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修道女、獣に噛みつく
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メイラはぱっちりと目を開けた。
雨の音がする。
屋根に激しく打ち付け、バラバラと重い礫が降ってくるかのような音。乾燥した地域で生まれ育った彼女にとっては、夜通し続くその音はひどく耳慣れないものだ。
焚かれたストーブのほのかな明かりで、室内にある物の輪郭だけがぼんやりと浮かび上がっていた。
何とか使えそうな暖房器具があったのは、かつて村長が住んでいたという煉瓦作りの廃屋だ。とはいえ余裕がある暮らしをしていた雰囲気はなく、残されていたものもそれほど多くはない。
複数の部屋といくつかの暖房器具、古びた毛布や布切れなどが残されていて、そこでようやくメイラたちは男性陣の目を気にせず服を乾かせるようになった。
今彼女たちは乾かないドレスを脱ぎ、肌着の上に毛布を巻き付けている。
脱いだワンピースドレスはストーブの上に掛け、椅子を壊して作った薪で室温を上げていた。
とはいえこの湿度だから、朝まで干していても完全に乾くことはないだろう。
ゆっくりと身体を起こすと、ストーブを挟んで反対側のベッドにルシエラが眠っているのが見えた。
こんな暗闇の中でも、彼女の銀髪はまるでそのものが光を発しているかのように美しかった。深い眠りにはいっているらしく、こちらに背中を向けたその肩は緩く上下している。
喉が渇いた。
飲み水はまだ日が暮れ切らないうちに、スカーがどこからか汲んできてくれた。おそらくは近くに枯れていない井戸か水場があるのだと思う。重そうな水瓶に溢れそうなほどの水を持ってきて、台所の土間の上に置いていた。
もう一度ルシエラの姿に目を向けた。疲れているのかメイラがベッドを離れても起きず、顔を覗き込める近さに寄ってもスウスウと穏やかな寝息を立てている。
メイラは起こさないようにそっと、くすんだ色合いの掛布を彼女の肩まで引き上げた。一瞬寝息が止まったが、様子を伺っていると再びゆっくりと背中が上下しはじめる。
パチリとストーブの中で薪が弾ける音がした。
使い込んだ鉄製のストーブは真っ黒で、がっしりとした造りをしている。大人の男が一人で持ち運ぶには難儀するほどの重量があり、廃村になったときに持っていけなかったのだろう。
皿やコップのような日用品などは持ち出したのか全くなく、窯場や調理台やベッドなど、動かせないものしか残されてはいなかったが、それでも遭難者にはありがたかった。
暗くなる前から降り始めた雨はなかなか止まず、もし野宿でもする羽目になっていたなら、いろいろと大変だっただろう。
屋根を打ち付ける雨音に耳を澄ませ、まるで大量の乾燥大豆を箱に入れて振ったようだと思い、少し笑う。
自身がそうやって笑えることに少しほっとして、ベッドに戻った。
喉は乾いたが、部屋から出ることはできない。
何故なら、眠りに入る前にルシエラが厳重に出入り口を塞いだからだ。
急にトイレに行きたくなったらどうするのだろうと不安になるほどに、窓もドアも開かないよう固定されている。
ベッドに座り、ルシエラが釘を打ち付けた窓から外を見た。
長年拭かれていない窓はくすんでいて、良く見えない。もともと安価なガラスを使っているせいもあるだろう、外の景色は真っ暗闇にしか見えなかった。
ただ、激しく打ち付けている雨が、滝のように窓を流れていくのはわかる。
故郷の乾燥地帯ではありえないその光景に、また喉の渇きを思い出してしまった。
少しため息をついて、ドアの方を見た。重い家具で塞がれていて、メイラの力では動かせそうにない。
すうっと、暗がりで何かが動いた気がした。
メイラは冷たいもので背中を撫でられたような恐ろしさ覚え、息を詰める。
「……スカー?」
真っ暗闇の部屋の最も闇色が深い場所に、誰かがいるような気がした。
密閉した部屋の空気が、ほんの少し動いた。
間違いなく誰かがそこに居て、おそらく自らその事を知らせてくれたのだろう。
暗さに慣れた目でもわからない程闇と同化したその人物は、メイラを驚かせないようにそっとストーブの方に近寄った。
まだ輪郭しか見えないが、海賊にしろその護衛にしろもっと大柄なので、スカーで間違いない。
「こんな時間にどうしたの?」
ストーブから零れるほのかな炎のあかりに、ようやく彼だと確信して。身体を包むゴワゴワとした布をぎゅっと握りしめ尋ねると、それ以上距離を詰めてこようとはしなかったが、掲げ持つように何かを持って差し出してきた。
「……探してきてくれたのね」
夕刻、水を飲むための容器がないことを残念がったメイラの為に、どこからか探してきてくれたのだろう。少し口の所が欠けているが、ちゃんとした陶器のコップだ。
「ありがとう」
毛布の隙間から伸ばした手で受け取ると、中の水がきらりと明かりを弾いた。
「丁度喉が渇いていたのよ」
ありがたく頂くことにして、もう一度ちゃんと礼を言おうと顔を上げると、いつのまにかそこには誰もいなかった。
「……」
首を傾げてさっと室内を見回すが、暗いのでどこかに隠れたとしてもわからない。
少しハーブのような匂いを漂わせているコップを見下ろして、夢ではなかったと確認したが、スカーの神出鬼没については深く考えるのも今更だ。
喉の渇きが限界に近かったので、ともあれ一口と口をつけようとしたのだが、真正面から伸びてきた手がそれを阻んだ。
「……まさか、お飲みになるおつもりではありませんよね」
寝ていたはずのルシエラだった。
「ご、ごめんなさい。起こしたわね」
「得体のしれないものを口になさってはなりません」
「でも」
せっかく持ってきてくれたのにと、取り上げられそうになるのを渋ると、ものすごく長い溜息をつかれた。
「せめて毒見を」
そこで初めて、中に何が入っているのか気になった。おそらくはハーブ水なのだろうが、自分が飲むのであれば何も感じずとも、それをルシエラが毒見するとなると不安になりもする。
しかし、スカーがメイラに毒を盛る可能性は無さそうに思え、それであるならすぐにも喉の渇きをいやしたい。
「ま、まさかルシエラも喉か乾いているからとか……すいません」
闇の中でもぎらりと鋭い目で睨まれて、しおしおとコップを渡した。
ルシエラは受け取ったコップを夜目にかざして観察し、まずは匂いを嗅いだ。
軽く口に含み、しばらくもぐもぐと咥内で転がして……飲み込む音は聞こえなかったが、見守っているメイラの心臓はひどく忙しなく脈打っていた。
少量であれ毒が含まれていたらどうしよう。いや、スカーがそんなことをするとは思えない。
相反する想いにそわそわしながら、手を揉み合わせていると、もう一度ルシエラがコップに口をつけた。
何か問題があったのだろうか。
しばらくしてもう一度。
「……ルシエラ?」
「はい」
ごっくん、と今度は美味しそうに喉を鳴らす音が聞こえた。
雨の音がする。
屋根に激しく打ち付け、バラバラと重い礫が降ってくるかのような音。乾燥した地域で生まれ育った彼女にとっては、夜通し続くその音はひどく耳慣れないものだ。
焚かれたストーブのほのかな明かりで、室内にある物の輪郭だけがぼんやりと浮かび上がっていた。
何とか使えそうな暖房器具があったのは、かつて村長が住んでいたという煉瓦作りの廃屋だ。とはいえ余裕がある暮らしをしていた雰囲気はなく、残されていたものもそれほど多くはない。
複数の部屋といくつかの暖房器具、古びた毛布や布切れなどが残されていて、そこでようやくメイラたちは男性陣の目を気にせず服を乾かせるようになった。
今彼女たちは乾かないドレスを脱ぎ、肌着の上に毛布を巻き付けている。
脱いだワンピースドレスはストーブの上に掛け、椅子を壊して作った薪で室温を上げていた。
とはいえこの湿度だから、朝まで干していても完全に乾くことはないだろう。
ゆっくりと身体を起こすと、ストーブを挟んで反対側のベッドにルシエラが眠っているのが見えた。
こんな暗闇の中でも、彼女の銀髪はまるでそのものが光を発しているかのように美しかった。深い眠りにはいっているらしく、こちらに背中を向けたその肩は緩く上下している。
喉が渇いた。
飲み水はまだ日が暮れ切らないうちに、スカーがどこからか汲んできてくれた。おそらくは近くに枯れていない井戸か水場があるのだと思う。重そうな水瓶に溢れそうなほどの水を持ってきて、台所の土間の上に置いていた。
もう一度ルシエラの姿に目を向けた。疲れているのかメイラがベッドを離れても起きず、顔を覗き込める近さに寄ってもスウスウと穏やかな寝息を立てている。
メイラは起こさないようにそっと、くすんだ色合いの掛布を彼女の肩まで引き上げた。一瞬寝息が止まったが、様子を伺っていると再びゆっくりと背中が上下しはじめる。
パチリとストーブの中で薪が弾ける音がした。
使い込んだ鉄製のストーブは真っ黒で、がっしりとした造りをしている。大人の男が一人で持ち運ぶには難儀するほどの重量があり、廃村になったときに持っていけなかったのだろう。
皿やコップのような日用品などは持ち出したのか全くなく、窯場や調理台やベッドなど、動かせないものしか残されてはいなかったが、それでも遭難者にはありがたかった。
暗くなる前から降り始めた雨はなかなか止まず、もし野宿でもする羽目になっていたなら、いろいろと大変だっただろう。
屋根を打ち付ける雨音に耳を澄ませ、まるで大量の乾燥大豆を箱に入れて振ったようだと思い、少し笑う。
自身がそうやって笑えることに少しほっとして、ベッドに戻った。
喉は乾いたが、部屋から出ることはできない。
何故なら、眠りに入る前にルシエラが厳重に出入り口を塞いだからだ。
急にトイレに行きたくなったらどうするのだろうと不安になるほどに、窓もドアも開かないよう固定されている。
ベッドに座り、ルシエラが釘を打ち付けた窓から外を見た。
長年拭かれていない窓はくすんでいて、良く見えない。もともと安価なガラスを使っているせいもあるだろう、外の景色は真っ暗闇にしか見えなかった。
ただ、激しく打ち付けている雨が、滝のように窓を流れていくのはわかる。
故郷の乾燥地帯ではありえないその光景に、また喉の渇きを思い出してしまった。
少しため息をついて、ドアの方を見た。重い家具で塞がれていて、メイラの力では動かせそうにない。
すうっと、暗がりで何かが動いた気がした。
メイラは冷たいもので背中を撫でられたような恐ろしさ覚え、息を詰める。
「……スカー?」
真っ暗闇の部屋の最も闇色が深い場所に、誰かがいるような気がした。
密閉した部屋の空気が、ほんの少し動いた。
間違いなく誰かがそこに居て、おそらく自らその事を知らせてくれたのだろう。
暗さに慣れた目でもわからない程闇と同化したその人物は、メイラを驚かせないようにそっとストーブの方に近寄った。
まだ輪郭しか見えないが、海賊にしろその護衛にしろもっと大柄なので、スカーで間違いない。
「こんな時間にどうしたの?」
ストーブから零れるほのかな炎のあかりに、ようやく彼だと確信して。身体を包むゴワゴワとした布をぎゅっと握りしめ尋ねると、それ以上距離を詰めてこようとはしなかったが、掲げ持つように何かを持って差し出してきた。
「……探してきてくれたのね」
夕刻、水を飲むための容器がないことを残念がったメイラの為に、どこからか探してきてくれたのだろう。少し口の所が欠けているが、ちゃんとした陶器のコップだ。
「ありがとう」
毛布の隙間から伸ばした手で受け取ると、中の水がきらりと明かりを弾いた。
「丁度喉が渇いていたのよ」
ありがたく頂くことにして、もう一度ちゃんと礼を言おうと顔を上げると、いつのまにかそこには誰もいなかった。
「……」
首を傾げてさっと室内を見回すが、暗いのでどこかに隠れたとしてもわからない。
少しハーブのような匂いを漂わせているコップを見下ろして、夢ではなかったと確認したが、スカーの神出鬼没については深く考えるのも今更だ。
喉の渇きが限界に近かったので、ともあれ一口と口をつけようとしたのだが、真正面から伸びてきた手がそれを阻んだ。
「……まさか、お飲みになるおつもりではありませんよね」
寝ていたはずのルシエラだった。
「ご、ごめんなさい。起こしたわね」
「得体のしれないものを口になさってはなりません」
「でも」
せっかく持ってきてくれたのにと、取り上げられそうになるのを渋ると、ものすごく長い溜息をつかれた。
「せめて毒見を」
そこで初めて、中に何が入っているのか気になった。おそらくはハーブ水なのだろうが、自分が飲むのであれば何も感じずとも、それをルシエラが毒見するとなると不安になりもする。
しかし、スカーがメイラに毒を盛る可能性は無さそうに思え、それであるならすぐにも喉の渇きをいやしたい。
「ま、まさかルシエラも喉か乾いているからとか……すいません」
闇の中でもぎらりと鋭い目で睨まれて、しおしおとコップを渡した。
ルシエラは受け取ったコップを夜目にかざして観察し、まずは匂いを嗅いだ。
軽く口に含み、しばらくもぐもぐと咥内で転がして……飲み込む音は聞こえなかったが、見守っているメイラの心臓はひどく忙しなく脈打っていた。
少量であれ毒が含まれていたらどうしよう。いや、スカーがそんなことをするとは思えない。
相反する想いにそわそわしながら、手を揉み合わせていると、もう一度ルシエラがコップに口をつけた。
何か問題があったのだろうか。
しばらくしてもう一度。
「……ルシエラ?」
「はい」
ごっくん、と今度は美味しそうに喉を鳴らす音が聞こえた。
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