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11:海斗、再び(4)
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「……ただいま」
海斗は、午後も遅い時間に沖島食堂ののれんをくぐった。
声にいつもの張りがなく、圭子がすぐに気づいた。
「海斗、元気ないねえ。どうしたと?」
厨房では、すでに波多野と父の晃が夜の仕込みを始めており、カウンター席には七海がちょこんと座って、枝豆をつまんでいた。
「先週の日曜日、来なかったけど……どうしたの? 」
圭子が麦茶を置きながら訊いてくる。
……本物の翔生と入れ替わっていたから――とは言えない。
「あ、試験勉強で余裕なくてごめん。今日まで期末試験やったと」
と無難な嘘を並べると、波多野が豪快に笑った。
「大人になって、試験とは無縁になったはずなのに、災難だったな、沖島!」
その屈託のない笑い声に、海斗は少しだけ胃のあたりが軽くなるのを感じた。
夏本番の週末のせいなのか、特別メニューの人気なのか、沖島食堂は17 時の夜営業の開始時間すぐから客が入り始めた。
まもなく、文字通り、戦場のような忙しさになった。
七海の子守で圭子がほぼ抜ける分、厨房の密度は上がる。本格的な夏の訪れを告げるように、客席は生ビールを求める客で埋め尽くされた。
ビールケースを裏返して臨時でしつらえた外のテラス席までが埋まる。
今日の特別メニューは、凍ったガスパチョを削った「フローズンガスパチョ」にカリカリにあげた小エビフライを添えたもので、見た目も「映え」て大好評だ。
海斗は、無心で小エビを揚げ、真っ赤なガスパチョをミキサーにかけた。
時折、ホールのバイトの子が回らなくなれば、自らジョッキを抱えて客席へ走る。
だが――ふとした瞬間、手が止まってしまう。
忙しく立ち働く波多野のコックコートの背中。
レジで客と談笑する父。
七海に優しく声をかける母。
そのひとつひとつの光景が、まるで古いスクリーンの向こう側の出来事のように、ひどく遠く、そしてあまりに脆く見えた。
「どうした。試験疲れか?」
波多野が怪訝そうに声をかける。
「ああ。……悪い。ずっと一夜漬けが続いたから、ちょっと頭がぼーっとしてて」
海斗は無理やり口角を上げ、再びフライヤーに集中した。パチパチとはぜる油の香りが、海斗の思考を現実につなぎとめるかのようだった。
* * *
里玖が現れたのは、夜も更け、閉店間際になってからだった。
「こんばんわ……。遅くなりました……」
その声を聞いた瞬間、海斗の中で張り詰めていた何かが、ぷつりと切れた。
海斗は、もう抑えきれなかった。厨房から飛び出すと、そのまま里玖を抱きしめた。
「……っ、海斗!?」
里玖のバッグが床に落ち、小さな音を立てた。まばらとはいえ残っていた客の注目を集めるが、構わない。
「ちょ……どうしたの、急に。みんな見てるよ?」
戸惑いながらも、里玖は海斗の背中にそっと手を回す。
海斗は彼女の首筋に顔を埋め、その柔らかな体温を確かめるように、深く息を吸い込んだ。
「本当に……どうしたの?」
「……なんでもない。頑張ったけど、テスト赤点かも。ごめん」
海斗は顔を上げると、少しだけ微笑んで見せた。
さっき甘味処で、安光という和尚から聞かされた、
「朝倉翔生でいられるのはあと8日」という事実が、海斗の心を乱していた。
海斗は、午後も遅い時間に沖島食堂ののれんをくぐった。
声にいつもの張りがなく、圭子がすぐに気づいた。
「海斗、元気ないねえ。どうしたと?」
厨房では、すでに波多野と父の晃が夜の仕込みを始めており、カウンター席には七海がちょこんと座って、枝豆をつまんでいた。
「先週の日曜日、来なかったけど……どうしたの? 」
圭子が麦茶を置きながら訊いてくる。
……本物の翔生と入れ替わっていたから――とは言えない。
「あ、試験勉強で余裕なくてごめん。今日まで期末試験やったと」
と無難な嘘を並べると、波多野が豪快に笑った。
「大人になって、試験とは無縁になったはずなのに、災難だったな、沖島!」
その屈託のない笑い声に、海斗は少しだけ胃のあたりが軽くなるのを感じた。
夏本番の週末のせいなのか、特別メニューの人気なのか、沖島食堂は17 時の夜営業の開始時間すぐから客が入り始めた。
まもなく、文字通り、戦場のような忙しさになった。
七海の子守で圭子がほぼ抜ける分、厨房の密度は上がる。本格的な夏の訪れを告げるように、客席は生ビールを求める客で埋め尽くされた。
ビールケースを裏返して臨時でしつらえた外のテラス席までが埋まる。
今日の特別メニューは、凍ったガスパチョを削った「フローズンガスパチョ」にカリカリにあげた小エビフライを添えたもので、見た目も「映え」て大好評だ。
海斗は、無心で小エビを揚げ、真っ赤なガスパチョをミキサーにかけた。
時折、ホールのバイトの子が回らなくなれば、自らジョッキを抱えて客席へ走る。
だが――ふとした瞬間、手が止まってしまう。
忙しく立ち働く波多野のコックコートの背中。
レジで客と談笑する父。
七海に優しく声をかける母。
そのひとつひとつの光景が、まるで古いスクリーンの向こう側の出来事のように、ひどく遠く、そしてあまりに脆く見えた。
「どうした。試験疲れか?」
波多野が怪訝そうに声をかける。
「ああ。……悪い。ずっと一夜漬けが続いたから、ちょっと頭がぼーっとしてて」
海斗は無理やり口角を上げ、再びフライヤーに集中した。パチパチとはぜる油の香りが、海斗の思考を現実につなぎとめるかのようだった。
* * *
里玖が現れたのは、夜も更け、閉店間際になってからだった。
「こんばんわ……。遅くなりました……」
その声を聞いた瞬間、海斗の中で張り詰めていた何かが、ぷつりと切れた。
海斗は、もう抑えきれなかった。厨房から飛び出すと、そのまま里玖を抱きしめた。
「……っ、海斗!?」
里玖のバッグが床に落ち、小さな音を立てた。まばらとはいえ残っていた客の注目を集めるが、構わない。
「ちょ……どうしたの、急に。みんな見てるよ?」
戸惑いながらも、里玖は海斗の背中にそっと手を回す。
海斗は彼女の首筋に顔を埋め、その柔らかな体温を確かめるように、深く息を吸い込んだ。
「本当に……どうしたの?」
「……なんでもない。頑張ったけど、テスト赤点かも。ごめん」
海斗は顔を上げると、少しだけ微笑んで見せた。
さっき甘味処で、安光という和尚から聞かされた、
「朝倉翔生でいられるのはあと8日」という事実が、海斗の心を乱していた。
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