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第6章 雪山の一夜
第96話 まっ白(1)
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ウッディなカフェの窓からは、樹氷越しに羊蹄山が見えていた。
が、頂上付近にはさすがに雲が掛かりはじめていた。
聡はホットココアを片手にぼんやりと眺めるともなく景色の中に視線を遊ばせていた。
昼下がりのゲレンデ。ゴンドラを昇った近くにあるカフェに聡は一人でいる。
頭が朝からずっと重いのは、昨夜、ずっと寝付けなかったせいか。それとも……。
あきらかにその原因であろう瑞樹は、さすがに今日はスキー研修を休んだ。
理由は体調不良ということにしているが、実際の理由が理由なだけに、まだそれは聡と山口だけの秘密にしてあった。
研修は授業扱いなので、休んでいる間は、プリントなど自習をやることになる。
その指導には当直の教師があたるのだが、『体調不良』の瑞樹は、聡と山口の客室にやってきて、そこで過ごすことになった。
ウィッグをまるで自分の体の一部のように身につけ、いつもの長い黒髪姿の瑞樹は、聡と必要事項以外話さなかったが、
その態度はなんだか勝ち誇ったようなようすが見え隠れしていて、聡は息苦しくなった。
部屋にいると瑞樹とずっと顔を付き合わせることになる。
午前は当直だから、教師としての義務で耐えたが、自由時間の午後まで瑞樹の顔を見るのは苦しい……。
だから、あまりスキーをする気分ではなかったが、いちおう聡はウェアを着こんでゲレンデに出たのだ。
聡はため息をついて、将を思う。
昨夜、ベッドに入っても寝付けない聡だったが、能天気な将は、罰ゲームについてメールを送ってきた。
『さっきは何で、俺にチューしなかったんだよー』
聡は、その返事をいったん書き換えている。
最初はこう書いていた。
『将、葉山さんとは、本当に9月で別れたの?』
質問の返事をあえて書かず、逆に問い返す。
でも……送信ボタンを押せなかった。こんなことはメールで訊くべきではないと思い直したのだ。
なんにも知らない将からは、次々と無邪気なメールが送られてくる。
メールのすべてに、つい、将への不信を書き込んでしまいそうになる。問題の内容に触れたくなる。
聡はそれを押さえるのに骨を折った。
将は眠ってしまったらしく、メールは途中で途絶えた。
いつも思うが、将は、コトンと眠りにつく。
抱き合っているときもだが、3秒前まで深い口づけをしていたはずなのに、気付くと寝息を立てていたりする。
萩の実家でもそうだった。
健康な若さゆえなのか。
いつもは微笑ましい将の寝つきだが、昨日の聡は、一人取り残されて寂しかった。
そのまま悶々と寝付けない夜が、聡の前に横たわった。
そして、完全に寝不足で迎えた今朝。
自分でも将への態度がぎこちないのがわかっていた。
そんな聡に将は
『アキラ。俺、何かしたっけ?』
と素直に訊いてきた。その顔には、聡を心配する優しさと、
『自分は何もしていないはずだ』という自信が同居していて、そんな将に聡は何も言えなかった。
やはり、あの将が、嘘をついてまで瑞樹と寝るとは、聡にはどうしても考えられない。
聡は再び深いため息をついて窓の外に広がる樹氷の風景を見る。
樹氷は昼下がりの陽光を受けてダイヤをちりばめたようにキラキラ輝いている。
聡はココアを唇に運んだ。
熱すぎて冷まそうとしたココアだが、時間がたちすぎてしまったのか、逆にぬるくなってしまっている。
その甘さをあまり味わうこともなく飲み干す。
カップの最後には、溶けたチョコレート状のココアが沈んでいる。
ココアの最後にそれをすするのは、実は聡のひそかな愉しみなのだが、今日のそれはやたら泥のように粉っぽい気がした。
干潟の泥のように味気ないそれをすすり切ったとき、ふいに携帯が鳴った。
ぼんやりしていた聡はビクッと体を震わせる。
あわててジャケットの内ポケットから騒がしく鳴り続ける携帯を取り出す。
「もしもし?」
「古城先生ですか?」
電話の向こうは多美先生だった。
「……実は、急に鷹枝将が、いなくなりまして」
「ええっ?」
いなくなったとはどういうことだ。聡は携帯にしがみつくように話を聞く。
事情はこうだ。
講習中、急に将は「ションベン行きたい」と言い出した。
トイレはゲレンデの初心者コースを降りきったところにあったが、講師は今の将のレベルだったら十分安全に降りられると判断したらしい。
用を足したら下でそのまま皆が降りてくるのを待っているように、と指示して将を一人で行かせたのが最後、そのままいなくなったらしい。
単独でゲレンデを降りたのが今から40~50分ほど前だという。
「ホテルをさんざん探したのですが見つかりませんで。ゲレンデにいるのでは、と……。今、ゲレンデ放送などをするように手配してますが……、
古城先生も、どこか心当たりがあったら探してもらっていいですか? 目立つ黄色のウェアだから、すぐわかると思うんですが」
「わかりました。探してみます」
「お願いします」
電話はあわただしく切られた。
――いったい、どこへ……。
聡は、とりあえず将に電話をかけてみた。ちなみに学校関係者は将の携帯を知らない。
しかし、やっぱり電源は切られていた。
増殖する不安が胃を圧迫する。将がいなくなったあの、12月の何週間かの不安と寂しさを脳がトレースしようとする。
それを打ち消すように、聡は将に、『どこにいるの、みんな心配してるよ。連絡して』と
とりあえず短いメールを打つと席を立った。
カフェの前に出ると、聡は前に広がるゲレンデを見渡した。
さっきより少し風が吹き始めたようだ。
視界に広がるのは、ニセコアンヌプリ山頂に向かって上り坂の、傾斜がややきつい中級者コースばかりで、
当然、修学旅行生用の黄色のウェアはいない。
ふと、聡はニセコアンヌプリの山に目をやった。
雪に覆われた山頂は、午後の光を受けて、白い頂を金色っぽく変えていた。
そのとき、カフェの前で、スキーを手にした聡に、ふいに話し掛ける声があった。
「いいスキーだね。でも今日はパウダー目当てにはがっかりでしょう」
声の主はサングラスの中年男だった。雪の中に置かれたテーブルセットで煙草を吸っている。
聡はとっさに無言で頷いた。とりあえずあいまいに笑顔をつくる。
聡のレンタルしたスキーは、山スキー用の最新モデルだった。
普通のスキーよりもかなり長めのそれは制御しづらく、上級者である証でもある。
北海道なのでチャンスがあったらパウダーを滑りたいと思って昨日レンタルしたのだが、
パウダー好きにはあいにくの晴天続きで、ゲレンデはおおむねどこも踏み固められていた。
「僕も、パウダー目当てでさっき山頂に行ってきたんだけど、荒らされちゃってもうダメだね。
午後から少し崩れるっていうから、明日に期待したいよ」
スキー場の管理外である山頂部からゲレンデに降りて来る間の区間は、圧雪も入らずパウダー好きには絶好のコースとなっていた。
もちろん傾斜はおおむね30度を超え、上級者以外は受け付けない。
「午後、やっぱり崩れるんですか?」
いちおう予報を見てきた聡だが、降雪確率は30%ぐらいだったはずだ。
「軽く、みたいだけど。ホラ。風も出てきたし」
男が指差した方向をみると、山頂の背後には雲がわずかに見えていた。それは少しずつ面積を増やしていた。
聡は、それを見て、ハッとした。
将は……山頂を目指したのではないだろうか。
が、頂上付近にはさすがに雲が掛かりはじめていた。
聡はホットココアを片手にぼんやりと眺めるともなく景色の中に視線を遊ばせていた。
昼下がりのゲレンデ。ゴンドラを昇った近くにあるカフェに聡は一人でいる。
頭が朝からずっと重いのは、昨夜、ずっと寝付けなかったせいか。それとも……。
あきらかにその原因であろう瑞樹は、さすがに今日はスキー研修を休んだ。
理由は体調不良ということにしているが、実際の理由が理由なだけに、まだそれは聡と山口だけの秘密にしてあった。
研修は授業扱いなので、休んでいる間は、プリントなど自習をやることになる。
その指導には当直の教師があたるのだが、『体調不良』の瑞樹は、聡と山口の客室にやってきて、そこで過ごすことになった。
ウィッグをまるで自分の体の一部のように身につけ、いつもの長い黒髪姿の瑞樹は、聡と必要事項以外話さなかったが、
その態度はなんだか勝ち誇ったようなようすが見え隠れしていて、聡は息苦しくなった。
部屋にいると瑞樹とずっと顔を付き合わせることになる。
午前は当直だから、教師としての義務で耐えたが、自由時間の午後まで瑞樹の顔を見るのは苦しい……。
だから、あまりスキーをする気分ではなかったが、いちおう聡はウェアを着こんでゲレンデに出たのだ。
聡はため息をついて、将を思う。
昨夜、ベッドに入っても寝付けない聡だったが、能天気な将は、罰ゲームについてメールを送ってきた。
『さっきは何で、俺にチューしなかったんだよー』
聡は、その返事をいったん書き換えている。
最初はこう書いていた。
『将、葉山さんとは、本当に9月で別れたの?』
質問の返事をあえて書かず、逆に問い返す。
でも……送信ボタンを押せなかった。こんなことはメールで訊くべきではないと思い直したのだ。
なんにも知らない将からは、次々と無邪気なメールが送られてくる。
メールのすべてに、つい、将への不信を書き込んでしまいそうになる。問題の内容に触れたくなる。
聡はそれを押さえるのに骨を折った。
将は眠ってしまったらしく、メールは途中で途絶えた。
いつも思うが、将は、コトンと眠りにつく。
抱き合っているときもだが、3秒前まで深い口づけをしていたはずなのに、気付くと寝息を立てていたりする。
萩の実家でもそうだった。
健康な若さゆえなのか。
いつもは微笑ましい将の寝つきだが、昨日の聡は、一人取り残されて寂しかった。
そのまま悶々と寝付けない夜が、聡の前に横たわった。
そして、完全に寝不足で迎えた今朝。
自分でも将への態度がぎこちないのがわかっていた。
そんな聡に将は
『アキラ。俺、何かしたっけ?』
と素直に訊いてきた。その顔には、聡を心配する優しさと、
『自分は何もしていないはずだ』という自信が同居していて、そんな将に聡は何も言えなかった。
やはり、あの将が、嘘をついてまで瑞樹と寝るとは、聡にはどうしても考えられない。
聡は再び深いため息をついて窓の外に広がる樹氷の風景を見る。
樹氷は昼下がりの陽光を受けてダイヤをちりばめたようにキラキラ輝いている。
聡はココアを唇に運んだ。
熱すぎて冷まそうとしたココアだが、時間がたちすぎてしまったのか、逆にぬるくなってしまっている。
その甘さをあまり味わうこともなく飲み干す。
カップの最後には、溶けたチョコレート状のココアが沈んでいる。
ココアの最後にそれをすするのは、実は聡のひそかな愉しみなのだが、今日のそれはやたら泥のように粉っぽい気がした。
干潟の泥のように味気ないそれをすすり切ったとき、ふいに携帯が鳴った。
ぼんやりしていた聡はビクッと体を震わせる。
あわててジャケットの内ポケットから騒がしく鳴り続ける携帯を取り出す。
「もしもし?」
「古城先生ですか?」
電話の向こうは多美先生だった。
「……実は、急に鷹枝将が、いなくなりまして」
「ええっ?」
いなくなったとはどういうことだ。聡は携帯にしがみつくように話を聞く。
事情はこうだ。
講習中、急に将は「ションベン行きたい」と言い出した。
トイレはゲレンデの初心者コースを降りきったところにあったが、講師は今の将のレベルだったら十分安全に降りられると判断したらしい。
用を足したら下でそのまま皆が降りてくるのを待っているように、と指示して将を一人で行かせたのが最後、そのままいなくなったらしい。
単独でゲレンデを降りたのが今から40~50分ほど前だという。
「ホテルをさんざん探したのですが見つかりませんで。ゲレンデにいるのでは、と……。今、ゲレンデ放送などをするように手配してますが……、
古城先生も、どこか心当たりがあったら探してもらっていいですか? 目立つ黄色のウェアだから、すぐわかると思うんですが」
「わかりました。探してみます」
「お願いします」
電話はあわただしく切られた。
――いったい、どこへ……。
聡は、とりあえず将に電話をかけてみた。ちなみに学校関係者は将の携帯を知らない。
しかし、やっぱり電源は切られていた。
増殖する不安が胃を圧迫する。将がいなくなったあの、12月の何週間かの不安と寂しさを脳がトレースしようとする。
それを打ち消すように、聡は将に、『どこにいるの、みんな心配してるよ。連絡して』と
とりあえず短いメールを打つと席を立った。
カフェの前に出ると、聡は前に広がるゲレンデを見渡した。
さっきより少し風が吹き始めたようだ。
視界に広がるのは、ニセコアンヌプリ山頂に向かって上り坂の、傾斜がややきつい中級者コースばかりで、
当然、修学旅行生用の黄色のウェアはいない。
ふと、聡はニセコアンヌプリの山に目をやった。
雪に覆われた山頂は、午後の光を受けて、白い頂を金色っぽく変えていた。
そのとき、カフェの前で、スキーを手にした聡に、ふいに話し掛ける声があった。
「いいスキーだね。でも今日はパウダー目当てにはがっかりでしょう」
声の主はサングラスの中年男だった。雪の中に置かれたテーブルセットで煙草を吸っている。
聡はとっさに無言で頷いた。とりあえずあいまいに笑顔をつくる。
聡のレンタルしたスキーは、山スキー用の最新モデルだった。
普通のスキーよりもかなり長めのそれは制御しづらく、上級者である証でもある。
北海道なのでチャンスがあったらパウダーを滑りたいと思って昨日レンタルしたのだが、
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「僕も、パウダー目当てでさっき山頂に行ってきたんだけど、荒らされちゃってもうダメだね。
午後から少し崩れるっていうから、明日に期待したいよ」
スキー場の管理外である山頂部からゲレンデに降りて来る間の区間は、圧雪も入らずパウダー好きには絶好のコースとなっていた。
もちろん傾斜はおおむね30度を超え、上級者以外は受け付けない。
「午後、やっぱり崩れるんですか?」
いちおう予報を見てきた聡だが、降雪確率は30%ぐらいだったはずだ。
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