月誓歌

有須

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修道女、獣に噛みつく

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 心を決めて告げた内容に、ルシエラはひどく眉唾もののような顔をした。
 第三者目線で考えれば無理もないことだと思うが、当事者としては深刻なのだ。見る夢はまるで現実のもののようで、こう何度も繰り返せば、ただの夢だとはとても言えない。実際に手首には見覚えのない御徴があるし、ピンポイントでこの島に導かれた事実はどう説明がつく?
「その……明晰夢は、何者かによる薬物によりもたらされたものでは?」
「あなたたちに気づかれずに、わたくしに薬を盛ることが可能なの?」
 疑いの目で見られたことに少々傷つくが、彼女の立場からすればやむを得ないと思う。
 現実的な気質から言っても、夢だとかそういうあやふやなものを根拠にはできないと感じているのは理解できる。
 メイラはそっと手首を上にしてルシエラに見せた。
 彼女は今初めて気づいたという風な顔をして、まじまじと黒い線のような御徴を見下ろした。
「信じられないならそれでもかまわないわ」
「御方さま」
「でも、陛下の御無事をお祈りする為に、数日の間この島に滞在することだけは認めて」
 そっとメイラの手を取り、至近距離から御徴を観察していたルシエラが、つ……と顔を上げその秀麗な美貌を斜めに傾けた。
 じっと見下ろされ、その圧に「う」と喉が鳴る。
 メイラを見つめるその瞳は淡い水色を帯びていて、太陽の光を弾いてきらきらと輝いていた。
「……わたくしにそのあざとい顔を見せてどうするの」
「あざとい?」
「そういうところ!!」
 とにもかくにもルシエラは美しいのだ。根本の気質を知っていてもなお、表面的なその美貌に見惚れてしまう程に。
 そんな彼女に破壊力抜群の眼差しで見つめられると、何もせずとも尻の座りが悪くなる。
「ルシエラが心配してくれているのはわかっているわ」
 一応は主人であるメイラに対して酷いではないか。唇を尖らせ苦情を言うと、何故か彼女の形の良い瞳がかすかに緩んだ。
「御方さまはずっとそのままでいてくださいね」
「……どういう意味?」
「いえ。……湖にある廃神殿に行かれたい、ということですね。スカーと相談してみましょう」
 表情筋はほとんど動いていないのに、目の奥の光は柔らかい……気がする。
「帝都の事は、わたしが知る最新情報では陛下が優勢とのことでしたが、あれから時間が経っておりますので正確なところはわかりません。ですがそういう状況であればなおの事、早く帰国なさるべきです。陛下のお心の安寧の為にも、御身大切になさいませ」
 ふうと耳の穴にいい匂いがする呼気が吹き込まれているのは、絶対にわざとだ!!
 ぱっと耳を押さえると、「ふふふ」と色気のある含み笑いをこぼされた。
「ともあれ、追手が厄介ですね。提督がうまく排除してくれればいいのですが」
「そういえば、リヒター提督は領海外に出て大丈夫だったの?」
 海軍の仕事は、帝国の領海内の治安維持が主な任務であり、おいそれとその範囲から出る事はないはずだ。そのあたり抜かりがあるとは思わないが、万が一にも責任問題になりはしないか。
「魚が焼けたようですよ」
「え?」
「魚です」
 スカーが何故か視線を微妙に他所にそらしながらこちらに近づいてきた。その手には串刺しの魚が握られていて、香ばしそうな匂いがここまで漂ってくる。
 彼の挙動があまりにも不自然だったので、そちらのほうに気を取られ、リヒター提督についての質問がはぐらかされたことに気づかなかった。
 どうやら濡れ髪姿(というか全身ずぶ濡れ)の二人に気を使って、あまりこちらを見ないようにしてくれていたらしいが、余計に自身のみすぼらしさが恥ずかしくなってくる。
 メイラはずっしりと手に重い焼き魚を受け取って、視線が合わない男に「ありがとう」と礼を言った。彼がルシエラにも一本手渡している間に、はしたないほど大きく口を開けて魚の背にかぶりつく。
 串刺しの魚に直接口をつけるなど、淑女としてはちょっとどうかと思わなくはないが、こういう食べ方が一番おいしいのだ。
「もう少し塩と香草の味が濃ければ……」
 空腹を感じる前に食べ物を口にできるだけでも感謝するべきなのに、一言どころか二言三言多いのがルシエラだ。
 メイラはちらりとその様子を垣間見て、串刺しの魚を片手にワイルドにかぶりついても上品で嫋やかな美女ぶりに嘆息した。
「黙って頂きなさい」
「ですが」
 魚は非常に美味だった。内臓も鱗も丁寧に処理してくれているので、文句も言いようがない。
「おいしいですわね」
「……はい」
 子供じゃないのだから、苦情は胸に納めるべきだ。
 たしかに、海水のみの味付けなので多少薄味だが、それはメイラが上流階級の食事に慣れてしまったからだろう。
 久々のただ焼いただけの魚を堪能し、完食した。
 やはり手の込んだコース料理よりも、シンプルな工程しかない料理のほうが口に合う気がする。
 手についてしまった魚の油を水場で洗い、まだ服はほとんど乾いていないが出立することになった。向かう場所が変わり、頑張れば今日中に着けそうだと判断されたのだ。
 スカーたちの故郷は廃村になったというが、建物などはまだ当時のまま残っているのだそうだ。食料などはなくとも雨風をしのげ、多少であれば日用品なども残っているかもしれない。
 何はともあれ、濡れた服をなんとかしたい。せめて、夜の寒さをしのげる程度には。
 メイラは立ち上がり、ぐっしょりと濡れた音を立てる靴に顔を顰めた。
 編み上げブーツなので手荒く海にもまれても脱げはしなかったが、簡単には乾かない素材なので快適とは言えない。
 ちらりと見た黒墨色の肌の男が、濡れた靴の紐を結んで肩からぶら下げているのを見て、うらやましくなった。
 淑女たるもの、家族以外の男性に素足を見せるべきではないのはわかっている。しかし、不快なものは不快なのだ。
 残りの二人も裸足でいることに気づき、これから森の中を行くのに裸足で大丈夫のだろうかと首を傾げる。
 しばらくは海沿いを歩き、森に入るのは数時間後。そこから先も、しばらくは滑らかな岩肌の岩場だと聞かされたが……ルシエラのにこやかな笑顔を見て、靴を脱ぐのは諦めた。
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