贖いの廉施者

正岡武

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第二話

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「――それは最初の再誕者が遺した聖遺物、ロザリオと言います」

 ある昔の事、通貨の概念も無ければ倫理の概念も持ち合わせていない時代。
 ただ育てた簡単な農作物に調理を施し、作法も知らぬまま皆と卓を囲んで平らげ、夜になれば眠る。
 そんな生活の毎日だったある村に宣教師と名乗る男が現れた。
 その奇怪な格好と髪型、そして得体の知れない教えを説く様に最初は誰もが訝しんだ。
 しかし病人に寄り添い積極的な献身を尽くし、彩色豊かな農作物を作る方法を伝え、危機は襲えば自ら命を賭して立ち向かう姿に、村人は心を開いていき、教えを乞う様になったのである。

 縋る物のない無秩序な世界に、信ずるべき神と隣人を愛する他者への献身の心を授けたのだ。

 大事なのは名ではなく、その二つの教えによって、清く生きる事が本懐なのだと宣教師は考えを変える。
 そして元の世界とは文化も言葉も違う大陸に合わせキリスト教を元に作られた教え「グノーシア教」を生み出した。
 宣教師の名はフランシスコ=ザビエル。
 ザビエルは元の世界で病床に臥し生涯の幕を閉じた直後、この世界で若き青年として再び生を受けた。
 縋る物のない世界を見た彼は、教えを説いて回り、人々を救う事に身を捧げた。
 その敬虔な行いにより、この地においても列聖に名を連ねた殉教者として語り継がれる事となるのである。
 亡くなる直前、自身が何時如何なる時も手放さなかったロザリオをこの地に託す。
 大陸リハルトに置ける、最初の聖遺物が誕生した瞬間だ。
 それは祈りによって神聖な力を身に宿した聖具、真に心の清い者でなければ、触れる事すら出来ない代物なのである。
 代々それはヴァルフォロメイ家の管理下に置かれていたが、貴族社会の政治的利用を防ぐべく、限られた者にしかその在処を伝えていなかった。

「このような神聖な物を、お父上が私の為に残してくれていたのですか」

 目を見開いたままセルジオは告げる。
 そして直後に神父の目を見て口を開いた。

「しかし私にはただ剣を振るう事しか知りません、私如きが受け取るにはあまりにも不相応なのではないかと」
 自身の胸の内を明かすセルジオに、神父は微笑みながら彼の両手を握りながら言った

「何を仰っているのですかセルジオ様、貴方程この聖遺物に相応しい人物はおりません」

「聖ザビエルのように身分も生まれも関係なく接し、何時如何なる時も献身の心を忘れなかった貴方だからこそ、御父様は貴方に託したのです」

 手を離し、少し間を置いた後続ける様に神父は告げる。

「この争いの果てにあるのは勝利でも敗北でもなく破滅です」

「多くの貴族が自身の権力の為に他者を蹴落とし、聖遺物を交渉の道具としかみなしておりませんでした」

「ですは貴方だけは、授業と稽古を抜け出す事はあっても、教えを破る事はなかった」

「どの名家よりも、莫大な富を心の中に築いていたのだと、御父様は仰られておりました」

 決意によって堰き止められたセルジオの涙腺が、再び決壊するのを既で引き止めた。

「御父上…。」

 ロザリオに目を落とし、ただそう呟いたセルジオに、今度は厳しい口調で神父は語る。

「そしてこの聖遺物が貴方の手に届いてる頃には、大陸全土が消滅の危機にさらされていると言う事」

「貴方自身にも、これまで以上に大事な物を犠牲にする覚悟と、壮絶な旅路が待ち受ける事でしょう」

 身を聖水によって清められ、刺繍の入ったシルクの布で包められた亡骸を抱えると、慈しむ笑みを取り払った真剣な表情で伝える。

「この地を救うには聖遺物が齎す秘蹟の力を持って、罪過を贖う廉施者となり、過酷な巡礼の旅を為さねばなりません」

「ですが聖遺物の力を扱うには同じく今の肉体を天に帰し、聖体となる必要があります」

迫真の表情で語る神父に、セルジオは問いかける。

「聖体となるには、どうすればいいのですか」

神父は息子の亡骸に目を落とす、そして少し間を空けて、ゆっくりと告げた。

「息子様を、贄に捧げなければいけません」

 衝撃的な告白に、セルジオは狼狽えた。
 自身の過ちによって帰らぬ人となった息子を、せめて一番の思い出の場所で安らかに眠らせてあげたい。
 その一心で向かった先で、自身の為に犠牲にしなければならないのかと。
 その表情を見て神父は続ける。

「お気持ちは痛い程よく分かります」

「しかし我々に残された時間は多くありません、そしてこれを成し遂げる事ができるのは今や貴方しかいないのです」

 そう告げると神父は、煙を閉じ込めた様に中で蠢く銀色の液で満たされた小瓶を取り出した。

「これは父上からの最後の預かり物です、貴方が重大な決断に迫られた時、これを飲んで判断しなさいと私に託してくださった物です」
 得体の知れない小瓶に思わず眉を顰めるが、他に手段は無い。
 セルジオは栓を開け一気に飲み干した。
 視界が歪み、酷く酔い潰れた晩のような吐き気に晒され、平衡感覚を失った彼は思わずその場で膝を付く。
 波の様にうねる床の木目が、暫くして元の形に戻り顔を上げると、懐かしい香りが鼻をくすぐる。
 そして窓から刺す眩しい光に目が慣れるとそこには白板の前に立ち、教鞭を振るう自分と楽しそうに授業を受ける孤児達がいた。
 綺麗に剃られた髭と、顎まで伸ばしウェーブのかかった黒髪、何より恵まれない者にも手を差し伸べる事に誇りを持っていた頃の自分だ。

「言葉というのはただ使えればいいわけじゃない」

「使い方を間違えば簡単に人を傷つける刃物にもなるし、正しく使えば自分の想いを色んな形で伝える道具にもなる」

 親に棄てられ、最早生きる意味も失いかけていた頃が嘘かの様に、目を輝かせながら話を聞く孤児達の顔を見て伝える。

「言葉を歌に乗せ、人の心を魅了する」

「そんな素敵な詩人になってみたくはないか?」

 時間を見つけては話を聞かせ、未だ見たことのない外の世界に思いを馳せる事の素晴らしさを知った孤児達には夢の様な話だ。
 教会の窓から刺す陽射しより眩い笑顔で溢れかえる。

「はい、先生!」

 一人の子が元気よく手をあげる。

「どうした、ニコラ」

 肩まで伸ばした赤髪の子が立ち上がりセルジオに問いかける。

「先生は自分のお嫁さんに、どんな言葉で好きと伝えたんですか?」

所々から黄色い歓声が湧き起こる、セルジオは照れ臭そう頬を指でかいて笑いながら答える。

「それは君に、好きな人が出来た時にこっそり教えてあげるよ」

各所から不満の声が噴出したが、それを掻き消すように、正午の時間になった事を伝える鐘の音が響き渡る。

「おっと時間だ、ちゃんと復習を忘れないように、それとシスターや神父様を困らせる様なことはしちゃダメだぞ」

「「はい、先生!」」

 蜘蛛の子を散らすように扉から出ていくのを見届ける。
 そして入れ替わるように神父とシスターが中に入り、在りし日のセルジオに歩み寄り頭を下げた。

「セルジオ様、いつもありがとうございます。
 あんなに楽しそうな子供達の姿を見る事ができるのは貴方のおかげです」

 あの頃の神父だ、今より活気に満ちている。

「いえ、私は自分が力になれる事をしている迄ですから」

 「寧ろ、いつもこの場を貸していただけている事に感謝しています」

 一連のやり取りを微笑みながら見ていたシスターが違和感に気付く。

「セルジオ様、目にクマができていますが、しっかり睡眠は取られていますか?」

心配するシスターに誤魔化すようにセルジオは答える。

「最近、職務の方も忙しくなって、少し寝不足気味です」
 
「もう少しすれば、山場も超えて落ち着く筈ですから」

「それに、父上の教えにはどうしても私は背けないもので」

心配そうに見るシスターを誤魔化すような笑顔を浮かべながら、荷物を纏め支度する。

「ではシルベン神父、そしてシスターオクタヴィア、仕事があるので私はこれで」

 これ以上詮索するのは失礼だと感じた神父達は別れの挨拶を告げる。

「どうかお身体には気をつけてくださいね。神の導きがあらん事を」

「神父様もお身体にはお気をつけて、神の導きがあらん事を。」

 急かされる様に去るセルジオの背中を見て、シスターは呟く。

「あんなに無理をされていては、いつか身体を壊してしまいます。」

「少しはその他者へ労る気持ちを、自身にも向けてくれるといいのですが。」

 その呟きに頷きながら答える。
 そして白く光が照らす扉に、吸い込まれる様に入って行ったかと思うと風景が変わり、息子ネストルフとサムエルが将来について話し合う場面に変わった。

「サム、君は何になりたいの?」

 貧しい家庭の両親に奴隷として売られるも、売値が付かず捨てられた所を、教会に引き取られた黒人の子サムエルは答える。

「僕はここの神父様になりたい。同じ様に捨てられてどこにもいくところがない人にも、生きる希望を与えられる人になりたいんだ、君は何になりたいの?」

 サムエルは問いかける。

「僕も父さんみたいな立派な騎士になりたい、でも父さんは止めるんだ」

 「危険な目に遭っても命を賭けて子供達や国を守るのは父さんの役目で、僕は生まれつき体が丈夫じゃないから別の道を探して欲しいって」

「父さん、いつも一人で抱え込んで無理する所があるから、一緒に騎士になって国を守ればお父さんも楽になるかなって思ったんだけどなあ」

残念そうに答えるネストレフに、サムエルは少し意地悪に試す様な質問をする。

「もし騎士になって一緒に戦ってさ、目の前で君の父さんがとても強そうなやつに襲われてたらどうする?」

ネストルフは少し考えた後に微笑んで答えた。

「その時は僕が命を賭けて守るよ、いつも人のために全力を尽くしなさいって口酸っぱく言ってきたのは父さんだから」

 「誰かのために命を懸けるのは最初は怖いし馬鹿らしいって思ってたけど、教会で読み書きを教えてる父さんを見てると、そんな生き方もちょっと格好いいかなって思えてきたんだ、言葉を飾る詩人より、不器用でも一生懸命に生きようとする父さんの方がね」

 なんという事だ。
 いつも自分ばかりが人を救い、導く立場にあるのだと盲目的に信じていた。
 その性格で他者を不安にさせ、息子からも守りたいと言われるほどに心配される始末であったとは。
 どの騎士よりも気高き志を持って育った息子を殺したのは、他ならぬ自分自身であったと後悔する。
 そしてこの傲慢さこそ、巡礼によって贖わなければならない罪。
 再びこの情景を現実にする事が、自身に課せられた使命なのだと決起したセルジオは、元の光景に戻った途端立ち上がる。
 捨てられた犬のような顔つきの男は最早何処にもいない。
 決意によってかつての騎士としての誇りを取り戻したセルジオは、神父に歩み寄り伝えた。

「覚悟はできました、私を聖体にしてください。」

 神父は安堵したように頷き、すぐさま準備に取り掛かる。

――ネストルフ、そしてオリガ。
どうか、もう少しだけこの不甲斐無い父に力を貸して欲しい。

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