月誓歌

有須

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修道女、自称おじいさまから壮大すぎるお話を聞く

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 神職に妻帯は許されていない。
 しかし事情があって成人してからその道にすすんだ者も多くいて、中にはかつて結婚し子供もいた者もいるだろう。
 大きく両手を広げてメイラを見つめている神官も、そのうちのひとりなのかもしれない。
 しかし、孫はないだろう孫は。
「ああ、抱かせておくれ、かわいい子。君が生まれ落ちた日に会って以来だ」
 感極まって涙ぐむその姿に、メイラは唖然とし、リンゼイ師は苦笑し、縋り付くように見上げた父は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
「お前の母方の祖父だ」
 ぶすっとした父の声色に、ぽかんと唇が開いた。そのまま魂まで抜けていってしまいそうだ。
 祖父? 母方の?
 酒場女だったという母が、この神官さまの娘だというのか?
 いやいや、年齢が合わない。メイラはもうすぐ十九歳。母が生きていれば、四十歳前後だろう。その母の実父といえば、どんなに若く見積もっても五十歳半ば過ぎ、六十代ぐらいでないとおかしい。
 六十代? ……どこからどう見ても三十代なのだが。
 銀色にも見える金髪に、けぶるような灰色の目。肌の色は健康的な小麦色で、顔立ちはいかにも南方系の彫りの深いものだ。
 神職という職業が醸し出す独特の禁欲的な雰囲気と、穢れなど何も知らぬと真顔で言いそうな整った容貌。その優し気な面に浮かべる全開の笑みが、なんだかひどくアンバランスで作り物めいて見えた。
 ……正直に言おう、非常に胡散臭い。
「あの、申し訳ございません。……冗談ですよね?」
 人種的特徴からいっても、メイラとは微塵の血のつながりもありそうに見えない。
 そうだ、きっとこれは小娘には計り知れない遠大な冗談か何かだ。
 とっさに、へらりと作り笑いを顔にはりつけたが、父はますます険しい、むしろ凶悪といってもいい面相になり、視線を逸らせた先のリンゼイ師は苦笑ともつかない中途半端な表情。
 ちらりと見やった祖父だと名乗る神官は、両手を大きく広げたまま頬を染め、感極まって瞳を潤ませている。
「……冗談ならいいんだがな」
 しわがれた父の声が、恫喝するように低く歪んでいて。
 メイラはそっぽを向いてしまった父の腕をぐいと引き、嫌そうに見下ろされてふるふると首を振った。
 人違い! きっと何かの間違いだ。
 相当に高位の神職者に違いない男に、後々騙したと言われてはかなわない。
 必死で首を振っているメイラに、眉間の皺を深くした父が薄い唇を渋々と開いた。
「お前を取り上げ、リコリスを看取ったのはこの方だ。魔力が高い人間は総じて加齢が遅い。高位の神職は神との誓約で年を取りにくい。つまりこの方は外見よりずっとお年を召されているし、少なくともお前の母親の血縁者だということは間違いない」
「……は」
「その間抜けな口を閉じよ。淑女と名乗りたいのならな」
 ぱかんと開いていた唇を慌てて閉じた。
「お前が黒髪なのは、儂の血筋だ。儂の曾祖父は黒髪の妻を持ち、祖父もその血を引いた」
 再びそっぽを向いた父が、ぼそぼそと聞き取りにくい声で言った。ひどくそっけなく不愛想な喋り方で、苛立っているのか怒っているのかよくわからない。
 少なくとも嬉しそうではなく、常に増して小難しい悪人面で。
「ハーデス公、もしかして何も話していなかったのか?」
 高位神職の男にそう言われて、父は憎々し気としか言いようのない目つきで彼の方を見た。
「……話す必要が?」
「おお、相変わらず怖い顔だな」
「お、お父さま!」
 盛大にチッと舌を鳴らした父に、メイラは慌てて声を張り上げた。
「私の事もおじい様と、いやおじいちゃんと呼んでおくれ」
 父の目つきも舌打ちもまったく気にもせず、ものすごくうれしそうに顔全体で笑っている男性を困惑しながらじっと見つめる。
 いやいや、ありえない!
 にこやかなその顔を見れば見るほど、詐欺師を疑う商人のように納得できない。
「……よくわかりませんが、神官さま。お会いできて光栄でございます」
 見知らぬ男性の腕に飛び込むなどできるわけがなく、メイラは祖父と名乗る神官にむかって淑女の礼をとった。
 カテーシーをしながら視線を伏せて、さてこれからどうするべきかと思案する。
 まさかこの方が祖父だなどと信じられるわけもないが、少なくともこの部屋にいるメイラ以外の誰もがそう思い込んでいる、あるいはそういう振りをしているのは確か。皆頭がどうかしているとしか思えないが、空気を読んで当たり障りのない笑みを浮かべる。
「それで、わたくしになにか御用がおありなのでしょうか」
「ああ、そのような冷たい事を言ってくれるな。ずっと会いに来れなかったことを拗ねているのか? 愛しい孫の顔を見に来たに決まっているではないか!」
「まあ、ありがとうございます」
「茶番はそれぐらいにして、本題を」
 とりあえずその場の空気に乗ったメイラとは違い、情緒もなにもぶった切るのは父のハーデス公爵だ。
「茶番とはひどい」
「猊下の私事を周囲に吹聴するわけにはいかないのでしょう? 早く済ませてしまいましょう」
「げいか……って」
 メイラははっと息を飲み、驚愕の声が零れないように両手で口を覆った。
 聞いたことがある。中央神殿の美しい教皇のことを。神の血を引く半神だとか、エルフの血統だか、まことしやかに囁かれているミステリアスな方だ。
 目の前にいるのがそのご本人かは定かではないが、ますますメイラの祖父だなどとありえなくなった。
 気を取り直して、さっと両手を胸の前で組む。パニエのない歩きやすいドレスにしておいてよかった。見苦しくなく膝を折り、選ばれし神の子に深い礼をする。
「どうかわたしの前で膝を折らないでおくれ、かわいい子」
 ぎょっとするほど近くで声がした。そっと触れるどころか、がっつりと両肩を握られて息を飲む。
「夜空のように美しいその目をよく見せておくれ」
 強引に顔を上げさせられ、息がかかるほどの距離で見るその神官は、やはり父が言うような年齢には見えない。
「ああ、リコリスに生き写しだ。大きくなった。綺麗になった」
 ひいいいいっ! 近い近い近い!
 メイラは内心悲鳴を上げながら、しかし相手を突き飛ばすわけにもいかずに固まった。
 顔が近い! なんだかいい匂いがする! いやそれはどうでもいい。
「いい加減にしてください」
 完全に動けなくなってしまったメイラを、ぺり、とそこから引き離してくれたのは父だった。
「猊下にとって孫娘でも、これにとっては初対面の男です。不用意に近づかないで頂きたい」
 どこからどう見ても悪役なのに、意外と頼りになるのだと初めて知った。
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