19 / 43
05 それでも、歌い続けるということ
しおりを挟む「―――ぁ、ぃ―――っ、くっ」
(嘘、でしょ)
眼の前の光景が、信じられなかった。
爪先まで真っ白な指が、痕の残りそうなほどに喉をかきむしる。
「―――――っぁぁ、ぃゃ」
いつでも、あの透き通った歌声は、当たり前のように天高く響くのだと信じていた。
信じられない。信じたくない。それでもこれが、どうしようもない現実だ。
歌い方を忘れた天使が、そこにいた。
*
いつもは音に溢れているはずのその部屋が、痛いくらいに静かだった。
「静か、ですね」
「……ん」
「練習、します?」
「あきた」
「……ですよね」
私とウツミさんの二人きり。この人は決して無視することはなくて、必ず返事はしてくれるし、むしろ優しい人なんだと知るまで時間はかからなかった。
ウツミさんは、言葉の隙間に埋め込まれた感情で語る。表情は変わらないけど、たったの二週間で割と何を考えているのか分かるようになってきてる。それだけ、ウツミさんは正直だし、わかりやすかった。なに考えてるか分からない雄弁な誰かさんより、正直に言えばずっと気楽な相手だと思う。誰かは言わないけど!
でも、この沈黙は、寂しい。ただ淡々と、積み上げられてきた寂しさだけが、ここにある。
「スガさん、忙しそうですね」
今日は、予定があるからと帰ってしまった。ただ、こんな時だからここに居てほしかった。
「……俺達はべつに、いつも一緒じゃない。この二週間、そうだった」
分かってる。私達は、仲良しこよし集団じゃない。
それでも、この二週間の熱量が、まだこの部屋に残っている気がして。ただ、悲しい。
「私、この二週間楽しかったんです」
「………」
二週間後までに仕上げる。そう言った次の日には、もうみんな全ての曲に目を通してきていた。別に約束してたわけじゃないのに、マネージャーさんが夕方から貸し切ってくれていた、事務所のレッスンルームに気付いたらみんな集まっていて。
大抵は通信制高校のウツミさんが(仕事がなければ)先に来ていて、たった一人でもひたすらに正確なリズムを刻み続けてて。高校が終わってすぐに駆けつける私がその音にかぶせていく。夜が近くなる頃には仕事終わりのスガさんとルカがバラバラとやってきて、夜遅くまで全員で練習。
本当に音楽漬け……LeniとRukaの音楽だけに浸り切った毎日で、少しずつ理想の音に近付いていく感覚を全員で共有している感じが気持ちよくて。
「ウツミさんは、知ってたんですか」
「……話には、聞いてた」
目を閉じて、呟くような声が落ちていく。
あの光景が、目に焼き付いて離れない。ブースの中で、音の消えた世界で、歌い方どころか呼吸の仕方も忘れてもがき苦しむルカの横顔を。
『やめて……もうやめて、ルカっ!』
ブースに届くマイクを奪ってそう叫んだ瞬間、糸の切れたマリオネットみたく崩れ落ちていく小さな身体に、手を伸ばしても届かなくて。
ガラス越しの悪夢が、消えてくれない。
「……アスカ」
そっと名前を呼ばれて、不意に現実へと引き戻された。
「ルカは強がりだから、絶対『大丈夫』だって、言う。一人で解決するのが、アイツのやり方」
「そう、ですね」
きっと、そうやって全てを一人で解決してきたんだろう。そうしなきゃ、いけなかったから。背中を預けられる人が、誰もいなかったから。きっと、強くなるしかなかった。
「でも、自分で自分に言う『大丈夫』は、ダメだ……それくらい、俺にでも、分かるから」
「っ……」
ウツミさんと初めて二人で交わした会話が、頭の奥で響く。
0
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
むっつり金持ち高校生、巨乳美少女たちに囲まれて学園ハーレム
ピコサイクス
青春
顔は普通、性格も地味。
けれど実は金持ちな高校一年生――俺、朝倉健斗。
学校では埋もれキャラのはずなのに、なぜか周りは巨乳美女ばかり!?
大学生の家庭教師、年上メイド、同級生ギャルに清楚系美少女……。
真面目な御曹司を演じつつ、内心はむっつりスケベ。
隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする
夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】
主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。
そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。
「え?私たち、付き合ってますよね?」
なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。
「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる