月誓歌

有須

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皇帝、マジ切れする

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 執務室に戻り、ソファーに向かい合って座る。
 ハーデス公爵はちらりと背後の息子を見上げてから、何も言わずに顔を正面に戻し、両手を前で組んだ。
 相変らずの悪人顔で、常になにか良くないことを企んでいそうな面相だが、この男が実に優秀な政治家であり、領主でもあることをハロルドは知っている。
 昔から油断ならない相手だという認識はあった。敵とは言えないが完全な味方でもなく、腹を割った会話よりも互いの言動を常に見定めている関係だった。
 ただ、これからは違う。
 他ならぬメルシェイラの為にも、扱いを間違えるわけにはいかない。
 しばらくの間、そのまま会話はなかった。
 気づまりというよりは、互いに相手の出方を伺っているような雰囲気だった。
「……養女ではないな」
 こうなってくると、身分が上のハロルドが先に口火を切るしかない。
 詰問するというよりは、真意を確認するために尋ねる。
 ハーデス公は薄い唇をへの字に曲げ、小さく鼻を鳴らした。
「第二皇妃殿下のお側につかせるには少し障りがありました」
「確かに、公の実子として後宮に入れば、一介の妾妃というわけにはいかなかっただろう」
「後宮内の勢力をどうこうする気は全くございませんでしたので」
 過去形だ。
 生まれてくる皇帝の子に対するアドバンテージを確保しようとしてメルシェイラを後宮に入れたのだろうが、今や彼女はハロルドの寵妃だ。第二皇妃にとっては完全なるライバルであり、もはや近づくことすらできないだろう。
「入内時の書類は実子で修正しておく」
「すぐにも相応しい支度を用意いたします」
 メルシェイラがハーデス公爵の公的に届け出られた実子だということは、すでに調べがついている。後宮に上がる際の書類には『養子』と記しているものの、ハーデス公爵家の戸籍には子として正式に登録されたままだ。名前すら変えていなかったので、すぐに調べはついた。もともと熱心に隠そうとしていなかったのだろう。こうなることを予見していたわけではあるまいが。
「ひとつお伺いしても?」
 ややあって、公が口を開いた。
 普段の、語尾に冷笑が混じったような喋り方ではなく、不思議と柔らかく聞こえる口調だった。
「あれのどここがお気に召しましたか?」
「……さあな」
 何が面白くて妻の実父にそんなことを言わねばならない。
 両手で包むと余るほどに華奢で、庇護欲を掻き立てる容姿のことか? ハロルドに対しても臆さず見つめ返してくるところか? 阿ることなく、媚びることなく、静かに傍に寄り添ってくれるところか?
「陛下のお側に上がるにはあまりにも不足の多い娘です」
「逆に問うが、私の妻であるために何が必要だ?」
 血筋か? 有能さか? 後宮の妃たちとの折り合いか?
「わたしの想いだけではないのか」
「感情だけではどうしようもないこともあります」
「いや、ないな」
 血筋以外のなにもかもが、有能な補佐をつければ解決するものばかりだ。血筋にしても、ハーデス公爵の実子と認知されているのだから、大きな問題にはならない。
 母親の血が劣る者など、後宮内には山ほどいる。むしろ、国内外の王侯貴族と婚姻を結んできたハーデス公爵家の血筋のほうが重要だろう。
 いや、たとえ彼女が公の実子でなくとも、皇妃にあげる条件を整えることは十分に可能だ。
 ハロルドが、そう望めば。
「わたしがそうしたいか否かだ」
 逆を言えば、それが最も重要なことだった。
「それだけの力はあるつもりだが」
 公は少し意外そうな顔をして、じっとハロルドを見つめた。
 その目が、メルシェイラと同じ黒い色だということに初めて気づいた。
 全く似通ったところのない容姿なのに、ただ一点血のつながりを感じさせる部位があるだけで、急にこの男が近しい相手のように思えた。
 面映ゆくなって、視線をティーカップの紅茶に落とした。
「……派閥のバランスというものもあります」
「ああ、それは問題ない」
「問題ない? ミッシェル皇妃は」
「第二皇妃とは距離を取っておいた方がいい」
 話していない事情がある。それは外部の人間には察せよという方が難しい事だろう。簡単には口にできないし、メルシェイラを迎えるにあたって早急に解決しておくべき事柄でもある。
 ハーデス公爵は何かを感じ取ったかのように眉間の皺を深くした。
「……しばらく療養のために引き取った方が良いのでは?」
「何故? 療養ならば後宮でもできる」
 いい香りのする紅茶を一口飲んで、義父になるのだろう男に視線を戻した。
「市井で育った娘ですので、ああいうところは落ち着かないかと」
 難しい顔をして、なんとか否定的言質をとりたいらしいその様子に、首を傾けた。
「もともと三年という約束をしていました。あれは困窮する修道院のために後宮に上がったのです」
「援助は私のそばに居てもできる」
 今更手放す気はない。たとえ彼女がそう望んだとしても。
「約束を反故にしてせいぜい恨まれるがいい」
 そのうち子供ができたら、修道女に戻りたいなどと言わないだろう。
 メルシェイラのほっそりとした肢体を思い出す。あの細腰で幾人もの子は難しいだろうか。
「孫が生まれるなら多少の文句も甘受できるだろう?」
 明確に、彼女に子を産ませるつもりだと言い切ったハロルドに、対照的な親子はそろってぽかんと口を開けた。
 似ていないように見えていたが、そろいの表情は血縁をうかがわせるものだった。
 ハロルドはふっと笑い、ティーカップを更に戻す。
 近づいてくる足音がする。
 苛立ちの気配をぷんぷん発散させながら来るその人物は、そろそろ到着するだろうと待ちかまえていた相手だ。
 目を伏せ、内心のわだかまりを呑み込む。
「二人はこのままここで待っていてくれ。先にあちらと話をした方がよさそうだ」
 ハロルド同様に来客に気づいたらしいロバートが、難しい顔をして扉の方を見ている。
「陛下」
 立ち上がり、廊下へ続く扉へ向かったハロルドは、ハーデス公に呼び止められ首だけをソファーの方に向けた。
「お手伝いできることはありますか」
 そういえば、皇位を継ぐと決めた時にも同じ言葉を掛けられた。
 その時には宰相と並んで立ち、丁寧に礼だけ言ってお引き取り願ったのだった。
 おそらく同じことを思い出したに違いない公が、唇をゆがめて苦笑している。
 相変わらず悪人面だと思いながら、ハロルドもまた薄く笑った。
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