脳筋騎士団長は幻の少女にしか欲情しない

南 玲子

文字の大きさ
1 / 22
1巻

1-1

しおりを挟む



   プロローグ


 木々のしげる森の中。葉の隙間から月光が差し込んで、ゆるやかに流れる川の水面みなもを照らす。
 男の目の前には、一人の少女が立っていた。なぜか生まれたままの姿をした彼女は、男をあやしく見つめてくる。
 柔らかい風が吹くたびに、少女のまっすぐな銀の髪が揺れる。水にれたそれは、月の光を受けてきらきらと輝いた。
 なめらかな肌の上にはしずくつたい、少女の肢体したいはまるで光のころもをまとっているかのようだ。彼女が呼吸をするたびに上下する胸がなまめかしく見え、月光がつける陰影いんえいでさえも甘美かんびに感じられる。
 深夜、あてもなく散歩していた男が出会ったのは、そんな女神のような神々こうごうしさを放つ少女だった。
 少女は銀色の長い睫毛まつげから水をしたたらせ、誘うような瞳を男に向けた。あどけなさの残る顔には不釣ふつり合いな、妖艶ようえんな笑みを浮かべる。
 桃色に染まった頬が、男の胸元にゆっくりと近づいてくる。くつろげたシャツの隙間から少女の甘露かんろな吐息が入り込み、ゆるやかな呼吸に合わせて男の肌をでていく。その桜色の唇は今にも男の肌に触れそうなのに、らすように甘い息を吹きかけるだけだ。
 男は身じろぎもせずに、その光景を見ていた。自然と男の息が荒くなっていく。
 湧き上がってくる熱い情欲と官能が身の内で混ざり合う。男は今まで覚えたことのない激しい欲を、必死に抑え込んでいた。
 だが耐え切れなくなって、無意識に腕が動く。すると少女は、さっと身をひるがえして男の腕からのがれた。彼女の銀の髪が男をいさめるように彼の腕をぴしゃりと打つ。
 そうして少女は鋭い声で言い放った。

「貴方が少しでも動けば、私は帰ってしまうわよ」

 彼女を抱きしめようとした腕を、男はすぐに止める。

(少女を失いたくない……!!)

 そんな思いが、男の欲をかろうじて押しとどめていた。
 少女の年頃は、恐らく十七、八くらいだろうか……。そんな年端としはもいかぬ少女に、どうして自分はさからえないのだろう。
 女性経験がないわけではない。けれどこの少女を前にすると、胸の奥から熱い何かがあふれ出してきて、涙がこぼれそうなほどの幸福感でいっぱいになる。
 大国ブルタリア王国の騎士団長として、いくつもの死線をくぐり抜けてきた。しかしこれほどまでに感情をかき乱されてしまうなど初めてだ。
 目の前にいる少女に触れることができない。ただそれだけのことが、敵に捕らえられるよりも辛く感じる。

(彼女を抱きしめて、身も心も俺のものにしたい!!)

 そんな騎士団長の欲求は満たされることがなく、彼は少女に翻弄ほんろうされる。
 彼女の正体も知らないままに、まぼろしの少女を求める日々が始まったのだった。



   第一章 リリア、騎士団に潜入する


「ちょっと、ケビン! 今なんて言ったの?」

 弟のはっしたセリフがあまりにも信じられないものだったので、リリアは思わず聞き返す。彼女はバスキュール子爵家の令嬢で、今目の前で土下座どげざをしているケビン・バスキュールの三つ年上の姉だ。

「姉さん、お願いだ! 僕の代わりに試合に出てくれ! これ以上負けたら、騎士団を退団させられる!」

 ケビンは緑色の制服を着たまま、頭を床すれすれまで下げて懇願こんがんする。騎士訓練生である彼は騎士団の寮に入っているのに、こんなお願いをするためだけにやってきたらしい。
 ちょうど今は夜会がもよおされる季節なので、リリアは王都の近くにある別邸に来ていた。
 ティールームで朝食後のお茶を飲んでいたリリアは、弟の突拍子もない要求に驚き、椅子から立ち上がる。テーブルがガタンと揺れて、ティーカップの中で熱い紅茶がおどった。

「いやよ!! 私は女なのだから、貴方の代わりに試合に出ても、すぐにばれてしまうわ」
「大丈夫だよ! 姉さんは僕よりかなり強いし、髪を結んで騎士訓練生の制服を着たら、僕とそっくりになるって!」
「無理よ……。そりゃあ、子供の頃は服さえ交換すればみんなをだませたわ。だけど、もうこんなに女らしくなったんだから、無理に決まってるでしょう」

 そう言ってリリアは、自分の胸を強調するように上半身をそらした。
 確かに、リリアとケビンの顔はそっくりだ。昔はよくお互いの服を交換して、入れ替わって遊んでいた。とはいえ、それは幼い頃のこと。今では体つきが違っているので難しいだろう。
 けれどケビンは、リリアの胸を見て一笑いっしょうす。

「そのくらいなら、きたえた胸筋に見える程度の大きさだ。布でも巻けば誤魔化ごまかせるよ。いいかい、姉さん。僕が騎士になれなかったら、バスキュール家は終わりだよ。姉さんにもいい縁談が来なくなって、一生独身のまま、バスキュールの屋敷で僕と二人で暮らすんだ。それでもいいの?」
「そ……それは嫌だけど……」

 おばあさんになった自分が、これまたおじいさんになったケビンと、二人寂しく紅茶をすすっている――その光景を想像し、リリアはゾッとした。

「ただでさえ男っ気がないんだから、姉さんが結婚するためには、僕の助けが必要でしょう?」
「うっ……」

 リリアはずっと、洗練された気品のある紳士との結婚を夢見ていた。いつかはそんな素敵な男性に見初みそめられてデートを重ね、最後には夜の庭園でひざまずかれながら、ロマンチックなプロポーズを受ける。それが彼女の長年の夢だった。
 ところが、そう簡単にはいかなかった。
 十五歳で社交界デビューしてから三年。今まで数え切れないほどの夜会に参加してきたが、貧乏子爵家の令嬢には、誰も声をかけてこなかった。
 見た目は、そう悪くはない。腰までのびた柔らかい銀髪に、すらりと細い手足。夏の海を思わせる深い青色の大きな瞳は、愛らしい小型犬のようだ。
 だが、性格のほうに問題があった。キュートな外見とは裏腹に、男に負けずおとらず気が強く、剣技にもけている。その男勝おとこまさりな内面が、ますます男性を遠ざけていた。
 かといって、リリアには自分の性格を上手く隠して、淑女しゅくじょらしく振る舞う器用さもない。
 そういうわけで、夜会ではいつも壁の花になってしまうのだった。
 普通は十八歳くらいまでの間に婚約者を見つけ、二十歳くらいには結婚するものだ。リリアの友人のほとんどは、すでに婚約している。それどころか、彼女たちの中には、夜会で知り合った男性と大人の遊びをたしなむ者もいるくらいだ。
 一方リリアは、いまだにたった一人の相手も見つけられずにいた。このままではそう遠くないうちに、き遅れと言われる年齢になってしまう。
 こうなったら、あとは弟のケビンに頼るしかない。彼が騎士になって戦功を挙げ、名誉と報奨ほうしょうを手に入れさえすれば、弱小子爵家とあなどられることもなくなるだろう。仲間の優秀な騎士を紹介してもらうことだってできる。
 だというのに、ケビンときたら剣術の腕はからっきしで、昔から女のリリアにさえ負けてばかりだった。

「このところ試合に連続で四回も負けているから、もうあとがないんだ。次に負けたら訓練生を辞めさせられてしまう!」
「そんなのおかしいわ。だってケビン、貴方は王国が実施している試験を受けて訓練生になったのでしょう。たかが試合に負けたくらいで退団なんて、あり得ないわよ」
「あり得るんだよ! うちの団長なら!!」

 いわく、ケビンの所属する第四騎士団は、団長と十二人の騎士隊長たちがあまりにも強すぎるため、騎士や訓練生がほとんど戦死しないという。そこで、増え続ける訓練生を試合の結果によってふるい落とし、数を調整しているらしい。
 その試合は一年に一回、四日間かけておこなわれ、訓練生一人につき六回ずつ戦う。五回以上負けると退団処分になるそうで、ケビンはがけっぷちに立たされているというわけだ。

「今朝は腹痛だって嘘をついて、こっそり抜け出してきているんだ。午後には試合が始まるから、すぐ決断してくれないと間に合わない! 今日と明日に一試合ずつ出てくれるだけでいいんだ。僕と同室のハンスには事情を話してあるから、風呂だけなんとかすれば誰にも気づかれないよ!」

 床にひざまずいたまま、ケビンは泣きそうな目でリリアを見上げる。

「……わかった。今回だけよ。二日間だけ貴方のふりをして試合に出てあげるわ。その代わり、貴方がここで私として暮らすのよ。絶対に誰にもばれちゃダメ。お母様にばれたら、ものすごく怒られて外出禁止になっちゃうわ!」
「ありがとう、姉さん! 恩に着るよ!」

 ケビンはもう十五歳だというのに、子供のような愛らしい顔と声でリリアに抱き着いてきた。
 この三つ年下の弟に甘えられると、リリアは嫌とは言えなかった。たった一人の愛すべき弟は、彼女にとっていつまでも庇護ひごすべき存在だからだ。
 さっそく二人は、互いの服を交換してみることにした。使用人の目をすり抜けて私室にこもり、リリアはケビンの上着を着て彼と鏡の前に並んでみる。
 髪と目の色が同じであるだけでなく、顔立ちもそっくりだ。髪の長さや体形は違うが、少し手を加えれば、見分けがつかなくなりそうだった。
 髪については、リリアがやや短くするということで落ち着いた。年頃の貴族令嬢の髪は腰の下辺りまであるのが普通だが、それを十五センチほど切って三つ編みにする。ケビンはもともと長めの髪をうしろでたばねているので、これで充分誤魔化ごまかせるだろう。
 それからリリアは、化粧けしょうを落として胸にさらしを巻き、あらためて騎士訓練生の制服を着た。
 ケビンもシャツとズボンを脱いで、意気揚々いきようようとリリアのドレスを着始める。肩の辺りがリリアより少しだけがっちりしているが、ショールなどを羽織はおれば問題ないだろう。少年特有のお尻の薄さも、ふんわりとしたドレスで上手く隠れている。
 二人とも着替えを終えて見つめ合うと、互いに鏡を見ているような気分になった。

「これなら大丈夫そうだ!」

 ケビンは満足げに言う。リリアも鏡に映った自分を見て、騎士団に潜入することがそれほど無謀むぼうなことではないように思えてきた。
 こうして、ケビンとリリアは入れ替わったのだった。


 ケビンが所属する第四騎士団の拠点は、バスキュール家の別邸から馬で一時間くらいのところにある。このブルタリア王国にとって軍事的にも政治的にも重要な場所だった。
 本部の建物は森に囲まれており、敷地の周辺には小さな村がいくつかあるだけだ。だが一本だけのびている街道は王都へ続いていて、その途中には比較的大きな町がある。
 王国の騎士団は、全部で四つ。それぞれ団長と副団長の下に十二人の騎士隊長がおり、彼ら一人ひとりが騎士隊を組織している。
 四つの騎士団は国の東西南北にそれぞれ配置されていて、ひとたび戦争が起これば、王国を守るため先陣を切って戦場に向かうのだ。
 第四騎士団の騎士団長は、ドナルド・ゲリクセンという。彼は先の大戦で大きな戦果を挙げた、王国最強の騎士だ。
 政治的な影響力を持つ名門伯爵家の出でもあるのだが、社交の場に姿を現すのは好きではないらしく、彼のことを知る人間はそう多くない。社交界では、一目見ただけで震え上がるほどのいかつい男だとか、女性にだらしのない性豪せいごうだとか、いろいろな噂がささやかれていた。
 ケビンなどの騎士訓練生は、まだ騎士隊には配属されておらず、騎士団に所属しているという扱いで、ゲリクセン団長の指揮下に入る。彼自身が訓練生の前に姿を現すことはないようだが、かなり厳しい訓練を命じる人だそうで、正式な騎士団員でさえもついていくのがやっとらしい。
 そんな団長のもとで、騎士となることを目指して、王国中から集まった貴族の子息らが日々訓練にはげんでいるという。だが、騎士になれるのはほんの一握りの者だけで、非常に狭き門だった。
 ケビンにふんしたリリアは、彼が乗ってきた馬で第四騎士団の敷地の近くまでやってきた。そこでケビンと同室の訓練生ハンスと落ち合い、宿舎の裏からこっそり侵入する。
 第四騎士団の拠点は、正式な騎士団員たちがいる本部を中心にして、左右にそれぞれ五つの建物が立っている。それらは訓練生の宿舎や厩舎きゅうしゃ、屋内訓練場などとして使用されているそうだ。
 試合は、建物から少し離れたところにある、三つの闘技場を使っておこなわれていた。
 ケビンの試合がおこなわれる闘技場に行くと、そこは当然、男性だらけ。ひとまず観客席に座ったリリアは、正体がばれやしないかと緊張していた。しかし拍子抜けするくらい、誰もリリアを怪しむ様子はない。
 時間が経つにつれて不安は薄れ、しまいにはなんだか悲しくなってくる。男性しかいない闘技場の観客席に、違和感なく溶け込んでいる自分が情けない。隣に座るのがリリアだと知っているハンスでさえ、他の訓練生と同じように気安く接してくる。
 なるべく男らしく見えるようにと、股を開いて座り、低い声で話してはいるものの、そんな必要はまったくない気さえしてきた。

(私ってそんなに女としての魅力がないのかしら……はぁ……)

 そんなふうに思っていると、ケビンの名を呼ぶ声が聞こえてきた。

「ケビン・バスキュール対ヘンク・シューリヒト!! 二名とも前に出ろ!!」

 みんなの視線が、一斉にリリアと対戦相手のヘンクにそそがれる。

(いけない、こんなことを考えている暇はなかったわ!)

 勢いよく立ち上がったリリアは、わざと大股で階段を下り、闘技場に足を踏み入れた。そして審判から大慌てで剣を受け取る。
 ズシリと重い感触が手に心地いい。リリアは剣のつかを両手でギュッと握りしめ、ぶんっとひと振りしてみた。

(この感触、懐かしいわ。剣を振ったときの音って、たまらないのよね。でも、久しぶりに剣を持つ私が、毎日鍛錬たんれんしている彼らにかなうかしら? 不安だわ……)

 リリアは幼い頃、ケビンと一緒にジョーゼフという剣士から剣技を習っていた。彼女はすじがよく優秀な生徒だったので、ジョーゼフが何度も『リリアが男の子だったらよかったのに』とこぼしていたのを覚えている。
 リリア自身も剣を振るうのは大好きだったが、侍女に泣いて頼まれたので、十五歳の社交界デビューとともにやめてしまった。貴族令嬢の趣味としては、あり得ないものだったからだ。
 それからはずっと剣に触れていない。最近では短剣を使った護身術をたしなむ程度だ。
 リリアは昔のことを思い出しながら、闘技場の真ん中に進み出た。円形の闘技場を取り囲むように観客席があり、制服を着た訓練生たちで埋め尽くされている。
 けれども訓練生たちにとって、この試合はあまり興味のないものなのだろう。観客席にいる彼らは楽しそうに談笑し、真剣に試合を見ている者は少ないようだ。
 リリアが顔を正面に向けると、対戦相手のヘンクがにやにやと嫌な笑みを浮かべて立っていた。

「お前、弱そうだな。バスキュールなんて聞いたこともない名だ。一分で終わらせてやる」

 高圧的に言い放つヘンクを見て、リリアはムッとした。
 風が吹いて、二人の周りに土埃つちぼこりが舞う。それが収まるのを待って、審判が無言で右手を天高く上げた。
 その合図でヘンクとリリアが同時に剣を構えると、審判は大声で試合の開始を告げる。

「試合開始!!」

 キィィィ――――ン!!
 剣のぶつかる音が闘技場に鳴り響く。何度か激しく打ち合い、試合開始のわずか二分後。乾いた土の上に無様に倒れていたのは、リリアではなくヘンクのほうだった。
 ヘンクが崩れ落ちる瞬間を見ていた訓練生たちが、興奮してたけびを上げる。一瞬で勝負を決したリリアへの、驚きと賞賛の声だ。
 リリアは曲芸師きょくげいしのように剣を回転させてから、腰のさやに収めた。

「ヘンク・シューリヒトか……聞いたことない名だが、覚える必要もないね」

 地に伏したままの対戦者に捨てゼリフを吐いて、リリアはさっさときびすを返した。

(弱い……。これなら明日の勝負もなんとかなりそうだわ!)

 リリアはほっとして座席のほうに戻っていく。
 そのとき、一人の訓練生が背後からリリアの肩に腕をまわしてきた。

「ケビン! すごいな、お前あんなに強かったんだな! 今まで実力を隠してたのか!」

 リリアより頭一つ分背が高く、栗色くりいろのストレートな髪に、茶色の瞳が印象的な好青年だ。
 男性に触れられた経験があまりないリリアにとって、急に肩を抱かれるのは刺激が強すぎる。リリアは内心の動揺を押し隠して口を開いた。

「え……と、どちら様……?」

 ケビンが親しくしている訓練生の情報は、事前に教えてもらっていた。だが、れしくリリアの肩を抱くこの男の容姿は、ケビンから聞いたどの友人の特徴とも合致しない。
 彼はさわやかな笑みを浮かべると、前髪をさらりとかき上げてこう言った。

「ひどいな、入団したときにチームを組んでいたじゃないか。クリスだよ。ワルキューレ家の……もう忘れたのか?」

 ワルキューレ伯爵家の名は、リリアも聞いたことがある。優秀な騎士をたくさん輩出はいしゅつしている、軍人一族だ。
 そんな王国きってのエリート上位貴族が、ケビンのような弱小貴族の友人であるはずがない。
 リリアは、適当にあしらって逃げることにする。

「ああ……そんなこともあったっけ。すっかり忘れてたよ。で、なんの用? 用がないなら離してくれないか?」
「随分冷たいんだな。チームを組んでいた頃は、ケビンのほうからよく話しかけてきたじゃないか」

 そんな話は、ケビンから聞いていない。これ以上話していては、いよいよまずい気がしてきた。
 だというのに、クリスは一向に離れてくれそうにない。

「ところで、お前がさっき使った技、ジュイル派の技だろう。誰に習ったんだ?」
(なんだ、彼はそんなことが知りたかったのね)

 リリアに剣技を教えてくれたジョーゼフは、ジュイル派という流派の流れをむ剣士だと聞いたことがある。だが、そんなことをクリスに教えてやる義理はない。何よりも、これ以上彼と話しているとボロが出そうで、一刻も早く立ち去りたかった。
 リリアはれしく肩に乗せられたクリスの手を取り、くるりと器用に体をひるがえして彼の腕をじり上げた。

「つっ! ケビン、何するんだ!」
「たいした用じゃないみたいだから、僕は行くよ。じゃあね、もう二度と僕に話しかけないでくれ」

 そう冷たく言い放つと、リリアは肩を押さえて痛がるクリスを残し、その場をあとにした。
 だが他の訓練生たちも、すれ違いざまに祝福の言葉をかけたり、スキンシップをはかったりしてくる。訓練生同士は仲が良いのか、彼らはやけに親しげにじゃれついてくるのだ。

(やたらめったらさわられたら、さすがに女だとばれるわ。試合の時間以外は、どこかで大人しくしておきましょう)

 リリアは訓練生たちのスキンシップを必死にかわしながら闘技場を出た。
 ひと気のない方向を選んで進むと、目の前に茶色の煉瓦れんが造りの建物が現れた。どうやら、どこかの建物の裏手に来てしまったようだ。
 まぶしいほど照りつけていた太陽の光が、流れる雲にさえぎられて一気に陰る。ふと空を見上げたとき、何か赤いものがふわりと降ってきてリリアの視線をおおった。
 一体なんなのだと手に取ってみると、それは薄い小さな布切れだった。まだほんのり生温なまあたたかいそれは、まぎれもなく女性用のパンティーだ。
 リリアがそう気づくと同時に、建物の窓から女性の甘ったるい声が聞こえてくる。

「やだぁん……ドナルド様ったら、そういうご趣味だったのですわね。ふふふ、私はむちを使っていたぶるのも好きですけど、縛られるのも嫌いじゃないの。ああ、早く貴方が欲しいわ。あぁん、せっかちですのね」

 開け放たれた窓からの淫靡いんびな声に、リリアは一瞬で、何がおこなわれているのかを悟った。
 恐らくこの赤いパンティーの持ち主が、女性をひもで縛るのが趣味の男性と、いかがわしい行為に及ぼうとしているのだ。世の中にはそういう趣味を持つ人が存在するのだと、何かの本で読んだことがある。

(ひ……昼間から……なんて破廉恥はれんちなの!? あり得ないわ!)

 リリアは顔を火照ほてらせながら、あっけにとられて窓を見上げる。
 すると、今度は男性の野太い声が響いてきた。

「お前、いい加減にしろ! これ以上勝手をするつもりなら、女でも容赦なくベッドに縛りつけてやるぞ!」

 その声はかなり興奮している。きっと女性をののしって楽しんでいるに違いない。

「あぁ……私、燃えてきたわ。こういうプレイも大好物よ、はぁっ……もっと強く縛ってぇ、ドナルド様ぁ」

 女性が我慢できないとばかりに甘ったるい声を出している。
 あまりの生々なまなましさに、リリアはその場所から動くことができなかった。
 男性との交際経験がないリリアにとって、性行為は未知の領域だった。医学書を読んだので、男性の陰茎いんけいを女性のちつ挿入そうにゅうするのは知っている。けれどそれはあくまで知識でしかなく、実際の行為がどんなものなのかは想像すらしたことがない。
 いたたまれなくなって窓から目をそらすと、別の窓越しに『騎士団本部第一資料室』と書いてあるのが見えた。
 それを目にした瞬間、リリアの血の気が引いていく。

(やだ! 私ったら、いつの間にか騎士団本部にまで来ていたのね。早く移動しなくちゃ。訓練生がこんなところをうろうろしていたら、怪しまれてしまうわ!)

 一刻も早く立ち去ろうとしたとき、誰かの話し声が近づいてきた。とっさの判断で、リリアはパンティーを近くの木の枝に引っかけ、大木のうしろに隠れる。
 ほんの数秒後、少し離れた場所にある裏口の扉が開き、黒い騎士服を着た二人の男性が出てきた。その服は、正式な騎士団員であるあかしだ。

「おい、何色のパンティーなんだ?」

 栗色くりいろの短い髪をした騎士が、金髪をうしろでたばねている騎士に話しかけた。

「赤だと聞きました。この辺りに落ちているはずなんですが……」

 どうやら二人はあの下着を探しているようだ。
 金髪の騎士がやぶをかき分けながら、リリアのほうに近づいてくる。リリアはひやりとしたが、息を殺して様子をうかがう。

「さすがビビアン嬢だな、あんなに団長を興奮させるなんてさ。今度こそ成功したんじゃないか?」
「ええ、これで団長も身を固めて、毎日家に帰るようになってほしいものです。朝から晩まで訓練ばかりさせられてたんじゃ、こっちは恋人を作る時間さえ持てませんからね。その点、貴方はいいですよね。可愛い婚約者がいるのでしょう?」
「ああ。毎日が薔薇ばら色だ。ただ、団長がもう少し訓練の手を抜いてくれたらな……。三十にもなってやっと恋人ができたのに、デートする暇もない」

 二人の男は軽い調子でしゃべりながら、だらだらと時間をかけてパンティーを探している。彼らの求めているものはすぐうしろにあるというのに、一向に気づく気配がない。

(もうっ! そこにあるんだってば! 早く見つけてどこかに行って!)

 そんなリリアの願いもむなしく、金髪の騎士がリリアの隠れている木に近づいてきた。
 もう見つかってしまうと覚悟を決めて、リリアはまぶたをきつく閉じる。するとそのとき、栗毛の騎士が歓喜の声を上げた。

「ああ、あったぞ!! よかった! 早くヘンリー副団長のところまで持っていこう」

 やっとパンティーを見つけたらしい。彼らは、二人してそちらに走っていった。

「それにしてもけのエロい下着だな。こういうの彼女にプレゼントしたら、はいてくれるかな?」
「どうでしょうね。私は、こういう下着はちょっと……。やはり、清楚せいそな色の下着のほうが好みです。恥じらいながら脱ぐ姿が見てみたいですね」
「お前みたいなのが案外むっつりスケベだったりするんだよな。恥ずかしがっている女を無理やり脱がしたがるタイプか……ははっ」

 騎士の二人は、そのまま楽しそうに会話を続けながら、裏口から建物の中に戻っていく。
 リリアはほっとして、思わずその場にへたり込んだ。ズボンが土で汚れるが、そんなことを気にしている余裕はない。いまだに足が震えている。

(よかったぁ……見つからなくて)

 しばらくして冷静になってくると、先程の女性の甘ったるい声が思い出された。
 女性は相手の男性のことを、ドナルドと呼んでいた気がする。

(ドナルドって、どう考えてもドナルド・ゲリクセン騎士団長のことよね? 噂通り女遊びが激しいだけじゃなくて、倒錯的とうさくてきな趣味まで持つ変態男なのだわ。最低――!!)

 騎士団長に対する嫌悪感けんおかんつのらせながら、リリアはその場を離れた。


しおりを挟む
感想 24

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

ヤンデレ王子を闇落ちから救ったら愛執まみれの独占欲に囚われました

大江戸ウメコ
恋愛
幼い頃に精霊の祝福である未来視の力が開花し、「夫である第二王子ナハルドに殺される」という己の運命を知った伯爵令嬢ツィーラ。この悲惨な未来を変えるべく、ツィーラは彼を避けようとしたが、ひょんなことから婚約者に選ばれてしまった! ならば、ナハルドが将来闇落ちしないよう、側で彼を支えることを決意する。そんな努力の甲斐あって、ツィーラへの好意を隠さず伝えてくるほど、ナハルドとの関係は良好になった。だけど、彼の並々ならぬ執着心のすべてを、ツィーラはまだ知らなくて――

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

巨乳令嬢は男装して騎士団に入隊するけど、何故か騎士団長に目をつけられた

狭山雪菜
恋愛
ラクマ王国は昔から貴族以上の18歳から20歳までの子息に騎士団に短期入団する事を義務付けている いつしか時の流れが次第に短期入団を終わらせれば、成人とみなされる事に変わっていった そんなことで、我がサハラ男爵家も例外ではなく長男のマルキ・サハラも騎士団に入団する日が近づきみんな浮き立っていた しかし、入団前日になり置き手紙ひとつ残し姿を消した長男に男爵家当主は苦悩の末、苦肉の策を家族に伝え他言無用で使用人にも箝口令を敷いた 当日入団したのは、男装した年子の妹、ハルキ・サハラだった この作品は「小説家になろう」にも掲載しております。

結婚式に結婚相手の不貞が発覚した花嫁は、義父になるはずだった公爵当主と結ばれる

狭山雪菜
恋愛
アリス・マーフィーは、社交界デビューの時にベネット公爵家から結婚の打診を受けた。 しかし、結婚相手は女にだらしないと有名な次期当主で……… こちらの作品は、「小説家になろう」にも掲載してます。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

愛する殿下の為に身を引いたのに…なぜかヤンデレ化した殿下に囚われてしまいました

Karamimi
恋愛
公爵令嬢のレティシアは、愛する婚約者で王太子のリアムとの結婚を約1年後に控え、毎日幸せな生活を送っていた。 そんな幸せ絶頂の中、両親が馬車の事故で命を落としてしまう。大好きな両親を失い、悲しみに暮れるレティシアを心配したリアムによって、王宮で生活する事になる。 相変わらず自分を大切にしてくれるリアムによって、少しずつ元気を取り戻していくレティシア。そんな中、たまたま王宮で貴族たちが話をしているのを聞いてしまう。その内容と言うのが、そもそもリアムはレティシアの父からの結婚の申し出を断る事が出来ず、仕方なくレティシアと婚約したという事。 トンプソン公爵がいなくなった今、本来婚約する予定だったガルシア侯爵家の、ミランダとの婚約を考えていると言う事。でも心優しいリアムは、その事をレティシアに言い出せずに悩んでいると言う、レティシアにとって衝撃的な内容だった。 あまりのショックに、フラフラと歩くレティシアの目に飛び込んできたのは、楽しそうにお茶をする、リアムとミランダの姿だった。ミランダの髪を優しく撫でるリアムを見た瞬間、先ほど貴族が話していた事が本当だったと理解する。 ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。 そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが… 追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。 今更ですが、閲覧の際はご注意ください。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にノーチェの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、ノーチェのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。