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8:朝倉翔生の影(6)
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土曜日、たそがれどき。
分厚い雲に覆われた空が、奇妙に明るいピンク色に照り輝き、次第に紫がかった色へと変化していく。
そんな時間帯に、二人は中心街から離れた環状線近くのコンビニの駐車場で待ち合わせた。
万が一、生徒や保護者の目に触れることを避けるための、細心の注意だった。
里玖は教師で、海斗の姿はその教え子の朝倉翔生だから。
軽自動車の助手席に乗り込んできた海斗を見て、里玖は思わず吹き出した。
紫色の空はだいぶ暗くなり、夜の帳が下りようとしているのに、海斗は色の濃いサングラスを律儀にかけていた。
「……ちょっと、海斗。何その格好」
対する里玖は、今日は髪をポニーテールにしているのが可愛い。
「いや、一応……念のための変装」
「変装っていうか、完全に怪しい人だよ。もう夜になるってば」
里玖が笑いながら指摘すると、海斗は「……だよな」とバツが悪そうにサングラスを外した。
その下から現れた翔生の端正な瞳が、少しだけ照れたように揺れる。
「七海は?」
「沖島食堂。ちょろちょろ動くから、夜の川は危ないしね」
「なーんだ。七海にホタル見せてあげられると思っとったのに」
「もう少し大きくなってからね。おばさんたちも『二人でゆっくりしてこんね』って言ってくれたし……今日は甘えちゃった」
「……そっか」
海斗は照れ隠しのように鼻を鳴らした。
穴場だというホタルスポットまでは、車を走らせること三十分。街の灯りが遠ざかり、車は山の中へ入っていく。
いつもなら残照がある時間なのに、空は厚い雲のせいか、もう真っ暗だ。
車を降りると、ひんやりとした夜気が肌を撫でる。駐車場に車を止めて、そこからさらに数分ほど歩く。
せせらぎが聞こえて、ここが川沿いだとわかる。湿った草の匂いがふわりと漂った。暗がりのせいでミントのような清涼な香りが強く感じられる。
「……いた」
里玖が小さくつぶやく。
ぽう、と小さな光がひとつ、草むらから浮かび上がった。
徐々に目が慣れてきたのか、次々に、緑の光が闇の中に灯っていくのがわかる。
光は次第に数を増し、重力を忘れたかのようにふわりと宙へ舞い上がった。
ふわり、ふわりと消えたり灯ったりしながら漂う光は、まるで呼吸しているようだ。
海斗は(きれいやな……)と声にする代わりに、里玖の肩をふいにそっと抱き寄せる。
その横顔を、里玖はそっと見上げる。暗くて見えないけれど、そこには翔生の顔があるはずだった。
海斗のように、里玖に自然に触れてくるけれど……その姿は朝倉翔生。
海斗に肩を抱かれて、里玖の胸がきゅっと締めつけられる。
「……里玖」
隣で同じ光景を見つめていた海斗が、静かに名前を呼んだ。
――暗がりなのがちょうどいい。朝倉翔生の顔が見えないだろうから。
海斗は吸い寄せられるように、彼女の唇があるあたりへと顔を寄せた。
だが、あと数センチというところで、里玖の手が、海斗の胸をそっと押し返した。
「なんで拒むと」
「だって……海斗、今は未成年やん」
「未成年だってキスくらいいいやん」
「よくない。朝倉君は私の教え子なんだよ。教え子とキスとか……絶対だめ」
「俺は海斗やろぉも」
「でも見た目は朝倉君やん」
そう拒みながらも、海斗のすぐ隣から逃げる気配がない里玖。海斗は、口づけは諦めて、里玖の耳とかポニーテールのおくれ毛をなでてみる。
暗がりの中で触れるそれらは、里玖との夜を思い起させたが、彼女は海斗のそんな下心に気づかないのか、お説教じみた話を始めた。
「いい? 逆の立場になって考えてみて。もし私が男の教師で、海斗が女子高生だったとするでしょ。その男の教師が教え子の女の子に手を出したら、どう思う?」
「……それは、絶対ダメ。許せん」
といいながら、海斗の指は里玖のうなじを往復している。
「でしょう? 」
その瞬間、里玖が「くしょん!」と小さなくしゃみをした。夜風が冷えたのかもしれない。
「来いよ」
海斗はためらいなく里玖の腕を引き寄せた。胸の中に抱きしめる形になる。
「ちょ……」
「でも、俺の中身は海斗なんだし、ハグくらいはいいやろ。今は何にも見えないし」
里玖は最初は驚いて強張っていたが、やがて諦めたように海斗の胸に額を預けた。
朝倉翔生の――十七歳の肉体が持つ、驚くほど高い体温。力強く脈打つ鼓動の音。
「海斗……」
里玖は暗がりの中で、その熱を感じた。この温もりは、五年前まで間違いなく彼女だけを愛していた「沖島海斗」と同化しているように思えた。
互いの顔も見えないような暗さが海斗を蘇らせたようにさえ思える。
幻のように暗闇に漂うホタルに囲まれて、海斗と里玖はお互いのぬくもりを確かめるように抱き合っていた。
分厚い雲に覆われた空が、奇妙に明るいピンク色に照り輝き、次第に紫がかった色へと変化していく。
そんな時間帯に、二人は中心街から離れた環状線近くのコンビニの駐車場で待ち合わせた。
万が一、生徒や保護者の目に触れることを避けるための、細心の注意だった。
里玖は教師で、海斗の姿はその教え子の朝倉翔生だから。
軽自動車の助手席に乗り込んできた海斗を見て、里玖は思わず吹き出した。
紫色の空はだいぶ暗くなり、夜の帳が下りようとしているのに、海斗は色の濃いサングラスを律儀にかけていた。
「……ちょっと、海斗。何その格好」
対する里玖は、今日は髪をポニーテールにしているのが可愛い。
「いや、一応……念のための変装」
「変装っていうか、完全に怪しい人だよ。もう夜になるってば」
里玖が笑いながら指摘すると、海斗は「……だよな」とバツが悪そうにサングラスを外した。
その下から現れた翔生の端正な瞳が、少しだけ照れたように揺れる。
「七海は?」
「沖島食堂。ちょろちょろ動くから、夜の川は危ないしね」
「なーんだ。七海にホタル見せてあげられると思っとったのに」
「もう少し大きくなってからね。おばさんたちも『二人でゆっくりしてこんね』って言ってくれたし……今日は甘えちゃった」
「……そっか」
海斗は照れ隠しのように鼻を鳴らした。
穴場だというホタルスポットまでは、車を走らせること三十分。街の灯りが遠ざかり、車は山の中へ入っていく。
いつもなら残照がある時間なのに、空は厚い雲のせいか、もう真っ暗だ。
車を降りると、ひんやりとした夜気が肌を撫でる。駐車場に車を止めて、そこからさらに数分ほど歩く。
せせらぎが聞こえて、ここが川沿いだとわかる。湿った草の匂いがふわりと漂った。暗がりのせいでミントのような清涼な香りが強く感じられる。
「……いた」
里玖が小さくつぶやく。
ぽう、と小さな光がひとつ、草むらから浮かび上がった。
徐々に目が慣れてきたのか、次々に、緑の光が闇の中に灯っていくのがわかる。
光は次第に数を増し、重力を忘れたかのようにふわりと宙へ舞い上がった。
ふわり、ふわりと消えたり灯ったりしながら漂う光は、まるで呼吸しているようだ。
海斗は(きれいやな……)と声にする代わりに、里玖の肩をふいにそっと抱き寄せる。
その横顔を、里玖はそっと見上げる。暗くて見えないけれど、そこには翔生の顔があるはずだった。
海斗のように、里玖に自然に触れてくるけれど……その姿は朝倉翔生。
海斗に肩を抱かれて、里玖の胸がきゅっと締めつけられる。
「……里玖」
隣で同じ光景を見つめていた海斗が、静かに名前を呼んだ。
――暗がりなのがちょうどいい。朝倉翔生の顔が見えないだろうから。
海斗は吸い寄せられるように、彼女の唇があるあたりへと顔を寄せた。
だが、あと数センチというところで、里玖の手が、海斗の胸をそっと押し返した。
「なんで拒むと」
「だって……海斗、今は未成年やん」
「未成年だってキスくらいいいやん」
「よくない。朝倉君は私の教え子なんだよ。教え子とキスとか……絶対だめ」
「俺は海斗やろぉも」
「でも見た目は朝倉君やん」
そう拒みながらも、海斗のすぐ隣から逃げる気配がない里玖。海斗は、口づけは諦めて、里玖の耳とかポニーテールのおくれ毛をなでてみる。
暗がりの中で触れるそれらは、里玖との夜を思い起させたが、彼女は海斗のそんな下心に気づかないのか、お説教じみた話を始めた。
「いい? 逆の立場になって考えてみて。もし私が男の教師で、海斗が女子高生だったとするでしょ。その男の教師が教え子の女の子に手を出したら、どう思う?」
「……それは、絶対ダメ。許せん」
といいながら、海斗の指は里玖のうなじを往復している。
「でしょう? 」
その瞬間、里玖が「くしょん!」と小さなくしゃみをした。夜風が冷えたのかもしれない。
「来いよ」
海斗はためらいなく里玖の腕を引き寄せた。胸の中に抱きしめる形になる。
「ちょ……」
「でも、俺の中身は海斗なんだし、ハグくらいはいいやろ。今は何にも見えないし」
里玖は最初は驚いて強張っていたが、やがて諦めたように海斗の胸に額を預けた。
朝倉翔生の――十七歳の肉体が持つ、驚くほど高い体温。力強く脈打つ鼓動の音。
「海斗……」
里玖は暗がりの中で、その熱を感じた。この温もりは、五年前まで間違いなく彼女だけを愛していた「沖島海斗」と同化しているように思えた。
互いの顔も見えないような暗さが海斗を蘇らせたようにさえ思える。
幻のように暗闇に漂うホタルに囲まれて、海斗と里玖はお互いのぬくもりを確かめるように抱き合っていた。
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