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第二章・水の国の吸血鬼騒動
メンフィスの懸念
しおりを挟む緩やかに風が吹きつける平原。辺り一面に広がる緑が踊るように揺れる。
そんな平原の中で剣と短剣を構え、ジュードは真剣な眼差しで正面を見据えた。神経を真正面の標的と、剣の切っ先に集中させる。
その眼差しを正面から受ける標的――メンフィスは、薄く口元に笑みを滲ませた。
「よし、来い! ジュード!」
「はい!」
その言葉を合図にジュードはひとつ返事を返すと、勢いよく駆け出す。
予想を遥かに上回る速度にメンフィスは愛用の剣を携え、素早く身構えた。ジュードは持ち前の俊敏さを活かして一気に間合いを詰め、右手に持つ剣の柄をしっかりと握り締めた。その手を思い切りメンフィスへ向けて叩き下ろす。
刃と刃が衝突する音が辺りに響き、ジュードは思わず目を細める。普段、人間同士で刃物を振り回してこなかった彼にとっては聞き慣れない音だ。
思わず力を緩めてしまいそうになるのを堪え、剣を挟んで対峙するメンフィスを見据える。心音が嫌に耳につく、緊張が鼓動からも伝わってくるようだった。メンフィスは口元に薄い笑みを携えたまま、対峙する翡翠色の双眸を見返す。
「力、速度。なかなかのものだな、ジュード」
「……っ、ありがとう、ございます……!」
鍔迫り合いの状況ながら笑みさえ浮かべてみせるメンフィスに対し、ジュードは真剣な表情をしたまま互いの剣を見つめる、こちらは余裕などなく必死だ。力を少しでも緩めれば押し切られる、それは押し返してくるメンフィスの力の強さですぐに理解できた。腕に力を入れ直しはするが、メンフィスの力がジュードより遥かに上であることは明白。
刹那、ジュードは逆手に持つ短剣を下から振り上げるが、刃がメンフィスの身を捉えることは叶わなかった。
後退することで直撃を免れたメンフィスは、ジュードが体勢を立て直す前にやや勢いをつけて大剣を薙ぎ払うように振るう。ジュードは咄嗟に右手に持つ剣でその一撃を防いだ。
改めて刃が衝突する音が辺りに響く。同時に、腕が悲鳴を上げるように痛んだ。今度は鍔迫り合いにならず、両者ほぼ同時に素早く距離を取る。
すぐに剣を構え直し、こちらに突進してくるメンフィスを見てジュードは目を細めた。剣の振り下ろし攻撃を咄嗟に横へ跳ぶことで回避、更に加わる追撃に休む間もなく視線と意識を集中させる。
山育ちで培われた動体視力がなせる業だ。上、横、真正面と次々に繰り出される剣撃を避けながら、ジュードは反撃の隙を窺う。だが、魔物と異なりメンフィスは攻撃の切り返しが速い。ひとつ仕掛けてきた瞬間には既にジュードがどう反応するか、先を読んでいるかのように的確に叩き込んでくる。
頭上から剣を叩き下ろし、即座に下から切り上げ、更には横から真一文字に薙ぐ。
ただ後ろに避けるだけでは、隙を見て繰り出される――剣を突き出す攻撃に対応ができない。的になるのがオチだ。一歩間違えれば直撃しそうな限界ギリギリの距離に、緊張で視野が狭くなっていくのを感じる。魔物と違って、メンフィスにはまったくと言っていいほどに隙がなかった。
ジュードは眉を寄せると改めて後方へ跳び退く。すぐに振り下ろされる剣を、今度は回避することなく片手に持つ剣で受け止めた。響き渡る金属音に今度は意識を奪われず、ただ一心にメンフィスの一挙一動に全神経を集中させる。
「よい目と足を持っているな、ジュード。ワシの攻撃をここまで避けれるとは、大したものだ」
緊張に支配されるジュードとは対照的に、メンフィスはその身体能力を分析する余裕さえある。そこは、ジュードもやはり男である。負けん気を刺激されたらしく、剣を横に倒すことで鍔迫り合いをいなし、素早く真横へと回り込んだ。
身を低くし、斜め下から上へ剣を振り上げようとして――躊躇う。
「絶好のチャンスだというのに……甘い」
「あだッ!」
メンフィスはそんなジュードを横目に見遣ると、刃を立てず剣の腹部分で彼の頭を叱りつけるように叩いた。
* * *
「ジュード、なぜ先ほどは躊躇った? 人を攻撃するのが怖いか?」
休憩中、メンフィスはジュードにそんな言葉を投げかけた。程よくぬるい風が、汗をかいた肌を撫でていくのが異様に気持ちいい。
「そりゃそうですよ。オレは今まで人だけじゃなくて、魔物とだってそんなに……」
ジュードは魔物と戦うことを生業としてきたわけではない。ましてや、人を斬りつけるなど。
必要なら人間にも剣を突きつける騎士のような度胸や覚悟がジュードに必要だとは、メンフィスとて思っていないが。しかし、彼の目に何らかの迷いのようなものがあることが、メンフィスにはどうも気がかりだった。
こうして自分が同行できる時ならばともかく、明日には入国することになる水の国はメンフィスにとって不安ばかりが募る場所。ひとつため息を洩らすと、抜き身のまま傍らに置いてあった大剣を鞘に収めた。
「ジュード、明日には水の国に入るわけだが……もしかすると、ワシは同行できんかもしれん」
「えっ?」
突然のその言葉に、ジュードは辺りの景色に向けていた視線を反射的にメンフィスに戻した。何よりも女王のことを想っているだろうメンフィスが、その女王の意向に背く理由がジュードにはさっぱりわからなかった。
「火の国と水の国の関係、お前さんも耳にしたことくらいはあるだろう」
「あ……」
「水の国の者は、恐らくワシら火の国の人間を憎んでおる。特にワシのような騎士をな」
そこまで言われれば、いくらジュードとてメンフィスが何を懸念しているのかはわかる。
火の国に前線基地を設けてまだ間もない頃、女王アメリアは各国へ向けて協力を呼びかけた。そのため、前線基地には各地の傭兵たち以外に水の国からも多くの兵が徴用されて行っている。
もし、前線基地が壊滅し狂暴な魔物が世界に広がってしまえば、もう抑えることは困難になる。他の地域よりも遥かに狂暴な魔物が出没するというこの問題は、既に火の国だけの問題ではないのだ。
しかし、水の国の民からすれば、ほぼ強制的に戦いへの参加を促してきた火の国は友好国ではなく、敵国に近い認識だろう。
だからこそ、自分がいるせいで入国できなかったらと思うと、メンフィスは心配だった。
本当ならすぐにでも出発したいところを、こうして一日ゆっくりするよう許可を出したのもその懸念によるものだ。せっかく剣を買い与えたのに、教える者がいなければジュードが扱いに困るだろうと考えて。だからせめて、今日のこの半日を使って基礎だけでも教え込んでおきたかったのだ。
「ジュード。もしワシが関所を通れんかったら、お前さんたちだけで行ってきてくれ。……頼むぞ」
風の国は基本的に陽気な者が多いが、水の国には争いを嫌う平和主義者が多い。そんな平和主義者たちを強引に徴用した火の国に対する敵意も。それを考えると、確かに入国に対する心配もよくわかる。
メンフィスの懇願とも言えるその言葉に、ジュードはしっかりと頷いた。
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