月誓歌

有須

文字の大きさ
182 / 207
皇帝、自称祖父とは相いれないと知る

5

しおりを挟む
「ロバート・ハーデス!!」
 ハロルドは抜身の剣を握りしめたまま、帝都上空にひしめく巨大竜を睨んだ。
 青竜師団を呼んだのは、この事態を恐れたからだった。
 空を飛べる敵を相手取るには、どうしても翼竜部隊が必要なのだ。
「何をぼんやりしている!」
 青ざめて震える姪を腕にしがみつかせたまま、青竜将軍がはっと息を飲んだ。
 歴戦の騎士たちがすでにもう動き始めているのを見回し、厳しい表情でもう一度帝都を振り仰ぐ。
 そして、頼りなげに己を呼ぶ姪をその場に残して、翼竜が待機している場所に向かい駆けだした。
「叔父さま!!」
 通常時であれば、彼女のその震える声を無視できる者は少ないだろう。騎士として、庇護すべき対象だと手を差し伸べる者も多かったに違いない。
 しかしリリアーナ嬢は今、戦闘態勢を整えつつある騎士団の真ん中にぽつんと立って、誰にも気にかけてもらえず放置されていた。
 ありえないその状況に不満と怒りで顔を引きつらせていたが、誰一人としてそんな彼女に声を掛ける者はいない。
「……予定では、もう少し猶予があるはずだったんだけど」
 教皇ポラリスが、変わらぬ穏やかな声色でぽつりと言った。その表情は極めて落ち着いていて、危機感を覚えている様子など微塵もない。
 騒然と戦闘準備を整える黒い集団のなかにあって、彼のいる場所だけ異様なほどに静かだった。
「予定では? 召喚を予期していたというのなら、止める手立ても知っていたのではないか?!」
 竜の大きさ的にも、頭数的にも、布陣的にも……ここ数日矛を突き合わせていた敵軍よりもはるかに難敵だった。
 ハロルドは帝都の上空にじっと目を据え、ガリと奥歯が欠けるほど強く歯噛みした。
「そうだね。一応やってはみたんだよ」
 この事態を警告してきた当の本人が、失敗したという風に首をすくめる。
「でもちょっと遅かったかな」
「帝都にはどれだけの住人がいると思っている?!」
「そんなことをいっている暇があるなら、早く討伐した方が良い」
 まるで他人事のような口ぶりだった。
 慈悲深い神の寵児? 無辜の民が死んでいく惨劇を前にして、穏やかに笑っていられるこの男のどこが慈悲深いというのだ。
 これ以上話しているのも不快で、ハロルドは踵を返してその場を離れようとした。
「エゼルバード帝」
 背後から、いまだ帝都を眺めたままの教皇が静かに言った。
「竜は、さらなる血の贄を捧げるための召喚だ」
 何を言い出すのかと振り返ると、冷たい冬の風に法衣をはためかせた教皇が、その風の音に紛れてしまう程の小声で言った。
「万が一にもここで食い止められなければ、帝都どころかエゼルバード帝国の半分が沈むと覚悟した方が良い」
 その横顔は、不自然なほどに静謐だった。
「わたしが御徴を授かる際には、三国が滅んだ」
 教皇ポラリスが両手を空に向け、かき抱くような仕草をしてから、胸の前で聖印を刻んだ。
「卑小な人間のことなど、御神はさして気になされない。それなのに、どうして人は御神を呼ぶのだろう」
 ハロルドの母親が生まれたころに、大陸のひとつが割れ海に沈んだと聞いたことがある。あまりにも壮大過ぎる話なので、物語の類だと思っていた。
 まさかそれは実際に起こったことなのか? ここエゼルバード帝国で、同じことが起ころうとしているのか?
「……あの子に耐えられるとは思えないよ」
 あの子、とはメルシェイラの事だ。
 唐突に想像してしまったあらすじに、ぞくりと背筋が凍った。
 教皇とハーデス公は、彼女を赤子のころから片田舎の教会に押し込め、ひっそりと暮らさせていた。その理由はなんだ? どうして公は今頃になって彼女を表舞台に引っ張り出した?
 何らかの理由で、教皇の方針に否の答えを出したからではないのか?
「あの子に首輪は必要ない。……そうだろう?」
 首輪、と聞いて思い浮かべるのは、教皇の首にぎっしりと刻まれた御徴だ。
 メルシェイラの華奢な手首に浮かんでいた糸のように細いものではなく、素人目にも甚大な力を包括しているとわかる刻印だった。
 教皇は、メルシェイラに同様の頚城が刻まれるのを阻止したいのだ。
 たどり着いた結論に、顔面から血の気が引いた。
「……どうすればいい」
 あの竜どもを討伐してしまえばいいのか?
 教皇は竜の召喚を「更なる血の贄を捧げるため」だと言った。帝都に刻まれた方陣に血の贄を捧げさせなければ良いのか?
 帝都を見ていた教皇が、くるりとこちらに身体を向けた。
 真っ白な法衣が風をはらむ。ハロルドの真っ黒なマントも同様に。
 向き合う二人は、年齢も違えば色合いも、背負うものも対称的だった。考え方も、目線も、何もかもが相いれない。
 しかしお互いが、同じひとりの無事を願う者同士だということはわかった。
「浄化が間に合わなかったのは、神具があるからだ」
 小麦色の肌に、淡い金髪。冬の海の色にも似た灰色の目。
 巨大竜の舞う帝都を背景に、真っ白な法衣を身にまとうその人は、ぞっとするほどに美しい顔で笑った。
「よくも我が目をかいくぐってやらかしてくれたよ」
 いや、笑っているのではない。あの笑みの下にあるのは、おそらくは怒りだ。
 ほっそりとした指先が、帝都の中央にそびえる帝城をひたと差した。
 思い出すのは古地図。後宮の一角に記された赤い星印。
 ゴウ……ッと突風が吹き付けてきて、同時に頭上に黒い影が過った。
 翼竜とその騎士たちが、戦いに向けて飛び立ったのだ。
 同時に、巨大竜の咆哮が落雷のように響き渡った。
 未だかつて類を見ない、神話の一幕のような戦いの火蓋が切って落とされた。


☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

いつも読んで下さってありがとうございます!
この度、第五回カクヨムwebコンテスト恋愛部門で「特別賞」を頂きました。
びっくりです。たぶんきっと夢だと思いますw

世に溢れるネット小説に埋没してしまいそうだった作品を、もっと読んで頂きたくての応募でした。
なかなか増えなかったんですよ、PV。
長々と読みづらい作風だと自覚はしております。その読みづらいであろう文章を読み進めるだけの「面白さ」を表現したいと、日々書き続けて参りました。
そんな拙作を、沢山の応募の中から選んでいただき、報われたなぁとしみじみ思っています。

いつも読んで下さる皆様のおかげです。
ありがとうございます。
これからも精進してまいりますので、よろしくお願いします。

いやー、びっくりしました。
ぜったい夢だと思ったんだけどな。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
しおりを挟む
感想 94

あなたにおすすめの小説

【完結】ずっと、ずっとあなたを愛していました 〜後悔も、懺悔も今更いりません〜

高瀬船
恋愛
リスティアナ・メイブルムには二歳年上の婚約者が居る。 婚約者は、国の王太子で穏やかで優しく、婚約は王命ではあったが仲睦まじく関係を築けていた。 それなのに、突然ある日婚約者である王太子からは土下座をされ、婚約を解消して欲しいと願われる。 何故、そんな事に。 優しく微笑むその笑顔を向ける先は確かに自分に向けられていたのに。 婚約者として確かに大切にされていたのに何故こうなってしまったのか。 リスティアナの思いとは裏腹に、ある時期からリスティアナに悪い噂が立ち始める。 悪い噂が立つ事など何もしていないのにも関わらず、リスティアナは次第に学園で、夜会で、孤立していく。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

【完結】王妃を廃した、その後は……

かずきりり
恋愛
私にはもう何もない。何もかもなくなってしまった。 地位や名誉……権力でさえ。 否、最初からそんなものを欲していたわけではないのに……。 望んだものは、ただ一つ。 ――あの人からの愛。 ただ、それだけだったというのに……。 「ラウラ! お前を廃妃とする!」 国王陛下であるホセに、いきなり告げられた言葉。 隣には妹のパウラ。 お腹には子どもが居ると言う。 何一つ持たず王城から追い出された私は…… 静かな海へと身を沈める。 唯一愛したパウラを王妃の座に座らせたホセは…… そしてパウラは…… 最期に笑うのは……? それとも……救いは誰の手にもないのか *************************** こちらの作品はカクヨムにも掲載しています。

処理中です...