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第百夜 ふりだしに戻って‥
しおりを挟む幸子は高校を卒業すると、地元である地方の海沿いの街から東京へと上京した。躾に厳格な父親とは昔から折り合いが悪く、まるで家から逃げ出すかのようにして、東京に出てきたのだった。
東京に出てきてから幸子は、なけなしのお金を使い果たして、全寮制の看護学校へ入学した。そして看護学校を卒業すると同時に大きな総合病院へ看護師として就職した。
「武田さん、おはようございます。検温をお願いします。」
「‥佐藤さん、いつも明るいね。おはよう。」
武田さんは、私よりも5歳年上の素敵な男性で、泌尿器科に入院している前立腺癌の患者さんだった。
「‥佐藤さんって彼氏いるの。」
「いないって分かって聞いてますよね?」
「‥いないんだ、そんなに明るくて可愛いのに?」
「‥だって、病院と家の往復だけですもん。出会いもないし。」
「そう?出会いなら沢山あるじゃないか。‥患者さんとか。」
「武田さんみたいな?」
「‥僕みたいな先の短い男は、駄目でしょ。」
「‥全然駄目じゃないですよ。武田さんなら大歓迎ですけど。」
「‥‥佐藤さん、僕みたいなのでも好きになってもいいの?」
「フフフ。実は武田さんの事、少し気になっていました。」
「‥佐藤さん、僕と付き合って下さい。」
「はい、喜んで。」
こうして、武田さんと私はお付き合いをする事になった。‥とは言え、デートをする事もなく、相変わらず病室で話すだけの関係が続いた。
それから、武田さんの癌の症状が落ち着いて、退院すると同時に私達は同棲し、半年後に結婚した。
結婚後は、お互いを『パパ』『ママ』と呼びあった。‥まだ子供も産まれていないのに、変だなぁ‥と思いながら。
パパは不思議な人で、ある程度の近い未来が視えるというのだ。だから、もうすぐ私が妊娠して女の子を産む事まで、この時既に予知していたのだった。
案の定、パパが言った通りに私は妊娠した。そして可愛い女の子を産んだ。名前は『瑠璃華』にした。
「パパ、パパ。」
瑠璃華が産まれて何ヶ月か経った頃、瑠璃華は伝い歩きや、簡単な言葉を話すようになった。そんな瑠璃華の初めて発した言葉が『パパ』だった。
パパはとても嬉しそうな顔をして瑠璃華を見つめていた。病院のベッドに横たわりながら‥‥。
瑠璃華が産まれると、パパの癌の数値は上がり、リンパから全身に癌が広がって、体中が不調を訴えるようになっていた。
抗癌剤の副作用や体の痛みや浮腫、吐き気‥様々な症状に苦しみながらも、瑠璃華の顔を見ると一瞬だけ笑顔を見せるのだった。
あまりの苦しさに睡眠もままならなくなったパパに、医師は薬で眠らせる事を提案してきた。私も、それに賛成した。
パパは、薬のおかげで苦しみから解放されて、スヤスヤと眠り続けた。
そして、それから間もなくして静かに息を引き取った。
この瞬間、私はパパの死に悲しみながらも、娘を一人で育てていく強い覚悟を決めていた。
幸いパパの残してくれた保険金もたくさんあった。
それに、パパが生前に書いた手紙もあった。
パパは、生前に私宛に書いた手紙で、自分が死んだ後に私に故郷へ帰る事を勧めていた。それに手紙には、私が父との仲直りもできるようになると書いてあった。‥ただそれ以降の事については、パパには分からなかったらしいが‥‥。
私は、パパの手紙に書いてある通り、娘の瑠璃花を連れて、生まれ育った地方の海沿いの街へと戻る事にしたのだった。
人生のふりだし地点に戻って、また一から娘と出直す為。
そう、ふりだしに戻って‥‥
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