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修道女、デートする
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「わたくしがお嬢様に貴女の身持ちの悪さを忠告されて、どんなに恥ずかしかったか! いいですか、貴女は二度と領地から出しません。修道院で一生を慎ましく過ごすといいのだわ!!」
騒ぎを見ようと足を止めた野次馬の壁が分厚くて、その先の様子を確認することはできなかった。
しかし、漏れ聞こえる言葉は不穏極まりなく、キンキンとヒステリックな声色を聞くだけでも鳥肌が立ち、過去を思い出して胸が痛む。
「待ってください、母上、こんなところで大声で」
「マイク、まさか貴方までこの女と関係を持ったのではないでしょうね?!」
「母上!!」
メイラの背丈では肉壁の向こう側を伺い見ることはできなかったが、長身の陛下は首尾よく状況の把握ができたらしい。
見上げたその眉間にしわが寄り、先ほどまでは上機嫌だった表情が厳しく顰められている。
不安になってそっと上衣の裾を引くと、陛下はメイラに視線を向けてくれて、更にはまた頬を撫でてくれた。
武人らしい肉厚のがっちりとした手だ。ペンだことは違う位置にある、おそらくは剣を握るための硬くなった部分がざらりとしている。
泣き笑いののようなおかしな顔つきをしていたのだと思う。陛下はメイラの表情を見ながら少し難しい顔をして、改めて騒動の中心部分へと視線を戻した。
「やはり、どこの馬の骨ともしれぬ下賤な女の血は隠せないわね!!」
ガチャン!! と陶器が壊れる音がした。
フラッシュバックのように、幼い日の記憶が蘇ってきた。乗り越えたはずなのに、細かな震えが抑えきれない。
「母上! いくら何でもやり過ぎです!!」
「どうして庇うのっ!!」
ヒステリックに続く女性の罵声に怯んだのだろう、野次馬たちの壁が、ほんの少し崩れた。
そこに見えたのは、予想通り姪の姿だった。
貴族女性としてはひどく地味な服装をしたティーナは、真っ青になって俯き、ただ理不尽に浴びせられる言葉の暴力に耐えている。
そんな彼女を庇う様に立っているのは、昨晩目にした義兄ではなく、おそらく『誑かされた』という長男のほうだろう。
キンキン声の主は、到底その声には似合わない線の細い妙齢の女性だった。年齢的にはそこそこ行っていそうだが、十分に美しいといってもいい細腰の貴婦人だ。
いくら容姿に優れた女性だとはいえ、こうも感情的に喚きたてていれば誰もお近づきになりたいと思わないだろうが、ヒートアップしている本人だけがその事に気づかず、おそらく自身では正当なことを言っているのだと思い込んでいるに違いない。
陛下の腕が、過去の記憶に怯えるメイラをそっと包み込んだ。
そのマントの内側に包まれると、武人らしい高めの体温に安堵の気持ちがこみ上げてくる。
ひとりでないということは、こんなにも心強いものなのか。
メイラは、かつての自分への憐憫を飲み込み、今の幸せを噛み締めた。
「まあまあ落ち着てください、伯爵夫人。ご依頼の件は、こちらのお嬢様をご領地まで護衛する、ということでよろしいでしょうか? 人数はどうされますか? ご予算は?」
メイラも見知ったギルド職員が、状況とはまったくそぐわないにこやかな表情で口を挟み、話を先に進めようとした。
金銭と引き換えに情報も取り扱うギルド職員として、本心ではもっとやれと思っているかもしれない。しかし、今の時間のギルドはとても混雑していて、これ以上揉め事が長引くのは困るのだろう。
「適当でいいわよ。そんな、男と見れば誰にでも色目を使う身持ちの悪い娘!」
「母上!! いくらなんでも言い過ぎです!! こんなことが父上のお耳に入れば……」
「貴方までそんなことを言うの!? 平民の下賤な血の混じった子など!」
「いい加減にしてくださいっ!!」
メイラは、下を向いて震えているティーナが心配だった。じっと耐えている姪の姿を見ると、まるでかつてのメイラ自身のようで、胸が潰されそうな思いになる。
しかし、下手に口を挟むことはできない。騒ぎを起こせば、一緒にいる陛下に迷惑がかかるからだ。
逡巡していると、陛下がポンとメイラの頭に手を置いた。
「失礼。通してもらっても?」
動いたのは、メイラでも陛下でもなく、その意を汲んだ赤毛の近衛騎士だった。彼もまた近衛の制服は着ておらず、ごく一般的な冒険者の格好をしている。
「御取込み中すいません、奥様。ちょっと急ぎなので先にいいですか?」
しかも、お貴族様の揉め事には無頓着、まるで天気の話でもしているかのように、表面上は極めてにこやかだ。
ハインズ家の親子が一斉に彼の方を向いて、まず夫人が盛大に不愉快そうな顔をして、長男であろう若い男が母親と妹を庇う様に立つ。
赤毛の騎士は 騒動の中央を突っ切りはしなかったが、窓口のカウンターの真ん前に陣取っていた夫人の脇を軽く目礼だけして素通りし、その頭越しにギルド職員に声を掛けた。
「ギルド長に会いたいんだが」
「お約束はおありでしょうか?」
「午後に行くとはいってあるよ」
「少々お待ちください」
ギルド職員のほうも、まるでこういう騒ぎなど日常茶飯事であるかのように、平然とした態度を崩さない。その目が、騒ぎの規模を確かめるように野次馬たちを一瞥し、ふとメイラたちの方を向いた。
ようやくカウンターに届く背丈だった頃からの知己が、冷静に分析するかのように陛下を観察し、そのマントの中に隠されたメイラを伺い見る。
さっと隠されそうになる寸前、メイラは両手で陛下の腕を抱きかかえるようにして抑えた。
ギルド職員の重そうな一重の目が、メイラの顔を見て心底びっくりしたという風に見開かれる。
「ちょっとあなた!! 今わたくしが仕事を依頼しているのよ!!」
中腰になって身を乗り出したギルド職員の前では、赤毛の騎士を押しのけようと伯爵夫人が扇子を振り回している。
「……知り合いか?」
「薬草の依頼の時に何度かお世話になりました」
少し離れているのに、ギルド職員がドスンと椅子に腰を落とす音がやけに大きく聞こえた。
「名前はヤマータさんです。子供相手でもちゃんとしてくれる人でした」
薬草採取しかしない下級冒険者が相手でも、誤魔化すことなくずっと丁寧な対応をしてくれていた。買い物のたびにお釣りや数を確認しなければ騙されてしまう弱者にとっては、いつもきっちり明瞭会計なヤマータのような存在は非常に有難いものなのだ。
メイラは、いつもは「にこやか」という表情を崩さない窓口担当が、ひどく緊張した表情をしているのに気づいた。
彼はメイラを見て表情を変えた。つまりは、彼女がどういう立場の者なのか、知っているという事になる。それはつまり……
「ハロルドさまのこと気づいたかもしれません」
「だろうな」
「大丈夫でしょうか」
「……見ろ」
陛下がふっと笑い、再び何事もなかったかのように笑顔を浮かべたギルド職員に顎をしゃくった。
頑としてこちらを見ようとはせず、のらりくらりと伯爵夫人の相手をしている。
「出来る男は、空気を読むのもうまいものだ」
つまりは騒ぎを長引かせて、余人に陛下の存在が気づかれないようにしようとしているということか?
窓口の奥の方から、たしか金庫番とか呼ばれていた副ギルド長がそっと顔を出した。騒ぎを尻目にカウンターから出てきて、丁寧に赤毛の騎士を上の階へと案内する。
副ギルド長も表情は普段通りで、ただの商談ですとでも言いたげな顔つきだが、自然な感じでこちらに視線をよこして、しっかりと頭を下げる。
メイラはつないだままの手を引かれ、野次馬の背後を回るようにして別階段から二階へと上がった。
「……あっ」
ふと、細い女の声が耳朶に届いた。
メイラは素早くその声の主の方を向き、まっすぐに視線を合わせた。
青ざめた顔でこちらを見ているのは、姪のティーナだ。
―――大丈夫よ。
言外に思いを込めたその視線受けて、耐えに耐えていた彼女の表情がクシャリと歪んだ。
「……ハロルドさま」
ティーナの事をお願いするなど、ご迷惑に違いない。そう逡巡していると、階段の残り数段をひょいと持ち上げられた。
「憂いはすべて晴らしてやる」
板間の床に降ろされる寸前、メイラはきゅっと太い首に腕を回してしがみ付いた。
身内のことで手間を取らせるのが申し訳なく、当たり前のように差し出される腕にすがりついてもいいのかと不安だった。
しかし、そんなメイラの心情などお見通しなのだろう、陛下はメイラを抱き上げて、しっかりとマントの内側に閉じ込めた。
「そなたは私の腕の中で、笑って『ありがとう』と言うだけでよい」
陛下はメイラを甘やかす。ドロドロに溶けて、自力では立っていられなくなるほどに。
いつか、陛下がいなくては息もできなくなるのではないか。
頬を染めて俯きながら、そんな甘美な危惧を噛み締めた。
騒ぎを見ようと足を止めた野次馬の壁が分厚くて、その先の様子を確認することはできなかった。
しかし、漏れ聞こえる言葉は不穏極まりなく、キンキンとヒステリックな声色を聞くだけでも鳥肌が立ち、過去を思い出して胸が痛む。
「待ってください、母上、こんなところで大声で」
「マイク、まさか貴方までこの女と関係を持ったのではないでしょうね?!」
「母上!!」
メイラの背丈では肉壁の向こう側を伺い見ることはできなかったが、長身の陛下は首尾よく状況の把握ができたらしい。
見上げたその眉間にしわが寄り、先ほどまでは上機嫌だった表情が厳しく顰められている。
不安になってそっと上衣の裾を引くと、陛下はメイラに視線を向けてくれて、更にはまた頬を撫でてくれた。
武人らしい肉厚のがっちりとした手だ。ペンだことは違う位置にある、おそらくは剣を握るための硬くなった部分がざらりとしている。
泣き笑いののようなおかしな顔つきをしていたのだと思う。陛下はメイラの表情を見ながら少し難しい顔をして、改めて騒動の中心部分へと視線を戻した。
「やはり、どこの馬の骨ともしれぬ下賤な女の血は隠せないわね!!」
ガチャン!! と陶器が壊れる音がした。
フラッシュバックのように、幼い日の記憶が蘇ってきた。乗り越えたはずなのに、細かな震えが抑えきれない。
「母上! いくら何でもやり過ぎです!!」
「どうして庇うのっ!!」
ヒステリックに続く女性の罵声に怯んだのだろう、野次馬たちの壁が、ほんの少し崩れた。
そこに見えたのは、予想通り姪の姿だった。
貴族女性としてはひどく地味な服装をしたティーナは、真っ青になって俯き、ただ理不尽に浴びせられる言葉の暴力に耐えている。
そんな彼女を庇う様に立っているのは、昨晩目にした義兄ではなく、おそらく『誑かされた』という長男のほうだろう。
キンキン声の主は、到底その声には似合わない線の細い妙齢の女性だった。年齢的にはそこそこ行っていそうだが、十分に美しいといってもいい細腰の貴婦人だ。
いくら容姿に優れた女性だとはいえ、こうも感情的に喚きたてていれば誰もお近づきになりたいと思わないだろうが、ヒートアップしている本人だけがその事に気づかず、おそらく自身では正当なことを言っているのだと思い込んでいるに違いない。
陛下の腕が、過去の記憶に怯えるメイラをそっと包み込んだ。
そのマントの内側に包まれると、武人らしい高めの体温に安堵の気持ちがこみ上げてくる。
ひとりでないということは、こんなにも心強いものなのか。
メイラは、かつての自分への憐憫を飲み込み、今の幸せを噛み締めた。
「まあまあ落ち着てください、伯爵夫人。ご依頼の件は、こちらのお嬢様をご領地まで護衛する、ということでよろしいでしょうか? 人数はどうされますか? ご予算は?」
メイラも見知ったギルド職員が、状況とはまったくそぐわないにこやかな表情で口を挟み、話を先に進めようとした。
金銭と引き換えに情報も取り扱うギルド職員として、本心ではもっとやれと思っているかもしれない。しかし、今の時間のギルドはとても混雑していて、これ以上揉め事が長引くのは困るのだろう。
「適当でいいわよ。そんな、男と見れば誰にでも色目を使う身持ちの悪い娘!」
「母上!! いくらなんでも言い過ぎです!! こんなことが父上のお耳に入れば……」
「貴方までそんなことを言うの!? 平民の下賤な血の混じった子など!」
「いい加減にしてくださいっ!!」
メイラは、下を向いて震えているティーナが心配だった。じっと耐えている姪の姿を見ると、まるでかつてのメイラ自身のようで、胸が潰されそうな思いになる。
しかし、下手に口を挟むことはできない。騒ぎを起こせば、一緒にいる陛下に迷惑がかかるからだ。
逡巡していると、陛下がポンとメイラの頭に手を置いた。
「失礼。通してもらっても?」
動いたのは、メイラでも陛下でもなく、その意を汲んだ赤毛の近衛騎士だった。彼もまた近衛の制服は着ておらず、ごく一般的な冒険者の格好をしている。
「御取込み中すいません、奥様。ちょっと急ぎなので先にいいですか?」
しかも、お貴族様の揉め事には無頓着、まるで天気の話でもしているかのように、表面上は極めてにこやかだ。
ハインズ家の親子が一斉に彼の方を向いて、まず夫人が盛大に不愉快そうな顔をして、長男であろう若い男が母親と妹を庇う様に立つ。
赤毛の騎士は 騒動の中央を突っ切りはしなかったが、窓口のカウンターの真ん前に陣取っていた夫人の脇を軽く目礼だけして素通りし、その頭越しにギルド職員に声を掛けた。
「ギルド長に会いたいんだが」
「お約束はおありでしょうか?」
「午後に行くとはいってあるよ」
「少々お待ちください」
ギルド職員のほうも、まるでこういう騒ぎなど日常茶飯事であるかのように、平然とした態度を崩さない。その目が、騒ぎの規模を確かめるように野次馬たちを一瞥し、ふとメイラたちの方を向いた。
ようやくカウンターに届く背丈だった頃からの知己が、冷静に分析するかのように陛下を観察し、そのマントの中に隠されたメイラを伺い見る。
さっと隠されそうになる寸前、メイラは両手で陛下の腕を抱きかかえるようにして抑えた。
ギルド職員の重そうな一重の目が、メイラの顔を見て心底びっくりしたという風に見開かれる。
「ちょっとあなた!! 今わたくしが仕事を依頼しているのよ!!」
中腰になって身を乗り出したギルド職員の前では、赤毛の騎士を押しのけようと伯爵夫人が扇子を振り回している。
「……知り合いか?」
「薬草の依頼の時に何度かお世話になりました」
少し離れているのに、ギルド職員がドスンと椅子に腰を落とす音がやけに大きく聞こえた。
「名前はヤマータさんです。子供相手でもちゃんとしてくれる人でした」
薬草採取しかしない下級冒険者が相手でも、誤魔化すことなくずっと丁寧な対応をしてくれていた。買い物のたびにお釣りや数を確認しなければ騙されてしまう弱者にとっては、いつもきっちり明瞭会計なヤマータのような存在は非常に有難いものなのだ。
メイラは、いつもは「にこやか」という表情を崩さない窓口担当が、ひどく緊張した表情をしているのに気づいた。
彼はメイラを見て表情を変えた。つまりは、彼女がどういう立場の者なのか、知っているという事になる。それはつまり……
「ハロルドさまのこと気づいたかもしれません」
「だろうな」
「大丈夫でしょうか」
「……見ろ」
陛下がふっと笑い、再び何事もなかったかのように笑顔を浮かべたギルド職員に顎をしゃくった。
頑としてこちらを見ようとはせず、のらりくらりと伯爵夫人の相手をしている。
「出来る男は、空気を読むのもうまいものだ」
つまりは騒ぎを長引かせて、余人に陛下の存在が気づかれないようにしようとしているということか?
窓口の奥の方から、たしか金庫番とか呼ばれていた副ギルド長がそっと顔を出した。騒ぎを尻目にカウンターから出てきて、丁寧に赤毛の騎士を上の階へと案内する。
副ギルド長も表情は普段通りで、ただの商談ですとでも言いたげな顔つきだが、自然な感じでこちらに視線をよこして、しっかりと頭を下げる。
メイラはつないだままの手を引かれ、野次馬の背後を回るようにして別階段から二階へと上がった。
「……あっ」
ふと、細い女の声が耳朶に届いた。
メイラは素早くその声の主の方を向き、まっすぐに視線を合わせた。
青ざめた顔でこちらを見ているのは、姪のティーナだ。
―――大丈夫よ。
言外に思いを込めたその視線受けて、耐えに耐えていた彼女の表情がクシャリと歪んだ。
「……ハロルドさま」
ティーナの事をお願いするなど、ご迷惑に違いない。そう逡巡していると、階段の残り数段をひょいと持ち上げられた。
「憂いはすべて晴らしてやる」
板間の床に降ろされる寸前、メイラはきゅっと太い首に腕を回してしがみ付いた。
身内のことで手間を取らせるのが申し訳なく、当たり前のように差し出される腕にすがりついてもいいのかと不安だった。
しかし、そんなメイラの心情などお見通しなのだろう、陛下はメイラを抱き上げて、しっかりとマントの内側に閉じ込めた。
「そなたは私の腕の中で、笑って『ありがとう』と言うだけでよい」
陛下はメイラを甘やかす。ドロドロに溶けて、自力では立っていられなくなるほどに。
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