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プロローグ 美女シスターと美少年(?)司教は廃都で躍る
酒場の悪漢、立ち向かった女と子供、その名は
しおりを挟む時に、世は世紀末。人の欲は留まる事を露知らず、遂ぞ生み出し続けた業は溢れ、彼ら自身を死の縁へ追いやった。
蔓延るは魑魅魍魎、悪鬼羅刹ばかり。残された人々は悲観し、諦観しつつも心の何処かで望んだ。救世主の到来を────
「きゃああぁっ!」
掘立て小屋と言うなかれ。荒涼とした世の中で唯一の大人の心の拠り所、廃都の一角で営業している酒場にて。今日も今日とて食器が割れる音と妙齢の女性の悲鳴が、正午過ぎの渇いた大気を劈く。
「ゔるせええなぁババアがあ゛ぁ! 何がきゃあだ喚くんじゃね゛えぇ!」
それを掻き消すが如く轟くは、時代錯誤な程に恰幅の良い男のしゃがれた怒号。錆びたパイプ椅子にふんぞり返りガンッと木製の長机に脚を乗せると、熱り、猛り狂い、唾を飛ばして叫ぶ。
「オレが酒を持って来いと言ったんだあ゛あ! とっとと用意しろ゛おぉ!」
「い、いえですから当店は先払いで」
「んな゛の知った事かあ゛ぁ! 酒が先だあ゛常識だるお゛おぉ⁉︎」
油ぎった鼻の頭と頬は赤い。既に酒が入っているのか、それとも素面でこれなのか。赤子の様な振る舞いだ。あからさまな面倒事に際し、数名居た周囲の客は蜘蛛の子を散らしその場から退散。その場には店員の女性と男だけが残される。
「申し訳ありませんが決まりでして……」
「っ、ぶっ! だははははは! 決まり゛ぃ? 今の世の中にんな゛もんね゛ぇよお゛おぉ!」
強いて言うならこのオレが決まりだ、そう言わんばかりのこの男。最近ごろつきを引き連れて我が物顔で集落に居着いた、愚かにも暴力による人々の支配を企む輩である。その巨軀は伊達でなく、腕っ節は強い。数名、離れた場所でニヤつく取り巻きも居る。非力な女性では到底逆らえそうにない。
この場にいる誰もがまかり通る横暴に屈しかけた、その時。
「あるよ」
そう割り込む、凛とした通りの良い少年の声があった。
「……あ゛?」
「仮に世の中には無いとしても、店の中には店の決まりがある」
店の端の方に視線が集まる。皆が目の当たりにしたのは、何故今まで注目しなかったのかと思う程に目を引く白金の短髪を揺らして男に向かい歩く、何処か浮世離れした幼い美貌。華奢な身体に清楚な黒服を着た、女児とも男児とも取れる凛々しくも可愛らしさのある風貌をした小さな子供の姿だった。
彼は物怖じした様子を一切見せずに男の前で立ち止まると、大きな相手を見上げ、その水色の澄んだ瞳で真っ直ぐ見つめる。総じて、抱いた感想は粗暴な男の次の一言と概ね同じ。
「……なんだ? このガキ」
しかし、「名乗る程じゃない。巨大なガキ大将の横柄な態度を見兼ねた一人の子供だ」と子供。見た目にそぐわない、妙に大人びていて皮肉っぽい物言いが返ってきた。思わず男は拍子抜けした顔をする。が、すぐにその赤い頬を醜悪に歪ませて「っははははは! 聞いたかぁ゛? お前ら゛ぁ!」と笑った後、その笑みを絶やし、真顔で凄む。
「おいガキィ、ここは酒場だぁ゛。ションベンクセェガキの居ていい場所じゃね゛ぇ、知ってっかぁ?」
直近に迫る顔面。対し幼顔は微動だにせず、「店の決まりも分からない貴方が決まりを語るのか?」と返した。
男は見合ったまま沈黙。そして俯いてふぅっと一つ息を吐くと次の瞬間、平手を振り被って低い位置にあるその小さな頬を思いっきり引っ叩きに行った。パチィン! 音が響き、わっと周囲で声が上がる。
その時誰もが、幼気な子供の痛ましい姿を想像した事だろう。が、しかし、
「っ……へっ……?」
どういう訳か、張られていたのは男自身の頬だった。何故か己の右手で、己が右頬を叩いたのだ。
男はそのままバランスを崩して机の方に倒れ伏す。巨漢にのし掛かられた机は大きな音を立てて破損。無残なオブジェの添え物と化す。
ざわつく店内。最中、「っ……でえ゛ええええぇッ…………!」と男。苦悶のダミ声を漏らし、腫れた顔を上げる。
「なっ、んだぁっ……このガキッ、一体何をしたあ゛ぁっ?」
「何もしてない。貴方が勝手に自分で自分を叩いたんだ」
「ッ……そがぁ゛ああぁっ……!」
男は立ち上がり、大人気なく子供に掴み掛かろうとした。が、その前に脚を滑らせ、みっともなく床にゴッ、と顔面を打ち付ける形で大転倒。「ヌッッ、がア゛アアアアァッ!」と激痛にのたうち回る羽目に。
「いでえ゛ええええええぇ゛ぇ!」
一連の事態は側から見ると余りに滑稽で、周囲は徐々に男をせせら笑い始めた。その声を聴き、男の怒りのボルテージは最高潮に達する。
「っちきしょ゛おおぉ! 誰だ今笑ったのはあ゛あぁ⁉︎」
鼻血を噴き、目を血走らせ、猛獣が如く叫び散らす。皆は一様にそれまでの笑みを潜め、視線を逸らした。
「殺す……全員殺してや」
「はい、そこまででーす」
殺意を口にした瞬間、柔らかで艶のある若い女声が遮った。
声の主は頭巾から出した黒く長い髪を尾の如く靡かせながら男の背後から現れて、その肩をぽんと叩く。これまた目を引く、黒い修道服を着た長身の美女である。
「教会の者です。神の教え、もとい常識に基付き、貴方に当店内からの立ち退きを求めます」
「あ゛?」
「聞こえませんでしたか? ではもう一度。これ以上醜態を晒す前に出て行く事をお勧めします」
彼女から漂う甘い香りを嗅ぎ、美麗な顔を見るや否や、男の視線は豊満な胸、曲線的な尻のラインを舐める様に経由し、今一度顔に戻って釘付けになる。
「……わ゛りぃな嬢ちゃん、今機嫌がわりぃんだ」
「でしたら尚の事、出て行った方が宜しいのでは? 機嫌だけでなく、運も悪い様ですし」
彼女はすかさず男に詰め寄り、何やら暫しコソコソと耳打ちして、慣れた手付きで紙を二枚、袖から出して見せると、それを男の懐に入れた。すると彼の表情はスッと真顔になって固まった後、
「……ふんっ、いいだろう」
邪な笑みと荒い鼻息一つを残して、のっしのっしと店の外へ去って行く。続けて取り巻きと思わしき人間も後に続いて数人立ち退き、張り詰めていた店内の空気は漸く緩んで、平時の相応な慎ましい賑わいを取り戻した。
それから程なくして。
「シスター、そしてお嬢ちゃん。有難う御座います、助かりました……!」
「有難う御座いますっ! 私の仕事なのに、片付けまでっ……!」
助けられた女性店員と共に、その彼女より一回り老齢に見える店主らしき男性が頭を下げ、修道服の女に礼を言った。女はいえいえ、と会釈と共に朗らかな笑みを返し、「礼なら彼に」と、女児に間違えられた少年の方へ視線を送る。が、当の彼は何やら不服そうにむくれていて、怒りの視線が此方とかち合った。
「おや」「あらら」
目に見えて不機嫌なオーラを放つ姿を見て二人はどうしたのかなと優しく微笑む。女もあははと愛想笑いを浮かべたが、「すみません、ちょっと失礼」と彼の方へ向き直り早脚で迫ると、その手を取って店の外へ連れ出した。
「ちょっ、何だっ、引っ張るなっ」
季節はこの辺は一応春の時期だ。気温はそこまで高くないが、真昼の煌々と照り付ける日差しがキツい。態々裏手へ回って日陰の下、諭す様に話を始める。
「ゼッたん、何だねその顔は」
「ゼッたんはやめろ」
「お礼を言われていたんですよ? ちゃんと挨拶しなさいな、君らしくもない」
「っ…………それどころじゃないだろ。あの男に何を吹き込んだんだ?」
ああ、やっぱりそっちかと女。柔らかな表情は崩さず軽妙な口調で答える。
「丁寧にお願いしただけですよ? キミとは違って何も特別な事はしてません」
「またそうやってはぐらかす。ああいうのはやめろってついこの間言ったばかりじゃないか」
「……あれ、言われましたっけ?」
「言った」
事実、確かに言われていた。彼は女がその容姿を利用し、男を誑かす事に拒否反応を示しているのは、女自身理解している。
ただ、彼女は正さねばならない。
「はぁ、相変わらず変な所で子供ですねぇ……私がああしないといけなくなった理由は貴方の行動にあるというのに」
「…………僕が、悪いのか?」
「悪い、というのは不適です。単に間違っていたというのが正しいでしょう。本来の目的を忘れ、必要の無い時と場で御加護をひけらかし、浪費したんですから」
「忘れてない。それにひけらかしてなんかないし、浪費なんかじゃない。貴女が自身の容姿を利用するのと一緒。必要だから利用したまでだ」
「ホントにそうでしょうか?」
「ああ、そうだとも……まさか、あの様な場面では見て見ぬフリをしろとは言うまいな?」
「そうとは言ってません。助けるにしても、御加護に頼る必要があるかどうか、頼らずに助ける方法は無いか、もう少し考えてから行動して下さいと言っているんです」
「元よりその為の呪いだ。考えるより先に動かねば、救える者も救えなくなる」
「……大事な時にそれがなくなっても、人は救えなくなりますよ」
私の容姿とは違って不安定で、減るのが早いんですから、と。憂いを帯びた表情と共に言葉が添えられた。
「むっ……そんな事は、分かっている……」
少年は旗色が悪い事を理解しつつも納得いかない様子で口をへの時に曲げた。それを見て女は溜息混じりに「分かっていたら、そんな可愛らしい見た目にはなっていないと思いますけれど」と指摘。するとぎくり、慌てた彼は壁の方を向いて自身の身体を一頻り弄ってシルエットを確認した後、ほっと肩を撫で下ろす。
「っ、おっ、脅かしたな。なにも変わってないではないか」
「いいえ、変わってますよ」
ずいっ。女は少年に急接近した。彼は俄に慄いて壁に張り付くも、それ以上は下がれない。顔を近付けられ、じっと見つめられて、忽ち羞恥でその柔らかそうな頬を朱色に染める。
「ぐっ……どこがだっ……?」
「分かりませんか?」
女は真っ直ぐ彼の目を見たまま悪戯に微笑んで、ぴとり。人差し指を彼の唇に当てた。
「下唇。3ミリ程ボリュームアップしてます」
「へ?」
「それと肩幅。2センチ程狭くなってますよ」
その語気に含まれる得体の知れない熱を感じ取った少年はゾッとして青褪めた後、心の底から嘆く。
「…………そんなの分かるかっ!」
「分からないだろうから言って差し上げてるんでしょうに」
と、そこへ「あーいたいた」と、先程助けられた女店員が二人に手を振り近付く。
「ごめんなさい、急に慌てて出て行ったものですから、そのまま去ってしまったのかと思って……お取り込み中でしたか?」
「いえいえ。ちょうど今終わった所です」
「そうでしたか。でしたら、宜しければお礼をさせて頂けませんか? お二人共ドリンクのみの注文だったので、父……店主が、折角だから料理を振る舞いたいと」
「あら、それは有難いですね。ゼタ、ご厚意に甘えさせて頂きましょう」
朗らかに笑う女に、少々思う所がある視線を向ける少年。ただ、何かを言うにはタイミングが悪く、また丁度空腹でもあった。くーっと腹の虫で返事してしまい、恥ずかしそうに「……ああ」と頷いて、そのまま俯いてしまう。
「ふふっ、ゼタくんって言うんですね。年頃の子は難しいでしょう? っ、ええと……」
店員は自身を救った恩人の名を知りたくて、それとなく伺った。修道服の女はそれを汲んで名乗る。
「ああ、申し遅れました。私、教会に所属しております。修道司祭、シスターのオネストと申します」
直後、先程までの失態が嘘の様に「いや待て、自分も改めて名乗らせてくれ」と少年は今一度凛々しさを纏い、堅っ苦しくお辞儀する。
「教会所属、司教のゼタだ。っ、この度は、御無礼を……」
「あっ、あらあらいいのよそんなっ、畏まらないで」
「いやっ、そうは言っても……」
「いいって言ってるんだから甘んじなさい」
「くっ、うぅ……」
「ふふふっ」
一方、その頃。
「あークソっ、また腹立ってきたぁ゛っ……!」
「あ゛っ、親分やめっ……ぐぎぃいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
メシメシメシメシメシバキッ。骨の砕ける音が鳴る。つい先程醜態を晒した悪漢が、連中と共に屯している崩壊したビルで行き止まりになった溜まり場にて取り巻きの一人の腕を握り潰していた。「ひぃっ、ご乱心だ、逃げろぉ」と他の取り巻きが蜘蛛の子を散らす中、彼は更に怒りを募らせる。
「あんなガキの前でッ……あんな゛っ……!」
「お゛っ、おちつっ……ゔうううぅ……!」
「クソッ、クソックソックソックソックソックソックソックソ゛ックソッグソ゛ォッ!」
「あ゛っ、っ…………」
ストレス解消の為だけの道具が如く痛め付けられた男は、更に入念に腕の骨を砕かれ、とうとう意識を失った。反応も無くなり、折る骨も手応えの無くなった彼はふぅっと荒く息を吐き、飽きた玩具を捨てる。
「はぁっ、ふぅっ……あ゛あぁー、まだ足んね゛ぇーな゛ぁークソォ……」
そう口にしながらもある程度落ち着いたらしく、「あ゛ー、そういや、女から良いモン貰ったんだっけかぁー?」と、今頃になって胸ポケットの中に入れられた紙を思い出し、それを取り出してニヤリと鼻の下を伸ばして下卑た笑みを浮かべる。
「ぐひっ。あの場で我慢するだけで、教会認定の免罪符に、こーんな分かり易い地図の入ったエッチなポストカードをくれるたぁ中々太っ腹な嬢ちゃんだったな゛ぁ……」
暇だし、今夜行ってみるかぁと気分も移ろったその矢先。
────。
「あ゛ん?」
頭の中に響く、ノイズ混じりの薄気味悪い声がして誰だ、と辺りを見回す。が、それらしき存在は誰一人として見掛けられず静けさだけが返る。
「あ゛ぁ? お前なんか言ったか?」
そう倒れている男の胸ぐらを掴んで問うた所で、男に意識は無い。違うか、じゃあ誰だ。彼は首を傾げて、そこで違和感に気付く。
「あん゛れ、まだ昼だよな……な゛んでぇ、急に暗く」
次の瞬間、その巨体は頭上から垂れ込めた暗幕に飲み込まれ消え失せた。
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