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第八章・水の神器アゾット
メルディーヌの置き土産
しおりを挟むジュードたちが王都に降り立った頃には、空を覆っていた雨雲はすっかり飛散し、綺麗に消えていた。展開する氷の壁は大きな傘のようで、横からなら中に入ることができる。
けれど、降り立った都の状況を見てジュードもヘルメスも思わず絶句してしまった。
魔族が襲撃してきたのなら、ある程度破壊されているだろうことは想像できた。
だが、建物は概ね無事。その一方で、辺りには不気味なゾンビたちが溢れていたのである。いずれも「ウウゥ……」と苦しげな、地を這うようなうめき声を洩らしながら地面の上を這いずり回っている。イスキアはひとつ舌を打った。
「さっきの雨雲は、生き物をゾンビに変える恐ろしい雨を降らせるの。……都の一部の民がやられたようね」
「それよりも――兄上!」
吐き捨てるように呟いたイスキアの言葉に、ジュードは思わず表情を顰める。言葉で聞いただけで怖気がするような力だ。だが、慌てたように辺りを見回してから駆け出すフォルネウスの姿を見れば、一拍ほど遅れて意識を引き戻す。とにかく、今は都を襲撃してきた魔族を倒すのが先だ。ジュードはヘルメスやイスキア、ちびと共にフォルネウスの後を追った。
すると、氷壁のちょうど中央部。その真下に仲間たちの姿を見つけた。
いち早くジュードの姿を見つけて振り返ったマナのその顔は――涙で濡れてグシャグシャだ。その様子に、ジュードはまたひとつ胸がざわりとざわめくのを感じる。
「……マスター、か……フォルネウスも……戻ったのか」
「シヴァさん! どうしたの、何が……!?」
仲間たちの傍にはシヴァがいたものの、彼はその場に膝をついて俯いていた。気配や声でジュードとフォルネウスが戻ったことには気づいたようだが、どうしたことかその声には覇気というものがまったく感じられない。フォルネウスはシヴァの傍らに屈んだが、その表情は沈痛なものだ。まるで何かを我慢するような。
「アッハハハァ! ザンネンザンネン、一足遅かったですねェ~! それにしてもアルシエル様が仰ってた通り、やっぱり裏切るんですねフォルネウスぅ?」
「私は元より、貴様らの仲間になどなった覚えはない――! メルディーヌ、貴様! その首、叩き落としてくれる!」
「イヤですネェ、コワいこと。でもでも、ワタクシの仕事は終わったのでもうここには用がないのですヨ。アナタの相手などゴルゴーンちゃんで充分、派手に華麗にゴージャスにッ、暴れてあげなサイ!」
彼らの様子を上空から見下ろしていたメルディーヌは高らかに笑い声を上げながら、大喜びでもするように宙で跳びはねてみせる。それを見てフォルネウスは屈んでいたそこから立ち上がり、忌々しそうにメルディーヌを睨み据えた。
その矢先、メルディーヌの真下に空間を裂いて不気味な肉塊のようなものが現れた。赤黒く変色しているように見えるそれは、正体が何かもわからない。だが、もぞりと蠢くところを見れば一応は生き物で――敵だ。
フォルネウスに遅れること数拍、マナたちも各々武器や神器を構えるが、気がかりなのはシヴァのこと。ジュードは聖剣を地面に突き刺すと、その傍らに屈んでシヴァの様子を窺った。
「……!」
しかし、メルディーヌの言葉の意味も容易に知れる。
覗き込んだシヴァの顔は、口元近くまで氷に覆われていた。こうしている間にも侵食されるかのようにビキビキ、と固い音を立てて肉体が氷に覆われていく。衣服に隠れていてほとんど身体は窺えないものの、恐らく身体とて同じ状態だろう。ノームはそんなシヴァの膝辺りにしがみついて、つぶらな瞳からぽろぽろと涙をこぼしている。その様子を目の当たりにして、ジュードは文字通り言葉を失った。
「シヴァさん、なんで……こんな……」
「メルディーヌの死の雨から王都を守るために、シヴァさんは残ってた力を全部使ってあの氷の壁を作ったんだナマァ……」
ノームのその言葉を聞いてジュードは慌てたようにイスキアを振り返るが、当のイスキアは無言のまま静かに頭を横に振った。大精霊の力を以てしても、もうどうにもできないらしい。詳しく聞かなくても、その仕種だけでわかる。
「フォルネウスを……責めないでやってくれ。あいつはただ、この世界を好きすぎるだけなのだ。もう少し共に往けるかと思ったんだが……すまないな、マスター。俺はここまでらしい」
「シヴァさん、何言ってんだよ……」
「……ライオット、ノーム。……皆を頼んだぞ」
その言葉を最後に、シヴァの身は頭の天辺まで氷と化し、次の瞬間には音を立てて崩れ落ちた。シヴァだった氷の破片は細かく砕け、雪に混ざり合い消えていく。普通の生き物と違い肉体すら残らない様は、まるで最初からそこには何もいなかったようにさえ見える。
メルディーヌはそれを見るなり、それはそれは嬉しそうに笑った。腰から身を反らせて天を仰ぐように。
「アハッ、アッハハハハ! 見ました見ました!? 粉々になりましたよォ! いいものを見せて頂きましたヨ、それではみなさんごきげんよう~~♪」
「あいつ……ッ! 馬鹿にして!」
「よせマナ、あいつよりもあのデカいのだ!」
マナは杖を固く握り締めると、空中でひらひらと片手を振るメルディーヌに向けて魔法を放とうとしたものの、それよりも先にメルディーヌの身が空気に溶けるようにして消えていく。悔しさは残るが、撤退する敵に構っていられるだけの余裕はない。ただでさえ、辺りではゾンビ化した住民たちがいる上に、彼らを元に戻す方法だってわからないのだから。
ゴルゴーンと呼ばれた奇怪な肉塊は地を這うようなうめき声と共に、その身をのそりと起き上がらせた。巨大なミミズのような体躯の表面にいくつもの口が開閉している様は、ひどく醜悪だ。フォルネウスは宙に三叉の槍を出現させると、それを手に巨大ミミズと――ゴルゴーンと睨み合う。
ヘルメスはジュードの傍に駆け寄り、その肩を軽く叩いた。正直、ヘルメスには見知らぬ者たちばかりだが、状況は何となく把握できる。ジュードにとっての仲間が魔族にやられたのだと。
「ジュード、やってやろう。私たちの手で仇を討つのだ。魔族相手ならば私も役に立てる」
「うにッ、ヘルメス王子の言う通りだに! マスター、あんなやつやっつけてやるに!」
「ワオン!」
目の前で粉々に砕けたシヴァ――だった破片を見つめていたジュードは、横からかかるそれらの言葉に止まっていた思考を無理矢理に動かして聖剣に手を伸ばした。地面に突き刺したままのそれを支えに静かに立ち上がる。
ちびとイスキアはヘルメスと共にウィルたちに合流し、ゴルゴーンと真正面から対峙した。
そこで、ジュードは聖剣を掴んだまま奇妙な感覚に襲われた。
身を焦がさんばかりの憤りを感じているのは確かだが、それが大きく膨れ上がり自分の意思では抑え込めないような――けれど、不快ではない心地好ささえ覚える、身体が異様に軽いような。この感覚が何なのかは当然ジュードにはわからなかったが、別に何だっていい。
「(さっきのやつがメルディーヌ……あいつ、よくもシヴァさんを……思い知らせてやる!)」
かつて伝説の勇者を最も苦しめた男。そんなことはもうどうでもいい。ただ許せない、それだけだった。
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