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10:不在(1)
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日曜日の夕方、里玖は沖島食堂の奥の住居スペースで、七海や圭子、晃と一緒に海斗が来るのをまっていた。
だが、夕闇が街を包み、夜の帳が完全に下りても、海斗は来なかった。
何度も送り続けたショートメッセージに返信はなく、液晶画面は前回のやりとりを映して光るだけだ。
(風邪がぶり返した? ……いや、そんなはずはない)
金曜には登校してケロリとした顔を見せていたし、昨日の土曜日には食堂の手伝いに来て、波多野らと共に生き生きと立ち働いていた。
あの生命力に溢れた動き、血色の良い顔色に、体調の不安など微塵も感じられなかったはずだ。
そして寝不足で迎えた、月曜の朝——眠れなかったのは、熱帯夜にまだ慣れなかっただけではない。
里玖は、何度も寝返りを打つとそのたびにスマホのショートメッセージアプリを開いて落胆した。胸騒ぎがする。
里玖は逸る心を押さえながら学校へ向かったが、朝のホームルームに海斗の姿はなかった。
(何かが起きた。間違いない、海斗の身に――)
里玖の背中を、暑いからだけではない、じっとりとした嫌な汗が伝い落ちた。
だが、その不吉な予感は、昼過ぎに意外な形で裏切られた。
他クラスの授業からの移動中、三年二組の教室の窓越しに、見覚えのある金髪が揺れるのをちらりと見かけたのだ。
「朝倉君、午後から登校してきましたよ。体調は良さそうでしたけど」
四時限目と五時限目の間の休憩時間に、古文の先生が話しかけてきたので、里玖は少しほっとした。
「で、さっそく授業中にスマホ使ってたので、没収しました。ハイ、早川先生」
没収したスマホは、担任教師が預かり、反省文を確認した後で返すルールだ。
「またですか~」と若林先生。
「お手数をおかけしました」
里玖は受け取った朝倉翔生のスマホを見つめた。
――来ている。学校に、彼はいる。
安堵が胸をかすめるが、疑問も沸き上がる。
でも、なぜメッセージの一本も寄越さずに遅刻したのか。
今までの彼なら、遅刻の理由や「今着いた」という一言を、茶目っ気たっぷりに送ってきそうなものなのに。
(もしかしたら、メッセージを送ろうとして没収されたのかもしれない)
無理やりそう結論付けたが、頭の奥に一度点灯した危険信号は消えてくれない。
帰りのホームルーム。
普段、月曜日は進学クラスの補習準備を優先して、副担任の若林先生に任せることも多い帰りのホームルームで、里玖は自ら教壇に立った。
生徒全員を見渡すふりをして、「朝倉翔生」の席に視線を向ける。
ふいに、朝倉翔生と目が合った。 だが――次の瞬間、彼は弾かれたように、ふいっと目を逸らした。
――いつもと違う。
海斗の時も、目が合えば照れ隠しに視線を逸らしてはいた。
けれどその直後は、そっぽを向いたり下を向いたりしながらも、にんまりと口角を少しだけ上げた、嬉しそうな顔を隠しきれていなかった。
しかし、今の彼は違う。逸らした後は、ただ無関心を装って窓の外を眺めている。
それは、海斗が宿る前の「朝倉翔生」の反応そのものだった。
翔生が海斗になったあの事故の前から、里玖は彼とよく目が合うことに気づいていた。
けれど、里玖と視線が交差した翔生は、いつも、それを何気なく見せようと、目をすぐにそらしてしまう。まさに、たった今の翔生のように……。
ホームルームが終わると、朝倉翔生はアキトを連れだって、逃げるように足早に教室を後にしようとした。
その歩き方が、見慣れたものと違うことに、里玖の心臓がギコっと固まる。
今の翔生の歩き方は、どこか落ち着きのない、若者特有の傲慢さを孕んだ歩き方だ。海斗の足取りとは明らかに違う。
「朝倉君!」
里玖の呼び声に、彼はひどく面倒くさそうに、けれど足を止めてこちらに体を向けた。
「……は? 何、先生」
「没収されたスマホの反省文は?」
「……あ。忘れとった。行きゃす」
そういうと、傍らのアキトに「わり。反省文があったわ」と軽く手のひらを向けた。
「あ、朝倉君……」
里玖は震える声を絞り出した。祈るような想いで、彼の瞳の奥を覗き込む。
「あ……、今、あなた……記憶障害は、その……なおった……んですか?」
「記憶障害? ああ、事故の時のこと? んなもん、覚えてねっすね」
ぶっきらぼうな口調。それは、あまりにも残酷で、あまりにも明確な「答え」だった。
海斗が、いない。 この体の持ち主が、本来の主導権を取り戻してしまった。
だが、夕闇が街を包み、夜の帳が完全に下りても、海斗は来なかった。
何度も送り続けたショートメッセージに返信はなく、液晶画面は前回のやりとりを映して光るだけだ。
(風邪がぶり返した? ……いや、そんなはずはない)
金曜には登校してケロリとした顔を見せていたし、昨日の土曜日には食堂の手伝いに来て、波多野らと共に生き生きと立ち働いていた。
あの生命力に溢れた動き、血色の良い顔色に、体調の不安など微塵も感じられなかったはずだ。
そして寝不足で迎えた、月曜の朝——眠れなかったのは、熱帯夜にまだ慣れなかっただけではない。
里玖は、何度も寝返りを打つとそのたびにスマホのショートメッセージアプリを開いて落胆した。胸騒ぎがする。
里玖は逸る心を押さえながら学校へ向かったが、朝のホームルームに海斗の姿はなかった。
(何かが起きた。間違いない、海斗の身に――)
里玖の背中を、暑いからだけではない、じっとりとした嫌な汗が伝い落ちた。
だが、その不吉な予感は、昼過ぎに意外な形で裏切られた。
他クラスの授業からの移動中、三年二組の教室の窓越しに、見覚えのある金髪が揺れるのをちらりと見かけたのだ。
「朝倉君、午後から登校してきましたよ。体調は良さそうでしたけど」
四時限目と五時限目の間の休憩時間に、古文の先生が話しかけてきたので、里玖は少しほっとした。
「で、さっそく授業中にスマホ使ってたので、没収しました。ハイ、早川先生」
没収したスマホは、担任教師が預かり、反省文を確認した後で返すルールだ。
「またですか~」と若林先生。
「お手数をおかけしました」
里玖は受け取った朝倉翔生のスマホを見つめた。
――来ている。学校に、彼はいる。
安堵が胸をかすめるが、疑問も沸き上がる。
でも、なぜメッセージの一本も寄越さずに遅刻したのか。
今までの彼なら、遅刻の理由や「今着いた」という一言を、茶目っ気たっぷりに送ってきそうなものなのに。
(もしかしたら、メッセージを送ろうとして没収されたのかもしれない)
無理やりそう結論付けたが、頭の奥に一度点灯した危険信号は消えてくれない。
帰りのホームルーム。
普段、月曜日は進学クラスの補習準備を優先して、副担任の若林先生に任せることも多い帰りのホームルームで、里玖は自ら教壇に立った。
生徒全員を見渡すふりをして、「朝倉翔生」の席に視線を向ける。
ふいに、朝倉翔生と目が合った。 だが――次の瞬間、彼は弾かれたように、ふいっと目を逸らした。
――いつもと違う。
海斗の時も、目が合えば照れ隠しに視線を逸らしてはいた。
けれどその直後は、そっぽを向いたり下を向いたりしながらも、にんまりと口角を少しだけ上げた、嬉しそうな顔を隠しきれていなかった。
しかし、今の彼は違う。逸らした後は、ただ無関心を装って窓の外を眺めている。
それは、海斗が宿る前の「朝倉翔生」の反応そのものだった。
翔生が海斗になったあの事故の前から、里玖は彼とよく目が合うことに気づいていた。
けれど、里玖と視線が交差した翔生は、いつも、それを何気なく見せようと、目をすぐにそらしてしまう。まさに、たった今の翔生のように……。
ホームルームが終わると、朝倉翔生はアキトを連れだって、逃げるように足早に教室を後にしようとした。
その歩き方が、見慣れたものと違うことに、里玖の心臓がギコっと固まる。
今の翔生の歩き方は、どこか落ち着きのない、若者特有の傲慢さを孕んだ歩き方だ。海斗の足取りとは明らかに違う。
「朝倉君!」
里玖の呼び声に、彼はひどく面倒くさそうに、けれど足を止めてこちらに体を向けた。
「……は? 何、先生」
「没収されたスマホの反省文は?」
「……あ。忘れとった。行きゃす」
そういうと、傍らのアキトに「わり。反省文があったわ」と軽く手のひらを向けた。
「あ、朝倉君……」
里玖は震える声を絞り出した。祈るような想いで、彼の瞳の奥を覗き込む。
「あ……、今、あなた……記憶障害は、その……なおった……んですか?」
「記憶障害? ああ、事故の時のこと? んなもん、覚えてねっすね」
ぶっきらぼうな口調。それは、あまりにも残酷で、あまりにも明確な「答え」だった。
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