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1巻
1-1
しおりを挟むプロローグ
木々の生い茂る森の中。葉の隙間から月光が差し込んで、緩やかに流れる川の水面を照らす。
男の目の前には、一人の少女が立っていた。なぜか生まれたままの姿をした彼女は、男を妖しく見つめてくる。
柔らかい風が吹くたびに、少女のまっすぐな銀の髪が揺れる。水に濡れたそれは、月の光を受けてきらきらと輝いた。
滑らかな肌の上には滴が伝い、少女の肢体はまるで光の衣をまとっているかのようだ。彼女が呼吸をするたびに上下する胸が艶めかしく見え、月光がつける陰影でさえも甘美に感じられる。
深夜、あてもなく散歩していた男が出会ったのは、そんな女神のような神々しさを放つ少女だった。
少女は銀色の長い睫毛から水を滴らせ、誘うような瞳を男に向けた。あどけなさの残る顔には不釣り合いな、妖艶な笑みを浮かべる。
桃色に染まった頬が、男の胸元にゆっくりと近づいてくる。くつろげたシャツの隙間から少女の甘露な吐息が入り込み、緩やかな呼吸に合わせて男の肌を撫でていく。その桜色の唇は今にも男の肌に触れそうなのに、焦らすように甘い息を吹きかけるだけだ。
男は身じろぎもせずに、その光景を見ていた。自然と男の息が荒くなっていく。
湧き上がってくる熱い情欲と官能が身の内で混ざり合う。男は今まで覚えたことのない激しい欲を、必死に抑え込んでいた。
だが耐え切れなくなって、無意識に腕が動く。すると少女は、さっと身を翻して男の腕から逃れた。彼女の銀の髪が男を諫めるように彼の腕をぴしゃりと打つ。
そうして少女は鋭い声で言い放った。
「貴方が少しでも動けば、私は帰ってしまうわよ」
彼女を抱きしめようとした腕を、男はすぐに止める。
(少女を失いたくない……!!)
そんな思いが、男の欲をかろうじて押しとどめていた。
少女の年頃は、恐らく十七、八くらいだろうか……。そんな年端もいかぬ少女に、どうして自分は逆らえないのだろう。
女性経験がないわけではない。けれどこの少女を前にすると、胸の奥から熱い何かが溢れ出してきて、涙が零れそうなほどの幸福感でいっぱいになる。
大国ブルタリア王国の騎士団長として、いくつもの死線を潜り抜けてきた。しかしこれほどまでに感情をかき乱されてしまうなど初めてだ。
目の前にいる少女に触れることができない。ただそれだけのことが、敵に捕らえられるよりも辛く感じる。
(彼女を抱きしめて、身も心も俺のものにしたい!!)
そんな騎士団長の欲求は満たされることがなく、彼は少女に翻弄される。
彼女の正体も知らないままに、幻の少女を求める日々が始まったのだった。
第一章 リリア、騎士団に潜入する
「ちょっと、ケビン! 今なんて言ったの?」
弟の発したセリフがあまりにも信じられないものだったので、リリアは思わず聞き返す。彼女はバスキュール子爵家の令嬢で、今目の前で土下座をしているケビン・バスキュールの三つ年上の姉だ。
「姉さん、お願いだ! 僕の代わりに試合に出てくれ! これ以上負けたら、騎士団を退団させられる!」
ケビンは緑色の制服を着たまま、頭を床すれすれまで下げて懇願する。騎士訓練生である彼は騎士団の寮に入っているのに、こんなお願いをするためだけにやってきたらしい。
ちょうど今は夜会が催される季節なので、リリアは王都の近くにある別邸に来ていた。
ティールームで朝食後のお茶を飲んでいたリリアは、弟の突拍子もない要求に驚き、椅子から立ち上がる。テーブルがガタンと揺れて、ティーカップの中で熱い紅茶が躍った。
「いやよ!! 私は女なのだから、貴方の代わりに試合に出ても、すぐにばれてしまうわ」
「大丈夫だよ! 姉さんは僕よりかなり強いし、髪を結んで騎士訓練生の制服を着たら、僕とそっくりになるって!」
「無理よ……。そりゃあ、子供の頃は服さえ交換すればみんなを騙せたわ。だけど、もうこんなに女らしくなったんだから、無理に決まってるでしょう」
そう言ってリリアは、自分の胸を強調するように上半身をそらした。
確かに、リリアとケビンの顔はそっくりだ。昔はよくお互いの服を交換して、入れ替わって遊んでいた。とはいえ、それは幼い頃のこと。今では体つきが違っているので難しいだろう。
けれどケビンは、リリアの胸を見て一笑に付す。
「そのくらいなら、鍛えた胸筋に見える程度の大きさだ。布でも巻けば誤魔化せるよ。いいかい、姉さん。僕が騎士になれなかったら、バスキュール家は終わりだよ。姉さんにもいい縁談が来なくなって、一生独身のまま、バスキュールの屋敷で僕と二人で暮らすんだ。それでもいいの?」
「そ……それは嫌だけど……」
お婆さんになった自分が、これまたお爺さんになったケビンと、二人寂しく紅茶を啜っている――その光景を想像し、リリアはゾッとした。
「ただでさえ男っ気がないんだから、姉さんが結婚するためには、僕の助けが必要でしょう?」
「うっ……」
リリアはずっと、洗練された気品のある紳士との結婚を夢見ていた。いつかはそんな素敵な男性に見初められてデートを重ね、最後には夜の庭園でひざまずかれながら、ロマンチックなプロポーズを受ける。それが彼女の長年の夢だった。
ところが、そう簡単にはいかなかった。
十五歳で社交界デビューしてから三年。今まで数え切れないほどの夜会に参加してきたが、貧乏子爵家の令嬢には、誰も声をかけてこなかった。
見た目は、そう悪くはない。腰までのびた柔らかい銀髪に、すらりと細い手足。夏の海を思わせる深い青色の大きな瞳は、愛らしい小型犬のようだ。
だが、性格のほうに問題があった。キュートな外見とは裏腹に、男に負けず劣らず気が強く、剣技にも長けている。その男勝りな内面が、ますます男性を遠ざけていた。
かといって、リリアには自分の性格を上手く隠して、淑女らしく振る舞う器用さもない。
そういうわけで、夜会ではいつも壁の花になってしまうのだった。
普通は十八歳くらいまでの間に婚約者を見つけ、二十歳くらいには結婚するものだ。リリアの友人のほとんどは、すでに婚約している。それどころか、彼女たちの中には、夜会で知り合った男性と大人の遊びを嗜む者もいるくらいだ。
一方リリアは、いまだにたった一人の相手も見つけられずにいた。このままではそう遠くないうちに、嫁き遅れと言われる年齢になってしまう。
こうなったら、あとは弟のケビンに頼るしかない。彼が騎士になって戦功を挙げ、名誉と報奨を手に入れさえすれば、弱小子爵家と侮られることもなくなるだろう。仲間の優秀な騎士を紹介してもらうことだってできる。
だというのに、ケビンときたら剣術の腕はからっきしで、昔から女のリリアにさえ負けてばかりだった。
「このところ試合に連続で四回も負けているから、もうあとがないんだ。次に負けたら訓練生を辞めさせられてしまう!」
「そんなのおかしいわ。だってケビン、貴方は王国が実施している試験を受けて訓練生になったのでしょう。たかが試合に負けたくらいで退団なんて、あり得ないわよ」
「あり得るんだよ! うちの団長なら!!」
曰く、ケビンの所属する第四騎士団は、団長と十二人の騎士隊長たちがあまりにも強すぎるため、騎士や訓練生がほとんど戦死しないという。そこで、増え続ける訓練生を試合の結果によってふるい落とし、数を調整しているらしい。
その試合は一年に一回、四日間かけて行われ、訓練生一人につき六回ずつ戦う。五回以上負けると退団処分になるそうで、ケビンは崖っぷちに立たされているというわけだ。
「今朝は腹痛だって嘘をついて、こっそり抜け出してきているんだ。午後には試合が始まるから、すぐ決断してくれないと間に合わない! 今日と明日に一試合ずつ出てくれるだけでいいんだ。僕と同室のハンスには事情を話してあるから、風呂だけなんとかすれば誰にも気づかれないよ!」
床にひざまずいたまま、ケビンは泣きそうな目でリリアを見上げる。
「……わかった。今回だけよ。二日間だけ貴方のふりをして試合に出てあげるわ。その代わり、貴方がここで私として暮らすのよ。絶対に誰にもばれちゃダメ。お母様にばれたら、ものすごく怒られて外出禁止になっちゃうわ!」
「ありがとう、姉さん! 恩に着るよ!」
ケビンはもう十五歳だというのに、子供のような愛らしい顔と声でリリアに抱き着いてきた。
この三つ年下の弟に甘えられると、リリアは嫌とは言えなかった。たった一人の愛すべき弟は、彼女にとっていつまでも庇護すべき存在だからだ。
さっそく二人は、互いの服を交換してみることにした。使用人の目をすり抜けて私室にこもり、リリアはケビンの上着を着て彼と鏡の前に並んでみる。
髪と目の色が同じであるだけでなく、顔立ちもそっくりだ。髪の長さや体形は違うが、少し手を加えれば、見分けがつかなくなりそうだった。
髪については、リリアがやや短くするということで落ち着いた。年頃の貴族令嬢の髪は腰の下辺りまであるのが普通だが、それを十五センチほど切って三つ編みにする。ケビンはもともと長めの髪をうしろで束ねているので、これで充分誤魔化せるだろう。
それからリリアは、化粧を落として胸にさらしを巻き、あらためて騎士訓練生の制服を着た。
ケビンもシャツとズボンを脱いで、意気揚々とリリアのドレスを着始める。肩の辺りがリリアより少しだけがっちりしているが、ショールなどを羽織れば問題ないだろう。少年特有のお尻の薄さも、ふんわりとしたドレスで上手く隠れている。
二人とも着替えを終えて見つめ合うと、互いに鏡を見ているような気分になった。
「これなら大丈夫そうだ!」
ケビンは満足げに言う。リリアも鏡に映った自分を見て、騎士団に潜入することがそれほど無謀なことではないように思えてきた。
こうして、ケビンとリリアは入れ替わったのだった。
ケビンが所属する第四騎士団の拠点は、バスキュール家の別邸から馬で一時間くらいのところにある。このブルタリア王国にとって軍事的にも政治的にも重要な場所だった。
本部の建物は森に囲まれており、敷地の周辺には小さな村がいくつかあるだけだ。だが一本だけのびている街道は王都へ続いていて、その途中には比較的大きな町がある。
王国の騎士団は、全部で四つ。それぞれ団長と副団長の下に十二人の騎士隊長がおり、彼ら一人ひとりが騎士隊を組織している。
四つの騎士団は国の東西南北にそれぞれ配置されていて、ひとたび戦争が起これば、王国を守るため先陣を切って戦場に向かうのだ。
第四騎士団の騎士団長は、ドナルド・ゲリクセンという。彼は先の大戦で大きな戦果を挙げた、王国最強の騎士だ。
政治的な影響力を持つ名門伯爵家の出でもあるのだが、社交の場に姿を現すのは好きではないらしく、彼のことを知る人間はそう多くない。社交界では、一目見ただけで震え上がるほどの厳つい男だとか、女性にだらしのない性豪だとか、いろいろな噂がささやかれていた。
ケビンなどの騎士訓練生は、まだ騎士隊には配属されておらず、騎士団に所属しているという扱いで、ゲリクセン団長の指揮下に入る。彼自身が訓練生の前に姿を現すことはないようだが、かなり厳しい訓練を命じる人だそうで、正式な騎士団員でさえもついていくのがやっとらしい。
そんな団長のもとで、騎士となることを目指して、王国中から集まった貴族の子息らが日々訓練に励んでいるという。だが、騎士になれるのはほんの一握りの者だけで、非常に狭き門だった。
ケビンに扮したリリアは、彼が乗ってきた馬で第四騎士団の敷地の近くまでやってきた。そこでケビンと同室の訓練生ハンスと落ち合い、宿舎の裏からこっそり侵入する。
第四騎士団の拠点は、正式な騎士団員たちがいる本部を中心にして、左右にそれぞれ五つの建物が立っている。それらは訓練生の宿舎や厩舎、屋内訓練場などとして使用されているそうだ。
試合は、建物から少し離れたところにある、三つの闘技場を使って行われていた。
ケビンの試合が行われる闘技場に行くと、そこは当然、男性だらけ。ひとまず観客席に座ったリリアは、正体がばれやしないかと緊張していた。しかし拍子抜けするくらい、誰もリリアを怪しむ様子はない。
時間が経つにつれて不安は薄れ、しまいにはなんだか悲しくなってくる。男性しかいない闘技場の観客席に、違和感なく溶け込んでいる自分が情けない。隣に座るのがリリアだと知っているハンスでさえ、他の訓練生と同じように気安く接してくる。
なるべく男らしく見えるようにと、股を開いて座り、低い声で話してはいるものの、そんな必要はまったくない気さえしてきた。
(私ってそんなに女としての魅力がないのかしら……はぁ……)
そんなふうに思っていると、ケビンの名を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ケビン・バスキュール対ヘンク・シューリヒト!! 二名とも前に出ろ!!」
みんなの視線が、一斉にリリアと対戦相手のヘンクに注がれる。
(いけない、こんなことを考えている暇はなかったわ!)
勢いよく立ち上がったリリアは、わざと大股で階段を下り、闘技場に足を踏み入れた。そして審判から大慌てで剣を受け取る。
ズシリと重い感触が手に心地いい。リリアは剣の柄を両手でギュッと握りしめ、ぶんっとひと振りしてみた。
(この感触、懐かしいわ。剣を振ったときの音って、堪らないのよね。でも、久しぶりに剣を持つ私が、毎日鍛錬している彼らに敵うかしら? 不安だわ……)
リリアは幼い頃、ケビンと一緒にジョーゼフという剣士から剣技を習っていた。彼女は筋がよく優秀な生徒だったので、ジョーゼフが何度も『リリアが男の子だったらよかったのに』と零していたのを覚えている。
リリア自身も剣を振るうのは大好きだったが、侍女に泣いて頼まれたので、十五歳の社交界デビューとともにやめてしまった。貴族令嬢の趣味としては、あり得ないものだったからだ。
それからはずっと剣に触れていない。最近では短剣を使った護身術を嗜む程度だ。
リリアは昔のことを思い出しながら、闘技場の真ん中に進み出た。円形の闘技場を取り囲むように観客席があり、制服を着た訓練生たちで埋め尽くされている。
けれども訓練生たちにとって、この試合はあまり興味のないものなのだろう。観客席にいる彼らは楽しそうに談笑し、真剣に試合を見ている者は少ないようだ。
リリアが顔を正面に向けると、対戦相手のヘンクがにやにやと嫌な笑みを浮かべて立っていた。
「お前、弱そうだな。バスキュールなんて聞いたこともない名だ。一分で終わらせてやる」
高圧的に言い放つヘンクを見て、リリアはムッとした。
風が吹いて、二人の周りに土埃が舞う。それが収まるのを待って、審判が無言で右手を天高く上げた。
その合図でヘンクとリリアが同時に剣を構えると、審判は大声で試合の開始を告げる。
「試合開始!!」
キィィィ――――ン!!
剣のぶつかる音が闘技場に鳴り響く。何度か激しく打ち合い、試合開始のわずか二分後。乾いた土の上に無様に倒れていたのは、リリアではなくヘンクのほうだった。
ヘンクが崩れ落ちる瞬間を見ていた訓練生たちが、興奮して雄たけびを上げる。一瞬で勝負を決したリリアへの、驚きと賞賛の声だ。
リリアは曲芸師のように剣を回転させてから、腰の鞘に収めた。
「ヘンク・シューリヒトか……聞いたことない名だが、覚える必要もないね」
地に伏したままの対戦者に捨てゼリフを吐いて、リリアはさっさと踵を返した。
(弱い……。これなら明日の勝負もなんとかなりそうだわ!)
リリアはほっとして座席のほうに戻っていく。
そのとき、一人の訓練生が背後からリリアの肩に腕をまわしてきた。
「ケビン! すごいな、お前あんなに強かったんだな! 今まで実力を隠してたのか!」
リリアより頭一つ分背が高く、栗色のストレートな髪に、茶色の瞳が印象的な好青年だ。
男性に触れられた経験があまりないリリアにとって、急に肩を抱かれるのは刺激が強すぎる。リリアは内心の動揺を押し隠して口を開いた。
「え……と、どちら様……?」
ケビンが親しくしている訓練生の情報は、事前に教えてもらっていた。だが、馴れ馴れしくリリアの肩を抱くこの男の容姿は、ケビンから聞いたどの友人の特徴とも合致しない。
彼は爽やかな笑みを浮かべると、前髪をさらりとかき上げてこう言った。
「ひどいな、入団したときにチームを組んでいたじゃないか。クリスだよ。ワルキューレ家の……もう忘れたのか?」
ワルキューレ伯爵家の名は、リリアも聞いたことがある。優秀な騎士をたくさん輩出している、軍人一族だ。
そんな王国きってのエリート上位貴族が、ケビンのような弱小貴族の友人であるはずがない。
リリアは、適当にあしらって逃げることにする。
「ああ……そんなこともあったっけ。すっかり忘れてたよ。で、なんの用? 用がないなら離してくれないか?」
「随分冷たいんだな。チームを組んでいた頃は、ケビンのほうからよく話しかけてきたじゃないか」
そんな話は、ケビンから聞いていない。これ以上話していては、いよいよまずい気がしてきた。
だというのに、クリスは一向に離れてくれそうにない。
「ところで、お前がさっき使った技、ジュイル派の技だろう。誰に習ったんだ?」
(なんだ、彼はそんなことが知りたかったのね)
リリアに剣技を教えてくれたジョーゼフは、ジュイル派という流派の流れを汲む剣士だと聞いたことがある。だが、そんなことをクリスに教えてやる義理はない。何よりも、これ以上彼と話しているとボロが出そうで、一刻も早く立ち去りたかった。
リリアは馴れ馴れしく肩に乗せられたクリスの手を取り、くるりと器用に体を翻して彼の腕を捻じり上げた。
「つっ! ケビン、何するんだ!」
「たいした用じゃないみたいだから、僕は行くよ。じゃあね、もう二度と僕に話しかけないでくれ」
そう冷たく言い放つと、リリアは肩を押さえて痛がるクリスを残し、その場をあとにした。
だが他の訓練生たちも、すれ違いざまに祝福の言葉をかけたり、スキンシップをはかったりしてくる。訓練生同士は仲が良いのか、彼らはやけに親しげにじゃれついてくるのだ。
(やたらめったら触られたら、さすがに女だとばれるわ。試合の時間以外は、どこかで大人しくしておきましょう)
リリアは訓練生たちのスキンシップを必死にかわしながら闘技場を出た。
ひと気のない方向を選んで進むと、目の前に茶色の煉瓦造りの建物が現れた。どうやら、どこかの建物の裏手に来てしまったようだ。
眩しいほど照りつけていた太陽の光が、流れる雲に遮られて一気に陰る。ふと空を見上げたとき、何か赤いものがふわりと降ってきてリリアの視線を覆った。
一体なんなのだと手に取ってみると、それは薄い小さな布切れだった。まだほんのり生温かいそれは、紛れもなく女性用のパンティーだ。
リリアがそう気づくと同時に、建物の窓から女性の甘ったるい声が聞こえてくる。
「やだぁん……ドナルド様ったら、そういうご趣味だったのですわね。ふふふ、私は鞭を使っていたぶるのも好きですけど、縛られるのも嫌いじゃないの。ああ、早く貴方が欲しいわ。あぁん、せっかちですのね」
開け放たれた窓からの淫靡な声に、リリアは一瞬で、何が行われているのかを悟った。
恐らくこの赤いパンティーの持ち主が、女性を紐で縛るのが趣味の男性と、いかがわしい行為に及ぼうとしているのだ。世の中にはそういう趣味を持つ人が存在するのだと、何かの本で読んだことがある。
(ひ……昼間から……なんて破廉恥なの!? あり得ないわ!)
リリアは顔を火照らせながら、あっけにとられて窓を見上げる。
すると、今度は男性の野太い声が響いてきた。
「お前、いい加減にしろ! これ以上勝手をするつもりなら、女でも容赦なくベッドに縛りつけてやるぞ!」
その声はかなり興奮している。きっと女性を罵って楽しんでいるに違いない。
「あぁ……私、燃えてきたわ。こういうプレイも大好物よ、はぁっ……もっと強く縛ってぇ、ドナルド様ぁ」
女性が我慢できないとばかりに甘ったるい声を出している。
あまりの生々しさに、リリアはその場所から動くことができなかった。
男性との交際経験がないリリアにとって、性行為は未知の領域だった。医学書を読んだので、男性の陰茎を女性の膣に挿入するのは知っている。けれどそれはあくまで知識でしかなく、実際の行為がどんなものなのかは想像すらしたことがない。
いたたまれなくなって窓から目をそらすと、別の窓越しに『騎士団本部第一資料室』と書いてあるのが見えた。
それを目にした瞬間、リリアの血の気が引いていく。
(やだ! 私ったら、いつの間にか騎士団本部にまで来ていたのね。早く移動しなくちゃ。訓練生がこんなところをうろうろしていたら、怪しまれてしまうわ!)
一刻も早く立ち去ろうとしたとき、誰かの話し声が近づいてきた。とっさの判断で、リリアはパンティーを近くの木の枝に引っかけ、大木のうしろに隠れる。
ほんの数秒後、少し離れた場所にある裏口の扉が開き、黒い騎士服を着た二人の男性が出てきた。その服は、正式な騎士団員である証だ。
「おい、何色のパンティーなんだ?」
栗色の短い髪をした騎士が、金髪をうしろで束ねている騎士に話しかけた。
「赤だと聞きました。この辺りに落ちているはずなんですが……」
どうやら二人はあの下着を探しているようだ。
金髪の騎士が藪をかき分けながら、リリアのほうに近づいてくる。リリアはひやりとしたが、息を殺して様子を窺う。
「さすがビビアン嬢だな、あんなに団長を興奮させるなんてさ。今度こそ成功したんじゃないか?」
「ええ、これで団長も身を固めて、毎日家に帰るようになってほしいものです。朝から晩まで訓練ばかりさせられてたんじゃ、こっちは恋人を作る時間さえ持てませんからね。その点、貴方はいいですよね。可愛い婚約者がいるのでしょう?」
「ああ。毎日が薔薇色だ。ただ、団長がもう少し訓練の手を抜いてくれたらな……。三十にもなってやっと恋人ができたのに、デートする暇もない」
二人の男は軽い調子でしゃべりながら、だらだらと時間をかけてパンティーを探している。彼らの求めているものはすぐうしろにあるというのに、一向に気づく気配がない。
(もうっ! そこにあるんだってば! 早く見つけてどこかに行って!)
そんなリリアの願いも虚しく、金髪の騎士がリリアの隠れている木に近づいてきた。
もう見つかってしまうと覚悟を決めて、リリアは瞼をきつく閉じる。するとそのとき、栗毛の騎士が歓喜の声を上げた。
「ああ、あったぞ!! よかった! 早くヘンリー副団長のところまで持っていこう」
やっとパンティーを見つけたらしい。彼らは、二人してそちらに走っていった。
「それにしても透け透けのエロい下着だな。こういうの彼女にプレゼントしたら、はいてくれるかな?」
「どうでしょうね。私は、こういう下着はちょっと……。やはり、清楚な色の下着のほうが好みです。恥じらいながら脱ぐ姿が見てみたいですね」
「お前みたいなのが案外むっつりスケベだったりするんだよな。恥ずかしがっている女を無理やり脱がしたがるタイプか……ははっ」
騎士の二人は、そのまま楽しそうに会話を続けながら、裏口から建物の中に戻っていく。
リリアはほっとして、思わずその場にへたり込んだ。ズボンが土で汚れるが、そんなことを気にしている余裕はない。いまだに足が震えている。
(よかったぁ……見つからなくて)
しばらくして冷静になってくると、先程の女性の甘ったるい声が思い出された。
女性は相手の男性のことを、ドナルドと呼んでいた気がする。
(ドナルドって、どう考えてもドナルド・ゲリクセン騎士団長のことよね? 噂通り女遊びが激しいだけじゃなくて、倒錯的な趣味まで持つ変態男なのだわ。最低――!!)
騎士団長に対する嫌悪感を募らせながら、リリアはその場を離れた。
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ずっと自分を支えてくれたリアム。大好きなリアムの為、身を引く事を決意。それと同時に、国を出る準備を始めるレティシア。
そして1ヶ月後、大好きなリアムの為、自ら王宮を後にしたレティシアだったが…
追記:ヒーローが物凄く気持ち悪いです。
今更ですが、閲覧の際はご注意ください。
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