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5:激流の向こう側(2)
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時刻はもう午後だ。雨音は依然続いている。
海斗はベッドに横たわったまま、暗い天井をぼんやりと見つめていた。
体が重い。いや、体というより――心がどこかに置き去りになったようだった。
自分が誰なのか。何のために、ここにいるのか。出口のない問いが、霧のように思考を塞いでいた。
その時、玄関ドアが開く気配がした。アキトだろうか。
不意に、部屋の照明がぱっと灯った。
薄暗がりに慣れた目には、その光が刺すように眩しい。
顔をそらした先……寝室の入り口に杏奈が立っていた。
「ショウ……。なんしとうと。カーテンも開けんで」
彼女はためらうことなく窓際へ歩み寄り、重厚な遮光カーテンを勢いよく開け放った。
雨天とはいえ、外の光が一気に流れ込み、海斗は無理やり光に引っ張り起こされるように上体を起こした。
(……杏奈、普通に入ってくるんだな)
杏奈は翔生の家に入るほどの仲ではないと思っていたが、それは海斗の勘違いだったのか。たまたま最近だけ遠慮していただけだったのだろうか。
杏奈は迷いなくベッドの端に腰を下ろした。
海斗のすぐ横。
触れれば届く距離。
「……学校、休んだんやね。……なんかあったと?」
声は柔らかい。
杏奈は、海斗の顔を覗き込んできた。その瞳には、彼を心配する色よりも、自分を視界に入れない朝倉翔生への苛立ちが見えるような気がした。
海斗は返事をしなかった。する気力がないといったほうがいい。
杏奈は、そんな沈黙を“弱っている”と受け取ったのだろう。そっと身を寄せてくる。
「ショウ……あたし、心配しとったとよ。最近、なんか変だし……」
慰めるようで、どこか甘えるような響きもあった。
海斗は視線を落としたまま、何も言わない。
杏奈は、さらに距離を詰めた。肩が触れそうなほど近い。
「ねえ、昨日あんなことがあったから……? 先生のことなんて、もういいじゃん。ショウには杏奈がいるでしょ?」
その言葉と同時に、杏奈の手が海斗の胸元に触れた。
拒む間もなく、彼女はそのままの勢いで海斗をベッドへ押し倒すと、覆いかぶさってきた。海斗から反射的に出た「ちょ、何すんだ」という抗議もおかまいなく、自らの胸を密着させてくる。
「いいじゃん、もう。ショウだって本当は寂しいんでしょ?」
顔が近づく。杏奈の香水の匂いが鼻を突き、彼女の唇が重なろうとしたその瞬間――。
「やめろ!」
海斗の体が、強く動いた。本能的な嫌悪での反射。
杏奈の肩を強く突き放した。
突き飛ばすまではいかなかったが、杏奈はベッドの端でバランスを崩し、小さく息を呑んだ。
「……なんで?」
小さく発した声は震えていた。
呆然と海斗を見つめる杏奈の瞳に、みるみるうちに怒りが燃えあがるのが見えた。
「ショウ……最近ずっとおかしいよ。あの先生のことばっか見て。昨日もさ……見たけんね」
海斗の胸の中で、この一瞬だけ忘れていた絶望がピクリと震えた。
「学校の近くで、あの先生に怒鳴られよったやん。あれ、なに? 見るだけじゃ我慢できなくて、なんかしたっちゃないと!?」
杏奈の声が、刺すように鋭くなる。
「担任のセンセイに必死すぎて笑うっちゃけど」
はっ、と吐き出すように笑う。
「早川ちゃんのこと、そんなに好きなん? ……キモいんだよ、今のショウ! あんなババアに必死になって、惨めだと思わないわけ?」
そこまで一気に畳みかけた杏奈はハッとして押し黙った。
翔生が無言で、睨みつけている。殺気を含んだ鋭い視線。杏奈は一瞬、翔生が中年教師を病院送りにしたことを思い出して背筋が凍った。
「……ご、ごめん。言いすぎた。ショウ、あたし……」
「帰れ」
杏奈の言葉を、翔生の声が断ち切った。刃物のように容赦ない口調。
「え……?」
「帰れって言ってんだよ」
海斗は立ち上がり、杏奈の腕を掴み、問答無用で部屋の外へと引きずっていった。
「ショウ……待って、あたし――」
悲鳴に近い杏奈の声も、今の海斗には届かない。
玄関ドアから、突き飛ばすように無理やり彼女を押し出すと、玄関の扉を乱暴に閉めてチェーンをかける。
重厚な扉が閉まった反響が止むと、マンションの長い廊下には、雨音だけが残った。
マンションの廊下に取り残された杏奈は、雨音の中しばらく立ち尽くしていた。
海斗はベッドに横たわったまま、暗い天井をぼんやりと見つめていた。
体が重い。いや、体というより――心がどこかに置き去りになったようだった。
自分が誰なのか。何のために、ここにいるのか。出口のない問いが、霧のように思考を塞いでいた。
その時、玄関ドアが開く気配がした。アキトだろうか。
不意に、部屋の照明がぱっと灯った。
薄暗がりに慣れた目には、その光が刺すように眩しい。
顔をそらした先……寝室の入り口に杏奈が立っていた。
「ショウ……。なんしとうと。カーテンも開けんで」
彼女はためらうことなく窓際へ歩み寄り、重厚な遮光カーテンを勢いよく開け放った。
雨天とはいえ、外の光が一気に流れ込み、海斗は無理やり光に引っ張り起こされるように上体を起こした。
(……杏奈、普通に入ってくるんだな)
杏奈は翔生の家に入るほどの仲ではないと思っていたが、それは海斗の勘違いだったのか。たまたま最近だけ遠慮していただけだったのだろうか。
杏奈は迷いなくベッドの端に腰を下ろした。
海斗のすぐ横。
触れれば届く距離。
「……学校、休んだんやね。……なんかあったと?」
声は柔らかい。
杏奈は、海斗の顔を覗き込んできた。その瞳には、彼を心配する色よりも、自分を視界に入れない朝倉翔生への苛立ちが見えるような気がした。
海斗は返事をしなかった。する気力がないといったほうがいい。
杏奈は、そんな沈黙を“弱っている”と受け取ったのだろう。そっと身を寄せてくる。
「ショウ……あたし、心配しとったとよ。最近、なんか変だし……」
慰めるようで、どこか甘えるような響きもあった。
海斗は視線を落としたまま、何も言わない。
杏奈は、さらに距離を詰めた。肩が触れそうなほど近い。
「ねえ、昨日あんなことがあったから……? 先生のことなんて、もういいじゃん。ショウには杏奈がいるでしょ?」
その言葉と同時に、杏奈の手が海斗の胸元に触れた。
拒む間もなく、彼女はそのままの勢いで海斗をベッドへ押し倒すと、覆いかぶさってきた。海斗から反射的に出た「ちょ、何すんだ」という抗議もおかまいなく、自らの胸を密着させてくる。
「いいじゃん、もう。ショウだって本当は寂しいんでしょ?」
顔が近づく。杏奈の香水の匂いが鼻を突き、彼女の唇が重なろうとしたその瞬間――。
「やめろ!」
海斗の体が、強く動いた。本能的な嫌悪での反射。
杏奈の肩を強く突き放した。
突き飛ばすまではいかなかったが、杏奈はベッドの端でバランスを崩し、小さく息を呑んだ。
「……なんで?」
小さく発した声は震えていた。
呆然と海斗を見つめる杏奈の瞳に、みるみるうちに怒りが燃えあがるのが見えた。
「ショウ……最近ずっとおかしいよ。あの先生のことばっか見て。昨日もさ……見たけんね」
海斗の胸の中で、この一瞬だけ忘れていた絶望がピクリと震えた。
「学校の近くで、あの先生に怒鳴られよったやん。あれ、なに? 見るだけじゃ我慢できなくて、なんかしたっちゃないと!?」
杏奈の声が、刺すように鋭くなる。
「担任のセンセイに必死すぎて笑うっちゃけど」
はっ、と吐き出すように笑う。
「早川ちゃんのこと、そんなに好きなん? ……キモいんだよ、今のショウ! あんなババアに必死になって、惨めだと思わないわけ?」
そこまで一気に畳みかけた杏奈はハッとして押し黙った。
翔生が無言で、睨みつけている。殺気を含んだ鋭い視線。杏奈は一瞬、翔生が中年教師を病院送りにしたことを思い出して背筋が凍った。
「……ご、ごめん。言いすぎた。ショウ、あたし……」
「帰れ」
杏奈の言葉を、翔生の声が断ち切った。刃物のように容赦ない口調。
「え……?」
「帰れって言ってんだよ」
海斗は立ち上がり、杏奈の腕を掴み、問答無用で部屋の外へと引きずっていった。
「ショウ……待って、あたし――」
悲鳴に近い杏奈の声も、今の海斗には届かない。
玄関ドアから、突き飛ばすように無理やり彼女を押し出すと、玄関の扉を乱暴に閉めてチェーンをかける。
重厚な扉が閉まった反響が止むと、マンションの長い廊下には、雨音だけが残った。
マンションの廊下に取り残された杏奈は、雨音の中しばらく立ち尽くしていた。
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