わざわざ私をここに呼び出して、それが目的だったんでしょう? 自分でヒッグス様のお屋敷に迎えに行きなさいな。それでまた逃げられても自業自得でしょうに」
シャーロットは勘のいい女。僕の一番痛いところを的確についてくる。
「…………シャーロット」
「さぁ、私はもう行かないとね。リアムが嫉妬しちゃいそうだもの」
僕が怒り出す気配を察知したのか、彼女はさっさと部屋を出る。そうして別室で待っていたリアムを見ると、はにかむような笑顔を見せた。
先ほどとは全く違うすごい変わりように呆れる。
「あの……リアム。待っててくれてありがとう。リチャード様とのお話は終わったわ。一週間以内には新しいお屋敷に移れるそうなの。もちろんリアムも一緒にきてくれるわよね」
「ええ、当然です。私はいつもお嬢様と一緒にいます」
「ありがとう、リアム。あなたがいてくれて本当に良かったわ」
「ええ、お嬢様。私もお嬢様の執事になれて本当に良かったです」
僕はシャーロットの三門芝居を見ながら、シャーロットとリアムの将来について考えた。
(シャーロットは表向きには貴族ではない平民です。それに一生暮らしていけるだけの財産は充分にある。執事の彼との結婚は特に支障はないでしょう)
彼女のことだから、すべて計算済みに違いない。それよりもエマだ。今頃、何をしているのだろうか。エマに出会ってから、こんなに彼女と離れて暮らしたことがない。
エマとヒッグスが同じ部屋に居ると考えるだけで背筋が凍る思いがする。
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