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第2部 新学期
番外編 【この気持ちはなんだろう】
後藤姫華は修学旅行からの帰路についていた。駅から自宅までは、徒歩で約10分。カラコロと音を立てる黒のキャリーケースを引きながら、見慣れた街を歩く。特に思い入れもない、いつも通りの道のはず。数日離れていたとは言え、その景色に大きな違いはないはずだ。だが、彼女の胸は気付いてくれと言わんばかりに、鳴っていた。
彼女にとって感じたことのない感情。心当たりがない訳ではない。あの日、親友の想い人である青嶋将に事故とは言え抱きしめられたその時から、この違和感に襲われていた。男性慣れをしていないから、舞い上がってしまっただけだと自分を説得する。が、納得は出来なかった。どこか腑に落ちない。もしかして何か病気にでもなったのだろうか、それとも疲れているだけなのか。一旦考えるのをよそうとため息を溢し見上げると、やけに月が綺麗だった。
彼女の家はマンションの5階。エレベーターを降りて、3つ目の扉の先だ。鍵を回すと、手応えがない。母が鍵をかけ忘れたのかと思い扉を開けたが、リビングの電気が点いているのを、ドアのガラス越しに確認した。玄関に無造作に転がる黒のハイヒールを見つけると、また、ため息を溢す。
「おかえりー姫華、修学旅行どうだった?」
リビングに入ると、だらしなくソファに腰掛ける下着姿の風香が、缶ビールを片手にテレビを見ていた。
「姉さん……家の中だからって、服を着てよ!」
「別にいいじゃん。私は外でも今と恰好あんま変わんないんだし」
「ところで、なんでいるの? 私疲れているのだけど……」
「今日は夜の仕事が休みだったからさ。たまには、妹の顔見に来たっていいじゃない」
「言ったでしょ? 疲れているの。それに、考えたいこともあるし……」
「へぇ、なんか悩みでもあんの? お姉さんに話してみ?」
「嫌よ、一人で考えたいの……」
「彼氏と、なんかあった?」
「そ、そんな訳ないでしょ? あの人とは、無関係よ……」
缶ビールを「カンッ」と、気持ちの良い音を立ててテーブルに置き立ち上がった風香は、姫華の頭をゴシゴシと撫でた。
「ホント姫華はわっかりやすいなぁ~」
「ちょっと、やめてよ! 子供扱いしないで!」
「これは子供扱いじゃなくて、愛情表現よ。妹を可愛がって何が悪いの?」
「私がそう感じたら、そうなのよ……」
「じゃあ、久しぶりに一緒にお風呂はいろっか? 沸かしておいたんだ」
「はぁ? なんでそうなるの? 絶対嫌よ」
「いいじゃんたまには、姉妹なんだし」
「この年齢の姉妹が一緒にお風呂に入るなんて聞いたことがないわ」
「そう? 私の周りにはいっぱいいるけどなぁ。それに昨日までは同級生とは一緒にお風呂入ってたんでしょ?」
「そうだけれど……それとこれとは別よ」
「じゃあ、青嶋君に頼んで一緒に入ってもらおっかなぁ……?」
風香は挑発するようなしたり顔を向ける。
「な、なに言ってるの? はったりはやめて。連絡先なんて知らないでしょ?」
「これ、なーんだ?」
向けられたスマホ画面には、将とのメッセージの履歴が。
「な、なんで……」
「妹の彼氏だもん。連絡先くらい知ってたっていいでしょ? 安心して、もちろん手なんか出してないから」
「最低ね……」
「一緒に入ってくれる?」
「今日、だけだから……」
後藤姉妹が共に風呂に入るのは、およそ10年ぶりだった。湯船に浸かり、浴槽のヘリで腕を組んでいる風香と鏡の前で風呂椅子に座り体を洗う姫華。
「なんで入ってこないのー?」
「どう考えたって狭いじゃない……」
「狭いからいいんじゃん。スキンシップしようよ~」
「嫌よ。お湯がもったいないわ」
「……それにしても、相変わらず成長してないね~」
「ちょっとどこ見てるの? やめてってば!」
下から覗き込むような風香の視線から、顔を赤く染めた姫華は両腕で胸を隠した。
「母さんもあたしもある方なのに、なんで姫華だけ受け継がなかったんだろうね」
「別に、不自由なんてないわよ……」
「青嶋君とは、まだしてないの?」
「あ、当たり前でしょう!? まだ高校生なんだから……」
「ねえ姫華、今どきの高校生ならそのくらい普通だよ?」
「私たちは、清いお付き合いをしているの!」
「そんなんじゃ、いつか愛想つかされるよ? 男ってのはそーゆー生き物なんだから。あんたも全く興味がない訳じゃないんでしょ?」
「そんなこと、考えたこともないわ……」
「あ、また嘘ついた顔してる」
「もうこの話はおしまい! これ以上続けるなら私出るから」
姫華は体を隠すように、さっきまでは拒んでいた湯船に足を入れる。風香に背中を向けて胸上まで浸かると、浴槽から湯がザバンと溢れた。
「……男の子の体ってさ、女の子とは違って、硬くてごつごつしてるんだ。だけど、好きな人に抱きしめられると、なんだか安心するの……初めての時は、私も緊張してそれどころじゃなかったけどね」
今まで風香の振る話題に一切の興味を示さなかった姫華が、この言葉には質問で返した。
「姉さんでも、緊張したの……?」
「そりゃ私にだって、純情な乙女の時代はあったよ?」
「意外ね……今じゃ考えられないわ」
「……ドキドキし過ぎて、心臓発作が起こったんじゃないかって、母さんにすぐ相談した。そしたら母さんが教えてくれたんだ。それは病気と似てるけど、何度患ったっていい病気だから、その気持ちを大切にしなってね」
「そう、なのね……」
「姫華は、ちゃんと恋、できるよ……って、もう彼氏いるんだったね、失敬失敬」
「姉さん、ありがとう……」
「え? 今、お姉ちゃん大好きって言った?」
「耳にお湯でも入ったの?」
「たまには素直になりな~?」
風香が姫華を後ろから抱きしめるも、必死の抵抗で湯船から脱出されてしまう。
「私、もう出るから……」
「あ、姫華。冷蔵庫に買ってきたお弁当入ってるから、好きなの食べていいわよ」
「あ、ありがとう……」
「うん……」
姫華が出ていった後、風香はまた浴槽のヘリに寄りかかって頬を腕に乗せると、妹の成長を喜ぶように優しく微笑んだ。
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