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精霊の子守歌  ※シリアス注意

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 塔へと戻ってきたマナは、三階にある自分の寝室に急ぐ。
 そこには、天井から吊るされ、ふかふかの布が敷き詰められている円形の籠状の物、観葉植物の幹から幹に渡って吊るされたハンモック、一日中、太陽の光が届かない所に置かれたフワフワ座布団がある。それぞれ、クー、ドリー、ルルー専用のベッドだ。
 マナは一言も発しようとしないクー、ドリー、ルルーを其々のベッドに寝かせ、付いて来ていたサーシュを引き摺って塔の外へ出る。
 今は……みんなをそっとしておきたい。

 塔の外へ出て気付いた。精霊の森がいつもより静まり返っている事に。
 不思議そうに周辺を見渡すマナをサーシュは黙って見詰め、そっと、その手を取った。

「マナは、私達を、責めないのですか?」
「――は?」

 責める? 何故?
 マナはポカンとしながらサーシュを見上げ、その顔に浮かぶ妙に真剣な表情で――気付いた。気付いてしまった。

 ああ……精霊達は『責められた』のだ――。

 マナの心に怒りが浮かぶ。
 多分、精霊達を責めたのは、当事者ではなくその家族なのだろう。精霊が見える、見えないにかかわらず悪し様に罵ったと想像が付く。

 精霊は、どこにでも居るから。

 当事者達は、精霊を責める事はない。精霊と接した事があるならば……彼等は間違いなく、自分を責めただろう。
 生きてきた世界は違うけれど、同じ『精霊術士』だからこそ、後悔したのだろうと思う。精霊が見えたならば謝れたのに――何故、あんな奴の言葉を信じてしまったのか。明るく優しい精霊を苦しめてしまった、と。

 精霊術士達の――魔術士達の恩恵を受けていた者達は、悲しむ彼等を見て、自分達の不幸を感じて、元凶に恨みをぶつけ、精霊を責めたのだろう。
 彼等が何に対して悲しんでいたのかを考えようともせずに。

「マナは私達を……嫌いになりませんか?」
「なる訳ないでしょうっ!!」

 苦しそうなサーシュを思わず怒鳴り付ける。
 ビクッと肩を揺らすサーシュの頬を両手で包み、マナは真っ直ぐ見据えた。

「私が精霊を嫌いになるなんて有り得ない。断言する。絶対にない」

 はっきりと、言い聞かせる様に言葉を紡ぐ。
 分かって。ちゃんと理解して。私は精霊達みんなが大好きなんだって。

「精霊達は、どうして直接聞かなかったのかと、取り返しのつかない事をしてしまったと思っているけど、それって、人間側にも言える事なんだよ?」

 そう。元凶の男の言う事だけで行動するのではなく、精霊にきちんと確認するべきだったのだ。
 本当にそれを望んでいるのか、行って良いのか。
 怒りも、後悔も、嘆きも。直接かかわってしまった者達の気持ちはみんなみんな――同じ。同じなのだ。

「ですが……」

 目を伏せ、サーシュがポツンと零す。
 精霊の敵認定を取り消す事は可能だったが……奪った力を戻す事は叶わなかったのだ。だから、彼等とは、もう――。

 どのような事件も、その結末は後味の悪いものだ。
 ましてや、人間よりも遥かに長い時を生きる精霊にとっては尚の事、後味が悪過ぎる。どれだけ時が流れようとも、当事者として『覚えている』のだから。

「サーシュ。その気持ちを――忘れないで」

 残酷な言葉かもしれない。だけど、忘れてはいけない事というのは確実に存在する。

「そんな思いを、もう二度と、誰にもさせない為にも――忘れないで」

 人間は、時間と共に少しずつ忘れていく生き物だ。
 そういう事実があったと伝え続けても、その時の気持ちまでは伝えられない。
 重なる時の中で零れ落ちていく想い。願い。それら全てをすくう事は出来ない。

「忘れられないのはつらい事だよね。忘れていく存在を羨ましく、妬ましく思うよね。そう思ってしまう事で、またつらくなるよね」

 マナだってそんな経験はある。生きてきた長さなど関係ないのだ。

「でもね、そう思う事は『悪い事』じゃないんだよ?」

 悪いのは――その思いを違う方向へ捻じ曲げる事。その心のままに、他へ刃を向け、傷付ける事。
 傷付きながらも歯を食いしばり、前を見ようとするのは――

「簡単な事じゃないけど、立ち上がろう? 精霊は『独り』じゃないよね?」

 何度でも、何度でも、伝え続けよう。意思を伝えられる存在を通し、精霊が願うものを。
 上手くいかない事の方が多いだろう。
 似た様な事が起こり、また傷が開くかもしれない。
 だけどだけど。

「傷付きながらも笑えるのは強い証拠。笑おう? それが、希望になると信じて」

 とても小さなものかもしれない。
 伝わらないかもしれない。バカにされるかもしれない。
 でも、感じ取ってくれる存在も、必ずあるから。

「みんな、笑って? 私は、それだけで嬉しいし、幸せだよ?」

 この世界に落ちてきた時から、その笑顔に、救われてる。

「私は、精霊達が心から笑っていられるように、頑張るよ」

 笑う。精一杯、笑顔を向ける。
 サーシュはそんなマナを見て、顔をくしゃっと崩し。

「マナ――」

 ぎゅっと、抱き締める。

「……マナが、私達の主で、良かった」

 何も解決していない。
 でも、そう思ってもらえるなら、マナがここに居る意味はある。

 マナの肩に顔を埋め、身体を震わせるサーシュを抱き締める。
 マナの手が届く範囲は狭いけれど――精霊みんなを抱き締めるつもりで、力を込める。

 静寂が広がる精霊の森に、マナの願いが響く。
 どうかどうか。精霊達に安らぎを。
 この一時、少しでも優しい気持ちでいられますように。
 明るく、優しい貴方達へ。明日からまた笑える力が届きますように。

 精霊の森の奥へ戻っていくサーシュの背中を見送り、マナは満天の星空を仰ぐ。

 ねえ、気付いてる? 貴方達は、世界に、許されているのだと。
 世界の意思が導いた『迷い人』。その存在と出会えた事が、その証。
 今生きて、ここに居る事こそが、その証。
 許されている『証』は、どこにでも、ある。

 忘れて良いよ。でも、忘れないで。
 世界は醜く見えても、美しい。
 甘く、優しく見えても、厳しい。

 相反するものばかりだけれど、それが、大切。

「どうか今は、安らかな眠りを――」

 精霊を、傷付けるものは許さない。
 例えそれが、精霊自身だとしても。

「精霊が笑っていられるのなら、私が、全てを引き受けたいと、思うよ」

 大切な家族の為に。
 泥にまみれても、より良い結果を目指そう。

 マナは改めて決意し。
 ゆっくりと、深呼吸した。
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