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第八章・水の神器アゾット
ヴェリアの旗印
しおりを挟む王都の南に位置する港街プラージュに向かったジュードとカミラは、同行するイスキアの風魔法により先日同様に馬車ごと空を飛び、街のすぐ近くまで移動していた。馬車を降りると、視線の先には街の外観が見える。あと五分も歩けば無事に辿り着けるだろう。
「ありがとう、イスキアさん。助かるよ」
「いいのよ、このくらい。ジュードちゃんのためならアタシいくらでも頑張っちゃうわ♡」
馬車の中に入っていたり、その上に乗っていたりすればジュードも魔法による移動ができることをここ最近の出来事で学んだ。これは非常に喜ばしいことだ。魔法が触れさえしなければあの高熱に悩まされずに済む。イスキアがいれば今後もかなりの時間短縮になるかもしれない。
そんなことを考えながら街の方に向けて足を進めたものの、隣にいたカミラがその場から動かないのを不思議に思ってジュードは彼女を振り返った。いつものように肩に乗るライオットも、今だけは馬車を降りてジュードの傍に寄り添うちびも不思議そうだ。
「カミラさん? どうしたの?」
ジュードがそう声をかけると、カミラはスカートをぎゅっと両手で握り締めて、意を決したようにやや俯きがちだった顔を勢いよく上げた。その表情はどこか真剣で、必死さも感じられる。
「あの……あのね、ジュードも……一緒にヴェリア大陸に行かない?」
「え?」
その思ってもみなかった突然の誘いに、ジュードは目を丸くさせた。けれど、カミラにしてみれば彼のその反応は聊か面白くないもので。そういう誘いを受けることをまったく考えていなかっただろう様子に、カミラは軽く眉根を寄せて詰め寄った。
「ヴェリア大陸はジュードの故郷でもあるのよ、大陸にはジュードの本当の家族がいるんだよ?」
未だに信じられないし実感なんて湧くはずもないが、ジュードがヴェリアの第二王子だということは――ヘルメス王子とエクレール王女が兄と妹ということになる。
だが、ジュードは何も覚えていないのだ。もっと言うなら、ジュードは普通の記憶喪失とはわけが違う。恐らくサタンを倒さないことには昔の記憶が戻ることはないし、倒したところで戻るという確証もない。
それに、用を済ませたらすぐに戻ると仲間にも伝えてある。彼らはきっとジュードが戻ってくることを信じて疑ってなどいないはずだ。
「……いや、オレは王都に戻るよ」
「どうして? ジュードは本当の家族に会いたくないの?」
「今はアメリア様から大事な仕事を任されてるわけだから、そっちを優先するよ。みんなも待ってるだろうし」
ジュードのその返答を聞いて、彼の肩に乗るライオットや数歩ほど先を進んだところで見守るイスキアも何となく嬉しそうに表情を和らげた。
ヴェリア大陸には確かにジュードの本当の家族がいるだろうが、託された仕事を放り出さずに最後まで成し遂げた方が、誇りに思ってくれるはずだ。ジュードがそこまで考えたかは不明だが、ライオットもイスキアもそう思う。同時に、自分たちのマスターが責任感のある人間であることも嬉しかった。
「……使者なんて、別にジュードがいなくても問題ないじゃない。せっかく生きて会えたのに、婚約者ともっと一緒にいたいって思うのは……わたしだけ?」
「こ、婚約者って……」
カミラの以前の話を思い返すと、ジュードとカミラは幼い頃にヴェリア国王と王妃が認めた婚約者だった。だが、ジュードはヴェリア陥落と共に亡くなったと思われたため、現在のカミラの婚約者はヘルメス王子になっているはずだ。当然、彼は弟が生きていたことをまだ知らない。
そんな中で、カミラが「ジュードが生きていたからジュードと結婚します」なんて言って、果たしてヘルメス王子が納得できるかどうか。
『カミラ、それは……』
「勇者様は黙ってて!!」
『は、はい』
困り果てているだろうジュードを見かねてジェントが助け舟を出そうとしたものの、何か言うよりも先にそう怒鳴られてしまうと、さすがに何も言えない。
重苦しく気まずい雰囲気が流れる中、その雰囲気を破壊したのは――港街から聞こえてきたどよめきのような声だった。イスキアはいち早く意識を切り替えると、その声に軽く眉根を寄せて怪訝そうな表情を滲ませた。
「……はいはい、喧嘩はそこまで。ちょっと予想外のことが起きたみたいね、行きましょ」
「予想外のことってなんだに?」
「この港に向かって船が近付いてるそうよ、今聞こえたわ。……今のご時世に船が出てるなんて、珍しいわねぇ。気にならない?」
以前船に乗れたのはメンフィスが一緒だったことと、急ぎだったためだ。それ以外で船が出ることなどほとんどない。そんな状況だ、現在この港に向かってくる船がどこからのものなのか、気にならないはずがなかった。
* * *
カミラは依然として納得とは程遠い表情を浮かべていたものの、港に駆け込んだところで見えた船影にサッと青ざめた。
こちらに向かってくる何隻もの船、その帆や船体には彼女にとって見覚えのありすぎる紋様が描かれていた。十字の印の中央に光をイメージした模様、それはヴェリアの旗印だ。つまり、現在このプラージュの街に向かってくるいくつもの船はヴェリア大陸からのもの――住民たちもそれがわかっているのだろう、辺りにいる者たちは誰もが困惑していた。
だが、ジュードはそれらの船影を見て眉根を寄せる。船の傍を飛び交う無数の黒い影、鳥などの生き物ではないそれは遠目にも見覚えがあった。
「イスキアさん、あれ!」
「ええ……魔族から襲撃を受けてるわ、あれはグレムリンね。一匹ずつはザコだけど、あれだけの数……それに、この雪国の海で船そのものがやられたらおしまいだわ」
「そんな……! 何とかしてください! あれにはわたしの知り合いがたくさん乗ってるかもしれないんです!」
「あん、もう。こんなことならシヴァも連れてくるんだったわ。ライオット、二人を頼んだわよ」
「りょ、了解だに!」
ただの見送りならイスキアがいれば移動の時間は大幅に短縮できるということで、今回はシヴァと別行動だ。彼は今頃、王都シトゥルスでウィルたちを見守っているはず。――恐らく、シヴァに無理をさせまいと連れてこなかったのだろうが。
イスキアは早口にそう告げると、地面を強く蹴って空へと舞い上がった。そのまま軌道を変えて鳥のように海へと向かっていく。見れば、いくつかの船からは火の手が上がっている。猶予はもうほとんど残されていなかった。
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