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第一章 出立
第21話 萌芽
しおりを挟む「うぎぁ、あぁぁ……っ!」
筆舌に尽くし難い……いや、芯をぶった切るような激しい痛みが左腕に走る。
同時に白黒の巨影が、揺れる視界の端から現れては通り越してくのを見た。
いっ、痛っでえぇぇぇぇっ!!
腕を……やられた……っ! イノシシが横を通った時に、牙に斬られたんだ……!
「シンジッ!!!」
思わぬ攻撃を喰らい、危うく転倒しそうになったが……何とか踏ん張り、熱い何かを迸らせる腕を抑えてへたり込んでしまう。
左腕を見ると、目を疑うくらいの裂傷が生まれていた。
傷口はぎんぎんと痛覚を鼓動させ、今まで経験したことのない量の血を大地に垂らしている。あまりの痛々しい姿に眩暈さえ覚えた。
あの時フィーリが叫ばなかったら、腕をバッサリと持っていかれたかもしれない。ひょっとすると最悪、牙に突き刺さった死体となった可能性も……。
「っつぅ……うぅ……いってえぇぇぇ……!」
痛い……痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い……!!
腕中で暴れまくる激痛に、モンスターがそこに居る事を忘れて悶え……ついには蹲ってしまった。端から見ればかなり情けない姿だったと思う。
痛くて痛くて痛くて……どれだけもがき苦しんでも消えない痛みが辛くて、このまま気絶してしまえばどんなに楽だったろう。
「シンジ! 立って! そのままじゃ殺されちゃうっ!」
力尽き果てることを許さなかったのは、フィーリの怒号。耳朶に刺さる彼女の声が、苦痛に苛まれた意識を奮い立たせてくれた。
視線を上げると……瀕死のイノシシはふらつきながらも傍観している。
限界が近くて次の攻撃に移れないのか、それとも獲物の具合を見極めているのか……。
「ぐっ……うぅ……っ」
早く逃げないと。アイツが襲ってくる前に何処かに隠れよう。
(…………いやダメだ。)
逃げてもすぐ追いつかれる。怪我したままじゃ格好の的になってあっという間に殺される未来しか見えない。
「こいつら、こんな時に限って……!」
フィーリの焦る声が向こうから聞こえる。彼女達はまだ二匹のイノシシを相手に手間取っていて、来るのに時間が掛かりそうだ。
救援は無理そうか……まさに絶体絶命の状況じゃないか。
殺されるのか俺……? この歳で? こんな場所で? こんな風に?
死ぬのか――?
「…………まだ、死にたくない……な……」
ぽつりと呟いたのは、生存への執念。
死と隣り合わせになっているこの状況の最中、それだけがしつこく縋り付いていた。
死にたくない。
終わりたくない。
まだ生きていたい。
俺は……ここで死ぬわけにはいかない。
生き続けて――この世界の全てを確かめるんだ。
死にたくない……………………………………………………ならば。
「――――」
ギュリ、と勝手に土を掴む自分の手。その手に力が集う。
この窮地を脱するにはどうすればいいか、その答えが少しずつ浮かび上がる。
――――戦おう。
モンスターと戦い、戦闘に勝利する。答えは明白で至極単純だった。
ただ……怖くて。怖くて怖くて、それを果たそうとしなかった。
「…………」
惨めに俯いた顔を起こす。もう一度見た世界は、ゆらゆら揺れて見えた気がした。
立ちはだかるは、自分よりも体躯の大きいバケモノ。しかも相手を殺すに容易い自前の得物が付いている。
揺れて見えるのは、恐れと迷いの顕れだ。
本音を言わせてもらうと、正直まだ怖い。勝てる気がしない……。
戦いとは無縁の、のほほんとした世界で自堕落に生きていた人間が、モンスターを倒せると思うか?
無論、倒せない。倒せるはずがないんだ。
……けれど。
戦わなければ、勝たなければ、生き残れない。そうしなければ死ぬ他の選択は無いのだから、覚悟を決めるしかない。
――決意せよ、皆本進児。ここが正念場だ。
残念な事にお前は漫画の主人公みたいな能力を持ってなかったようだ。超人でもなれば俺TUEEE系でもない…………だが。
ここでまた殺されてもいいのか? 惨めで、弱い自分のままでいるのか? 自分の創った世界でも情けない所を見せちまうのか? 違うだろっ!
ここは異世界だ! 異世界ぐらい自分の思う存分に生きてみせろ!
戦え! 勝て! 生き残れ!
フィーリ達のように勇敢に戦うんだ!
戦わなければ――死だ!
「っ……!」
己の奥底で、闘志が芽吹く。
未だ止むことのない痛みを無視し、手負いの身体に鞭を打つ。
フィーリから受け取った唯一の武器を、かたく握った。
まだ立ち上がれるのを意外に思ったのか、イノシシが驚愕したような滑稽な反応を見せた。
「――かかって来いよ。俺はもう逃げないぜ。逃げない代わりに……お前を倒してやるよ」
煌めくナイフのようにイノシシを睨みつけ、おまじないのように自分を言い聞かせる。
進児よ、お前はやれる。お前は出来る。お前は倒せる。
あんなヤツ、ただ身体がデカいだけだ。デカさは強さではないぞ。
勝敗を分けるのは……強い意志と、それを実現する行動力だ。
――行け、進児。
お前は、絶対勝てる――!
「うああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
腹を括り、吶喊。
蝕んでいた恐怖や危機感を、向かい風に乗せて駆け出す。
この時ほど全力で疾走したのは初めてかもしれないが、不思議と息は苦しくはなかった。
『ブグゥ! ブゴオォォォ!!』
突撃する俺に、応じたかのようにイノシシも蹄の跡を刻んで踏み出す。
一対の湾刀を添えた顔面はみるみる大きくなり、端まで視界を埋め尽くすと――ブラックアウトが一瞬起こった。
「おぼ……っ!」
鈍痛が腹部にめり込み、吐き気に見舞われる。
本来なら俺は体当たりを正面から受け、跳ね飛ばされていた……はずだった。
風が……背後から撫でてくる。
牙の餌食となったはずの俺は、なんと長い鼻先に引っかかって半ば乗っている状態となっていた。
気持ちの悪いブタ面がすぐ目の前にある。なんて醜い顔だ。
さっきからずっと揺れてるのは、イノシシがまだ疾走しているかららしい。
…………ん?
なんだ……? ナイフに妙な手応えが……。
「――!」
手応えの正体が、括眼した瞳に焼き付いた。
幸運か悪運か、ナイフの先端がイノシシの喉元に突き刺さっていたのだ。
息の根を止めるはずだった一対の牙はどうやら当て損ね、両隣でしょぼくれている。故にコイツはかなりの隙が出来ている。
これは――チャンスだ!
「おりゃああああぁぁぁぁ! 喰らえぇぇぇぇっ!」
予期せず訪れたこの好機を掴んだ俺は、逆手のナイフを醜いブタ面にプレゼントする。
突き刺し! 突き刺し! 突き刺しぃっ!
もういっちょう! これはやられた腕の分だあ!
「自分より弱い生き物に一方的にやれられる気分はどうだ!? これが俺の力だ!」
何度も何度も、ひたすら刺しまくる。その度に傷口からあの黒い血が飛び散ってきた。
血は不自然にも体温らしい熱を感じない。なんだか墨みたいだ。
「――――ぁぐあぁっっ!?」
突然、ドゴォンッ、という凄まじい衝撃音と共に何かが背中を打った。
鈍器で殴られたような痛みに危うく意識を失いかけたが、今はモンスターと戦闘中。暗転しつつあった意識を無理やり取り戻してみせた。
あ、危ねえ……ここで気絶したら終わりだ。
背中を打ったのは木だった。反撃を喰らったイノシシがよろけて衝突したのだ。
前方はモンスターで、後ろは木……どうやら俺はこの二つの障害物に挟まれている。逃げたくても逃げられない状態だ。
肝を冷やしたが、イノシシも牙が木の幹に刺さってあまり身動きを取れないようだった。
『ブギャアアァァァァァァァァ!!』
「――!?」
マヌケなヤツ、と視線を送った矢先――イノシシはうるさく咆哮を浴びせ、大きな上顎を開けてじりじりと迫ってきた。
近付こうとして、後ろからは木がみしみしと嫌な音が鳴る。
こいつ……喰らい付こうとしてんのか!?
「そうは……させる、かあぁっ!!」
『ブギュル……ッ!?』
なおもかかって来るイノシシに、俺は汚らしい口の中にナイフを思いっきり刺し、刃の埋まった上顎を突き上げてやった。
重い。頭だけでもかなりの重量がある。二メートルぐらいあるバケモノだからそりゃ重いだろう。
だからと言って、力負けするにはいかない。デカかろうが重かろうが、このモンスターを倒す。今はそれを果たすだけだ。
「うおああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
自分でも驚くほどの腕力が満ち溢れ、ブタ面を空に向けて少しずつ持ち上げていく。火事場の馬鹿力というやつだ。人って死が迫るとこんなにも力が出せるのか。
『ググ……ガ……グ……ッ!』
翻弄されるばかりのイノシシもやられるわけには行かず、この劣勢を覆そうと自らの体重を掛けてきた。
「ぐう、うぅぅぅ……!!」
場は力のぶつけ合いと化した。
巨体そのものが繰り出す重圧が、ナイフを通じて伝播してくる。
手が、腕が、筋肉が、心臓が、悲鳴を上げている。身体が軋み始めているんだ。
だけどナイフの握り締めたこの手は決して緩めない。何が何でも離さない。
思考と本能はただ一点。このモンスターを必ず撃破する。
たったそれだけに、全てを――全力を集中させた。
「くったばれええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ――!!!」
撒き散らす黒い液体も意に介さず、極めて膂力を集結させた突き上げを続ける。
長い鼻先が少しずつ、わずかに白光がちらつく緑の天井へ昇っていった。
『ブギイィィィィ、ィィィィ……!!』
腕の伸びる限界まで突き上げた時――耳をつんざくような金切り声が大気を震わせた。
それを皮切りに、イノシシはふっと崩れ落ち……喰らい付こうとした巨体はだらんと動かなくなった。
もしかして……死んだ? こいつ死んだのか?
襲ってくる素振りは……無い。黒目の一切無い白い眼は焦点が合ってないようにも見える。
黒い血を滴らし続けるナイフからは、空っぽになったような空虚さだけが伝わる。後に残ったのは、乱れた呼吸の音と鼓動だけだった。
「……っ」
今度こそ息の絶えた巨体を直前に、背後の木にもたれかかる。初めてモンスターと戦ったせいで身体はボロボロだ。
心臓は壊れそうなくらいにがなり立て、酸素を大いに求めてくる。
「…………勝った」
荒ぶる心臓を鎮めてやっていると、快い感情が奥底からこみ上げる。
感情の正体は、達成感と勝利の喜び。途方もなく困難な課題をやっとクリアした時の嬉しさが胸の内を占領した。
ようやく終わった……。
モンスターに……勝ったんだ……!
泥臭くて、死ぬほど辛くて、運良く勝てた気もするけど、何とか倒す事が出来て清々しい気分だ。
皆本進児よ、お前はよくやった。
「シンジ! 大丈夫!?」
勝利の歓喜に陶酔している内に、フィーリとレトが駆け付けた。こっちが必死に戦っている間に残りの二匹を倒してきたらしい。
フィーリは一度愕然としたが、場を見て徐々に落ち着きを取り戻した。
「――――やったぜ」
息を呑み、たった一言。
色々思うところはあったが、初めてモンスターを倒した快味を詰め込んで言い放った。
見届けたフィーリは、大丈夫そうだと思ったのか、緊張に締まった形相に笑みを咲かせた。
レトは……変わらず、苦労してやっとの功績を残した相手になーんにも思ってなさそうな様子だ。
「へえ。意外とやるじゃん」
「意外? ははっ、それは俺が弱そうに見えたってことか?」
「……いいや、全然。最高。ボロボロだけど」
冗談を挟みつつ、それでも彼女の穏やかな微笑みは、初勝利を祝ってくれた気がした。
「――――」
はからずも感極まりそうになった。
誰かに自分の成果を称えられたのは何年振りだろう?
冷めた現実に色を失った心が、温かい色を灯す……そんな、じんとした感覚が胸に宿ったようだった。
「っ! いってぇ……」
そんなめでたい時に、空気を読まず乱入してきた馬鹿者は、じくりと疼いた腕の傷だ。
忘れてた……俺、怪我してたんだった。
くぅ……せっかくの良い雰囲気だったのに邪魔しやがって……つぅっ!
「いでっ、痛てて……っ」
「ちょっと待って。応急処置してあげる」
「ああ、頼む……」
傷の処置を買って出たフィーリはすぐ傍に寄り掛かり……何故か、手の平を傷口に向けた。
「??」
この仕草に何の意味があるのか、ちっとも見出せない。
これが……応急処置なのか? 傷薬や包帯を使うんじゃなくて?
おいおい、何かの冗談か?
「――ヒーリング」
どういうつもりか聞こうとした時――フィーリはいきなり何か唱え始めた。
それだけ言うと……手の先に幾何学的な文字が円陣が現れ、水の底から照明を点けたような淡い碧色に輝いた。
この円陣は……わからないはずがない。これに似た物を何度も見てきた。
非科学的で、不可思議で、奇跡を起こす。いつの世でも人の心を魅了し憧憬を抱かせる、神秘的な現象。
そう――――『魔法』だ。
「あ……!」
円陣が明滅を繰り返している間、目を瞠るような出来事が起こった。
傷が……少しずつ塞がっていく……! 修復していく過程を早送りにして見ている気分だ。
すげえ、どんどん治っていくぞ! それに痛みや倦怠感も引いて、なんだか活力が漲ってきた!
「これは回復魔法か?」
「治癒の『魔術』だよ。魔力を使って相手の傷を癒す魔術。私は専門家じゃないから大して癒せないけどね」
「大して? これが? 十分じゃないか」
これだけ回復してくれるだけでも有難いのに、前線で戦えるとか優秀じゃん。
ゲームでも、前衛と回復をこなせるキャラクターは重宝されるぞ。
「よし、これで終わりっ」
回復を終えたフィーリが手を差し伸べ、ほんの少し前まで創痍し切っていた俺を起こしてくれた。
再び地に立つと……辺りはモンスターの遺骸と戦闘の跡が残り、けれどもモンスターが出てくる前の静けさに逆戻りしていた。
「激しい動きしたら痛むから無理はしないでよね」
「わかってるって。こんな怪我を負ってモンスターと戦えるか。さっさと行こうぜ」
回復してもらったけど、あんな辛い目に遭うのはもうコリゴリだ。次戦うなら、自分よりちょっと弱いヤツで結構だ。
「ちょっと待って」
「? どうした?」
「行く前に……剥ぎ取り、やろっか?」
「…………」
またか。他人が命懸けで戦った後なのに……呆れたなあ。
でもまあ、モンスターをさらに三匹倒したんだ。素材が増えて嬉しいよなあ。
「ナイフは?」
貸し与えたナイフを求めて周りをきょろきょろと見廻すフィーリ。
それは確か……。
「あー、こいつの口の中……」
「は? えっ!? えぇー……」
「使いたければどうぞ。まだ使えるとは思う……」
「…………」
「キュキュウ……」
口の中に刺さったままのナイフを、フィーリが何とも言えない表情をしつつ抜き取っていく。
唾液と血に塗れた姿に唸ったが、結局それを使って素材集めに取り掛かった。
次こそはモンスターが出ないと良いなー……なんて。
そんな事思ったらフラグが立つからやめておこう。
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